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2017年 07月 13日

王立地理学会のシャクルトン

王立地理学会の場所を調べたら、ホテルから歩いても行ける場所だと判明した。
それが実は滞在最終日の朝、ケンジントン公園を横断して行った目的地だったのだ。
場所はロイヤル・アルバートホールのすぐ近く。

これが由緒ある王立地理学会、ロイヤル・ジオグラフィカル・ソサエティの建物なのである。
うーむ・・・確かに古色蒼然たるレンガ造りの建物が歴史を感じさせるぜ。
しかしイ課長の興味は学会そのものではない。シャクルトンの銅像なのである。
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しかし銅像ってシャクルトンだけなのだろうか?英国の有名な探検家は他にもいる。
あるとすればリヴィングストンかスコットか・・と思ってたけど、予想通りリヴィングストン博士発見。
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リヴィングストンについてはイ課長も詳しくは知らない。
アフリカ探検で大変な功績を残した人で、そのままアフリカで行方不明になった。
新聞記者スタンレーが彼を捜しに行き、アフリカの奥地でリヴィングストンを見つけたことは
英国では天下の大ニュースとして報じられたらしい。

リヴィングストン博士の下を通ってカドを曲がると・・・お!ありましたシャクルトン。
いかにも極地探検家らしいナリで銅像になっている。
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この人の人生はホント、波乱万丈だった。
前回書いた南極横断の失敗⇒2年近くにわたる漂流⇒奇跡の航海⇒奇跡の救出劇だけでも
十分波乱万丈だがこの後がまたスゴい。

植村直己さんなんかもたぶんそうだったんだろうけど、探検家ってどうも特殊な人種らしい。
雪山だの南極だので苦しい目にあってる時は「二度とこんなツラい探検するもんか」と思うけど
いざ平穏な日々に戻るとドウしようもなく危険な探検に再び行きたくなってウズくんだな。
シャクルトンもあれだけ大変な目に遭いながら、英国に戻ってしばらくするとウズいた。

で、1921年に再び南極に向かった。この時の目的は「亜南極の探検旅行」という、極めて
バクとしたもの。要するに目的ウンヌンより、とにかく何でもいいから理由をつけて、
もう一度南極に行きたかったんだと想像される。
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1922年1月、シャクルトンはあまりにも思い出深いサウスジョージア島に再び寄港。
例の「4人め」の存在を感じながら凍死寸前になりつつ山脈を横断した、あの島だ。
しかし体調が悪化し、船内で医師の診断を受けた。この時の医師は例の大漂流+奇跡の救出の時の
探検に同行した人で、あれほど生死の境を経験したにもかかわらず、前回探検隊の隊員の多くが
この時にも再び志願して参加したらしい。

医師はシャクルトンに「もうあまりムリすべきではないですよ、ボス」とか何とか忠告したらしい。
「君はいつも私に何かやめさせようとするな、今度は何をやめろっていうんだ?」
「まずは酒ですね、ボス」
この会話の直後、シャクルトンは深刻な心臓発作に襲われ、そのまま死んでしまった。
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6年前に奇跡の航海で辿り着いた絶海のサウスジョージア島で死ぬというウソみたいな本当の話。
結局彼の遺体はそのままサウスジョージア島に埋められた。まさに本望というべきだろう。

彼の死後しばらく、英国では「南極の英雄といえばスコット」という時代が続いたようなんだけど、
1960年代頃から徐々に世間の評価が変わり、今じゃシャクルトンの方がすっかり有名になっちまった。
「真のリーダーのあるべき姿」的なモデルとしてよく取り上げられて、ビジネス研修なんかでも
“教材”になることがあるんだと。
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しかしイ課長はビジネスリーダー論にシャクルトンを持ち出すのは個人的には好きではない。
彼は驚くほどの能力と体力とリーダーシップ、そして何より強運を持ったすげー探検隊長だった。
それでいいじゃん。

たまたま本を読んでいなければ決して来ることはなかったであろうロンドン王立地理学会。
しかしイ課長はシャクルトンの銅像と一緒に記念写真も撮ってたいへん満足なのでありました。
結局のところイ課長も単なるミーハーなのである(笑)。
 

 

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by tohoiwanya | 2017-07-13 00:04 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)