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2013年 08月 31日

映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”

さてポーランドネタに戻るわけだが、本日はやや映画寄りの話。

アウシュビッツに行った翌日はクラクフで丸一日フリー。計画はいろいろあったんだけど、
まず最初は映画「シンドラーのリスト」の撮影に使われた“あの場所”に行ってみたんだよ。
建物の正確な名前を知らないから“あの場所”としか言いようがないのだが。
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この日のクラクフは朝からずーーーっと雨だった。
まぁダークな旅にふさわしい、ダークな天候といえるけど、寒かったねぇ〜。
地元の人たちも革ジャンとかで厚着してる。
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市電に乗って行ってみたのがカジミェシュ地区(発音が難しい)。この辺は旧ユダヤ人街だった。
「シンドラーのリスト」の印象的なシーンに使われた“あの場所”はこの一角にある。
あの映画をご覧になった方なら以下の説明で「ああ、あの場面の・・・」と思い出すかもしれない。

ドイツ軍がゲットーのユダヤ人たちを一斉に強制移送の時、あるユダヤ人母娘が混乱の中で、
「ドイツ軍協力少年」になった娘の同級生?の男子に偶然会う・・・っていうシーン、覚えてない?

男子はちょっと照れたように「・・・やぁ、ホニャンカ」って同級生に挨拶し(正確な名前は忘れた)、
「こっちなら大丈夫だよ」と言って、その母娘を建物の奥に連れてってあげる。お母さんは感謝して
「もうあなたもすっかり大人なのね」みたいなことを言う。

叫び声や悲鳴、銃声、軍靴の音、破壊音なんかが充満する強制移送の修羅場の中で、ここだけは
フッと静かな場面で、非常に印象に残るシーンだ。その場面の動画がないかと思って必死に探したら、
発見したよ。このリンクの動画の8分50秒からがそう。(どこかの国の言葉の吹き替え版みたい)

見れば一目瞭然。この場面で使われたのがここだ。カジミェシュ地区の、白壁のアパートの一角。
母親はこの階段の下に隠れて、自分を追って階段を下りてきた娘と抱き合う。
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白いアーチと、雨に濡れた石畳が美しかった。
こんなところ、誰もいないに決まってると思ってたけど、イ課長以外にもう一人、どこかの欧米人が
ここの写真を撮りに来てたね。映画ヲタクがクラクフに来て考えることって、似ているらしい(笑)。
車の音もほとんど聞こえず、ほんとに静かなところだった。
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このアーチのある場所はゲットー強制退去のシーンで何回か出てくる。
ほら、こちらのショットでも、奥の方に、このアーチが写ってるでしょ?
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映画では、このアパートを使っていろんな角度から何度も撮影してるのがわかる。
ドイツ軍がベランダからユダヤ人の家財道具を投げ落とすところもこのあたりで撮ってるよね。
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「シンドラーのリスト」に出てきた「あそこ」がカジミェシュ地区にあるのを知ったのは全くの偶然だった。
偶然だったけど、いざソレがあると知るとやっぱり見たくなって、それがカジミェシュ地区のどこなのか
突き止めるためにものすごい努力をした(笑)。実際見つけたときは嬉しかったねー。
ちなみにアーチを反対側からみるとこんな感じ。風情のある、きれいなところだよね。
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雨のクラクフ、ダークで、ヲタクな旅。
まず最初は軽め?の「シンドラーのリスト」のロケ場所を見に行ったわけだけど、イ課長はさらに
市電に乗って、次のダーク&ヲタクスポットに向かうのでありました。
 
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by tohoiwanya | 2013-08-31 00:11 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 08月 29日

デリーのリクシャーに乗ってみる

ポーランドネタを消化する中、本日は軽いインドネタをはさもう。

小型オート三輪のタクシーってアジアではよく見かける交通機関で、有名なのはタイのトゥクトゥク。
これがインドネシアではバジャイ、インドではオートリクシャーって呼び名になるけど、モノはほぼ同じ。
トゥクトゥクの語源がエンジン音なのに対し、リクシャーの語源はマジで日本語の「力車」らしい。
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こういう“個人営業交通機関”って、タクシーみたいにメーターがないから、乗車前にドライバーと
「ドコソコまでいくらで頼むよ」みたいな価格交渉せにゃならん。これが面倒。しかもガイジン相手だと
向こうは5倍くらいフッカケてくるのは珍しくないようで、それを英語で値切らにゃならん。
まぁ昔はバンコクやマニラの四輪タクシーだって、こんな感じなのが多かったけどね。

インドで一度だけ、そのオートリクシャーに乗ることができた。
例のチャンドニー・チョーク小冒険から地下鉄で帰ってきて、駅からホテルまで乗ったのだ。
行きは歩いたけど、帰りもまた20分歩くのダルいし、一度オートリクシャーに乗ってみたかった。

インドの街中ならそこらじゅうで見かけるオートリクシャー、競争相手が多いだけあって、
過当競争も激しいようだ。イ課長もこの時、それを体験することになる。

地下鉄のMarviya Nagarの駅を降りて、エスカレーターをのぼって地上出口。
地下鉄駅周辺にリクシャーが何台か停まってるのは行きに確認してたから、つかまえるのは
難しくないだろうと思ってたけど、価格交渉は自信がないなー。まぁそんなに長い距離じゃないし、
多少ボラれるのはしょうがないか・・・

・・・なんてノンビリ考えてはいられないのだ。
出口を出ると、たちまち6~7人くらいのリクシャワーラー(要するに運転手)にワッと取り囲まれる。

 フォーティ!   フォーティ!   フォーティ!フォーティ!
    フィフティ!     フォーティ!!
  フォーティフォーティ!!  サーティ!  フォーティ!!

ちょ、ちょっと待っちくり。すごいことになった。
リクシャワーラーたち、この駅を降りるガイジンなら、どうせ行き先はホテルやショッピングセンターのある
アソコだろうと決めてかかって(それは実際その通りだったのだが)運賃連呼。まさにイ課長の奪い合い。
価格交渉もヘチマもない。魚河岸でセリにかけられたマグロのような気分だ(笑)。

一人、「サーティ(30)」って言ったような気がしたから、声の方に向かって「サーティ?」って確認したら
「サーティ、サーティ!イェイ!」って、元気よくイ課長の腕をつかみ、他の競合同業者たちの間を縫うように
自分のリクシャーに連れていく。「ほーらオレ様は客を見つけたぜ、ざまぁみろ、どんなもんでぃ!」って感じで
鼻高々、喜色満面で連れていくんだよ。彼が良いリクシャワーラーか、悪徳業者か考える時間なんてないけど
一番安い料金を提示したのは確かだ。こうなった以上、彼のリクシャーに乗ってみようではないか。

オートリクシャーに乗って眺めるデリーの街。いやーインドに来ちまったなぁという気分が盛り上がる。
車体はえらくボロく、しかもよく揺れる。このクサリは何のためにあるのか?さっぱりわからない。
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これはひょっとするとメーターの“残骸”か?
しかしインド広しといえども、メーター制のオートリクシャーなんてないはず。何のための装置なのか
これまたよくわからない。しかしどうせ作動してないようだから、考えてもしょうがない(笑)。
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行きは歩いて20分の距離。乗車時間はせいぜい5〜6分ってとこだったかな?
「ヒルトン」って言ったら、ちゃんとホテルの近くまで乗せてくれた。

彼が主張した料金は30ルピー。ぴったりのお金がなかったから50ルピー札を出したら、
ちゃんと20ルピーのお釣りをくれた。「お釣りがないよ」とか言われるかと思ったけど料金トラブルなし。
インドの悪徳リクシャーの話はヤマほどあるみたいだけど、意外に正直かつ良心的だ。

というわけで、インド出張で唯一のオートリクシャー体験は過当競争のおかげもあってか、
実に安く済んだのでありました。30ルピーつうたら(当時の相場で)45円くらい。こりゃ安いよ。

翌日、通訳さんにこの話をしたら、「イカチョさん、それ、ボラレてないよ」と請け合ってくれた。
悪い評判も多いインドのオートリクシャーだけど、かくのごとく過当競争の激しい業界みたいだから、
インドに不慣れなガイジンでも、意外に“地元料金”で乗れちゃうこともあるかもよ?


 
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by tohoiwanya | 2013-08-29 01:11 | 2012.10 インド出張 | Comments(0)
2013年 08月 26日

ポーランドのドライバー氏の思い出

アウシュビッツからの帰りのツアーバスでの話。
強制収容所に行ったことと同じくらい、この話を書きたかった。
(なお、本日の記事に関連した写真がないので、クラクフの街の写真を適当に挿入しております)

当然のことながら、ツアーバスにはいろんなホテルの宿泊客が混在して同乗してる。
バスはそのうちの「主なホテル」にしか停まらないから、イ課長は自分のホテルに近そうな、
どこかの停車ポイントで降りなきゃならん。帰りのバスで女性係員からどこで降りたいか、聞かれた。

停車ポイントはいくつかあるようだけど、よく聞き取れないし、ホテル名を言われても場所がわからん。
中に「シティ・センター」っていうのがあった。たぶん旧市街の中心部のことだろう。
街の中心部なら、どこであってもホテルまでは歩いて帰れるだろうから「シティ・センター」と答えた。

クラクフの街に入ってきたバス、最初に停まったのがヒルトンだったかな?それ以降、停車するたびに
ドライバーがドスの聞いた声でホテルの名前を言う。だから彼が「シティ・センター」って言ったところで
イ課長は降りればいいわけだ。
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バスが停まるたびにドライバー氏はホテルの名前を叫び、何人かの乗客が降りる。
だんだんバスの中の乗客は少なくなっていく。シティ・センターはまだかな?

ところが、外の景色はどうも街の中心どころか、だんだん郊外っぽい雰囲気になってきた。
この辺からイ課長は不安になってきた。どうもオカシいぞ?どこかで降りそこなったのかもしれん。
しかしこのドライバー氏、まだ「シティ・センター」なんて言ってねぇはずだけどなぁ?

いまやバスはすっかり街を抜けちゃって、残った乗客はイ課長含めてたったの3人。
ここでドライバー氏は3人の乗客に「アンタら、どこで降りんの?」って感じで尋ねてきた。

イ課長以外の二人はナニ語かわからない言語でナントカって答えてた。
イ課長はしょうがないから英語で「シティ・センター・・・」と答えるしかない。

それを聞いたドライバー氏、いきなりすごく怒り始めた。
ポーランド語で、おそらく何か罵りの言葉を叫び、ハンドルを叩いて怒ってる。
あらーーーー、やっぱりイ課長はもっと早く降りなければいけなかったみたいだ。

このドライバー氏が何回目かの停車のとき「ノボテル・ナントカカントカ」って叫んだんだけど、
今にして思えばあの「ナントカカントカ」の部分がポーランド語で「シティ・センター」って言ったか、あるいは
ポーランドなまりの聞き取りづらい英語でそう言ったのかもしれない。しかし全ッ然わかんなかった。

しかしドライバー氏の身になれば怒りたくもなる。
バカなガイジン客が、とっくの昔に通り過ぎた停車場所で降りたいですぅ、なんて今頃ホザイてるんだから。

二人の客は、クラクフ郊外のどこかのホテルで降りた。残るはイ課長だけ。
「もう送迎は終わり!オマエもここで降りな」と言われる思った。しょうがない。そしたらホテルでタクシーを
呼んでもらって市街に戻るしかない。街からけっこう走ってきたからタクシー代かかるだろうなぁ・・。
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ところがこのドライバー氏、相変わらずブリブリ怒りながら「オマエは座ってろ!」みたいなことを言う。
あらら、ひょっとして、市街まで戻ってくれるの??

バスはたった一人の乗客・イ課長を乗せてクラクフ市街に逆戻り。
けっこう距離があったよ。最後のホテルから10分~15分くらい走ったと思う。これは申し訳ないことをした。

しょうがないから、イ課長はバスの中で「地球の歩き方」のポーランド語会話のページを開き、
ある言葉を一生懸命おぼえた。これを最後にドライバー氏に言おうと思ったのだ。
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やがて、バスが停まる。
駅の近くにあったショッピングセンターが見える。ドライバー氏が「ほら、ここから先はわかるだろ?」」みたいに
言った(んだと思う)から、ウンウンとうなずき、今覚えたばかりのポーランド語を生まれて初めて使った。


  「あー・・・プシャプラッシャム


これ、ポーランド語の「ごめんなさい」なんだよ。
シティ・センターと聞こえなかったとはいえ、イ課長が降りそこなったために余分な労働を強いられた
彼には申し訳ないことをした。ここは素直に謝っておこうと思ったのだ。
こういうところ、イ課長もいかにも「日本人的」かも(笑)。

イ課長に謝られたそのドライバー氏、どうしたと思う?
ムスッとしながらも「まぁいいよ」てな顔でうなずく、というのがイ課長の予想だった。

ところが「ゴメンナサイ」を聞いたこのドライバー氏、突然ものすごく照れはじめたんだよ。
左手で顔を覆い、笑いながら右手でイ課長の方をハタくような仕草を見せる。
「オマエ、バカ、なに謝ってんだよ、いいって、いいから、トットと降りろ、バカだな」って全身で言ってる。
さっきまでブリブリ怒ってたけど、このドライバー氏、実はすごくいい人なんだよ。

照れつづけるドライバー氏に、さらに「ジンクェ(ありがとう)」と礼をいい、手を差し出したら握手してくれた。
彼は相変わらず照れ笑いしながらの握手だ。でもこんなに嬉しかった握手はない。

「ポーランド人、親切で、素朴で、照れ屋で、いい人ばかり」っていうことを、イ課長はこのブログで
何度も書いた。その印象を決定的にしてくれたのが、このドライバー氏であることは間違いない。
アウシュビッツに行って重苦しかった気分を、このドライバー氏が最後に嬉しい気分にしてくれた。

バスを降りそこなったバカな東洋人の客がいてさぁ、しょうがねぇからまた街まで送ってやったらよゥ、
降りる時にポーランド語で「ゴメンナサイ」なんて言ってやんの。ったく、思わず笑っちゃったぜ・・

・・てな感じで、あのドライバー氏もイ課長のことをちょっとでも覚えててくれたら嬉しいなぁ。
少なくともイ課長はポーランド語の「ごめんなさい」は、生涯覚えてると思うよ(笑)。

  
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by tohoiwanya | 2013-08-26 00:06 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(15)
2013年 08月 24日

ビルケナウ強制収容所 その3

今日で終るからね、強制収容所のハナシは。

ビルケナウ強制収容所の一番奥まで行った見学者ツアー。
帰りは線路から少し離れた、居住棟がズラリと並んだ原っぱを通って戻ってくる。
この時点で、イ課長は(おそらく見学者たち全員も)精神的な体力は使い果たしている(笑)。

先導していたガイドさんが、英語で何か言いながら、ある建物の中にひょいと入る。
見学者たちもゾロゾロと中に入ってみると・・・

ははぁ~、これって収容者居住棟か。
中はこんな風になってるわけね。
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映画「シンドラーのリスト」の中でも、夜、収容所のベッドに入った状態で収容者たちが
自分たちの“今後の運命”を相談するシーンがあったけど、あのシーンでは収容者たちは
全員通路ガワに枕をもってきて、通路をはさんで話をしていた。

実物をみるとその様子がよくわかる。
なぜかっていうと、ほら、寝台の板は通路側(頭の方)から窓側(足の方)に行くに従って
ゆるーーく傾斜してるからだ。頭を低くして寝るヤツはいないだろうから、どうしたって
通路側に頭を持ってくることになる。ふーむ、最初っからそういう設計になってるんだねぇ。
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窓ごしの光に照らされた寝台の板がやけになまなましい。
この上に布団を敷いて寝た・・とは考えづらいよなぁ。貨車で輸送される収容者が自分で
布団やマットレスを運んだとは思えないし、収容所から支給されたとも思えないよなぁ。
ワラとか、ボロきれとかを敷いて、なんとか“ソレらしく”したのかなぁ?
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ポーランド、夏は涼しいだろうけど、冬はそれはもう寒かったはずだ。
こんなところで、腹ペコで、ガリガリに痩せて、身を寄せ合っかろうじて暖をとったのか。

冬は寒い土地だけあって、木造棟なんか一つもなくてぜんぶレンガ造り。
しかも、各棟には一つずつ暖房用の暖炉みたいなものがあったんじゃないかと想像される。

ビルケナウその1」で、カマドと煙突だけが残って墓標みたいに見えるっていう写真を載せたけど、
近くから見るとこんな感じ。建物の周囲の壁を支えた土台と、カマド(というか、暖炉?)と煙突だけが
残ってる。
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どうしてこういう具合になったのかよくわからない。ドイツ軍が撤退時に破壊していったのか、
それとも収容所を解放した連合軍がブッ壊したのか?いずれにしても壁や屋根は破壊しても
中の煙突と暖炉だけは残っちまったってことなんだろうなぁ。
・・てなことを考えながら、なおも草っ原を歩く見学者たち。心なしか足取りも重い(笑)。
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またガイドさんがひょいと別の建物の中に入っていく。今度はナンだ?

うわーーーーー。トイレです。収容者用のトイレの跡。
仕切りもヘチマもない、出すべきモノだけ、とにかく出せっていうようなトイレだ。
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ガイドさんの説明によると、当時の収容所で最も貴重品とされていたものの一つが
トイレットペーパーなんだって。収容者同士の間でトイレットペーパーをあげる、もらうって行為は
もう本当に大変なプレゼントだった(・・・というようなことを説明していたんだと思う)。
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そして、ようやく見学者は最初の「死の門」のあたりに戻ってきた。
とにかく、アウシュビッツ・ビルケナウ日帰り見学ツアーは終ったのだ。
あの赤毛のガイドさんとはここでお別れ。
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この日歩いた距離は相当なもののはずで、足も疲れたけど精神的疲労はさらに大きい。
帰りのバスの中もみんな静かで、疲れて寝てる人もいた。

しかしイ課長はさすがに眠れなかったよ。
このツアーには昼食がつかないから昼飯ヌキだったわけだけど、空腹も感じない。
十分予想されたこととは言え、やはりアウシュビッツ体験はそりゃーもうダークで重かった。
「自分が生きてることに感謝しよう」的な、前向きな気分にもなれない。
この重さをどうしたらいいのだ・・・と思いながらボンヤリとポーランドの風景を眺めた。

はぁーーーーー。お疲れ様でした。
読む方も書く方も疲れたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所訪問記。
最初の訪問スタンス表明や、バスに乗り遅れた話を含めて勘定したら、今日で9記事めかよ。

ただね、実はこの帰りのバスでちょっとしたデキゴトがあったんだよ。
イ課長にとってはこの旅行で最も忘れがたい出来事の一つと言っていい。

いわばアウシュビッツ訪問記の「付録」として、次回、その話を書こう。
それは全然暗い話じゃないから、安心してくれたまえ(笑)。


  
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by tohoiwanya | 2013-08-24 01:10 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 08月 22日

ビルケナウ強制収容所 その2

ビルケナウ強制収容所のつづき。今日はもう少し細かいところを見ていこう。

線路わきをずーーーっと歩いていく途中、ガイドさんがある場所で立ち止まって説明する。
英語だからよくわかんないけど、貼られた写真を見れば何の説明かは一目瞭然だ。
貨車で運ばれてきた収容者たちは、ここで降ろされ、「収容」か「ガス室直行」か選別される。
線路際のこのあたりで、選別が行われたということのようだ。
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こういう写真を見て、説明を聞きながら、フと写真が貼られた建物を見る。
うわーーーーそういうことか。この「選別作業写真」に写っている建物が、今まさに我々の前にある
この建物だということなんだと思う。煙突の形とか、そっくりだもんな。
こういうのこそ、普通の博物館展示では味わえないもので、荒れ果てながらも昔の姿がそのまま残る
ビルケナウならではと言うべきなんだろう。
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やがて、一行は線路のドン詰まりに着く。
死の門からここまでけっこう距離があるよ。1km弱はあるんじゃないだろうか。とにかく広いのだ。
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このあたりには、いろんな言語で書かれた慰霊碑みたいなものがいくつも置かれている。
こういうのはね、大丈夫なの、見ても。「後になって設置されたもの」なら冷静に見ていられる。
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見るのがつらいのは、やはり「当時あったもの」だよ。たとえばこんなガレキの山がある。
実はここ、ガス室があったところ。いよいよ敗色濃厚っていうんでドイツ軍がビルケナウを放棄するとき、
さすがに残しておいちゃマズいだろうっていうんで爆破していった。
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慰霊碑とちがって(というのは失礼だが)、こういうものはすごい存在感で見る者に迫ってくる。
ここで殺された膨大な数の収容者たちの、それを爆破したドイツ軍の、さらに言えばこの爆破跡を
そのままの状態で保存し続けたポーランド人たちの、いろんな思いが重くのしかかってる。
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さらにたまらない場所がある。
英語の説明がよくわからなかったけど、要するに死者を埋めた穴の跡みたいなところらしい。
強制収容所の敷地内に死体を埋めた場所があるのはある意味予想されたことだ。
埋められた死体の数が100や200なんてナマやさしいレベルじゃないこともわかってる。

しかし、今回のアウシュビッツ・ビルケナウ見学ツアーを通じて最も濃厚に
「死の匂い」を感じたのがここだった。いたたまれないという気分になったよ。

収容所のヨソの施設で死んだ(あるいは殺された)人を、ここにたくさん、たくさん埋めたんだろう。
しかしそれだけじゃあるまい。穴のワキにズラリと並ばせられ、後ろから射殺されたなんてケースも
あったに違いない。要するに「この場で殺され、そのまま埋められた」人たちも多いはずだ。
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想像を絶する数の「強いられた死」。天寿を全うできなかった男、女、子供・・。
その中には戦後掘り返され、ちゃんと埋葬しなおしてもらった遺体も多いんだろうと思う。

しかし「埋まったまま忘れられた遺体」だってたくさんあるはずなんだよ。それもたぶんすごい数が。
そんなものは一つもないと考えるのは無理がある。今でもたくさん埋まってると考えざるを得ない。
いま自分が歩いてる、このあたりの土の下にだ。どんな巨大な墓地でも、こんなにナマナマしい
「死の匂い」を感じたことはない。

荒涼たるビルケナウ強制収容所にコモッているダークパワー、スゴすぎます。
すでに精神的には十分「もうダメ」状態に近かったイ課長だが、あの穴にはトドメをさされた。
カラダは他の見学者と一緒に普通に歩いてはいるけど、心はフラフラ。
おそらく他の見学者たちも同じような気分だったのではないかと思うのだが。
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重くて、暗いことばかり書いてきたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所訪問記。
たぶん次回で終る。あと1回、ガマンしてつきあっていただきたい。


 
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by tohoiwanya | 2013-08-22 00:02 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 08月 19日

ビルケナウ強制収容所 その1

さーて。のどかなお盆ウィークも終わり、人々は仕事に戻る。
イ課長もダークなアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の訪問記執筆に戻ることにするぞ。
またしばらくの間、このブログは暗くなる(笑)。

ビルケナウを含めた、広義のアウシュビッツ強制収容所のイメージとして、イ課長の中に最も強く
記憶されているのは、以前に載せた「働けば自由になる」のあのアーチと、トンガリ屋根の下のトンネルから
まっすぐ伸びている収容者輸送用の列車の線路。この二つの情景だ。
アウシュビッツていうと、必ず使われる写真で、大学生の時に読んだ名著「夜と霧」にもこの写真が載ってて、
非常に印象的だったんだよね(この古い写真は拾い物)。
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「働けば自由になる」のアーチはアウシュビッツの入口にあるけど、トンガリ屋根の下のトンネルと、そこから続く
長い線路のある場所は、実はアウシュビッツではなくビルケナウ強制収容所なのだ。トンネルのある建物は
俗に「死の門」と呼ばれた。これからいよいよそこにいくわけだ。うーむ、ううーむ・・・(←心の準備をする音)。

アウシュビッツからビルケナウまではバスで移動する。

見学ツアー参加者はツアーバスで行くわけだけど、アウシュビッツ〜ビルケナウ間を定期運行してるバスも
あるみたいで、下の写真がたぶんそう。バスはそう頻繁に出てるわけじゃなさそうだったから、ツアーじゃなく
自力見学を目指す方は(イ課長も最初はそうだった)、確認した方がいいと思う。
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バスはビルケナウ収容所の駐車場に着いた。着くと、目の前にはもう「死の門」だ。

そのままガイドさんに引率されて「死の門」のワキのあたりから収容所の中に入る。
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うわーーーー。

第一印象・・というか、ビルケナウにいる間じゅう、ずっと抱き続けることになる印象がこのとき強烈に形成された。
こんなにダダッ広くて、こんなに荒涼としたところだったんだビルケナウって。想像をはるかに超える。
まさに「うわーーーー」と言うしかない。
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おそらく、ここに来た人の大半は予想を超えるその広さと、その荒れ果てた感じに打たれるはずだ。
その印象を漢字二文字で表せと言われたら「荒涼」という言葉以外は浮かばない。
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線路を中心線として左右に広大な収容所敷地が広がり、見学者たちはその線路に沿って歩く。
何度も振り返って「死の門」を見る。ああ、イ課長が古い白黒写真資料で何度も観たあの光景だよ。
トンガリ屋根の「死の門」、トンネルから続く線路・・・まさに今自分は“悪しき記憶”が濃厚に染み付いた
場所を歩いているんだ。
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線路の左右には本当に「どこまでもどこまでも」って感じで居住棟が延々と並んでるんだけど、
特に、死の門を背にして右側の建物の荒れ果て方は尋常じゃない。崩れた建物が延々と続いている。
たぶんカマドと煙突だけが残って、周囲の建物はぜんぶ壊れてしまっているんだと思う。しかし、
自然崩壊とは思えないから、ドイツ軍が収容所を放棄するときに破壊していったんだろうか?
まるで墓標のようだ。
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途中に有蓋貨車が1台置かれている。収容者たちがスシ詰め状態でここに連れてこられた貨車だ。
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ここにも花が飾られてるけど、これもまた死者の慰めのためというより、ここに来た見学者が、この重苦しい
景色から少しでも逃れたいがために置いた花じゃないかと思える。
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アウシュビッツ強制収容所はいろんな展示物があって、博物館として整備されているのに対し、
このビルケナウ強制収容所はそういう感じじゃない。昔のまま、広大な敷地に荒れ果てて、残っている。
見学者の感じ方も何となく違ってくる。アウシュビッツが膨大な展示物を見て「考える収容所」だとすれば、
このビルケナウは荒涼たる場所に立って、「感じる収容所」という感じだ。
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「感じる収容所」ビルケナウ。
当然、話は次回に続くのである。読者の方々にもたっぷりと感じていただきたい。

  
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by tohoiwanya | 2013-08-19 00:09 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(4)
2013年 08月 17日

銀座〜成田空港1000円バスに乗る

お盆ウィーク・お気楽ネタシリーズ。
今日は趣向を変えて成田空港までのバスについて書こう。
お気楽ネタとは言いながら、多少はお役立ち情報も入ってると思うのだが(笑)。

イ課長は成田空港に行く時、大体「家から新宿まで電車、新宿からリムジンバス」という方法を使う。
バスは電車よりはノロいけど、何より重い荷物を持って駅の階段を昇り降りしなくて済むのが助かる。
JRの成田エクスプレスなら新宿から成田まで3110円だけどバスなら3000円。そらバスだろー。

だが愚かなるイ課長は知らなかった。
何と、最近は成田空港までの「格安バス便」ってのが参入したんだねー。
成田行くバスはリムジンバスの独占営業だと思い込んでたけど、航空業界と同じように、空港バスでも
格安企業の参入による競争があったのだ。

一社は「東京シャトル」っていうバスで、東京駅〜成田空港間が900円!(リムジンバスだと3000円)
もう一社は「THEアクセス成田」で、これは銀座・東京駅〜成田空港間が1000円ときた。これは安い。

で、こないだのベトナム・タイ旅行の時にこの格安バスを使ってみることにした。
乗ったのは「THEアクセス成田」の方で、これだとイ課長は通勤定期を使って有楽町からバス停に行ける。
切符買って東京駅に行くより結局安いのである(ああ何て貧乏性なんだヲマエ)。

さて、THEアクセス成田。便数はそう多くない。1時間に1〜2本程度っていう感じ。
それでもこの日は17:25発の飛行機だったから、そんなにあせる必要はなかった。
ゆっくりといつもの通勤ルートどおりの電車に乗り、途中の有楽町で降りてバス停まで歩いた。

さぁ着きました(この日は雨だったのである)。
銀座発のバスは数寄屋橋通りに面したバス停から乗る。ちなみに、リムジンバスと違って予約不要。
リムジンバスの予約って、いちいち電話したり、切符を事前に受けとりに行ったりっていうのがけっこう
面倒だったから、予約なしでドライバーに直接お金払って乗れるっていうシステムはシンプルで助かる。
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時間通りにバスが来た。バスのグレードはリムジンバスと大差ない、立派なバスだ。
この日、銀座からこのバスに乗ったのはイ課長を入れて4〜5人くらいだったかなぁ。
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ほぼ時間通りに銀座を出たバスは次に東京駅前に停まってさらに客を乗せる。
それでも乗客は十数人程度。安いからもっと混んでるかと思ったけど、すいてるねぇ。
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雨の中、東京駅を出たバスは一路、成田空港まで高速道路をヒタ走る。
都内にいる間は雨がシトシト降ってたけど、空港が近づくとやんできた。

はい、無事成田空港第2ターミナルに到着です。
東京駅からは1時間程度で、いつもみたいに新宿から乗って、首都高で東京を横断して行くより
だいぶ早い(新宿からだと、90〜100分程度が標準)。
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しかしイ課長はANAだから、ここでは降りずに第1ターミナルまで乗る。
この辺はリムジンバスと全く同じで、これで料金が1/3ってのはやっぱ安いよ。
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この時の安さに感心したから、イ課長は帰国したときにも同じバスを使った。
成田からも同じように予約なしで、到着階からテクテク歩いてこのバス停に行き、お金払って乗る。
実に簡単だ。ただし本数は多くないから、時刻表は事前に確認しておきましょう。
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往復とも格安バスを使ったことで、イ課長はリムジンバスに比べて計4000円浮かせたことになる。
行きはそうでもなかったけど、帰国したときはこの事実の重さにガクゼンとしたよ。

何せベトナム・タイから帰国した直後。頭はまだベトナム・ドンやタイ・バーツに染まってる。
いいかい?4000円つうたらね、ベトナム・ドンに換算すれば80万ドンだよ?80万ドン。
1杯2万ドンの鶏肉フォー(フォー・ガー)が40杯食えることになる。

日本で、立ち食いそばを1杯300円として、それを40杯っつうたら1万2000円だ。
“ベトナム相場”ならそれだけのお金を浮かせたことになるんだから、すごいコストセーブだ。

成田空港から海外旅行にいこうというみなさん。
特に物価の安い東南アジア方面に行く方には、イ課長は安い格安バスのご利用をお勧めします。
たとえ片道分、2000円浮かせただけでも、その2000円は現地では使いであるよーー。

何度も引き合いに出して悪いけど、ベトナムなら2000円でも40万ドンだよ?
ボッタクリ店で買わなければ、350mlの缶ビールが2ダース(!)は買えるんだよ、マジで。
格安バスで金を浮かせて、その金で現地で豪遊するべきだ、絶対。

→(追加)この記事を読まれた方は、こっちの記事の方もぜひお読み下さい。
  
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by tohoiwanya | 2013-08-17 00:04 | 2013.06 東南アジア旅行 | Comments(10)
2013年 08月 15日

インド・おウシ様写真集

本日、イ課長勤務先はお盆で休みなのである。
水木金が盆休み、土日と続ければ5連休ということになる。
しかしイ課長はなぜか休日出社。もっとも、会社にいるほうが涼しくていいという説もあるが(笑)。

重い強制収容所ネタはもう少し休憩させていただいて、今日も気楽な話を書こうと思う。
地獄の釜の蓋も開こうというお盆ウィーク。今日は久しぶりのインドネタでいくか。


インドは街中でも平気でウシがごろごろしているんだよ


・・・という話はどなたも聞いたことがあるだろうと思う。イ課長だってインドにウシがたくさん
いるってことは知ってたし、写真やテレビでも見たこともある。だからインドに行きゃ、
ウシがたくさんいるんだろうとアタマの中で予想することはできた。

だが、イ課長が出張した先はデリーとムンバイだ。日本でいえば東京と大阪にあたる二大都市。
そんな大都市じゃ、さすがにウシを見かけることもないんじゃないか?と“油断”してたが・・・

いるんだよ、おウシ様。
いくら話としては知ってても、写真で見たことがあっても、いざ実際におウシ様が大都市の一角で
トグロを巻いてるのを見れば、日本人としてはやっぱり「うわ、ウシだぁ」と驚くわけよ。

撮った写真のほとんどが車窓ごしだから、あまりキレイに撮れてないが、
本日は「実際見るとやっぱり驚く、インドのおウシ様特集」といこう。気楽なネタだなぁ(笑)。

これは前にも載せたことがある写真。
デリー近郊を車で移動中、となりを走るトラックの荷台にいたおウシ様。
やたら毛ヅヤ?(皮ヅヤ?)がいいから、値段も高いんじゃないかと想像される。
普通のウシっていうより、水牛に近い種類なんじゃないかなぁ?。
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タージ・マハル日帰り観光の往復の車中からもウシを見かけることが多かった。
大きな幹線道路の中央分離帯に“放牧”されてることが多くて、食うための草は生えてるし、
勝手に逃げづらい(両側は車がビュンビュンだし)ってことなんだろうな、きっと。
ただ、走る車からその姿を撮るのはすごく難しい。なんとか撮れたのがこれ。コブつきウシ。すげぇ迫力。
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タージ・マハルの裏にはヤムナー川っていう、けっこう大きな川が流れてるんだけど、
そこにも水牛たちがいっぱいいたなぁ。これは移動の車中からじゃなく、ちゃんと立った状態で
ズームを効かせて撮ったから、普通に撮れてる。
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タージ・マハルのあるアグラって街はデリーやムンバイより田舎だったせいか、
おウシ様けっこういたね。写真を撮るチャンスは少なかったが。
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大都市ムンバイにもおウシ様はいた。デリーより見かける機会が多かったかも。
たとえばこんな感じ。あー走る車窓ごしだからピントが全然合ってねぇよ。
しかしこれでも一生懸命「インド・ウシ写真」を撮ろうと頑張ってはいたのだ、イ課長は。
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こんな光景も見かけた。やはり写真が悪くて申し訳ないが。
通訳さんの説明によるとこのおウシ様、何というか、まぁ一種の“宗教的存在”らしい。
ウシの横に草が積まれてるじゃない?道行く人が、なにがしかのお金を払い、この草をとって
おウシ様に食べさせてあげるんだと。草をあげた人は「功徳を積んだ」っていうことになるし、
ウシの所有者は労せずしてお賽銭?を集められるというわけだ。
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ムンバイの、超ゴミゴミした繊維問屋街にもウシがいたねぇ。
幸い、この時は車じゃなく、歩いていたからもう少しマシな写真が撮れた。
これなんて、ツノも生えて、かなり立派なおウシ様だ。
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しかしこちらはいけません。
生ゴミ集積所にタムロしてるってことは、どうせロクなものを食ってないんだろう。
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しかし、たとえ生ゴミをあさっていようが、おウシ様はおウシ様。
なんでも、ウシっていうのは例のシヴァ神が乗ってるもので、「神の乗り物」だっていうんで、
神聖視されているらしい。

というわけで、お盆ウィークの更新はのんびりと「インド・おウシ様写真集」でした。
もう1〜2回、お気楽ネタを続けたら、シリアスな強制収容所訪問記に戻る予定です。


  
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by tohoiwanya | 2013-08-15 00:21 | 2012.10 インド出張 | Comments(0)
2013年 08月 12日

残暑お見舞い&涼感企画

アウシュビッツの暗い記事が続いたから、ちょっと中入り休憩ということにしよう。
暗い記事ばっかりじゃ、読む方も滅入るだろうけど、書く方だって滅入るのだ。
久しぶりに気楽な話題を書かせちくり。

いやしかし、それにしてもお暑うございます。
ここ数日、日本在住者ならどこに住んでいようと、大体この思いを共有できるはずだ。
東京の最高気温37度っていうのもウンザリだが、40度超えた地方もあるっていうんだから
こうなると日本中が生命の危険を感じる暑さだ。涼しい国に住んでる人がねたましい。


      言うまいと 思えど今日の 暑さかな


なんて川柳があるけど、この暑さじゃ言いたくもなるぜ、そりゃ。
陽射しの中を歩いてると溶鉱炉の中のように暑い。汗っかきイ課長は目もあてられん状態だよ。
オーブンの中に入れられた肉というのはこういう気分なのだろうか。

そこで、本日は敢えて正反対の季節感を訴求するネタを書くことにした。
残暑お見舞いを兼ねた“涼感企画”と銘打って、寒〜い風景で涼んでもらおうという趣向なのだ。
暑さに対して悪態を並べたてるよりは建設的?だと思うのである(笑)。

今年2月の欧州出張。最初の夜はブリュッセルに泊まった。
海外に到着した翌日の朝って、緊張と時差ボケの影響で早く目が覚めることが多い。
この時も6時くらいに目が覚めたんじゃなかったかな?まだ外は夜明け前で暗い。
カーテンをめくって、窓の外を見てみた。


うわぁーーーー、雪だ。雪が積もってる。
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まだ夜明け前のブリュッセル、暗くて、静かな雪景色。これは美しかった。
イ課長はこれまで寒い時期の欧州出張ってのを何度もやったけど、積雪に遭遇したのは
初めてだと思う。せいぜい1cmくらいの、微々たる積雪量だっただろうけど、それでもちょっと嬉しい。
白い雪に閉ざされたブリュッセル。いいねーー。個人的にはもう少し積もってほしい(笑)。
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この屋根の向こう、高い塔があるところはもうグラン・プラスだ(広場にすごく近いホテルだったのだ)。
空が暗いと、逆に森閑とした雪の早朝の静けさが強調される。
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ホテルのとなりの建物の屋上は積雪で真っ白、歩道も真っ白で、粉砂糖をふりかけたケーキみたいだ。
この日はちょうど日曜日で、しかも早朝。人通りも少なくて、歩道にも足跡がぜんぜんないよ。
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朝飯を食い、空が明るくなってから外に出てみた。9時頃だったかなぁ?
グラン・プラスもこれまで何度も見たけど、白く雪化粧した姿は初めてだ。
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ヨーロッパの街は雪景色になると、一段と風情が増すよねぇ。
もっとも、この時は雪がドウコウより、とにかく寒いことの方が大変だったんだよ。
何せ出張が始まる前の日曜日。いきなり出だしから風邪をひくわけにはいかないのだ。
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こちらはブリュッセル中央駅。地面は真っ白。
イ課長は当然のことながら、普通のビジネスシューズを履く身だ。雪の路面は滑りやすい。
しかし、それにもめげずイ課長はこのあと中央駅から電車に乗ってゲントという街まで
半日観光に行ってきたのである。
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なにぃ?半日観光だぁ?この雪の中をわざわざ?
「風邪をひくわけにはいかん」とか言った舌の根も乾かねぇうちに、どういう了見だ?
そもそも出張で来たんだろ?観光旅行じゃねぇんだぞバカタレ!(←自己批判)


  ・・・・・・・・・・


う、うるせぇな!いいじゃねぇか!!(誰に向かって言ってるんだ?)


というわけで、暑さで最後はやや取り乱し気味でしたが(笑)、
涼感企画、いかがでしたでしょうか?多少は涼しくなったでしょうか?

この暑さはもうしばらく続くらしい。
どちら様も熱中症に気をつけて、がんばって乗り切りましょう。


 
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by tohoiwanya | 2013-08-12 00:05 | 2013.02 欧州出張 | Comments(6)
2013年 08月 09日

アウシュビッツ強制収容所 その4

まだまだ続く暗黒のアウシュビッツ強制収容所シリーズ。
屋外に出ても、見学すべきダークな場所はたっぷり残っている。目をそむけずに見ていこう。

たとえばこれ。前回、「銃殺控え室」をご紹介したけど、あの部屋で服を脱いだ収容者たちは次に
この壁の前に立たされ、銃殺された。手向けの花が飾られてるけど、この花がここで銃殺された
人々の慰めになるとは思えない。むしろ見学者の方が「ここで昔あったこと」の重さに耐えられず、
その重さから少しでも逃れたいがために置いた花なんじゃないかと思える。
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これは絞首用の柱。この横にわたされた長いハリに収容者がズラリと吊るされ、殺された。
上の銃殺もそうだけど、こういう収容者の目につきやすいところで仲間を殺してみせるっていうのは
一種の見せしめなんだろう。しかし、自分たちもいずれ死ぬ、と運命づけられた収容者たちに対して
「少し早く死んだ」仲間を見せることで、見せしめ効果があったのかどうか・・・。
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さぁもっと先へ進む。次はいよいよガス室の見学だ。後戻りはできないのだ。
気分が悪くなろうがどうしようが、見学者たちは順々に、ガス室の中に連れて行かれるのである。

中はこんな感じ。施設の性格上、見学者もこの中に入ると「じっくり見学しよう」という気にはなりづらくて、
モノも言わず、わりと足早に内部を眺め、入る前より一段と暗い気分になって出て行く。
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イ課長のイメージだと、ガス室の天井には“擬装用”のシャワーがあったはずだけど、ここにはない。
アウシュビッツのこの場所は「最初のガス室」として作られたもののようで、後に管理用の建物として改造され、
戦後ガス室として復元された、とWikipediaには書いてあった。シャワーノズルみたいな“偽装”が
一般化するのはもうちょっと後になってからなのかもしれない。
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映画「シンドラーのリスト」では、女性たちがガス室送りになったと思って押し込められた部屋が、実は
本当のシャワー室だったっていうシーンがあったけど、実際にそういうことはあったらしい。要するに
ガス室とシャワー室って、髪を切ったり全裸にヒン剥いたりっていう事前処理も含め、部屋の構造も規模も
ほとんど同じだったんだろう。最後に出てくるものが毒ガスか、水かの違いだけ。

そして、その奥には以前に模型で見たクレマトリウム、つまり死体焼却施設がある。
ガス室で殺し、死体を運び、ここで焼く。流れ作業。作業にあたるのもまた収容者たちで、読んだ話だと
そういう作業にあたっていた収容者たちは、時に死体の山の中に自分の親族、ひどい時には自分の妻を
発見する、なんてケースもあったらしい。
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こんな風にしてアウシュビッツを見ている時、イ課長は何となくヘンな思いが湧いてきた。

ここには、当時あった状態のまま残ってるものがたくさんある。かつてたくさんの収容者たちが実際に
その手で触れたものも多いだろう。
そういうものに、自分の手をくっつけたくなった。要するに触りたくなったんだよ。

何回か前の記事で、アウシュビッツに関しては「そこに行って、そこに触れ、そこの空気を吸い、
そこの土を踏むことが重要」みたいなことを書いたけど、文字通りの意味で、触りたくなった。

もちろん展示物に触るのは見学者として、ほめられた行為ではない、というか、いけない。
でも、とにかく当時のものを、何でもいいから、自分の手で、ジカに触らなければならないと思った。

だから、途中にあった鉄格子を手でちょっと触った。ついでにその手を写真に撮った(笑)。
この鉄格子はたぶん、かつて大勢のユダヤ人や政治犯たちも手で触れたところだろう。
そこを、自分でも触った。
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「自分は確かにここに来た」ということを確認したい・・というのとは違う。強いていえば
「私はここに来ました」ということを、かつてここを触った人たちに伝えたかった、というのが近いか・・・。
なぜあんなにも「触りたい、触らなければ」と思ったのか、正確には自分でも未だによくわからない。

しかし、何度もいうけど展示物に触るのはよくないことだ。ごめんなさい。この場を借りて謝ります。
でもあの時はどうしても、ちょっとでいいから、触るべきだと思ったんだよ。
見学してるうちに、イ課長の精神状態もダークになってきたようだ。
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いやーーーまったくもって実に重いツアーだ。
しかし、この見学ツアーはまだまだ続くのである。そしてこのシリーズも。
次回はアウシュビッツから移動して、ビルケナウ強制収容所をご紹介しようと思う。


 
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by tohoiwanya | 2013-08-09 00:02 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(6)