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2017年 07月 24日

グリニッジ天文台【子午線編】

ちょいと箸休めを挟んで、グリニッジ天文台に戻りましょう。
「子午線編」っつうからには、別の編もあるみたいですねー、続くんですねー、こわいですねー。

さてだ。現在は博物館として公開されているグリニッジ天文台。
展示内容も普通の天文台とは違って、子午線とか標準時とか、そういうものに関するものが多い。
「ここならではの展示」ってことだよな。本日はその中でも子午線の話をしたい。
 
まずはいきなりで恐縮だがイ課長のアホ面写真から。
下の写真でイ課長がまたいでいるのがグリニッジ子午線で、このときイ課長は地球の
東半球と西半球の両方に足を置いたことになる。グリニッジ天文台に来た観光客が必ず撮る
記念写真の定番ポーズ。
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とーころがですよ。
この記事を書くためにちょっと調べてみたけど、子午線の世界も深いんだねー。
上の写真でイ課長がまたいでいるのは正確には「エアリー子午線」と呼ばれるものなんだけど
しかし子午線はこれだけじゃないのだ。

初代グリニッジ天文台長だったハレー(ハレー彗星のヒト)とか、第3代天文台長だった
ブラッドレー(この人も科学史では有名)とか、いろんな人が子午線決定には力を尽くしてて、
エアリー子午線とは43m離れた別の子午線とか、6m(!)離れた別の子午線とか、いろいろあるのだ。
下は6mしか離れてない子午線の位置表示で、エアリー子午線のすぐそばにある。
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それだけならまだいい。20世紀になってさらに科学的な子午線基準が定められた。
IERS基準子午線っていうらしいんだけど、それはグリニッジ子午線から西に102.478m離れてるんだと。
科学的厳密さに即して言えば上の写真でイ課長がまたいでいる線には何の意味もないわけだ。

でも一般人が学校で習う子午線といえばやっぱグリニッジのココだよな。いや勉強になった。
訪問前にこういうことを予習しておけばもっと有意義な訪問になっただろうに(笑)。

緯度には南極・北極っていう基準があるけど、経度には地球上で基準とすべきところがない。
しかしどっか基準を作らなきゃっていうんで、グリニッジにしようってことになったのは1884年の
ことなんだと。その時点ですでにグリニッジを基準にしたイギリス式の海図が世界中でかなり
普及してたから、ここが良かろうということだったようだ(フランスだけは抵抗したらしいが)。

建物の中はエアリーさんが子午線を観測した時の機器が保存されている。
下の写真の下の方、木の床に細い銅板みたいなのでラインがあるじゃん?これが子午線。
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そのまま目を転じると子午線のラインはこんな風に窓の真ん中を通って外に続いている。
エアリーさんは上の写真の巨大な黒い歯車みたいな装置(たぶん子午環っていうんだと思う)で
窓の中心を基準に観測したようで、その窓の中心がそのままグリニッジ子午線になったわけだ。
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お、エアリーの前に子午線を観測したブラッドレーさんがいる。こういう顔してたのか。
たぶん多くの業績を残した人なんだろうけど、科学史においてブラッドレーといえば
光速度測定の歴史でガリレオ、レーマーに次いで必ず取り上げられる人だ。彼が発見した
光行差を用いた光の速度計算は約30万km/秒で、ほぼ合ってた。
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実はイ課長、文学部出身のくせに科学史の本を読むのがけっこう好きなもんで、
グリニッジ天文台の展示で名前を聞いたことある人を見つけると、やっぱちょっと嬉しくなる。
イ課長ですら知ってる人がいるくらいだから、天文史マニアなんかにとっちゃここはもう
たまんないと思うよ。

グリニッジ天文台は17世紀に設立されたらしいけど、その頃の観測機器なんかも残ってる。
現在に比べりゃオモチャみたいな性能なんだろうけど、それでも18世紀に光速度がほぼ正確に
計算できちゃったんだからすごい。
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子午線について調べたらいろいろ勉強になったので、ついその成果をいろいろと書き連ねて
しまいました。次回更新はグリニッジ天文台ならではのテーマその2として、計時技術と
経度測定法についてご紹介しますです。いつから科学ブログになったんだ?ここは(笑)

 

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by tohoiwanya | 2017-07-24 00:20 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 07月 20日

グリニッジに行ってみよう その2

エレベーターを待ってると自転車ニイチャンだの、乳母車ママだの、だんだん人が増えてきた。
下から上がってきたエレベーターにもけっこう人が乗ってるから、人の通行はけっこう多いトンネルみたいだ。
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ぐぃーん・・と下に降りる。
別にダイヤモンド鉱山に降りるワケじゃないから、階段でも十分なくらいの深さだけど、それでもちょいと
ワクワクするってもんだ。
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どぉーん。これがトンネル。ただし名称は知らない。
地図で見るとグリニッジあたりのテムズ川って川幅はせいぜい400mくらいに見えるから、トンネルの長さも
500mはないんじゃないかなぁ?でも川の下のせいか、すげー空気がひんやりしてて涼しい。
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もし今この瞬間、地震が起きてこのトンネルの天井にピキッとヒビが入ったら、その瞬間にテムズ川の水が
どしゃーーーっとトンネルに流れ込んできてオレたちはたちまち溺れ・・ずに、どっちかの出口に流されて
意外に助かるのかな?なんて考えたりもしたけど、もちろんそういうことはなかった。

ほどなく対岸、つまりサウスバンク側に到着。ここにもエレベーターがあったけど、今度は階段で
地上に出ることにした。ビルでいえば3階分くらい段数じゃなかったかと思う。やっぱそれなりに深い。
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・・え?トンネルの写真は1枚だけかって?
いや実はもっとあるんだけど、イ課長やトホ妻のツラが写ってるやつが多いもんだから
掲載可能なのは1枚だけなんス、すんません。
 
明るい外に出てみるとすぐ目の前に帆船カティ・サーク号が見える。おおおお。
そういえばカティ・サークっていうウィスキー(だっけ?)もあったよねぇ。たぶんこの船の
名前からとったんだろうな。昔は紅茶を運ぶ船だったらしい。
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なかなか気分のいいグリニッジ到着じゃん。「カティ・サーク」っていうDRLの駅もあるから
そこまで乗るのが早いんだろうけど、イ課長としては一つ手前で降り、トンネルで川をわたり、
地上に出たところで帆船を目にして驚くというルートもお勧めしたい。

このグリニッジは天文台をはじめとした一帯が海事都市として世界遺産になってる。
確かに歴史ある町並みという感じだ。天文台があるくらいだから昔は田舎だったんだろうけど
今はDLRも通ってるし、赤い二階建てのバスがあるから、ロンドン交通局の管轄内なんだろう。
ロンドン郊外っていうより、完全にロンドンの一部だね。
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川べりに近いところにあるカティサーク号から南、つまり川から遠ざかる方向に歩いて行くとすぐに
広大な公園になる。ケンジントン公園みたいにところどころに建物があったり池があったりする
わけじゃなく、芝生が生えたなだらかな斜面と木がいっぱいあるだけ。もしかするとここは
特にナントカ公園っていうような名称もないのかもしれない。
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しかしここはすごくキレイなところだったよ。
造園されたって感じがなくて、昔からずっとこんな感じの斜面だったんだろうって気がする。
学校の生徒たちが揃って(おそらく天文台の)見学に来てたり、かと思うとイヌが走り回ってたり、
天気がよかったこともあって、ゆるやかな斜面を歩くのが全然苦にならない。
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丘を登って後ろを見ると、おおーー何と良い景色。
遠くに見える二つのドームのある建物は旧王立海軍大学ってとこだそうで、この建物の設計者である
クリストファー・レンはセントポール寺院の設計者として知られている。うーむ・・来る前はさほど
期待してたわけじゃないけど、グリニッジ、いいトコじゃん。
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まぁここまで来たらコトのついでに有名なグリニッジ天文台を見学していくか。
別に天文台見学が目的で来たわけでもないんだけど、せっかく地球の経度0地点に来たんだから
子午線が通る場所、世界標準時の基準地点グリニッジ天文台を見ずに帰るわけにもいかんだろ。

というわけで、次回はいよいよグリニッジ天文台だ。
ここはけっこう面白かったし、写真もいっぱいあるからジックリご紹介するぞ。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-20 00:11 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 07月 18日

グリニッジに行ってみよう

土曜の夕方にロンドンに到着し、
 日曜はコッツウォルズの日
  月曜は大廃墟観光の日(まだ書いてない)
   火曜はカンタベリーの日+ロイヤル・オペラ
    水曜は大聖堂の日
     木曜はストーン・ヘンジの日+ロイヤル・フェスティバルホール

・・・と、主なスケジュールではこんな具合だった英国銀婚旅行。
土曜の昼には帰国便に乗るわけだから、金曜は実質的にロンドン滞在最終日ってことになる。
その金曜日が一体「何の日」だったのかというと、「夜の観劇以外は何も決まってない日」だったのである。

さすがにねぇ、全部の日のスケジュールをびっしり事前に決めちゃうと息苦しい気がするじゃん?
長距離移動が必要ならともかく、ロンドン市内観光なら何も予約しなくても大丈夫だろうというわけで、
金曜日は一種の予備日として空白スケジュールになってた。

とはいえ、イ課長には腹案があった。
金曜はグリニッジに行こうかな、と思ってたのだ。
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グリニッジといえばグリニッジ天文台であり、子午線であり、東経と西経の境い目なわけだけど、
それだけじゃなく、なかなか風光明媚な公園やら、古い建物やら、巨大帆船やら、それなりに
いろいろ見るべきものはありそうだった。それにグリニッジ往復で乗る交通機関や徒歩経路も
ちょっと面白そうだったんだよね。

で、イ課長は金曜は「グリニッジの日」ということにした。
トホ妻は「ビクトリア・アルバート博物館の日」にすることも考えてたみたいなんだけど、前に書いたように
視力が衰えて盲導犬・イ課長と別行動は不安があったのか(笑)、一緒についてきた。

グリニッジまで、往路はドックランズ・ライト・レイルウェイというのに乗ることにした。
愚かなるイ課長は最初「犬が走る」=Dog Runs って変な路線名だなぁと思ったけど、
造船所なんかにあるDockのことなんだな。人間ドックのドックと同じ。

通常はDLRと略される。ライト・レイルウェイってくらいだから普通の鉄道じゃなくて、
東京でいうと「ゆりかもめ」や日暮里舎人ライナーに近い。もちろん初めて乗る。

このDLR、「●●と○○を結ぶ」みたいな単純な路線じゃなくて、やたらあちこち広がってる。
とりあえず路線図の左端っこにあるBANKってとこまで普通の地下鉄で行き、そこでDLRに乗り換え、
グリニッジに行こうってわけだけど、ある理由があって降りるのは川の手前の駅と決めていた。
(グリニッジはテムズ川の向こう岸、サウス・バンクにある)
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で、まずBANK駅だ。DLRは地下鉄よりさらに深いところにあるようで、けっこう下に降りたと思う。
やがてDLRがやってきたけど、見た目はゆりかもめっつうより普通の地下鉄と同じに見える。
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BANKを出た時は地下だったけど、やがて地上の高架路線を走る。
さっきまでいた金融街シティのガーキンだとかウォーキー・トーキー・ビルが見える。
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車内はこんな感じ。確かに普通の地下鉄に比べると少~し車幅がせまいか?
でも東京のゆりかもめとか日暮里舎人ライナーなんかよりは大型車両に思えるけどなぁ。
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で、着きました。グリニッジを川向うに望むIsland Gardens 駅。さっきまで高架だったけど
ここでDLRはテムズ川の下をくぐって渡るためにまた地下鉄になり、地上には駅舎しかない。
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川向こうには例の「子午線上の発電所」が見える(この時はそんなこと気づいてなかったが)。
さて、我々もテムズ川を超えて向こう岸に行くわけだが、その手段は徒歩なのである。
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橋を渡る?ノンノン。なぜかここにはトンネルが川の下を通ってるのである。
テムズ川の下をくぐる歩行者専用トンネルだよ?これは通ってみたいじゃん?(←モノズキ)
地図を見てトンネルを発見した瞬間、手前の駅で降りてトンネルを徒歩横断しようと決めた。

さすがテムズ川の下をくぐるだけあって、けっこう深いトンネルのようだ。エレベーターがある。
階段もあるけど、ひとつこの自転車ニイチャンと一緒にエレベータでトンネルに降りてみるか。
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これからトンネルをじっくりご覧に入れたいところだが、長くなったから
無慈悲に次回に続くのである。別にもったいぶるほどのトンネルじゃないんだが(笑)。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-18 00:05 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 13日

王立地理学会のシャクルトン

王立地理学会の場所を調べたら、ホテルから歩いても行ける場所だと判明した。
それが実は滞在最終日の朝、ケンジントン公園を横断して行った目的地だったのだ。
場所はロイヤル・アルバートホールのすぐ近く。

これが由緒ある王立地理学会、ロイヤル・ジオグラフィカル・ソサエティの建物なのである。
うーむ・・・確かに古色蒼然たるレンガ造りの建物が歴史を感じさせるぜ。
しかしイ課長の興味は学会そのものではない。シャクルトンの銅像なのである。
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しかし銅像ってシャクルトンだけなのだろうか?英国の有名な探検家は他にもいる。
あるとすればリヴィングストンかスコットか・・と思ってたけど、予想通りリヴィングストン博士発見。
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リヴィングストンについてはイ課長も詳しくは知らない。
アフリカ探検で大変な功績を残した人で、そのままアフリカで行方不明になった。
新聞記者スタンレーが彼を捜しに行き、アフリカの奥地でリヴィングストンを見つけたことは
英国では天下の大ニュースとして報じられたらしい。

リヴィングストン博士の下を通ってカドを曲がると・・・お!ありましたシャクルトン。
いかにも極地探検家らしいナリで銅像になっている。
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この人の人生はホント、波乱万丈だった。
前回書いた南極横断の失敗⇒2年近くにわたる漂流⇒奇跡の航海⇒奇跡の救出劇だけでも
十分波乱万丈だがこの後がまたスゴい。

植村直己さんなんかもたぶんそうだったんだろうけど、探検家ってどうも特殊な人種らしい。
雪山だの南極だので苦しい目にあってる時は「二度とこんなツラい探検するもんか」と思うけど
いざ平穏な日々に戻るとドウしようもなく危険な探検に再び行きたくなってウズくんだな。
シャクルトンもあれだけ大変な目に遭いながら、英国に戻ってしばらくするとウズいた。

で、1921年に再び南極に向かった。この時の目的は「亜南極の探検旅行」という、極めて
バクとしたもの。要するに目的ウンヌンより、とにかく何でもいいから理由をつけて、
もう一度南極に行きたかったんだと想像される。
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1922年1月、シャクルトンはあまりにも思い出深いサウスジョージア島に再び寄港。
例の「4人め」の存在を感じながら凍死寸前になりつつ山脈を横断した、あの島だ。
しかし体調が悪化し、船内で医師の診断を受けた。この時の医師は例の大漂流+奇跡の救出の時の
探検に同行した人で、あれほど生死の境を経験したにもかかわらず、前回探検隊の隊員の多くが
この時にも再び志願して参加したらしい。

医師はシャクルトンに「もうあまりムリすべきではないですよ、ボス」とか何とか忠告したらしい。
「君はいつも私に何かやめさせようとするな、今度は何をやめろっていうんだ?」
「まずは酒ですね、ボス」
この会話の直後、シャクルトンは深刻な心臓発作に襲われ、そのまま死んでしまった。
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6年前に奇跡の航海で辿り着いた絶海のサウスジョージア島で死ぬというウソみたいな本当の話。
結局彼の遺体はそのままサウスジョージア島に埋められた。まさに本望というべきだろう。

彼の死後しばらく、英国では「南極の英雄といえばスコット」という時代が続いたようなんだけど、
1960年代頃から徐々に世間の評価が変わり、今じゃシャクルトンの方がすっかり有名になっちまった。
「真のリーダーのあるべき姿」的なモデルとしてよく取り上げられて、ビジネス研修なんかでも
“教材”になることがあるんだと。
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しかしイ課長はビジネスリーダー論にシャクルトンを持ち出すのは個人的には好きではない。
彼は驚くほどの能力と体力とリーダーシップ、そして何より強運を持ったすげー探検隊長だった。
それでいいじゃん。

たまたま本を読んでいなければ決して来ることはなかったであろうロンドン王立地理学会。
しかしイ課長はシャクルトンの銅像と一緒に記念写真も撮ってたいへん満足なのでありました。
結局のところイ課長も単なるミーハーなのである(笑)。
 

 

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by tohoiwanya | 2017-07-13 00:04 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 07月 11日

アーネスト・シャクルトンという人

シャクルトンはロンドンネタの一つとしていつか扱うべき人だった。
ポートレート・ギャラリーの時も紹介しかけたけど、この人の驚くべき業績(と言っていいのか?)を
説明しようとすると、どうかいつまんで説明しても長くなるので扱いに困ってたんだよ。

イ課長は英国旅行の前にたまたま彼に関する本を何冊も読んだとこだった。
いわばシャクルトンは英国旅行の時、イ課長にとっちゃマイブームだったわけ。
本日はご存知ない方のために彼がどういうヒトか、極力短く説明しよう。
(下はイ課長が買って読んだ本その1)
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アーネスト・シャクルトンは英国の南極探検家で、活躍したのは20世紀初め。
アムンゼンとかスコットなんかと同時代の人で、極地探検が「英雄の時代」と言われた頃の
英雄の一人なのだ。英国人だけど正確にはアイルランドの生まれ。
 
アムンゼンとスコットの南極点到達争いは有名だし、負けた方のスコット隊が帰路に遭難して
全員死亡した悲劇も有名だ。これはご存知の人が多いだろう。

シャクルトンも当初は南極点到達一番乗りを狙った。最初はスコットの第1回探検に同行して
南緯82度まで迫って撤退。次は自分の探検隊を組織して南緯88度まで迫って撤退。
これはどちらも当時の最南端到達記録だったから、英国じゃ著名人になった(買って読んだ本その2)。
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その後南極点到達はアムンゼンに先を越されたから、シャクルトンは次なる目標を南極大陸
横断と決め、再び自分の探検隊を組織。エンデュアランス号という船で南極に向かった。
結果的にこの探検は大失敗するわけだけど、この失敗が彼を有名にした最大の要因と言っていい。
ここから先は少しでも記述を短くするため、年表方式で書くことにする。

1914年 8月 エンデュアランス号でロンドンを出発するのとほぼ同時に第一次大戦勃発。
1914年12月 最後の寄港地サウスジョージア島から南極海に。だんだん流氷に苦しめられる。
1915年1月19日 とうとう巨大流氷にガッチリ固められて船は停止。そのまま船は氷と一緒に漂流。
        漂流したしたまま船の上で南極越冬。
1915年10月27日 氷圧に耐えきれずエンデュアランス号崩壊。28人の乗組員は氷上に移動。
         今度は巨大流氷の上のキャンプでさらなる漂流が始まる。
1916年 4月 9日 氷が割れ始めたので船から持ってきた3艘の救命ボートで南極海に漕ぎ出す。
1916年 4月15日 信じ難いことに3艘のボートはエレファント島ってトコにたどり着いた。だがそこは無人島。
         誰かが救助を呼びに行かないと誰も気づかない。一番近そうな島は1300km離れた
         サウスジョージア島。2年前の12月に寄港したトコだ。そこに行けば捕鯨基地がある。
         行くしかない。救助を呼ぶにはそれしか方法がないのだ。
1916年 4月24日 3艘のボートで一番マトモそうなジェームズ・ケアード号に急ごしらえの甲板作って
         改修し、シャクルトンは自分自身の他に5名の隊員を選抜、再び南極海に漕ぎ出した。
1916年 5月10日 再び信じ難いことにジェームズ・ケアード号はサウスジョージア島にたどり着いた。
         だが到着したのは運悪く島の無人地帯。捕鯨基地があるのは島の反対側。急峻な山脈を
         越えて島の向こう側に行かなきゃ救助も呼べない。
1916年 5月18日 体力回復を待ってシャクルトンはまたもや自分を含む3名の、まだしも使い物になりそうな
         隊員を選抜し、地図もなく、装備もなく、ボロ服のまま酷寒の山脈越えに出発。
1916年 5月20日 またまた信じ難いことに3人は島の反対側の捕鯨基地に到着。
1916年 8月30日 何度か氷に阻まれたものの、エレファント島に残していた隊員の救出に成功。

さて、ここで問題です。
シャクルトンを含めて最初28名いた隊員、最後に救出された時点で何人が生き残っていたでしょうか?
 
       
実は28人全員が生き残ったのだ。一人も死ななかった。
南極大陸横断は失敗したけど、この信じ難い一連のデキゴトと全員生還とでシャクルトンの名は
極地探検史上不滅となり、とうとう王立地理学会に銅像が建てられるに至った。
(下の画像はWikipediaにあったものを切り取って少し加工したもの)
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最後の山越えの時に有名なエピソードがある。
ボロ服の3人が凍死寸前でフラフラになって山を歩いてる時、シャクルトンは自分たちと一緒に
「4人目」が歩いているような強い感覚を覚えた。彼はその話を敢えて口にしなかったらしいんだけど
後で他の二人が「隊長、私あの時、もう一人いるような感じがしてたんですよ」と口々に言った。

この話はシャクルトン自身も本に書いてて、後に英国の教会で「神サマが彼らをお導き下さったのです」
てな感じでよく取り上げられたらしい。

イ課長はこの一連の実話を新潮文庫の「サードマン」という本で初めて知り、その内容にタマゲた。
巨大流氷の上で半年近く、アザラシの脂肪ストーブで煮たペンギン肉シチューとか食って28人が
生き延びたのも信じ難いが、1300km(東京から奄美大島くらい)の超荒れた海を無動力のボートで
風と海流を頼りに、豆ツブみたいな目標の島まで航海したなんて、もはや信じろって方がムリ。
まさに神がかり的としか言えん。ちなみにそのボートはシャクルトンの母校に今も保存されている。
(イ課長が買って読んだ本その3)
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とにかくあまりにも信じ難い実話なので、その後シャクルトン自身が書いた探検記の抜粋を含め、
彼に関する本をさらに数冊読んだ。英国に行ったのはそのちょうどその直後だったのだ。
(下はイ課長が図書館で借りて読んだ本)
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となればだよ?王立地理学会にあるというシャクルトンの銅像は見ておきたいじゃないの。
ロンドンで行きたい場所が王立地理学会って、なんてシブい観光客であろうか(笑)。

というわけで次回、その銅像を見に行った時の話だ。
前フリだけで続き物にしないよう、これでも必死に話を短くしたんだよ?イ課長は。


 

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by tohoiwanya | 2017-07-11 00:13 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 08日

ロンドンで食ったもの【非英国料理編】

先週の今日は人生もこの世も終わりという体調だったが、ニンゲン一週間あれば
ここまで回復するんやのう。本日はちゃんとジムにも行って来たイ課長です。すでにビールは
ガンガン飲んでおります。

というわけで英国ネタに戻るわけだが、ハイパーゲーリーからの回復記念に、本日は
やはり食い物の話とまいりましょう。

イ課長も英国は初めてじゃないし、食い物に期待してもしょうがないことはよくわかってる。
英国で美味いのは中華料理やインド料理だと言われていることも重々承知してる。
要するに「非英国料理」の方がずっとマシなわけで、これは過去の少ない経験からもそう思う。
今回の旅行でもそういう非英国料理を食う機会は何度かあった。たとえば・・・
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①(たぶん)トルコ料理
ポートレート・ミュージアムを見たあと、ロイヤル・オペラ観劇前の腹ごしらえに入ったところ。
当然店はコヴェント・ガーデンの近くだったわけだが、もう一度行けと言われてもわからん。
やたら高いレストランが多そうな中、比較的リーズナブル価格っぽかったので入った。

食ったのはトルコじゃそこらじゅうで売ってるドネルケバブに近いものだと思うんだよね。それが
皿に乗った一品料理になってる。そういう意味じゃ安心して食えるものだけど、味としては
トルコやドイツの売店で食う立ち食いドネルケバブの方が美味しいと思う。

なぜかっつうと味がないんだよねぇ。トルコやドイツで食った立ち食いドネルケバブって皮?の間に
肉や野菜入れたあとダーッとドレッシングをかけて味付けしてくれるけど、そういう味付けが
まったく感じられない。「加熱だけして調味しない英国料理」という話を聞いたことあるけど、
ドネルケバブまで英国風にしないでくれよ。
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おまけに毎度おなじみ大量のイモ。味なしドネルケバブとイモを交互に食ってると口中が渇く。
だがこれまた例によってビールは小瓶だけ。口ん中がパサつく。渇く。なんとかしてくれ。
ビールをお代わりすりゃいいだろうって?英国のレストランで出るビールは小瓶ですら高いのだ。
まったくもう~・・・というわけで、この店はどうもイマイチだった。

②中華料理
英国における“食の避難先”として万人が認める中華料理。
ロンドン滞在5泊め、イーリーやピーターバラに行った日の晩メシで、ベイズウォーター駅近くの
中華料理屋で食ったのである。
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海鮮五目ヌードルとでもいうべきもので、味は悪くなかったと思う。
でも同じ海鮮五目麺ならたぶん日本で食う方がもっと美味しいと思うなぁ。麺の感じがどうも
違うんだよ。もっとも、これはそれぞれの「地域的中華特性」というべきで、日本の中華料理の
「麺がどうもなぁ・・」と思う外国人だっているかもしれないが。

ちなみに、上の写真の右にちょこっと写ってるのはトホ妻が食ったもの。
中華風肉乗せゴハンみたいなもので、少し分けてもらったけど味は問題ナッシングだった。

③イタリア料理
これは最後の宿泊日である金曜に食った。
例の交通博物館行ったあとだから、①と同じくコヴェント・ガーデン近くだ。

イ課長はイタめし屋でパスタを食うとなると、9割以上の確率でカルボナーラを注文するという
オーダー・バラエティの少なさで知られている(笑)。2010年もロンドンで食った。この時も当然
カルボナーラで、モノはこんな感じ。上からチーズをガリガリとふりかけてくれた。
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ちなみに、トホ妻が食ったのはこれ。何かのドリアだと思われる。こちらもチーズつき。
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結局ここが一番無難だったかもしれないなぁ・・。
ビールを頼んだらちゃんと大瓶が出てきたのも嬉しかった。やっぱこうイキたいよねぇ。
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結論
英国では非英国料理の方が美味しいという哲理はおそらく不動のものと思われるが、
その中でもドコがいいかとなると、イ課長の経験の範囲ではとりあえずイタリア料理が最も
安全度の高い“避難先”のように思われますです、はい。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-08 23:34 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 06月 30日

英国ナショナル・レールの予約変更問題

ひさーーしぶりに英国鉄道問題について考えてみようではないか。
え?もう聞きたくない?まぁそう言わないで・・・。
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仮にアナタが英国の鉄道を使ってロンドンからどこかに日帰り旅行したいとする。
英国鉄道切符のネット予約に問題は多いが、あなたが運のいい人で往復の切符を
スムーズにネット予約し、現地で発券もできたとする

さてだ。
切符予約時はまだ日本にいるわけで、現地での観光活動がどの程度時間がかかるのか
よくわからん。そういう時は誰だって少し時間に余裕をもたせて帰りの列車を予約するよな。
イ課長もそうした。現地でアセるのはいやだからね。

しかし幸いなことに現地では道にも迷わずトラブルもなく、目的の観光物件もシッカリ見て
順調に駅に戻ってくることができた・・・となると余裕をもたせた分、帰りの列車まで時間が
けっこう余る。英国ではこういうことが何度か発生した。

カフェあたりでヒマつぶしてればいいんだろうけど、もし予約した列車より1本か2本早い
ロンドン行きがあるなら、それに乗って早くロンドンに戻っておきたい。ここで予約変更問題が
持ちあがってくるわけだ。

予約した列車の変更は可能なのか?イ課長はそれを実際に英国で試してみたわけだが、
結果がどうだったかというと・・

 ①カンタベリー往復の時のSOUTHEAST TRAINS
  ⇒その切符のまま、同区間・同料金の別の列車に乗り、テキトウな席に座って問題なし

 ②プール往復の時のSOUTHWEST TRAINS(これはまだ書いてない)
  ⇒その切符のまま、同区間・同料金の別の列車に乗り、テキトウな席に座って問題なし

 ③イーリーやピーターバラ行った時のThameslink(でも乗った列車は大北部鉄道)
  ⇒その切符は予約した列車以外使えない。1本前の列車?それなら別に切符買わなあかんで。

てな具合で、予約変更の可否は鉄道会社による差が大きいことがわかった。
①②がOKだったから、イーリーから1本早い列車に乗る時も問題ないんだろうと思ったんだけど
念のため、乗車前に駅員に確認したのは正解だった。もし乗っちまった後に検札に遭ったら
たぶん二人分の別の切符代を請求されただろう。

旅行者にとっちゃネット予約した切符の変更ができるかどうかは気になる部分だ。
それが鉄道会社によって対応が違うとなると困る。統一してくんねぇかなぁ。
え?切符に書いてなかったのかって?そんな細かいこと(しかも英語)、読んでましぇん。
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予約通りの列車に乗らなきゃダメと言われたら、待つしかない。
ピーターバラに行く列車を一つ見送って、イーリー駅のホームにあるカフェでお茶を飲んだ。
雨があがったのだけは幸いだった。

「カンタベリーん時は早い列車でもOKだったのになぁ・・」なんて思いながらホームを
歩いてたらこんな看板が。平均的な人間は一日に10回は笑うんだって。今日そんなに笑ったかな?
わかりましたよ笑いますよ。あーーっははは、英国ナショナル・レールは最高だぁ。
・・・・・・けっ。
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何度もいうけど、ネット予約した切符の変更問題は鉄道を使う旅行者にとっちゃ無視できない。
フランスとかベルギーあたりじゃテキトウな列車を予約しても、それはいわば「乗車券」だから
同じ区間の異なる時刻の列車に平気で乗ってたような記憶があるんだけどなぁ。
もちろんTGVみたいな高速特急列車の場合は別だけど。

ひょっとすると座席指定の有無で予約変更の可否が決まるのかな?
でもイーリーからピーターバラまでなんて長くもない乗車区間だし、
座席指定なんてしなかったと思うのだが・・・。

ちなみに、ピーターバラからロンドンに戻る時も予約列車の変更はできなかった。
やっぱテームズリンク(ないし大北部鉄道)はダメなんだと思われる。ピーターバラの駅じゃ
待合室のベンチでぼんやり待った(しかもこの時は到着遅延しやがった、ばかたれ)。
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南東鉄道と南西鉄道は同区間の1〜2本早い列車に乗れたけど、これだって常にそうなのか?
たとえば予約したのと別の日付だったらどうなのか?となるとよくわからない。ましてや、
今回の旅行で乗ってない他の鉄道会社はどうなのかもサッパリわからない。

英国は鉄道網が発達してて、鉄道の旅がしやすいし快適だ(除、切符のネット予約)。
しかしいっぱいある鉄道会社ごとに予約変更の規定は違うようだから、これから
ナショナル・レールの切符をネット予約しようなんて方は、その辺ご留意下さい。
 
 

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by tohoiwanya | 2017-06-30 00:16 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 06月 28日

ピーターバラ大聖堂というところ【その3】

それでは「ピーターバラ歴史散歩」とまいりましょう。
まずはヘンリー8世のお妃1号だったキャサリン・オブ・アラゴンのお墓。
キャサリンについてはもうかなり説明したからクダクダ書く必要はあるまい。

もとはスペインの王女様だったわけだから、気位は高かったんだろうなぁ。
どうせ亭主は好色デブのヘンリー8世。イ課長が彼女の立場だったら巨額の慰謝料もらって
サッサと離婚して安楽な余生を送るだろうけど、生まれた時から王族のキャサリンには
そういう発想はなかったんだと思われる。
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これがお墓。ヘンリーに強引ムリヤリ離婚されたとはいえ、お墓の称号はQueen of England 。
ガンとして離婚に応じないカタクナさを持つ反面、人柄は良かったようで幽閉先の城の周辺住民達からは
慕われてたらしい。ついこないだまで英国王妃、それが自分勝手な王様と悪女アン・ブーリンのせいで
こんな目に・・可哀想なキャサリン様・・というわけで世間の同情も強かった。
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彼女の墓の上に何か果物が・・最初はリンゴかと思ったけど、これ、たぶんザクロだ。
これはトホ妻の知識だけど、ザクロといえばグレナディン、グラナダの町のシンボルでもある。
スペインから嫁入りしてきたキャサリンの霊を慰めるお供えとしてはふさわしいんだろう。
悲劇の王妃・キャサリンを慕う人が今でもいるんだねぇ。何となくしんみり・・・。
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そんなキャサリンを追い出して王妃の後釜に座ったアン・ブーリンも結局3年ほどで姦通の罪を
着せられて処刑。アンの斬首刑が行われた時、キャサリンのお墓にあったロウソクがひとりでに
一斉点灯したと言われる。あたかも自分を追い出した憎い女の死に快哉を叫ぶかのように・・・
ま、言い伝えです。イ課長だって信じません(笑)。でもこういうウワサがやたら広まって
無視できなくなったヘンリーはピーターバラに調査団を差し向けたっていうから、彼の中には
キャサリンに対する負い目があったことは間違いない。

この大聖堂にはその後釜王妃アン・ブーリンの娘(エリザベス1世)の命で処刑されたスコットランド女王
メアリ・スチュアートのお墓だった場所もある。“だった場所”と書かなければならないだけあって、
この背景説明はキャサリンより一段と複雑だが、何とか短くまとめよう。

メアリ・スチュアートはスコットランド女王だったのにロクでもない男と再婚して廃位の憂き目に遭い、
イングランドにいわば亡命した。王族ではよくあることだけどメアリ・スチュアートとエリザベスは
遠縁にあたるらしいんだよね。そんなこともあってイングランドでも当初はそれなりに処遇されてた。

ところが彼女には陰謀好きなトコがあったようで、よせばいいのにカトリック勢力たちの
エリザベス暗殺計画なんかにのせられた。陰謀がバレて死刑。そしてピーターバラに葬られた。
だから昔はここにメアリ・スチュアートのお墓があったわけだ。しかしこの後も話は続く。
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エリザベスは生涯結婚しなかったから子供がいない。
で、自分が死んだ後のイングランド王にメアリ・スチュアートの息子ジェームズを指名した。
ジェームズはスコットランドとイングランド両方の王様になったわけだけど、まず母親のお墓を
ピーターバラからもっと格式高いウエストミンスターに移設。だもんでピーターバラにはこうして
メアリ・スチュアートの「お墓だった場所」だけが残ってるというわけ。

調べたら面白いことを知った。
エリザベスが生涯未婚で子供がいなかった以上、チューダー朝の血は彼女で途絶えたことになる。
ところがメアリ・スチュアートの血筋はジェームズ以降イングランドで連綿と続いてるんだと。
男を見る目はなかったが、繁殖力ではメアリ・スチュワートの圧勝というべきか(笑)。
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英国史の他の時代だったら特に感じるところもなかっただろうが、なぜかそこだけは詳しい
ヘンリー8世に関わる悲劇の女性二人のお墓がある(あった)というのはピーターバラ訪問の
大きな動機だった。建築的興味ではなく歴史的エピソードにちなんで大聖堂に行くなんてこと、
これまであまりなかったと思う。

ピーターバラ大聖堂で英国歴史散歩。なかなか有意義な訪問でございました。

 

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by tohoiwanya | 2017-06-28 00:22 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 06月 26日

ピーターバラ大聖堂というところ【その2】

ピーターバラ大聖堂探検はつづく。
Wikipediaによるとこの大聖堂は前回見た西正面ファサードが「堂々たる初期イングランドゴシック」って
ことになってる。イングランドゴシックと普通のゴシックがどの程度似てるのかわからないけど、
とりあえず入り口ファサードが極めてゴシックっぽかったのは確か。

だが同じWikipediaによると内部は「12世紀に再建された際採用したノルマン様式建築」ときたもんだ。
せんせーノルマン様式ってなんですかー?ロマネスクとどう違うんですかー?
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実際に大聖堂にいた時はそこまで調べられるわけもなく、とにかく「ゴシックっぽくないよなぁ?」という
バクゼンとした疑問を抱えたまま内陣裏ッカワにあたる周歩廊まで来た。いわば大聖堂のドン詰まり。
ここまで来てイ課長はやっとお目当て?の天井にブチ当たった。
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おお、ここにあったのか過剰装飾天井。扇形ヴォールトから派生した装飾が複雑に重なり合って
スゴいことになってる。あちこちの音源から音波が広がるサマみたい。うーむ、やっぱりこれがなきゃ
英国大聖堂らしくないってもんだ。これが見たかったぜ。
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もしかするとイ課長は何かの本でこの写真を見たのかもしれない。
ここはいかにも「英国ゴシックらしい異常装飾天井」の典型だし、本で紹介されることも多いはずだ。
これを見たイ課長がピーターバラ大聖堂に対して「うわ、なんだこの異常ゴシック天井は」と思い、
大聖堂ぜんぶがこんな感じの天井なんだろうと思い込んでたんだろうな。

うーむ・・しかしこの部分だけはホント、つくづくすげぇ天井だ。
内陣ウラの周歩廊は身廊よりずっと天井が低いから、超デコラティヴ天井が間近に迫ってくる。
すっげぇ~・・・しばし見とれる。
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・・え?もう天井の話はいい?さいですね。ひっぱってすんません。
ではステンドグラスに目を転じてみましょう。

ここのステンドグラスはたぶん古いモンじゃないと思う。
カンタベリーのディズニー調ステンドグラスとか、イーリーの軍人ステンドグラスとか、
英国大聖堂のステンドグラスは全体的に新しそうだった。もしかすると、第二次大戦の空襲で
ステンドグラスが破損した大聖堂が多い⇒戦後作りなおしたのかな?
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まぁ絵柄的にはごく普通の宗教絵画の構図をそのままマネしたみたいな感じものが多いし、
真っ白なままの窓もけっこうある。ステンドグラス的には見るべきもの少ないと思った。
やっぱここは教会建築や装飾っていうより、やっぱキャサリンとかメアリ・スチュアートとか
「英国歴史ロマン」的な目的で来る方がいいのかな・・(上記二人については次回記事で扱う)。
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・・てなことを考えてたら、とつぜん大聖堂内にピアノの音が響き始めた。
これはスピーカーじゃない。中で誰かが弾いてるんじゃないか?

おお、あそこで黒人のおニイさんが弾いてる。
既存の曲じゃなく、昔のキース・ジャレットみたいに即興で、一回限りの曲を弾いてるっぽい。
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これを聞いてるうちにイ課長は深く感心した。
ピアノ演奏に対してではない。大聖堂というモノの音響効果の良さに、だ。
これまで大聖堂をずいぶん見学したけど、ミサの最中ってことはマレで(パリで一度だけあった)
大聖堂の中で音楽を聴く機会なんて皆無に近かった。

いやーーーさすがは大聖堂。ピアノ1台だけでもこんなに響くんだねぇ。
ここでパイプオルガンとか、合唱団とか聞けば、すごい残響でさぞかし聞きごたえがあるだろうけど
それ以上に演奏してるガワは気分がイイだろうと思う。
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英国大聖堂ならでは(と、少なくともイ課長は勝手に思ってる)異常装飾ヴォールト天井は
ちょっとしか見られなかったけど、あまり考えたことがなかった大聖堂の音響効果の良さに
触れられたイーリー大聖堂というわけでした。
次回更新では「英国歴史ロマン」風に、キャサリンとメアリ・スチュアートのお話を。

 

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by tohoiwanya | 2017-06-26 00:17 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 06月 23日

ピーターバラ大聖堂というところ【その1】

ピーターバラ大聖堂入り口側のファサードを特徴づける3連アーチ。
こういう大型のアーチが三つもくっついたのって見たことないと思う。確かに珍しい。
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近くから観察すると・・ふーむ・・半円じゃなく尖頭アーチだ。
しかも入口アーチ開口部のヘリ部分がギザギザの斜め構造になってるところなんて
ゴシック建築の特徴だよな。
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このギザギザ斜めの構造、単純なくり抜きトンネルだと建物の厚みがそのまま
トンネルの長さになって圧迫感があるから、こうやってギザギザの斜めに広げて
それを軽減してるって本で読んだことがある。そう言われればそんな気もする。と同時に
採光をよくするって側面もあるのかもしれん。

さて中に入ってみましょう。
ピーターバラ大聖堂は全体としてはこんな形。真上からみれば十字架型になる。
十字架の足元にあたる入口から入るとまず外陣。さらに進むと交差廊(十字架の横木部分)を
通り、さらにその奥が内陣(十字架の上部縦木部分)になるわけだ。
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ハイそれでは中に入ってぇ、ゴシック体操第一。まずは首をそらせる運動です。ぐぃーーーん・・
・・ありゃりゃ?!ここもイーリー同様リブ・ヴォールト天井じゃないぞ?平天井じゃん。
入り口は尖頭アーチだったけど、内陣は左右の柱も半円アーチでつながってる。
ってこたぁナニかい?ピーターバラ大聖堂も入ってすぐはロマネスク様式なのかい?
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へぇ〜こりゃ意外。
イーリーもピーターバラも、本なんかじゃ英国ゴシック建築の例として紹介されることが
多いはずだし、ソレらしい写真も見た気がするんだけどなぁ?

ふーむ、しかしこの半円アーチや窓開口部の壁の厚さ、平らな(おそらく)木造天井・・
専門家に言わせりゃあっさり「あ、こりゃロマネスクですよ」ってことになるんだろう。

個人的好みという点では、何の絵も模様もなくシンプルな構造美だけで魅せる
ゴシックのリブ・ヴォールトが好きだけど、さすが天井の異常装飾に凝りたがる
英国ならではというべきか、この平天井の装飾もすごいねー。
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さらに奥に進んでみる。
こうみえてイ課長だって英国大聖堂の建築スタイルをだんだん飲み込んできた。
身廊と交差廊の“交差点”のトコで真上を見るときっとまた豪華絢爛なアレが・・

うひゃーーやっぱり。これでもかとばかりに装飾を詰め込んだ天窓があるよ。
どうも英国大聖堂では“交差点”部分に塔を造り、そこを天窓にし、豪華絢爛な天国的世界を
再現するっていうのがパターンなんだと思われる。
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さらに奥、内陣の方に入ってみる。ありゃりゃりゃ?!ここも純正ゴシックじゃない。
天井部分は外陣と同じく平らな構造で、典型的ゴシックのリブ・ヴォールト天井じゃない。
左右の柱にある「枝分かれリブ」は構造上というより、装飾上の意味合いの方が大きそうに見える。
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うーーむこれはますます意外。
外陣はロマネスクでも内陣はイーリーみたいにゴシックになるんだろうと思ったが、ピーターバラ大聖堂は
内陣もロマネスクっぽいよ?アーチも半円型だし。おっかしーなー・・・ピーターバラ大聖堂ン中に
「これぞ英国ゴシック」って感じの超過剰装飾天井があったんじゃなかったかなー?

例によってまた天井の話だけで長くなってしまった・・。
イ課長が悪いのではない。ロマネスク?ゴシック?と見る者を混乱させるピーターバラ大聖堂が悪いのだ。
ということで、ヒトのせいにしたところで続きは次回だ。

 

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by tohoiwanya | 2017-06-23 00:08 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)