<   2013年 09月 ( 12 )   > この月の画像一覧


2013年 09月 30日

ポーランドの市電

去年のポーランド旅行でイ課長が滞在したのはワルシャワとクラクフ。
このどちらの街も市電網が発達してて、重要な公共交通機関になっている。
f0189467_0554317.jpg

残念ながらワルシャワでは市電に乗る機会がなかった。
ワルシャワには地下鉄路線もあって(これもいずれご紹介する)、ガイジン旅行者としては
路線数が少なくてわかりやすい地下鉄の方が使いやすいというのが理由の第一。
それと、市電が通ってない新世界通りとか行く場合はバスが便利なので、市電よりバスを
使うことが多かったというのが理由の第二。
f0189467_0472132.jpg

それと、サッカー欧州選手権のせいか、イ課長宿泊ホテルの前の大通りを南北に走る路線が
運行停止になってたというのが理由の第三。これじゃ使いようがねぇじゃねぇか。
ほら、市電の線路の上に何か臨時の構築物が作られてるでしょ?走ってないんだよ。
f0189467_0473330.jpg

しかしワルシャワの街を歩いてると赤い市電はよく見かけた。他の路線は動いてたようだ(笑)。
プラハやブダペストもそうだったけど、東欧の街って市電を入れて写真を撮ると絵になるよねぇ。
f0189467_0475131.jpg


ワルシャワが赤かったのに対し、クラクフの市電は青かった。こっちは何度も乗ったよ。
f0189467_0481510.jpg

クラクフはワルシャワと違って地下鉄がないから、ガイジン旅行者も市電にチャレンジせざるを得ない。
下の路線図に見るように、一つの線路をやたら多くの路線が走ってるところも多くて、イ課長の
宿泊ホテルの前なんて、朝はもうひっきりなしに次々といろんな路線番号の市電が来てた。
f0189467_0483847.jpg

この路線図で街の中心付近から川を超えて右下の方に何本もの路線が走る道がある。
これがヴェリチカ通りで、シンドラーの工場からアーモン・ゲート旧宅に行く時に乗った路線だ。
f0189467_0492030.jpg

とにかく路線数が多いから、乗りこなすのは容易ではない。イ課長も一度乗り間違えた。
地元の人たちはスイスイ乗ってるかっていうと、どうもイ課長の推測では地元の人たちも
乗り間違える人が少なくないんじゃないかって気がするんだよね。

だからってわけじゃないだろうけど、クラクフ中央駅前みたいに大きな交差点に近い停留所では
こんな風な表示が出ている。まっすぐ行きたい人はとにかく19番に乗れ、右方向に行きたい人は
10か12か40に乗れってわけで、これはなかなか親切な表示だ。この表示に従っていれば、
少なくともトンでもない方向に行ってしまう確率は大幅に減る(それでも乗り間違えたわけだが)。
f0189467_0485528.jpg

雨の日のダーク観光の日は何度も市電に乗るってことがわかってたので、イ課長は
一日乗車券というのを買った。ホテル前停留所に自動販売機みたいなのがあったから、
それで買ったんだよ。ただ、料金がいくらだったかと言われると・・・

ネットで調べたら、1回乗車券が3.6ズロチ(約90円)、一日乗車券が12ズロチ(約300円)という
情報が載っていた。1回乗車券の料金はワルシャワ空港から中央駅までのバス代と同じだ。
4回以上乗るならこちらの方がお得。

クラクフの市電もヨーロッパの多くの街と同様、時々抜き打ち検札がある。
イ課長も遭遇したくらいだから、けっこう高頻度で検札してるんじゃないかと思われる。
一日乗車券を買っておくと、乗り間違えて慌てて降りて逆方向に再度乗るなんて時に
検札が来ても安心だ。

あ、もちろん切符を買って市電に乗ったら例の「刻印ガチャン」はお忘れなきように。
黄色い機械が市電の中に必ずある(下の写真に小さ〜く写ってる)。
f0189467_0512366.jpg

バベル城とか聖マリア教会とか、旧市街中心部だけの観光ならそれほど必要じゃないけど、
イ課長みたいにシンドラーの工場やらアーモン・ゲート旧宅やらとダークスポットを周りたい人には
市電による移動が不可欠。一日乗車券を買って、市電を使ったダーク・ツーリズムをお楽しみあれ。

・・・そういうニーズがたくさんあるとはあまり思えないが(笑)。


 
[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-30 00:52 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(0)
2013年 09月 28日

北欧効果に酔いしれる

クラクフのダークな話が続いたので、本日は時間的関係を無視して、
いきなりヘルシンキで撮った写真をどーーーんとご覧にいれよう。




どどーーーーーん

f0189467_01504.jpg


見てよ、空のフタをパカッとあけたようなこの快晴、青空、海、そしてカモメさん。
f0189467_025143.jpg

f0189467_03812.jpg


去年の旅行では、イ課長はポーランドを回ったあと、最後にヘルシンキに2泊した。
土曜夜から木曜夕方までがポーランド、木曜夜から土曜午後までがヘルシンキだったってことになる。

ポーランドで始まるサッカー欧州選手権を避けて(ホテル代がバカ高くなる)移動したわけで、特に
ヘルシンキで見たいものがあったわけじゃない。たまたま使った航空会社がフィン・エアーだった関係で
そうなったというだけの話。

上述のように木曜夜にヘルシンキに到着し、一晩寝て迎えた金曜日。
イ課長は生まれて初めて北欧の街で一日を過ごしたわけなんだけどさ・・・。

いやもう、この日のことは忘れられない。強烈なインパクトがあったよ、北欧。
何がって?とにかくね、もうね、何もかもがね、明るく、さわやかに見えるんだよ。びっくりした。
「空が青い!青すぎる」「お日様カンカン!」「あ、海だ!」「カモメ!カモメが飛んでる!」
全てが明るくサワヤカすぎるもんで、イ課長の反応も3歳児じみてきた(笑)。
f0189467_033343.jpg


ポーランド滞在中も別に毎日悪天候ってわけじゃなかったけど、「雨のクラクフ」の印象が強いからねぇ。
それにポーランドじゃ行きたいトコ、見たいモノが多かったから、それだけ交通機関とか道順とか、いろいろ
不安要素も多かったし、実際置いてけぼりを食ったりもした。しかも見るものはダークなものばっかり。
そりゃね、覚悟の上で行った旅とはいえ、イ課長の心身に与えた影響も少なくなかったんだよ。

しかしヘルシンキじゃ全くの予定ゼロ。どこに行っても、行かなくてもいいのだ。なんてラクな気分。
そのうえこの快晴だ。初めて来た北欧、初めて来たヘルシンキ、そこが太陽サンサン天気が良くて、
おまけに気分もリラックスしてりゃ、世の中もちったぁ明るくサワヤカに見えてこようってもんだぜ。
f0189467_052957.jpg

人の気分をこれだけ変えるヘルシンキの“威力”を、イ課長は「北欧効果」と名づけた。
ポーランドでは雨に濡れながら収容所を歩くダーク・ツーリストそのものだったイ課長が、ヘルシンキに
来たらたちまち、遊覧船に乗る明るい観光客だ(笑)。北欧効果の影響で、行動様式がまるっきり別人。
f0189467_061460.jpg

ま、北欧効果なんて言ってみても、要するに「たまたまものすごく天気が良かった」ってことと、
「前半のダークすぎる旅の反動がでた」ってことに過ぎないんだけどね。しかし「雨のクラクフ」のあとで
「ド快晴のヘルシンキ」を体験すりゃねー、北欧効果も3倍増くらいにに思えるわけヨ。
(実際には雨のクラクフとヘルシンキ初日の間は“中二日”あいているのだが)

ポーランドネタ消化が終ったら、ヘルシンキネタにいずれ移行する。
もっとも、ポーランドネタは実はまだかなり残っているんだけどね。しかし最もダークな“ヤマ”は
越えたはずだから、読者のみなさまも安心してほしい(笑)。


  
[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-28 00:11 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(4)
2013年 09月 25日

旅のダークサイド

旅というのは常に楽しいウキウキ気分だけで満たされているわけではない。
時にはダークでドンヨリとした気分が続くこともある。

アウシュビッツとか、プワショフ収容所跡地とか、クラクフ滞在中に見たものはダークな所ばっかり。
たぶん、普通の明るい観光以上に疲れたんだろうねぇ。冷たい雨という天候も重なって、クラクフでは
明るく、美しく、楽しいコトをしたっていう記憶がないし、実際そういう事実もない(笑)。

たとえばメシ。
クラクフ到着日は晩飯を食わなかった。ホテルでビール飲んでたら、疲れてたせいか眠くなって、
結局そのまま朝まで寝てしまった。メシ抜き。あーあ。

翌日、つまりアウシュビッツに行った日もひどかった。
アウシュビッツ見学ツアーには昼飯がつかないって聞いてたから、イ課長は念のために
事前にイチゴ風味の水と軽いスナックを買いこみ、カバンに入れておいた。
f0189467_23485816.jpg

でも収容所にいる間はとてもモノを食おうなんて気になれず、そのまま持ち帰ってきた。
で、夕方ホテルでそれをポリポリ食ってビール飲んでたら、またそのまま寝ちまった(笑)。
この日のメシは、このプリッツみたいなスナック菓子だけ。ああひどい。
f0189467_23491692.jpg

そして翌日は雨の中、アーモン・ゲート旧宅を見たり、プワショフ収容所跡地を歩いたわけだ。
明日にはワルシャワに戻る。クラクフ最後の夜くらいはマシなもの食いたいが・・・

しかし、ホテルに戻ってイ課長がまずしたことは服を乾かし、靴を乾かすことだ。
なんとみじめったらしい。しかしこういう旅のダーサイドも記録のために写真に撮っておいた。
こんなもの誰も見たくないだろうが(笑)。
f0189467_23494675.jpg

夜になって(といっても6月だから7時くらいでも明るいが)、まだぜんぜん乾いてない靴をはいて、
ふたたび街に出た。クラクフ最後のメシ。しかしイ課長の士気は低い。
気分としては、温かい中華系のヌードルでも食って、ホテル戻ってビール飲んでバッタリ寝たかった。
f0189467_23502312.jpg

適当なメシ屋を探しながら、また旧市街を少し散歩した。雨は相変わらずやまない。

これはクラクフ中央広場にある繊維会館。中は土産物屋になってる。
f0189467_23481757.jpg

f0189467_23483917.jpg

これは何の塔だ?と思って撮ったけど、どうも市庁舎らしい。
教会と市庁舎が目立って高い塔をもってるって、ヨーロッパの古い街でよくあるパターンだね。
f0189467_23473493.jpg

しかし、残念ながらイ課長はこのまま夜のクラクフを散歩しようかなという前向きな気分でもなかった。
心身は疲れてるし、靴もまだ濡れてるし、早いところ何か食って・・・

で、結局、クラクフ最後の夜のメシはこれ。テイクアウトの焼きそば。
その時の気分に一番近そうなものがコレだったからしょうがないんだけど、なんというか・・。
これと缶ビールを買って、ホテルの部屋で一人わびしく食って飲んで、そのまま寝た。
とうとうクラクフではマトモな晩飯を食わずに終わっちまった。
f0189467_23443558.jpg

まぁしょうがない。旅にはこういうダークな局面だってあるのだ。
しかし、美しい古都・クラクフには明るく美しい観光スポットだっていっぱいあるはずで、
そういうのを全然ご紹介できなかったのは申し訳ないと思ってるよ、クラクフに。


  
[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-25 00:05 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 09月 24日

クラクフ・聖マリア教会

どうも体調イマイチだなぁと思ってたら、ジンマシンが出てきたイ課長です。なんてこったい。
こんなひどいジンマシンは中学生の時以来で、明日になっても治らなきゃ皮膚科行くしかない。

やれやれだね・・。

さて、だいぶ間があいちゃったけど、雨のクラクフに戻るとするか。
ポーランドネタはまだまだいっぱい残ってるのだ。

プワショフ強制収容所跡地から、市電に乗ってクラクフ旧市街に戻ってきたときのイ課長は
一言でいえば「ぼろぼろ」だった。ジンマシンは出なかったけどね(笑)。靴も靴下もビッショリ濡れ、
皮がむけた足は痛み、疲れて、空腹で、寒かった。

「とにかくいったんホテル戻って、靴と靴下を脱いで、足を乾かしたい・・」
「で、少し寝て休息しようぜ・・」」

と、まぁ、そんなことばっかり考えてたわけよよ。
翌日の午前中にはクラクフからワルシャワに戻る。結局クラクフ滞在中はダークなものしか
見ないで終わっちまいそうだ。でも、もうイ課長もトシだし、疲れたし、しょうがないじゃん・・・
こういう時、思考はすべて後ろ向きなってしまうのである(笑)。
f0189467_025066.jpg

しかしプワショフからの市電はホテル近くまでまっすぐは行ってくれない。
乗り換える必要があるんだけど、路線番号が複雑でよくわかんないから、旧市街近くの
停留所で降りて、あとは歩くことにした。どうせ歩き疲れてるんだし、さらに歩く距離が
多少増えても同じようなもんだ。

お?これって街で一番デカい教会かな?
ダークスポットばかり歩いてたから、こういう健全な観光施設のことは何も知らなかったんだよね。
f0189467_0252533.jpg

まぁコトのついでだ。この教会でも見学してみっか。
「ダーク疲れ」した心身を癒すには、教会でもボンヤリ見学するのがいいと思ったんだよ。

切符を買った。3ズロチくらいだったかな?
ところが、入口のところで別の係員が「写真を撮るなら5ズロチ」って言ってきた。
いいよ、写真なんて撮らない。とにかく休みたいだけだから。「No」と言って内部に入る。

うっわーーーーーー。
f0189467_0242971.jpg

こ、こりゃすごい。内部はまたエラく美しいではないか。これは写真に撮って残しておかねば。
スゴスゴとさっきの係員のところに戻って、5ズロチ払いましたよ。カッコわりー。

せっかく5ズロチ(当時のレートで約130円ってところか)払ったんだから、はりきって写真を撮った。
高い天井、ステンドグラス、尖頭アーチ・・・様式としてはゴシック聖堂と言っていいんだろう。
しかし、とにかくこの青と金を基調にした装飾がユニークで、他では見たことないなぁ。
f0189467_154564.jpg

正面祭壇のあたりはステンドグラスの金の装飾で絢爛豪華だ。
といってもバロック教会ほどの過剰装飾じゃないところがイ課長の好みに合う。
f0189467_0265925.jpg

こういう壁面のこまかい装飾も美しいねぇ。
フランスあたりのゴシック教会とはちょっと違って、むしろ2011年に見たブダペストの
マーチャーシュ教会なんかを思い出させる。東欧テイストと言うべきなんだろうか?
f0189467_029274.jpg

しかし何と言っても素晴らしいのはやはり天井の青と金の装飾だと思うよ。
暗くなってからロウソクのぼんやりした光でこの天井を眺めたら、星空みたいに見えるんじゃないだろうか。
f0189467_0301375.jpg

この教会にはもう一つの名物があって、それはラッパの音なんだよ。
昔、フン族がポーランドに侵入した際、一人のラッパ兵が教会の塔の上からラッパを吹いて急を知らせた。
しかし敵の矢があたって、このラッパ兵は吹いてる最中に死んでしまった・・といわれている。

その故事にちなみ、この教会では今でも毎時00分になると尖塔の上からラッパが吹き鳴らされる。
吹奏中に死んだラッパ兵を偲んで、その演奏は途中でプツッと途切れる。
f0189467_0321982.jpg

雨に濡れるクラクフ、聖マリア教会。
その物寂しいラッパの音を聞き、イ課長は痛む足をひきずりながら再びホテルを目指した。
とにかくさ、靴脱いで、足乾かして、一休みしないと・・依然として思考は後ろ向きだったのである。

 

[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-24 00:32 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(6)
2013年 09月 22日

人間でいえば木婚式

ちょっとブログ更新の間があいてしまった。

いやー、イ課長、先週から今週にかけていささか忙しく、肉体的に少々くたびれております。
忙しかったわりに結果的に実りがなくて、精神的にもくたびれております。

日本は秋分の日がらみで二週連続の三連休なわけだけど、9月の下旬といえば・・・と思って、
フと確認してみたらドンピシャリ。イ課長がこのブログを作って最初の記事を書いたのが
5年前の今日。つまり本日はブログ開設5周年記念日ってわけで、明日から6年目に突入するわけだ。
「イ課長ブログ木婚式」ということか(笑)。

木婚式を迎えられるまでブログを続けられた大きな要因が、2008年以降も続々と海外出張が
あったからというのは間違いないところで、年に一度の海外旅行ネタだけだったらとてもじゃないが
5年も続けられなかった(下の写真は2007年出張のプラハ)。
f0189467_2249196.jpg

ちょっと振り返ってみよう。行った国の数じゃなく、「出発して帰国するまでを1回」として
過去の生涯海外出張回数を勘定すると、こうなる(仕事のカンケイ上、年度表示ね)

1996年度  インドネシア&タイ、中国&フィリピン で2回
2007年度  欧州(独&チェコ) で1回
2008年度  欧州(独)、欧州(独&ベルギー)、米国 で3回
2009年度  シンガポール、欧州(独&ベルギー) で2回
2010年度  欧州(独&英等) で1回
2011年度  欧州(独&仏&英)、欧州(独&伊) で2回  
2012年度  インド、 欧州(ベルギー&英) で2回

ぜんぶで13回。このうち2007年度以降の11回がいまの会社に入ってからで、このブログに書いたのも
2007年以降の出張ネタだ。海外支店の多い大手企業だったら全然多くないだろうけど、
11回ってウチの会社ン中じゃ図抜けて多いんだよね(下は2008年米国出張のN.Y.)。
f0189467_22494494.jpg

まぁねぇ海外出張なんて、周囲が「いいなぁ〜」と言うほど素敵なものじゃない。
それが面白そうな国であればあるほど、仕事で自由がきかない状況に、逆に欲求不満がたまる。
しかしまぁ、そういう出張のおかげで5年間もブログを続けてこられたんだ。感謝せねば。

これだけやってると、海外出張に関して同じような質問をうけることも多くなる。
社内ではもちろん、仕事を依頼してくる相手からも聞かれることがある。
どんな質問かっていうと・・・


イ課長さんって英語しゃべれるんですか?
当然しゃべれない(笑)。仕事の依頼先なんかには「トラベル英会話なら一人で何とかしますが、業務上の
面談となれば通訳をつけます。英語圏であっても」と宣言する。会社によっては英語がダメな社員には
海外出張行かせないなんてところもあるらしいが、そんな人的余裕はないの、ウチの会社は(笑)。

通訳さんってどうやって見つけるんですか?
すべてネットで探す。ただドイツみたいに何度も行ってる国だと、同じ人に頼むこともできるわけで、
信頼できる通訳さんネットワークは海外出張を通じて得た重要な財産だと思ってる。

現地でのアテンドってつくんですか?
基本はつかない。移動手配もメシを食う店探しも全部自分でやる。まぁそれはそれで面白いんだけど
インドだけは出張規程上「原則フルアテンド」の国だったので、常に現地法人の社員と一緒だった。
普段に増して自由がきかずに欲求不満がたまったよ(下は2009年出張のシンガポール)。
f0189467_22503282.jpg

でも、観光することだってあるんでしょ?
時にはあります。一番いいのは出張中に土日がはさまるケースで、これは大いばりで観光できる。
欧州出張だと帰国便が夜ってことが多いから、最後の土曜日の半日観光が楽しみ。

そういう観光で、これまで一番良かったのは?
これもよく聞かれる(笑)。まぁ2007年出張のプラハ半日観光、2011年出張の土日のパリ、
去年のインド出張の土曜に行ったタージ・マハルあたりだろうね、印象深いのは。

じゃ、一番つまんなかったのは?
観光魅力度という点でいえば・・うーん・・シンガポールかなぁ(ごめん)。

また海外出張行きたいですか?
そりゃ仕事なら行くけどさー、ハッキリ言ってイ課長はもう十分すぎるくらい海外出張したと思うよ。
これからはもっと若い社員にどんどん海外経験を積ませるべきだと思うんだよねぇ。もっとも、
年齢ピラミッドの歪んだウチの会社じゃ、それはけっこう難しいんだけど。(下は去年のインドね)
f0189467_22484928.jpg


さて、そんなイ課長の海外出張、今年度は一体どうなるのか?
実は年度の半分過ぎようとしてるのに、まだよくわからないというのが正直なところなんだよ。
去年の今頃はインド出張準備してたことを思えば、今年は見通しが不透明なんだよねぇ。

「今年は海外出張ナシ」という可能性も十分ある。もしそうなら2006年度以来の快挙だ(笑)。
ただ、行く可能性もボンヤリとはあるんだよ。その辺がまだハッキリしない。

海外出張があれば、このブログもその分長く続くことになるわけだけど、はたしてどうなるか?
いずれにしても、とりあえず明日から6年目に突入するところまでは何とか続いたアホブログ。
なるべく長く続けたいとは思ってますので、今後ともよろしくお願いいたします。


  
[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-22 00:00 | 日本でのオシゴト | Comments(8)
2013年 09月 16日

愚かなるイ課長のドジ【散歩編】

日本はのどかな3連休、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
イ課長はなんとなく雨のクラクフの話に戻ろうって気になれないので(笑)、今日も別の話。
呆れるほどくだらない話をしよう。今年の2月の欧州出張、ブリュッセルでの話だ。

考えてみたら、このドジシリーズの「チップ編」はブリュッセルだった。
切符編」もブリュッセルに帰る時の電車での話。そして今回もまたブリュッセル・・・。
ブリュッセルって街はイ課長のドジを誘発する街なのか?

話は実にくだらないんだよ。
イ課長がブリュッセルの街を一人でブラブラ散歩してた、と、そう思いねぇ(急に落語口調)。

もちろん地図なんて持たない。
イ課長だってこう見えてブリュッセルに来たのはもう5回めだぜ?
グラン・プラスを中心とした一帯だったら、少しは土地勘があるんだよ。
というわけで、ブルズ、すなわち証券取引所前の駅のあたりからブラブラ歩き始めた。
f0189467_043738.jpg

こっちの方は歩いたことないけど、下の図を見るとわかるように(わざわざ描いたんだからバカだねー)
適当な曲がり角で左折、左折と歩いていけば、不可避的にいずれ大通りに戻ってくるわけだから
迷子になる心配など全くせずに気楽に歩き始めた。
f0189467_051696.jpg

散歩中は予定通り、途中で何度か左折した。ブリュッセルの街は碁盤の目みたいになってなくて
道もグニョグニョしてるから、スンナリとは元の大通りには戻れないだろうけど、その辺はこちらも
織り込み済み。でもいずれは出発地点より南のどこかで大通りにぶちあたるはずだ。

いいかげん、大通りが見えてきていい頃じゃないかな、と思う頃に、向こうに大きなビルが見えた。


            え?


それがあまりに予想外の事態だったので、イ課長は驚愕のあまり、しばし呆然とした。
なまじ土地勘があるだけに、その大きなビルが「そこにあるはずのないビル」だとすぐわかったんだよ。


     えええ?どどどういうコトだ???


ブルズ前を出発してから、イ課長は3回か4回、テキトウなところで左折した。
しかし一度も右折なんてしてないのはハッキリしてる。それなのに、なぜ自分は
出発地点のブルズよりで大通りにぶつかっているのだ?そんなバカな!
その驚きを地図にあてはめるとこうなる。
f0189467_075061.jpg

何度もいうけど、一度も右折なんかしてないんだよ?
ブリュッセルには空間の歪みがあって、うっかりそこに足を踏み入れてしまったために、思っても
みなかったところに“転送”されてしまった・・とでも考えない限り、この事態は説明がつかん。

地図をご覧になって察しがついちゃった読者の方もおられよう。
しかし地図を持たずに現場にいるイ課長には全くわからない。さすがに「空間の歪み」ではないだろうと
思う程度の正気は残っていたが、ではどうしてこうなったのか、ぜんぜんゼンゼン全然わからない。

ホテルに戻って、Google Mapを開いて、自分が歩いたと思われるルートを検証してみた。
散歩の途中で撮った写真をGoogleのストリートビューと比較して、必死になって確認し、
現実的に可能性のある結論を導き出した(散歩の途中の写真つうたら、たとえばこんなの)。
f0189467_083015.jpg

要するに、途中で一度ルートが交差したのを気づかずに歩き続けたとしか思えないのだ。
イ課長が歩いた経路は途中で一度、さっき歩いた道と交差したことになる。
これが「ブリュッセルには空間の歪みがある」以外で考えられる唯一の結論。
f0189467_093065.jpg

一度通った道をまた渡る時に気がつきそうなもんだろ?
世界中の正常な知能を持った人々がそう言っているのが聞こえる。
だが愚かなるイ課長はマッタク気づかなかった。けっこう大きな教会を2度、異なる方向から見てる
わけなんだけど、ブリュッセルに教会なんていっぱいある。まさか同じ教会とは思わないじゃん。
f0189467_095883.jpg

「要するにイ課長は世界のどこに行ってもバカだった」というだけの話だ。それは認める(笑)。
しかしだね、実際にコレを体験した時のイ課長の驚きと当惑は、本当にもう大変なものだったんだよ。
さっきも書いたように、なまじホンのちょっと土地勘があるがゆえに味わった驚きといえる。

これが全然知らない初めての街だったら、こんなオドロキを感じることはなかった。
大通りに戻ったときに自分は出発点より南にいると何の疑問もなく信じたのは間違いないから
ホテルに戻るために北に歩いたはずで、ますます迷子のドロ沼にハマッていただろうが・・・。


  
[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-16 00:10 | 2013.02欧州出張 | Comments(2)
2013年 09月 13日

話しかけよう挨拶しよう

6月にベトナムとタイに行ったときの話。

サイゴンではベンタイン市場近くのホテルに泊まったんだけど、周辺を歩いてると、やたらと
頭にスカーフを巻いた女性が多い。スカーフを巻いてるってことはイスラム教徒だろうから
地元のベトナム女性ではないはず。

ベトナムに近いイスラム教国っていうと、インドネシアか?マレーシアか?
どちらにせよ、「その国」からの旅行者がやけに多いんで、ちょっとびっくりした。
イ課長が泊まったホテルにもけっこういたね(下の写真にも写ってる)。
f0189467_0105823.jpg

サイゴン2泊目の夜。
やはりスカーフを巻いた母親+息子とホテルのエレベーターで乗り合わせた。
男の子は11〜12歳ってところかな。日本だったら小学校高学年くらい。
彼が着てるTシャツの胸のプリントを見たら、ははぁ〜・・・これ、たしかマレーシアの国旗だ。
なーるほど、マレーシア人だったんだ。

その男の子に話しかけてみたくなった。もちろん英語を使うしかない。

「From Malaysia?(マレーシアから来たの?)」
「・・・Yes」

いきなり見知らぬガイジンから話しかけられたにもかかわらず、ちゃんと英語で答えてくれた。
なかなか聡明な男の子だ。

今度は彼が英語で質問してきた。「Where are you from?(あなたはどこから来たの?)」
「From Japan(日本から)」
「Japan・・・・」

先に彼らのフロアにエレベーターが停まり、そのマレーシアの母子が降りた。

「Good night(おやすみ)」
「Good night」
手を振って別れた。ただそれだけの話。お母さんの方とは全く話をしなかった(笑)。

モジモジ、オドオドしない子で、好感が持てた。きっとアタマのいい子なんだろう。
彼にとって、あれが初めての海外渡航で、ナマの日本人と話をしたのもイ課長が初めてだった
可能性は十分ある。彼の方でも「あの時、サイゴンのホテルで話しかけてきた日本人」のことを
覚えててくれるかな?・・・と、ちょっと思った。


その約1週間後。バンコクのスワンナプーム空港から日本への帰国便に乗った。
空港の出国審査の長い行列に並んでいるとき、イ課長の後ろの女の子がやけにソワソワしてた。
隣の列に並んだ友達の方が先に進んでるから、あせってるんだね。

どんな子だ?と思ってちょっと後ろを振り向いたら、その子とイ課長の目が合った。
ソワソワあせってるところを見られて、ちょっと恥ずかしかったのか、その子が「てへっ」って感じで
照れ笑いした。若い東アジア系の女の子だ。大学生くらいかな?でも日本人ではあるまい。
ここでまた話しかけてみたくなったから、英語で聞いてみた。

「From China? or Taiwan? Hong Kong?・・(中国から?それとも台湾?香港?)」

これだけ言えばどれか当たると思った(笑)。
見知らぬガイジンから話しかけられて、ちょっと驚いたようだったけど、彼女はすぐ答えてくれた。

「・・・from Korea(韓国からです)」
「Oh, Korea・・・」
「Where are you from?」
「From Japan」
「Ah・・・ コ ン バ ン ワ 」
「あははは、감사합니다(カムサハムニダ)」

日本語で「こんばんは」が言えるんだ。こっちは韓国語の「こんばんは」なんて知らないよ。
夜なんだから、彼女の挨拶が実に適切なものだったのに対し、「ありがとうございます」なんて
間の抜けた韓国語しか出てこないイ課長は完敗だ(笑)。

バンコクの空港で韓国人女子とちょっと話しをしたと、ま、ただそれだけの話なんだけどさ。
f0189467_2356106.jpg

でも欧米だとあんまりやらないんだよね。知らない人に話しかけるっていうことを。
なにせ、相手の方がイ課長より英語上級者である可能性が極めて高いからねぇ。
でもアジアだと(特に相手がコドモなんかだと)お互いの英語レベルが近そうだから
ちょっと話しかけてみようかって気になる。

しかしこんな短い会話でも、相手の国に対する印象には影響すると思うんだよ。
イ課長はマレーシアに行ったことがない。サイゴンで話したあのマレーシア人の男の子は
この地球上でイ課長が言語コミュニケートした唯一のマレーシア人ってことになるわけだが、
「マレーシアにはしつけのいい聡明な子が多いんだろう」と思うに十分な印象を残してくれた。

スワンナプーム空港の韓国人女子はさすがに「話したことがある唯一の韓国人」ではないが、
英語・日本語・韓国語が入り混じった、短いけど楽しい会話(挨拶)で、これまた印象深い。
こういうのって「お互いに今ガイコクにいる」という状況も強く影響してるよね。

自分は一人、相手も一人(か少人数)、場所は第三国で、共通言語は両者にとって外国語。
そんな状況で、見知らぬ外国人と言葉を交わすのって、なぜか新鮮で記憶に残るようだ。
そういう時、話しかけた相手を嫌いになることはまずないだろうし、相手から嫌われることも
まずないと思う。ごく短い会話でも不思議と心に残る。今回の経験からも、そう思う。

確かに、そう頻繁にあるシチュエーションじゃない。
でも、今後機会があれば、外国で、また知らない誰かに話しかけてみよう、とイ課長は思う。
それがどこの国の人であるにせよ、ほんのちょっとした会話を交わすだけで、“その国”が
少し親しいものになるからね、きっと。

これは個人的な推測だけど、新大久保で韓国人向けヘイトスピーチを連日ガナッている
病んだ日本人たち、たぶん韓国の人と心に残る会話なんて一度も交わしたことがないんだろう。
まぁ同じことは、中国や韓国の「反日な人々」についても言えるんだろうけど。


  
[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-13 00:01 | 2013.06 東南アジア旅行 | Comments(2)
2013年 09月 11日

ムンバイのアンビリーバボーな交通機関

クラクフのダーク観光が一段落したところで、例によって、他の国の話題をちょいとはさむ。
気分を変えるためにハデな?話題にしよう。インドの、ムンバイの話だ。

インド屈指の人口規模と経済規模を誇るムンバイ。
ムンバイって、街の形がちょっと特殊で、海に突き出した半島の先端部分に市街地がある。
Google Mapで見るとこんな感じで、半島の先ッちょ、「フォート」って地名のあるあたりが街の中心。
だから朝夕の通勤・通学ラッシュも普通の街とはちょっと構造が異なる。
f0189467_23542774.jpg

これがデリーであれば通勤・通学ラッシュは「四方八方からデリーに集まる」って感じになるはずだけど
こういう特殊な地理条件だと通勤・通学の流れも偏る。要するに朝は“太い”北の内陸部から“細い”
南の先端部に人が集まり、夕方はその逆っていう流れになる。特に問題は朝だ。細い先端部に
北から一斉にドシャーッと人や車が集まるとなれば、「すごく混む」ってのは直感的にわかる。

ムンバイの人口はすごい勢いで増えてるらしいけど、細い先端部は土地も少ないし、土地代も高いから
人口が増えるエリアも北の「太い方」ってことになる。そうなれば必然的に南北移動を必要とする
人間の数はますます増えていくわけだ。事態は悪化する一方。

南北を貫く道路や鉄道路線は限られ、新たに作る余地は少ない。何せ先端部は細くて、土地ないし。
インフラは増えず、利用者だけが増えていくというオソロシい状態がずーーっと続き、続きすぎた結果、
ムンバイにおける朝夕のラッシュは道路も鉄道もタイヘンなことになっちまった。
もはやアンビリーバボーなレベルと言っていいのだが、まぁ順を追ってご紹介していこう。
f0189467_23544922.jpg

まず道路交通機関から。ムンバイの道路、朝夕の渋滞はすごかった。
タクシーはこんな感じで黒と黄色のツートンカラー、車体はおおむねボロい。冷房もないはずで、
年がら年中渋滞のムンバイじゃ、あまり快適な交通機関とはいえないんじゃないかなぁ?
f0189467_23575172.jpg

ムンバイにはオートリクシャーもワンサといる。デリーと違って車体カラーはやはり黒と黄色だ。
こちらは四輪タクシーより多少小回りは利くだろうけど、渋滞になりゃどうしようもない点じゃ同じ。
f0189467_2358890.jpg

結局、自分でバイクを運転するというのが、渋滞もスリ抜けられて一番早いかもしれないのである。
バイクの数は多かったよ。ノーヘルの人もかなり多かったが(笑)。でも自転車はまったく見なかったな。
f0189467_23582312.jpg

公共交通機関としてはまずバスがある。
ボディはハデな赤とか薄紫ってのが多かったな。旧英国植民地の伝統を引き継いでか、2階建てバスが
走ってるのを見たときはちょっとびっくりした。ただし車体はやはり手ひどくボロい。べこべこやん。
f0189467_23583983.jpg

え?これまでのところはちっとも信じ難くない?ごく普通の交通機関だろうって?まぁ待ちたまえ。
これから書くムンバイ近郊鉄道のアリサマを知れば、あなたもアンビリーバボーだと思うだろう。

デリーと違って地下鉄のないムンバイ。鉄道通勤しようと思えば昔からある近郊鉄道に乗るしかない。
ところがその混みっぷりがもう表現する言葉もなくいくらい・・・まずこの動画でも見て驚いてほしい。

         

ムンバイの電車通勤はまさに修羅場。命がけ。あまりの混みように、2008年は死者数が17人。
この17人っていうのが一日あたりの平均死者数だっつうんだから、驚きすぎて腰が抜ける。
年間だと6000人以上の死者。開いた口がふさがらん。ナンなのだこの数字は?!ここはムンバイだろ?
アウシュビッツじゃないはずだぞ?!(データ出所はAFP通信だから、いいかげんなものではないはずだ)。

もっとも、死者で圧倒的に多いのは線路を歩いてた人たちで、「乗ってて死んだ」ってケースに限れば
もっと少ないはず。しかし乗ってる時でも、開きっぱなしのドア(!)から転落とか、車両の外側に
しがみついてて滑落とか、屋根に乗ってて架線に触れて感電とか・・死ぬ理由は色々あるらしいんだよ。
「ムンバイ近郊鉄道」で画像検索すると気が遠くなるような画像がいっぱい出てくる。いくつか拝借しよう。
(拝借写真その1↓)
f0189467_23593729.jpg

かくのごとくアンビリーバボーなムンバイ近郊鉄道。このことを知った時、イ課長は恐れおののくと同時に、
ムショーに乗ってみたくなった(笑)。平日の朝夕に乗るのは自殺行為だろうが、日曜なら空いてるはず。
ムンバイ到着はちょうど日曜だから、ホテルに一番近い駅(それでもちょっと遠いが)から乗ってみようか・・・。
ところがムンバイに到着したその日の午後はドシャ降りの夕立で、結局あきらめたんだけどね。
(拝借写真その2↓)
f0189467_002081.jpg

その後、ムンバイ滞在中は残念ながら近郊鉄道の写真を撮るチャンスすらなかった。
ただ、走ってるところは車から何度か見たよ。メチャ混みってほどの時間帯じゃなかったけど、それでも
走行中ドアは開けっ放し。暑い上に車内冷房がないから、そもそも走行中に車両の扉を閉めるという
習慣自体がないらしい。むしろ、好んでドアから身体を出してる様子すらあったぞ。たぶん風があたって
涼しいからだと思うけど、それにしたって・・・。
(拝借写真その3↓)
f0189467_004077.jpg

でも乗ってみたいなー。
イ課長は海外に行くと「マイルド鉄っちゃん」になるから、駅とか鉄道とかって、基本的に好きなんだよ。
こないだ、タイでも相当ボロいローカル電車に乗ったけど、ああいうのってメチャ面白いんだよなー。
またムンバイに行く機会があれば、このアンビリーバボーな近郊鉄道を一度体験してみたい。

しかし平日の朝は絶対乗れないよ。イ課長だって死ぬのはコワい。彼らはコワくないのか?
このアンビリーバボー列車に乗って毎日電車通勤してるムンバイっ子たちの「死生観」って、
東京の通勤ラッシュしか知らないイ課長のソレとは、たぶん根本的に違うんだろうなぁ・・・。

 

[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-11 00:02 | 2012.10 インド出張 | Comments(4)
2013年 09月 09日

プワショフ強制収容所跡地を行く

プワショフ強制収容所はシンドラーの工場からも近い。
下の方にある「ゲートの家」の西側に収容所があったのだ。今は草だらけの丘だが。
f0189467_2324353.jpg

収容所の当時の位置を示すとこうなる(写真はヨソからの借り物)。
この写真を見るとわかるように当時のものは何ひとつ残ってない。あるのは草と木だけ。
ただ、この丘を越えたところにモニュメント像があるはずだから、それを見ようと思った。
f0189467_23243467.jpg

アーモン・ゲートの家の近くから、緩い斜面をのぼる。
といっても、踏みわけ道くらいしかない。地面は雨で濡れた草だらけだから、すでに
十分濡れていた靴はたちまちビショビショで、水がしみて靴下もビショビショ。あああ・・・。
f0189467_23311634.jpg

シンドラーの工場やアーモン・ゲートの家くらいまでなら、それでもまだユダヤ人団体見学者もいた。
しかしこんな、ナニもない草原を、足を濡らしながら歩くヤツは一人もいない。さすがに「いくら何でも、
オレってモノズキすぎるのではないだろうか?」という自責の念が少し湧いてきた(笑)。

うわー、道に植物のトンネルができちゃってるよ。
こんなトコくぐったら、全身ビショビショになっちゃうじゃん。しかし今さら引き返すこともできん。
f0189467_23321962.jpg

うわー、何だろアレ。
プワショフ強制収容所は全部「壊して、丘の下に埋めちゃった」って感じなんだと思うんだけど、
こうやってところどころ、かつての建物の一部が顔を出してるところもあるようだ。
f0189467_23324476.jpg

このあたりから、イ課長の気持ちは急速に暗くなってきた。
何もない草ボウボウの丘といっても、その下にはかつての強制収容所が埋まってるのだ。
そして、そこで殺され、埋められ、そのまま忘れられたユダヤ人の遺体なんかもおそらくたくさん・・・
あああダメだ。ビルケナウで「死体を埋めた穴の跡」を見たときと同じような気分になってきた。

アッチはそれでもまだ「ここにそういうものがあった」と説明され、たくさんの人がそこを見学してる。
たとえて言うなら「参拝者の絶えないお墓」と言えるだろうけど、じゃ、ここプワショフは?

ここにはほかの見学者もいなけりゃ、ガイドさんもいない。誰もいない。
かつて強制収容所のあった場所だよ?この土の下には想像を絶する死と怨念が堆積している。
そんなダークな場所の重苦しさをイ課長ひとりで受け止めるの?


それ無理です。ムリ。ゆるして。


強制収容所跡地を徒歩で単独横断しようなんてプランを立てたことをちょっと後悔した。
アウシュビッツほどはっきりしてなくても、ここプワショフにも「死の匂い」はある。
そういうところをたった一人で歩くってね、そりゃイヤな気分だよ。もしこのまま道に迷って、
ずっとここにいたら気が狂うかも、なんてちょっと思った。とにかく早く丘を越えちまおう。
(2つめの写真でいうと、イ課長が歩いたのは3 Mass Graves:集団墓地のあたり。ひーー)

おおっデンデン虫だ。
「死の匂いの中に自分しかいない」という状況に、かなり挫けそうになってたから、
デンデン虫でも何でもいい、とにかく生き物に会えて少しホッとした(笑)。
f0189467_23333762.jpg

道がだいぶ平坦になってきた。もう丘の頂上あたりじゃないだろうか?
だとすると、モニュメントが見えていいはずだが・・。
f0189467_23342212.jpg

しばらく歩いたら発見した。丘を越えて行ったから、モニュメントの背中側から近づくことになる。
f0189467_23344698.jpg

これがプワショフ強制収容所の慰霊碑というか、記念碑というか、とにかくモニュメントなのである。
当時のものは何一つ残ってなくて、後に設置されたこのモニュメントだけが、この場所の“悪しき記憶”に
つながるものと言っていいだろう。
f0189467_23351194.jpg

真ん中が引き裂かれたようにビリッと割れたモニュメント。
これを見たことで、イ課長の「雨のクラクフ・ダークな旅」計画は一応完遂したことになる。
f0189467_23353745.jpg

プワショフ強制収容所のモニュメントは、反対側の道路からだったら苦労なくのぼっていける。
ただ、この反対側の道路には市電が通ってないし、アーモン・ゲートの家も見たいイ課長としては
ヴェリチカ通り側から「収容所跡地の丘を歩いて越える」という方法をとったわけだ。
f0189467_23362376.jpg

歩く距離自体は大したことはない。晴れた日だったら散歩コースとしてちょうどいいかもしれない。
しかし親切な人が多いポーランドとはいえ、女性の一人歩きは防犯上さすがにお勧めできない。
それに、いくら「何も残ってない丘」っつうたって、かつては強制収容所のあった場所。そこを歩いてれば
いろんなことを考え、いろんなことを感じる。丘の向こう側に着くころには精神的に疲労する。

しかもこの時のイ課長は前日にアウシュビッツ・ビルケナウでたっぷりとダークネスを注入されたばかり。
昨日の暗さがたっぷり残ってるところに、新たな暗さと重さがズシリ。さすがにもうダメ。

プワショフ強制収容所モニュメントから斜面をおりて反対側の大通りに出た。
暗くなった心と空腹を抱え、寒さに震え、雨に濡れながら市電の駅までビッコをひいて歩かねばならぬ。
前に書いたけど、この旅行中に右足の裏の皮がズルムケて痛かったんだよ)。

この時ばかりはね、「ダークな旅も・・・ちょっとツラいな・・」と思ったよ、さすがに(笑)。

 

[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-09 00:04 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(4)
2013年 09月 07日

映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家

雨のクラクフ、ダークな旅は続く。

シンドラーの工場を出たイ課長は、再び市電に乗り、ヴェリチカ通りを南東に向かった。
この先にプワショフ強制収容所跡地があり、残虐非道なサディスト所長として恐れられた
アーモン・ゲートの旧宅もその近くに残っているはずなのだ。

「シンドラーのリスト」をご覧になった方なら、レイフ・ファインズが演じたオニの収容所長
アーモン・ゲートの存在は忘れない。彼もシンドラーと同様に実在の人物なんだけど、
その評判はこれ以上悪くなりようがないくらい、悪い。

あの映画の中で最もいやなシーンの一つが、アーモン・ゲートが自宅のベランダから
タバコを吸いながら、ライフルで収容所にいる収容者を気まぐれに狙撃する場面だ。
映画をご覧になっていない人のために、動画を貼っておく。
 


これ、実際にあった話のようで、さらにタチの悪いことに、アーモン・ゲートは自分が狙撃した
犠牲者の死体に向かって飼い犬をけしかけ、食わせてたっていうんだから、こうなるともはや
冷酷とか残虐ってレベルじゃない。立派な異常者。

しかし感心させられるのは、この稀代の悪役を演じるにあたってのレイフ・ファインズの役作りだ。
この写真を見てみ?アーモン・ゲートを演じるために、彼がタイコ腹の肥満体型にわざわざ太ったのは
間違いないし、本人のこういう古い写真資料を研究した上であの場面を演じたのも明らかだ。
(下に載せた写真はネットからの拾い物)
f0189467_23532778.jpg

映画にもあったように、アーモン・ゲートの家はプワショフ強制収容所のワキに存在した。
その家がまだ現存しているとなれば、これはぜひ見ておきたい。
場所がどこなのか、地図で特定するまでは一苦労だったんだけど、こういうことには仕事以上の
情熱を傾けることで有名なイ課長だから(笑)、ちゃんと発見したのである。もちろん、地図には
アーモン・ゲート旧宅なんて出てるわけないから、鉛筆で「この辺のはず」という印をつけておいた。

最寄と思われる停車場で市電を降り、あの辺と思われる地点に向かって緩い坂道を登る。
この先のはずだ。地図によると、この坂を登りきったところの道のやや左手のあたりに・・・
f0189467_0111027.jpg

うおッ?!こりゃたまげた。
ここにもまた別のユダヤ人団体が見学に来てるよ。アーモン・ゲートの家なんていうダークスポットを、
団体で、ガイドつきで見に来ているとは驚いた。シンドラーの工場でもユダヤ人団体と遭遇したし、
クラクフでイ課長が行きたいと思った場所は、ユダヤ人が見たいと思う場所と重なるってことだ。
f0189467_23535192.jpg

そして、これが問題のアーモン・ゲートの家なのである。
f0189467_23544020.jpg

ぼろい。古い。完全な廃屋。
看板の文字が読めないけど、売りに出されているっぽいね。しかし、売れるのかなぁ?
周囲は普通の人たちが住む普通の閑静な住宅街だ。そこに一軒だけ幽霊屋敷みたいなこの家が残っている。
ご近所の人にとっちゃあまり嬉しくない近隣物件かもしれないけど、しかしこれはこれで残しておくべきという
気もする。こうして見学者もいるくらいだし。いっそ市とか国とかが買い取って保存したらどうなんだろ?
f0189467_23562436.jpg

これは東側の道路に面したガワで、この反対側、西側が収容所に面してて、例のバルコニーも
そっち側にあるんだけど、それを見るのは極めて困難だ。隣の家の庭に入り込まないといけない。
こんな感じで、隣家の庭の奥にアーモン・ゲート旧宅がのぞいている。
f0189467_2355742.jpg

しょうがないから、出来る限り中に入って、望遠で撮ってみた。
うーむ・・・このバルコニーからアーモン・ゲートは退屈まぎれに収容者たちを狙撃したわけだ・・うーむ。
f0189467_23553971.jpg

映画だとアーモン・ゲートの家は高いところにあり、収容所を上から一望するような位置関係になっていた。
実際、バルコニーから収容者を狙撃しようとすればそうなっているのが普通だ。

しかし、プワショフ強制収容所はアウシュビッツやビルケナウと違って、まったく保存されていない。
ソコにあったものはたぶん壊して埋めちゃったはずで、さらに土を盛ったりしたせいか地形も変わっている。
だから、現在は旧アーモン・ゲート邸のバルコニーから正面を眺めると、小高い丘があるばかりで、
眼下に広がる収容所を一望するなんていう構造ではなくなっているのである。

さて、では当初の計画通り、その跡地を歩くとするか。
雨のクラクフ・ダークな旅の計画の最後は「旧プワショフ強制収容所跡地の徒歩横断」だったのである。
そこに収容所が確かにあった。しかしいま残った遺構はない。ロクに道もない。ただの草ボウボウの丘陵地帯。
雨の中、一人でそんなところを歩いて横断しようっていうんだからモノズキすぎるぞ、イ課長。

そんなプワショフ強制収容所跡地。次回ご案内いたしましょう。何もないけどね(笑)。
 

  
[PR]

by tohoiwanya | 2013-09-07 00:01 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)