2013年 05月 08日

くらやみ祭り

話題はヨーロッパからインドへ、そして突如、東京都府中市へと飛ぶ。飛び方が激しすぎるな(笑)。

ミクシでは何度か書いたことがある府中くらやみ祭り、このブログでは触れたことがなかったから
一度シッカリご紹介しようと思い立ったわけだ。

といっても、くらやみ祭りをご存知なのは地元民と京王線沿線住人、あとは司馬遼太郎ファンくらい?
「G.W.はどこか行くんですか?」と聞かれて、イ課長が「地元でくらやみ祭り見物ですよ」なーんて
答えようモンなら、ほとんどの人はキョトンとして、「何がクラヤミなんですか?」とか聞いてくる。
もちろん、イ課長だって府中に引っ越す前は全然知らなかったさ。

京王線の府中駅からすぐ近くに大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)という、かなり大きな神社がある。
ものっすごく歴史のある神社で、武蔵国総社ってくらいだから、神社としての格もかなり高いんだろう。
この神社で年に一度開かれる例大祭が「くらやみ祭り」というわけなのである。

なぜ「くらやみ」なのか?というのは、神聖なるもの(神輿)を直接見るのは禁忌であるという
考え方によってるみたいだね。実際、江戸時代の頃の神輿渡御は深夜、町中の灯りを消して、
文字通り真っ暗闇のなかを神様(=お神輿)を運んだといわれている(現在は18時から始まる)。

このくらやみ祭り、江戸時代にはすでに相当有名で、司馬遼太郎の「燃えよ剣」の巻頭では、
若き土方歳三がこの祭り目当てに、日野から府中まで来て、大国魂神社の暗い境内の中で
女をひっつかまえて交尾した、ということになっている(はずだ、実は読んでない・・・)。
もっとも、当時のくらやみ祭りに、「祭りの夜は境内でフリーセックスOK」なんて、進歩的?な風習が
本当にあったかどうかは知らない。しかし現在そういう風習がないことは絶対に確かだ(笑)。

祭りの神事は4月末から始まるんだけど、一般には5月の3・4・5日の3連休が「祭りの3日間」。
府中市民はG.W.はどこかに行楽なんて行く必要ないのだ。地元のお祭りが一番面白いんだから。
実際、イ課長が府中に引っ越して最初にこの祭りを見たときは、その立派さと規模にたまげたよ。
こんな伝統ある大規模な祭りがある街に住んだことがなかったからね。

くらやみ祭りの呼び物の一つは超巨大な太鼓だ。それが何台もある。一説には、そのうちの1台が
日本一デカい大太鼓だと聞いたことがある。
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この大太鼓。祭り期間中は神社だけじゃなく、府中市町内あちこち練り歩いてドンドン鳴らしまくる。
家の中にいても、遠くから重低音が響いてくると「ああ、また太鼓が近くにきたな」ってのがわかる。
平和な住宅街に突如、こんな烏帽子軍団と巨大太鼓が出現するんだから楽しい。
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いつも思うんだけど、このくらやみ祭りは大国魂神社参道の巨大けやき並木(国の天然記念物)の下で
行われるというのが大きな値打ちだ。鬱蒼たる新緑の下を太鼓や山車が行き来するのは美しいよねぇ。
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夜なんかだと、山車の灯りやら祭り提灯やらが新緑を下から照らして、これがまた実に美しい。
3日の夜、けやき並木の下で山車が勢ぞろいするサマは毎年見てても心が躍るってもんだ。
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神社の広い境内は祭りの3日間、すごい数の露店がすごい密度で並ぶ。これも祭りの重要な楽しみ。
毎年、何か食わずにいられない。今年はチキンステーキ(300円)を食いました(笑)。
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さらに、大植木市も開催される。これを目当てに来る人も相当たくさんいるようで、祭り期間中は
苗木を持って歩いてる人をよく見かける。イ課長のウチのコデマリも昔ここで買った。
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この一角、いまはお化け屋敷だけど、以前は「見世物小屋」がかかったこともあるんだよね。
21世紀に見世物小屋だよ?初めて発見した時は心底たまげた。見世物小屋なんて、江戸川乱歩の
小説くらいでしか知らなかったもん。二度と見られないかもと思って、トホ妻と見学したもんだった。
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最近は毎年お化け屋敷なんだよね。キョウビ、こんなレトロなお化け屋敷だって十分珍しいだろうけど、
久しぶりにまた見世物小屋、出してくれないかなぁ?

5日の午後になると、町のあちこちに、こんな白装束軍団が現れる。神輿のかつぎ手たちだ。
いよいよ、くらやみ祭りのクライマックス・8基の神輿渡御が近づいてきたぞ。
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前ダスキをギュッと締めたこの白装束。厳格な伝統に則ったもののはずで、烏帽子とあいまって、
非常に独特だ。くらやみ祭りの神輿渡御といえば、このスタイルなのである。
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勇壮な神輿渡御の写真もお見せしたいところだけど、いやもうアレ、大変なの。見やすい場所をとるには
昼間っから場所取りする必要がある。もっとも、そうやって場所取ったとしても相手は激しく動く神輿、
こっちはヘボカメラ&ヘボ腕、しかも夜間。相当強力なストロボでも使わないとブレ写真しか撮れないんだよ。

しょうがないから、大国魂神社のHPに掲載された写真で雰囲気を想像してほしい。
こんな風に少し上から撮ると、それらしいアングルになるよなぁ。

今年は3~5日が好天に恵まれたし、6日にもう一日休日が続くという並びも良かった。
大国魂神社はいつ行ってもすごい人出だったよ。ま、祭りはこうでなくちゃね。
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というわけで、本日はイ課長ブログにあるまじき?地元自慢、くらやみ祭りのご紹介でした(笑)。
来年も(というか、毎年)5月3~5日にやってます。お近くの方はぜひ府中・大国魂神社へおこしあれ。


  
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by tohoiwanya | 2013-05-08 00:30 | 日本での私生活 | Comments(20)
Commented by Mimi at 2013-05-08 05:26 x
くらやみ祭りといえば「燃えよ剣」ですね~。
見世物小屋は、以前新宿の花園神社に出てたのを見た記憶が。
と言ってもあれももう20年以上前だから・・・今は無いのかなー。
こちらにもフェスティバルやステートフェアというお祭りはありますが、
伝統や歴史のあるもんじゃないから比べものになりませんわ。
唯一、あれかな。クリーブランドのリトルイタリーでやってた
カトリックのお祭り「聖母昇天祭」が神輿担ぎみたいな感じだったかも。
日本のお祭りの屋台で買い食いしたいです・・・・
Commented by tohoiwanya at 2013-05-08 15:12
>日本のお祭りの屋台で買い食いしたいです・・・・

Mimiさん:
しかし、お祭りの露店も私がガキだった頃とはだいぶ“業種”がかわってきた。
お祭りの代名詞だった金魚すくいなんて、見かけなかったもんなぁ。
これまた代名詞だったワタ飴屋さんも・・・あったかなぁ?
その代わり、最近はチョコバナナとか、昔なかった食い物屋が増えてる。
それでも、タコ焼は依然として「夜店食」の王道ですな。

カトリックではマリア像をかついで歩く宗教行事、確かにある。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」ってオペラに出てきます。マリア像をかついで
教会からしずしずと歩く。お神輿のように「練り歩く」って感じじゃないですけどね。
伝統あるお祭りには宗教・神事の香りがありますな。
 
Commented by マダムKenwan at 2013-05-08 18:18 x
京王線とか府中とか大国魂神社とか
個人的にご縁のある辺りなので
懐かしいです。
「燃えよ剣」は、いいですよ〜
お祭りは、幾つになっても心躍る楽しいものですね。
Commented by Bきゅう at 2013-05-08 21:33 x
府中のツツジ。たしか府中には、つつじが丘ってところもありますよね。(わしの幼稚園の時の先生が結婚して、つつじヶ丘に引っ越していった。)
Commented by tohoiwanya at 2013-05-09 02:01
>個人的にご縁のある辺りなので懐かしいです。

マダムKwnwanさん:
この沿線にお住まいだったって、以前にうかがった記憶があります。
「燃えよ剣」って・・・というより、新撰組の幹部たちもみんなこの沿線なんですよね(笑)。
近藤勇が調布だかどっかじゃなかったでしたっけ?で、土方歳三が日野。

今年は好天だったこともあって、くらやみ祭りの人出が例年以上にすごかったんですけど、
京王電鉄も今年はけっこう駅にポスター貼ったりして力入れてたんです。
烏帽子をかぶったオジサンたちが並んで、キャッチコピーが「くらやみ祭りで育った」。
このポスターがまたカッコ良くて・・・(笑)。
 
Commented by 加代子 at 2013-05-09 02:02 x
「燃えよ剣」は昔読んだけど 暗闇祭りは 
全然憶えていません・・・・
冒頭にそんな記述があったのですか。
それにしても 物凄い人出ですね。
私も出店の方に興味があります。
「見世物小屋」って どんなのでした??
Commented by tohoiwanya at 2013-05-09 02:05
>つつじが丘ってところもありますよね

Bきゅうさん:
つつじヶ丘って駅、確かにあります。通勤で毎日、朝晩通過してます(笑)。
でもあそこは調布より手前(新宿寄り)だから、住所でいうと調布市になるんじゃないかな?

そんなことより、幼稚園の時の先生の嫁ぎ先を覚えてるってことに仰天ですよ。
私、幼稚園の時の先生なんて、顔も名前もなーんも覚えてない。ましてや嫁ぎ先なんて・・・。
 
Commented by tohoiwanya at 2013-05-09 02:13
>「見世物小屋」って どんなのでした??

加代子さん:
おっと、レス書き中にコメント、恐れ入ります。ノルウェーはそろそろ夕方?

見世物小屋はですね・・・いや、これはやはり秘密にしておくべきものでしょう(笑)。
入場料がたしか500円か、もうちょっとしたかな?夫婦二人で入ればそれなりの出費。
おそらく15分〜20分くらいが1回の“上演”で、それが済むと客は入れ替えというシステム。
さすがに、エレファントマンの昔みたいな非人道的なことはなくて、まぁ何というか、
ちょっとグロテスクで、妙チキリンなものを見せる、とでもいうか・・。
 
Commented by Mimi at 2013-05-09 07:46 x
マダムkenwanさんの書き込み読んで思い出した・・・
府中というと前夫の実家があります(^^;
西武多摩川線の競艇場前駅からすぐでした。
今、グーグルマップ見てみたら大国魂神社とも近いんですな。
ぜーんぜん知りませんでした。当時。
すみません、どーでもいい昔話でした。

屋台ですが、私の地元のお祭りではテキヤが締め出されてPTAや
地元商店街が店を出すのでしょぼいんですよ~。
浅草のお酉さまに行った時は、韓国ものが多くてたまげました。
チヂミだのなんだの、「ここは日本か?」と驚くほどで。
私が懐かしいと思うのはハッカパイプ、型ぬき、ヨーヨーつりとか金魚すくい。
ゲンゴロウくじなんてのもあったなー。ご存知ですか?
Commented by tohoiwanya at 2013-05-09 13:04
>西武多摩川線の競艇場前駅からすぐでした

Mimiさん:
あ、それはけっこう近い。是政とか、あっちの方ですよね。

屋台が国際化してきたっていうのはホントにその通りで、
「チャプチェ」「チヂミ」「シャービン」「タイラーメン」「ドネルサンド」等々、
中国・韓国からタイ、トルコに至るまでやたら幅広い。昔じゃ考えられない。

イ課長としては、やはり夜店っていうとタコ焼きに焼きそばあたりが定番かな。
金魚すくいはド下手でした(笑)。しかしゲンゴロウくじなんて知りませんよ~。ナンすか、それ。
 
Commented by RIO at 2013-05-11 12:31 x
江戸期以来の地元原住民です (^_^)
きれいにアップしてくださり、ありがとうございます。

勝手ながら、多少の補足を。

白装束は、白丁(はくちょう)と言います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%BC%B5
白張(はくちょう)とは、主に平安時代の下級官人によって着用された衣装の1つ。「白丁」とも表記し、「しらはり/しらばり」とも読んだ。

本来は、袖を垂らしたままですが、府中では神輿を担ぐのに邪魔なのでたすきがけにしています。
白丁に黒い烏帽子が、本来の神輿装束です。
股引・腹がけ・半纏は、江戸時代の職人着です。江戸では、町民がお祭りの主役になっていったためと思われます。

府中でも、明治以降、祭り装束はでたらめになり、特に戦後、祭りが荒れたときは、柔道着にヘルメットといういでたちもありました。ささら(竹)や提灯の柄で殴られてもいいように (^_^)

太鼓の音ですが、昔は、新宿あたりまで、風に乗っていったそうです。少なくとも、世田谷までは、聞こえていた。徳富蘆花が、確か「みみずのたわごと」に、その時の状況を書いています。

何か、祭りに関してご質問があれば、是非お聞かせください。
Commented by tohoiwanya at 2013-05-11 23:53
>江戸期以来の地元原住民です (^_^)

RIOさん:
初めまして。コメントありがとうございます。
しかし驚いた。江戸時代からずっと府中?!ということはRIOさんのご先祖たちは
土方歳三と一緒にくらやみ祭りに来てたことになるんだ。うひゃぁ。

白丁っていうんですね、あれ。タスキがけは、あの平安装束の袖をしまうためのものだったんだ〜。
普通の神輿かつぎっていうとハッピ姿が多いんでしょうが、くらやみ祭りの白丁は非常に独特で、
初めて見たときから気になってたんです(笑)。

太鼓が世田谷まで聞こえてたというのもビックリです。徳富蘆花が書いてるってことは、
つまり現在の芦花公園のあたりまでは聞こえてたことですよね?
まぁ昔だったら世田谷から府中までの間の街っていったら、調布があるくらいで、
つつじヶ丘あたりはまだ何もなかったんだろうから、けっこう聞こえたんでしょうねぇ。
いやーさすがの蘊蓄です。勉強になりました、ありがとうございます。
 
Commented by RIO at 2013-05-13 10:20 x
一応、御先祖は、大國魂神社の西で旅籠をやっていたと言われています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E7%93%9C%E5%B7%9E

苗字が違うのですが、何故か、その家の位牌をうちの本家が預かり、祖父も一度、その家(立川に引越し)の養子になっております。

多分、男の子が途絶えると、分家や嫁に出した家から養子をとって継いでいったんだと思います。

江戸期は、府中の住人は、ほとんどが旧道沿いの商家ですから、見物に来る方をもてなし、利益を取る商業行動がメインで、お祭りの執行は、神社と神人(しんじん)と神人が集めた近隣在郷の人間で行っていました。
Commented by RIO at 2013-05-13 10:21 x
江戸期のお祭りの様子は、こちらにくわしく。

《十方庵遊歴雑記 総目次》
http://homepage2.nifty.com/CHARLIE-ZHANG/LIB/10PO.html

二編 巻之下 第一 府中駅六所宮の祭礼

十方庵遊歴雑記. 2編 上・中・下
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952978
p152~p157

四編 巻之下 第十七 六所明神の夜まつり再遊
十方庵遊歴雑記. 4編 上・中・下
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952980
p177~p180

十方庵遊歴雑記. 4編 上・中・下に出てくる「四人部屋」が、今の亀田屋さんのところで、現在の間口の半分だったとの言い伝えです。
Commented by tohoiwanya at 2013-05-13 13:39
RIOさん:
いやすごい。初めて知ることばかりですよ。
江戸時代の昔から府中、とお聞きしてたので、「たぶん旧甲州街道か、けやき並木沿いの
古い商家の方かなぁ?」とは思ってましたが、元はあの和菓子屋さんのあるあたりでしたか。
目の前を神輿が通る、まさに絶好の立地にある宿屋さんだったわけですね。

私が住んでるところは京王線の北、府中公園の桜並木よりもっと先ですから、
江戸時代の頃はなーーーんにもない、田んぼと畑だけのエリアだったのは確実だ(笑)。

十方庵遊歴雑記も初めて知りました。
「売色の家三四軒ありて・・」なんて書かれてるから(すぐそういうトコに目がいく)、
「燃えよ剣」で描かれたような境内フリーセックスはさすがになかったんだろうけど、
ビジネスとして「ご愉快」を売るのはけっこう盛んだったことが伺えますよね。

いやぁ~しかしすごい文献だこれは。府中以外の土地に関しても貴重な史料ですよね。
教えていただいてありがとうございます。もうちょっと読んでみます。
 
Commented by RIO at 2013-05-14 12:06 x
>私が住んでるところは京王線の北、府中公園の桜並木よりもっと先ですから、
>江戸時代の頃はなーーーんにもない、田んぼと畑だけのエリアだったのは確実だ(笑)。

間違いないでしょう (^_^)
江戸時代に人が住んでいなかった証拠に、甲州街道の北には(国分寺・小金井まで)、寺社がほとんどありません(多磨霊園回りは、駅弁寺とでも言えばいいか (^_^))。
旧道に面したところは、商家がうなぎの寝床のように並んでいましたが、その裏もほとんど畑か雑木林だったと思われます。
江戸名所図会で見るとわかります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994939/3

>「燃えよ剣」で描かれたような境内フリーセックスはさすがになかったんだろうけど、
>ビジネスとして「ご愉快」を売るのはけっこう盛んだったことが伺えますよね。

当時の性風俗は違いますからね。日常、「若衆宿」「夜這い」。今は、想像できない。くらやみ祭りの話も、誇張されすぎで、歌垣云々は商家ではなかったと思います。

ビジネスとしては、それなしには宿場が成りたたなかったんでしょう。府中三宿(本町・番場・新宿)でも、その権利云々で訴訟になっていましたから。
Commented by tohoiwanya at 2013-05-14 18:37
>甲州街道の北には(国分寺・小金井まで)、寺社がほとんどありません

RIOさん:
確かにそう言われると、ウチの周囲に寺社って聞いたことないですねぇ。

明治の頃に、「広い土地を必要とする施設」をどんどん都心から府中に移転して、
それが競馬場や刑務所や霊園なのだって話を聞いたことがありますけど、
競馬場以外はぜんぶ北側だ。ウチの近くにあって、やっぱり広い土地使ってる農工大もそうだし(笑)。

競馬場のある場所だって、目黒から移転した当時は単なる川っぺりに近い状態だったんでしょうから、
府中なんて、江戸期はおろか、明治頃までは神社の周囲+旧甲州街道沿いを除けば田舎だったんでしょうねぇ・・・。
 
Commented by RIO at 2013-05-16 10:23 x
まさに、田舎です。
「むかしの府中」という写真集があります。ハケ下の写真、なんとまぁ、のどかな田園風景か。

国立から府中までの多摩川南側流域は、東京の米作地帯でした。ハケ(府中崖線)から下が、米作。
立川・国分寺崖線の上が小麦と畑。
http://members.jcom.home.ne.jp/nobish/map_hakef.html

小平から上、埼玉まで、「うどんがうてない嫁はいない」という小麦産地です。玉川上水流域の小麦が、江戸のうどんとそばを支えました。

明治時代に大規模施設を誘致したのは、町の長たちが、近視眼的理由(汽車が通ると、人が素通りして駅(鉄道ではなくて、馬の)がダメになる)から、裏から養蚕農家を炊きつけて、中央線の敷設に反対させたための、後遺症です。

経済の中心地の座を中央線に奪われて、慌てて、なんでもいいから誘致したんですね。

個人的には、中央線より京王線の方が好きなんですが (^_^)
Commented by RIO at 2013-05-16 10:25 x
国立から府中までの多摩川南側流域は

国立から府中までの多摩川 北側流域は が正しいですね (~_~;)
Commented by tohoiwanya at 2013-05-16 18:03
>経済の中心地の座を中央線に奪われて、慌てて、なんでもいいから誘致

RIOさん:
そうだったんですかッ!なーーーるほどねぇ。ということは、もしその時に
反対運動を煽動せず、「鉄道?いいですよ、作っても」なんて態度だったら
JR中央線が調布や府中を通って八王子まで行ってたかもしれないわけだ。ひええーー。
まさに「その時歴史は動いた」ですねぇ(笑)。でも私もどっちかというと人身事故だらけの
中央線より京王の方がいいかなぁ(京王も最近、人身事故増えたけど・・・)

府中崖線っていうのも知りませんでした。府中本町の旧イトーヨーカドーが
あった所から続く急な下り坂、時々自転車で通るんですが、あれがそうだったとは。
あの坂、帰り道(つまり上り坂)は自転車だと大変で・・・(笑)。


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