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2017年 07月 31日

テムズ川をくだってみよう

英国銀婚旅行ネタはまだ少し残ってるけど、今日の記事でいったんお休みかな。
何せ今週金曜の夜には出発だ。あまり落ち着いてジックリ書いていられないし。
旅行前最後のロンドンネタということで、サービスで写真をいっぱいつけちゃおう。

さてだ。
往路はDLRに乗って行ったグリニッジ。復路も同じ方法で戻ることはもちろんできる。
しかしイ課長は復路は断然船でロンドン中心部まで戻りたかった。テムズ川からロンドンの街を
眺めるなんていいじゃん。乗り物好きのイ課長はさっそく「船で戻る案」を強力に推進。
乗り物はどうでもいいトホ妻は黙ってついてきた(笑)。

グリニッジの船乗り場は川っぺりの、例のトンネルの出入口近くにある。
切符売り場はこんな感じ。さっそく二枚購入しましょう。
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ここで重要な情報を一つ。イ課長たちは一週間市内交通乗り放題のトラベルカードを持ってったけど、
このリバークルーズでトラベルカードを提示すると割引のメリットがある。8£のところが5.35£。
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2/3の料金になるってことだ。日本円にして一人400円以上おトク。無視できないメリットである。
もっとも物価の高いロンドンじゃ400円なんて瞬時に雲散霧消してしまうが(笑)。
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トホ妻は室内デッキの方に座ったけど、写真を撮りたいイ課長は屋外の、船最後尾のところに陣取った。
さぁ出発でござんす。グリニッジの町がだんだん小さくなっていくでござんす。
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この日はとにかく天気が良かったからテムズ川くだりも大変気分がいい。
しばらく川を進むと橋の下をくぐる。ん?待てよ、この特徴ある橋の形は・・・
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じゃーん。タワーブリッジでございました。ロンドンを象徴する風景の一つだ。
今タワーブリッジの下をくぐったってことはだよ?目を左に転じれば・・・
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じゃーん。ロンドン塔でございますね。ロンドン出張の時にこの辺まで来たけど中には入らなかった。
しかしこうやってロンドンおなじみの光景をテムズ川から眺めるのは気分がええのう。
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このあたりからはもうロンドン名所が次から次とやってくる。
この辺はもう金融街シティだ。ウォーキートーキー・ビルやらガーキンやら、
ヘンな形のビルがひしめく。
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かと思えばこんどは巡洋艦ベルファスト。ここに軍用艦が係留されてることは知ってた。
調べてみたらこの船、現在は戦争博物館の分館っていう扱いになってるんだってね。へぇーー。
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ロンドン中心部に入ると橋の下をくぐることが増えてくる。さすが大都会。
これはナニ橋だっけ?2010年出張の時、地下鉄が停まってたんで寒さに震えながら
この橋のワキを歩いたのを覚えてるよ。今日はポカポカ陽気であの時とは大違いだ。
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じゃーん。セントポール大聖堂です。ロンドンの真ん中を流れるテムズ川なわけだから、
そこを船で下れば両側にロンドン名所が散らばってるのは当然だが、それにしても次々と
いろいろ見えてくるから乗っててぜんぜん飽きない。
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あーあの超タテ長三角形のビルも有名だし、その手前の地球儀みたいなビルも
見たことある。しかし名前を調べるのが面倒だ(笑)。もうそろそろ終点も近い。
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お、細い橋がある。歩行者専用ミレニアム橋だ。ってことはそのワキにある巨大煙突の建物が
元火力発電所、現在のテート・モダンか。この辺も昔歩いたなぁ。
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最後にウォータールー橋の下をくぐり、ナントカってところが終点(調べろって)。
この船着き場は地下鉄のチャリング・クロス駅なんかと近いから、船を降りたあとも便利。
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いやー天気もよくて、大変楽しかったざますよテムズ川リバークルーズ。
もしアナタがグリニッジに行くことがあったら、行きか帰りか、どっちかはテムズ川を船で行くことを
お勧めしたい。

ちなみに、イ課長がデッキ最後尾で「おおっ」「あれは」なんて思いながら張り切って写真撮ってる間、
トホ妻はずーっと室内デッキ席に座ってたようだ。たぶん居眠りしていたのではないかと思われる。
せっかくこんな楽しい乗り物に乗って、寝てるんだからなぁ・・・。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-31 00:10 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 28日

グリニッジ天文台【計時技術編】

グリニッジ連載シリーズ、今日で終わらせますからね(笑)。

子午線と標準時は切り離せないテーマだから、グリニッジには時計の展示もワンサとある。
たとえば入口にはこんな由緒ありげな24時間時計が。イ課長がこの写真を撮ったのは
グリニッジ標準時10時29分頃だったわけだ。
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前回記事で書いたハリソン氏が作ったクロノメーターがここに展示されてるってことは知ってた。
しかしどこにあるのかわかんないし、形も知らないし、いちいち英語の説明読んで探すのは
オックウなので(笑)いいかげんに見て回ってた。

実際にはハリソンは最初の時計(1735年作成のH1。Hはハリソンの頭文字だな)から始まって
改良版のH2、さらに改良版のH3と作っていったんだけど、たまたま偶然というべきか、
イ課長が「うわーすげぇメカだなこれ」と思って撮った下の写真がその一つだった。
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写真で確認するとこれはH2だと思われる。1739年に作られた。
写真じゃ見づらいけど、プレートにGeorge The Ⅱって文字があって、その奥、さらに見づらいが
Harrisonという文字が見える。ってことは、この時計を作った頃は後にハリソンを助けてくれた
好人物王ジョージ3世のさらにお父ちゃんが王様だったんだな。

このH2もすでに十分高い精度だったけど、揺れる船に置くにはまだちょっとデカくてかさばる。
しかしハリソンはH3、H4と改良版を作りつづけ、最後のH5にはどのくらいになったかっていうと
ここまで小さく使いやすくなった。これなら文句ナッシングでしょう(写真はWikipediaから)。
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おお、ハリソンさんの肖像画もあるよ。
生前は英国議会のイジワルで時計に難癖つけられたり賞金なかなかもらえなかったりしたけど
後世クリニッジ天文台で、こうして巨大な肖像画つきで栄誉を称えられるのは喜ばしい。
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下も何気なく撮った写真なんだけど、後ろの説明に lunar-distance method ってあるから、
クロノメーターの対抗技術だった月距法のことに違いない。詳しくは知らないけど、月距法って
測定した後にこの写真にあるような分厚いデータ集と照合しながら計算を必要としたようで、
使い勝手は時計より圧倒的に悪かったらしい。ま、これらも帰国後に知った知識だが(笑)。
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いやーグリニッジ天文台の展示はけっこう面白かったよ。
子午線と標準時という、世界でここだけのウリがあるから、展示内容もそれに集中特化してて、
なかなか見応えがあった。

ちなみに、グリニッジ天文台の外観はこんな感じ。塔の上の赤いタマが目につく。
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これも帰国後に知ったんだけど、この赤い玉、午前11時55分になるとスルスルと引き上げられ、
正午と共にストンと下に落ちるんだと。要するに一種の時報で、正式には「報時球」っていうらしい。
へぇ~・・そうだったんスか。現場にいる時はそんなこと全然存じませんでした。

世界から観光客が集まるグリニッジ天文台だけに、ミュージアム・ショップも充実してる。
本初子午線グラスに本初子午線ビールを注いで、一杯いかが?
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時計もいっぱい売ってる。グリニッジに来た記念にクラシックな懐中時計とか、
ちょっと欲しくなるよねぇ。
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科学史ファン・イ課長としてもグリニッジ訪問記念に何か買って帰りたい。 
で、買ったのがコレ。方位磁石だな。ただ、普通の磁石より立派。フタの部分に細い線があって、
この部分に目をくっつけて測るだかナンだか、とにかくそんな使い方をするらしい。
買ったはイイけど使い方をよくわかってないのである(笑)。
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いやーーグリニッジ良かったス。天文台テラスからの眺望もたいへんよろしい。
大して期待してなかったけど、ロンドンからちょっと足を伸ばした観光スポットとしてはお勧め。
一連のグリニッジ関連記事を書くためにあれこれ調べて、ずいぶん勉強にもなったぜ。
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というわけで集中科学史講座「グリニッジ天文台」、これにてお開きとさせていただきます。
皆さまの科学知識に貢献するイ課長ブログがお送りいたしました(笑)。

  

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by tohoiwanya | 2017-07-28 00:04 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 26日

ジョン・ハリソンという人

計時技術編の前にやはりこの人のことを書いておかねばならぬと気付いた。

英国ってわりと階級意識が強い国のはずで、偉大な学者や政治家になった人には立派な家柄の
出身者が多い。そういう家柄じゃないと高等教育を受けられなかったからね。出自がモノをいう。
昔はその傾向がさらに強かったはずだ。

しかしそんな英国でも時として低い身分出身の、輝ける才能の持ち主が歴史に名を残す。
ニュートンなんかはわりとそうで、ケンブリッジ大学に入った時は教授の小間使いをして
その代わり授業料や食費は免除されるという身分。つまり自費じゃ授業料を払えなかったわけだ。
以前に書いたファラデーも平民出身で、後年大物理学者として尊敬を集めるようになっても
高等数学はできなかったらしい。

本日の標題であるジョン・ハリソンという人も平民出身でありながらその才能と技術で
科学史に名を残した英国人の代表的存在といえるだろう。

ハリソンの唯一最大の業績、それはクロノメーター、つまり船の航海で使用できる極めて高精度な
機械式時計を発明したことによる。これこそ経度測定法のキーテクノロジーで、この発明がなければ
英国が後に世界一の海運国になれたとは思えない。

大航海時代以来、広大な海で自分の船の位置を知る必要性は極めて高かった。
原理的には太陽が24時間で一周360度回るわけだから、基準地(たとえばグリニッジ)から
南中時刻が1時間ズレてれば経度にして15度、2時間なら30度違ってることがわかる。
要するに正確な時刻さえわかれば自分のいる経度もわかるわけだ。
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1714年、英国政府は海上での正確な経度測定技術を発明した者に2万ポンドの賞金を与えると
宣言した。経度を正確に知ることはそのくらい切実なニーズがあったわけだ。
高等教育を受けた学者様たちは天文学的なアプローチ(月距法)で経度を知るという方法を
研究したけど、これには膨大な観測データ整備や計算を必要とするというネックがあった。

もう一つは精密機械工学的アプローチで、要するにどエラく正確で船上でも狂わない機械式時計を
作るという方法だ。それさえありゃ「あ、グリニッジと2時間ズレてるから30度違うんだ」ってことが
すぐわかる。しかし振り子時計しかないご時世にそんなの夢のような話。だが一介の時計職人だった
ジョン・ハリソンは自らの才能を生かし、この賞金獲得にチャレンジした。その時ハリソン21才。
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彼は長い年月をかけて正確な時計を造り、それをさらに改良し、さらに改良を繰り返した。
しまいにはほとんど懐中時計程度の大きさで、5ヶ月船の上で測定しても誤差15秒という
驚異的に正確な機械式時計を作るに至った。

だが上流階級ぞろいの英国議会の紳士がたは平民出身のハリソンに賞金を出すことを快く思わず、
難癖をつけてはチビチビ払い、何度も改良と試作を要求し続ける。で、疲れ果てたハリソンは
とうとう国王に訴えたんだな。

ハリソンに同情した国王は自ら臨席する時計の精度実験を命じた。もちろんそこでも彼の時計は
申し分ない実験結果を示したから(一日に1/14秒の誤差だったとか)国王は激怒したらしいねー。
約束通り賞金払えテメエら!と議会にカミナリを落とした。

その国王ってのが例のトラファルガー広場に騎馬像があった放蕩バカ王ジョージ4世・・・の
お父ちゃんだったジョージ3世(笑)。病気で頭がおかしくなる前のジョージ3世は好人物の
王様だったらしいけど、このエピソードにもその人柄があわられている。

で、ようやく賞金の残り全額がハリソンに与えられた。その時ハリソン80才。
クロノメーター発明者としての名誉を生きてるうちに得られたのは幸いだったといえる。
21世紀の今日でもハリソンは経度測定法確立の最大の功労者とされている(と思う)。
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以前、シャクルトンの記事でエレファント島からサウス・ジョージア島までの奇跡の航海の話を
書いたけど、あの時彼らが目的の島まで辿り着けたのも結局は海の上で自分たちのいる位置を
どうにか把握できたからで、彼らもクロノメーターと六分儀だけは持ってたのだ。

グリニッジ天文台にはそんなハリソンに関する展示もある。
科学史の本でハリソンの名前や業績を知ってたイ課長としては、やはり興味あるところだ。
しかしハリソンの業績説明で長くなっちまったので展示の詳細は次回。すみませぬ。
シャクルトンとかハリソンとか、英国人には業績紹介だけで長引く人が散見されて困る(笑)。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-26 00:03 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 24日

グリニッジ天文台【子午線編】

ちょいと箸休めを挟んで、グリニッジ天文台に戻りましょう。
「子午線編」っつうからには、別の編もあるみたいですねー、続くんですねー、こわいですねー。

さてだ。現在は博物館として公開されているグリニッジ天文台。
展示内容も普通の天文台とは違って、子午線とか標準時とかに関するものが多い。
「ここならではの展示」ってことだよな。本日はその中でも子午線の話をしたい。
 
まずはいきなりで恐縮だがイ課長のアホ面写真から。
下の写真でイ課長がまたいでいるのがグリニッジ子午線で、このときイ課長は地球の
東半球と西半球の両方に足を置いたことになる。グリニッジ天文台に来た観光客が必ず撮る
記念写真の定番ポーズ。
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とーころがですよ。
この記事を書くためにちょっと調べてみたけど、子午線の世界も深いんだねー。
上の写真でイ課長がまたいでいるのは正確には「エアリー子午線」と呼ばれるものなんだけど
しかし子午線はこれだけじゃないのだ。

初代グリニッジ天文台長だったハレー(ハレー彗星のヒト)とか、第3代天文台長だった
ブラッドレー(この人も科学史では有名)とか、いろんな人が子午線決定には力を尽くしてて、
エアリー子午線とは43m離れた別の子午線とか、6m(!)離れた別の子午線とか、いろいろあるのだ。
下は6mしか離れてない子午線の位置表示で、エアリー子午線のすぐそばにある。
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それだけならまだいい。20世紀になってさらに科学的な子午線基準が定められた。
IERS基準子午線っていうらしいんだけど、それはグリニッジ子午線から西に102.478m離れてるんだと。
科学的厳密さに即して言えば上の写真でイ課長がまたいでいる線には何の意味もないわけだ。

でも一般人が学校で習う子午線といえばやっぱグリニッジのココだよな。いや勉強になった。
訪問前にこういうことを予習しておけばもっと有意義な訪問になっただろうに(笑)。

緯度には南極・北極っていう基準があるけど、経度には地球上で基準とすべきところがない。
しかしどっか基準を作らなきゃっていうんで、グリニッジにしようってことになったのは1884年の
ことなんだと。その時点ですでにグリニッジを基準にしたイギリス式の海図が世界中でかなり
普及してたから、ここが良かろうということだったようだ(フランスだけは抵抗したらしいが)。

建物の中はエアリーさんが子午線を観測した時の機器が保存されている。
下の写真の下の方、木の床に細い銅板みたいなのでラインがあるじゃん?これが子午線。
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そのまま目を転じると子午線のラインはこんな風に窓の真ん中を通って外に続いている。
エアリーさんは上の写真の巨大な黒い歯車みたいな装置(たぶん子午環っていうんだと思う)で
窓の中心を基準に観測したようで、その窓の中心がそのままグリニッジ子午線になったわけだ。
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お、エアリーの前に子午線を観測したブラッドレーさんがいる。こういう顔してたのか。
たぶん多くの業績を残した人なんだろうけど、科学史においてブラッドレーといえば
光速度測定の歴史でガリレオ、レーマーに次いで必ず取り上げられる人だ。彼が発見した
光行差を用いた光の速度計算は約30万km/秒で、ほぼ合ってた。
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実はイ課長、文学部出身のくせに科学史の本を読むのがけっこう好きなもんで、
グリニッジ天文台の展示で名前を聞いたことある人を見つけると、やっぱちょっと嬉しくなる。
イ課長ですら知ってる人がいるくらいだから、天文史マニアなんかにとっちゃここはもう
たまんないと思うよ。

グリニッジ天文台は17世紀に設立されたらしいけど、その頃の観測機器なんかも残ってる。
現在に比べりゃオモチャみたいな性能なんだろうけど、それでも18世紀に光速度がほぼ正確に
計算できちゃったんだからすごい。
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子午線について調べたらいろいろ勉強になったので、ついその成果をいろいろと書き連ねて
しまいました。次回更新はグリニッジ天文台ならではのテーマその2として、計時技術と
経度測定法についてご紹介しますです。いつから科学ブログになったんだ?ここは(笑)

 

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by tohoiwanya | 2017-07-24 00:20 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 22日

東京ステーションホテル・最上階レストラン

本日あった夏の宴会の話を書きまっす。
グリニッジ天文台の続きは次回書きます。相変わらずの不実な書き手ですんまそん。

イ課長が勤務する会社は人数も少ないから宴会は全社規模でやる。しかも夏と冬に。
冬は忘年会みたいなもん。夏は・・何なんだろうねぇ?(笑)・・全社納涼会とでもいうか。
ちなみに、積立会費制ですよ。自分たちが払った会費で飲み食いするわけだから参加者は
遠慮する必要はない。飲んでやる食ってやる。

今年の夏の全社宴会が今夜あったのだ。
これ、幹事にとってはけっこう夏と冬の面倒な負担でねぇ・・。

そこらの居酒屋の座敷を借り切ってやる程度だと「工夫がない」「つまらん」と言われる。
イ課長が幹事やった時は夏は千葉のビール工場併設ビアガーデンでバーベキュー食い放題、
冬は東京湾クルーズ船貸切で船上パーティなんてやりましたよ。
(あの頃はまだオフィスが浦安だった)。
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本日は「本来宿泊客しか入れない東京ステーションホテルの豪華レストランでの豪華ディナー」
という趣向だった。ほぉ~・今年の幹事さんもいろいろ大変やのう。

このレストラン、東京駅赤レンガ駅舎の中央部の最上部、ちょうどココんところにある。
なかなか豪華な空間らしい。カメラ持参OKだったので、愛用のカシオを持参して参加。
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ほおお~~~~・・・・確かになかなか豪華。
こういう機会でもなければ、自分だけで来ることは生涯ないだろう。本来ステーションホテルの
宿泊客しか入れない場所っつうんだから尚更だ(朝食ブッフェの場所になるらしい)。
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「駅の建物にある豪華レストラン」というと、イ課長はすぐにパリ・リヨン駅のル・トラン・ブルーを
思い出す。あそこでディナーをごちそうになったのも、間違いなく今後二度とない経験。
ここはトラン・ブルーほどバロック的豪華デコラティブ空間じゃなくて、シックで落ち着いてる。
天井が寄棟になってるから、あの屋根の内側にいるんだってことがわかる。
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もちろん貸切ではない。店内には他のお客さんもいる。
だから騒々しいビンゴだの、クイズだのっていう余興はなし。ま、バタバタせず落ち着いて
会食できるのは好ましいことだ。料理はもちろんとても美味しかった。

メニューの紙をもらったから正確に料理名を記載できる。
これは「信州サーモンの自家製スモーク ライム風味」。海のない信州でサーモン?
聞いた話では信州サーモンって鱒のことなんだとか。
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これは「フッコのグリエ ピストゥーソース」。ところでフッコってどんな魚(笑)?
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メインは「黒毛和牛“二種の味わい”ローストとブレゼ」。美味しゅうございました。
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会食が済んだら後は帰るだけ。だがイ課長はいったん駅の外に出て夜の丸の内の景色を眺めた。
この辺、丸ビルその他昔ながらのビルは全部姿を消して高層ビルになっちゃったけど、その分
夜景は一段と美しくなったなぁと以前、やはり夜来た時に思った。
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東京ステーションホテル最上階レストランで過ごした、真夏の週末の夜のお話でございました。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-22 00:05 | 日本での私生活 | Comments(2)
2017年 07月 20日

グリニッジに行ってみよう その2

エレベーターを待ってると自転車ニイチャンだの、乳母車ママだの、だんだん人が増えてきた。
下から上がってきたエレベーターにもけっこう人が乗ってるから、人の通行はけっこう多いトンネルみたいだ。
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ぐぃーん・・と下に降りる。
別にダイヤモンド鉱山に降りるワケじゃないから、階段でも十分なくらいの深さだけど、それでもちょいと
ワクワクするってもんだ。
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どぉーん。これがトンネル。ただし名称は知らない。
地図で見るとグリニッジあたりのテムズ川って川幅はせいぜい400mくらいに見えるから、トンネルの長さも
500mはないんじゃないかなぁ?でも川の下のせいか、すげー空気がひんやりしてて涼しい。
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もし今この瞬間、地震が起きてこのトンネルの天井にピキッとヒビが入ったら、その瞬間にテムズ川の水が
どしゃーーーっとトンネルに流れ込んできてオレたちはたちまち溺れ・・ずに、どっちかの出口に流されて
意外に助かるのかな?なんて考えたりもしたけど、もちろんそういうことはなかった。

ほどなく対岸、つまりサウスバンク側に到着。ここにもエレベーターがあったけど、今度は階段で
地上に出ることにした。ビルでいえば3階分くらい段数じゃなかったかと思う。やっぱそれなりに深い。
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・・え?トンネルの写真は1枚だけかって?
いや実はもっとあるんだけど、イ課長やトホ妻のツラが写ってるやつが多いもんだから
掲載可能なのは1枚だけなんス、すんません。
 
明るい外に出てみるとすぐ目の前に帆船カティ・サーク号が見える。おおおお。
そういえばカティ・サークっていうウィスキー(だっけ?)もあったよねぇ。たぶんこの船の
名前からとったんだろうな。昔は紅茶を運ぶ船だったらしい。
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なかなか気分のいいグリニッジ到着じゃん。「カティ・サーク」っていうDRLの駅もあるから
そこまで乗るのが早いんだろうけど、イ課長としては一つ手前で降り、トンネルで川をわたり、
地上に出たところで帆船を目にして驚くというルートもお勧めしたい。

このグリニッジは天文台をはじめとした一帯が海事都市として世界遺産になってる。
確かに歴史ある町並みという感じだ。天文台があるくらいだから昔は田舎だったんだろうけど
今はDLRも通ってるし、赤い二階建てのバスがあるから、ロンドン交通局の管轄内なんだろう。
ロンドン郊外っていうより、完全にロンドンの一部だね。
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川べりに近いところにあるカティサーク号から南、つまり川から遠ざかる方向に歩いて行くとすぐに
広大な公園になる。ケンジントン公園みたいにところどころに建物があったり池があったりする
わけじゃなく、芝生が生えたなだらかな斜面と木がいっぱいあるだけ。もしかするとここは
特にナントカ公園っていうような名称もないのかもしれない。
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しかしここはすごくキレイなところだったよ。
造園されたって感じがなくて、昔からずっとこんな感じの斜面だったんだろうって気がする。
学校の生徒たちが揃って(おそらく天文台の)見学に来てたり、かと思うとイヌが走り回ってたり、
天気がよかったこともあって、ゆるやかな斜面を歩くのが全然苦にならない。
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丘を登って後ろを見ると、おおーー何と良い景色。
遠くに見える二つのドームのある建物は旧王立海軍大学ってとこだそうで、この建物の設計者である
クリストファー・レンはセントポール寺院の設計者として知られている。うーむ・・来る前はさほど
期待してたわけじゃないけど、グリニッジ、いいトコじゃん。
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まぁここまで来たらコトのついでに有名なグリニッジ天文台を見学していくか。
別に天文台見学が目的で来たわけでもないんだけど、せっかく地球の経度0地点に来たんだから
子午線が通る場所、世界標準時の基準地点グリニッジ天文台を見ずに帰るわけにもいかんだろ。

というわけで、次回はいよいよグリニッジ天文台だ。
ここはけっこう面白かったし、写真もいっぱいあるからジックリご紹介するぞ。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-20 00:11 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 07月 18日

グリニッジに行ってみよう

土曜の夕方にロンドンに到着し、
 日曜はコッツウォルズの日
  月曜は大廃墟観光の日(まだ書いてない)
   火曜はカンタベリーの日+ロイヤル・オペラ
    水曜は大聖堂の日
     木曜はストーン・ヘンジの日+ロイヤル・フェスティバルホール

・・・と、主なスケジュールではこんな具合だった英国銀婚旅行。
土曜の昼には帰国便に乗るわけだから、金曜は実質的にロンドン滞在最終日ってことになる。
その金曜日が一体「何の日」だったのかというと、「夜の観劇以外は何も決まってない日」だったのである。

さすがにねぇ、全部の日のスケジュールをびっしり事前に決めちゃうと息苦しい気がするじゃん?
長距離移動が必要ならともかく、ロンドン市内観光なら何も予約しなくても大丈夫だろうというわけで、
金曜日は一種の予備日として空白スケジュールになってた。

とはいえ、イ課長には腹案があった。
金曜はグリニッジに行こうかな、と思ってたのだ。
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グリニッジといえばグリニッジ天文台であり、子午線であり、東経と西経の境い目なわけだけど、
それだけじゃなく、なかなか風光明媚な公園やら、古い建物やら、巨大帆船やら、それなりに
いろいろ見るべきものはありそうだった。それにグリニッジ往復で乗る交通機関や徒歩経路も
ちょっと面白そうだったんだよね。

で、イ課長は金曜は「グリニッジの日」ということにした。
トホ妻は「ビクトリア・アルバート博物館の日」にすることも考えてたみたいなんだけど、前に書いたように
視力が衰えて盲導犬・イ課長と別行動は不安があったのか(笑)、一緒についてきた。

グリニッジまで、往路はドックランズ・ライト・レイルウェイというのに乗ることにした。
愚かなるイ課長は最初「犬が走る」=Dog Runs って変な路線名だなぁと思ったけど、
造船所なんかにあるDockのことなんだな。人間ドックのドックと同じ。

通常はDLRと略される。ライト・レイルウェイってくらいだから普通の鉄道じゃなくて、
東京でいうと「ゆりかもめ」や日暮里舎人ライナーに近い。もちろん初めて乗る。

このDLR、「●●と○○を結ぶ」みたいな単純な路線じゃなくて、やたらあちこち広がってる。
とりあえず路線図の左端っこにあるBANKってとこまで普通の地下鉄で行き、そこでDLRに乗り換え、
グリニッジに行こうってわけだけど、ある理由があって降りるのは川の手前の駅と決めていた。
(グリニッジはテムズ川の向こう岸、サウス・バンクにある)
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で、まずBANK駅だ。DLRは地下鉄よりさらに深いところにあるようで、けっこう下に降りたと思う。
やがてDLRがやってきたけど、見た目はゆりかもめっつうより普通の地下鉄と同じに見える。
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BANKを出た時は地下だったけど、やがて地上の高架路線を走る。
さっきまでいた金融街シティのガーキンだとかウォーキー・トーキー・ビルが見える。
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車内はこんな感じ。確かに普通の地下鉄に比べると少~し車幅がせまいか?
でも東京のゆりかもめとか日暮里舎人ライナーなんかよりは大型車両に思えるけどなぁ。
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で、着きました。グリニッジを川向うに望むIsland Gardens 駅。さっきまで高架だったけど
ここでDLRはテムズ川の下をくぐって渡るためにまた地下鉄になり、地上には駅舎しかない。
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川向こうには例の「子午線上の発電所」が見える(この時はそんなこと気づいてなかったが)。
さて、我々もテムズ川を超えて向こう岸に行くわけだが、その手段は徒歩なのである。
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橋を渡る?ノンノン。なぜかここにはトンネルが川の下を通ってるのである。
テムズ川の下をくぐる歩行者専用トンネルだよ?これは通ってみたいじゃん?(←モノズキ)
地図を見てトンネルを発見した瞬間、手前の駅で降りてトンネルを徒歩横断しようと決めた。

さすがテムズ川の下をくぐるだけあって、けっこう深いトンネルのようだ。エレベーターがある。
階段もあるけど、ひとつこの自転車ニイチャンと一緒にエレベータでトンネルに降りてみるか。
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これからトンネルをじっくりご覧に入れたいところだが、長くなったから
無慈悲に次回に続くのである。別にもったいぶるほどのトンネルじゃないんだが(笑)。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-18 00:05 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 16日

旅に持っていくクスリ

あとほぼ3週間。8月の旅行がだんだん近づいてまいりました。
ホテルや現地移動の手配は無事終了。昨年の英国旅行の時のように予約トラブルで
悩まされるようなことがなかったのは助かる。

イ課長が海外旅行や海外出張する時の荷造りパターンって大体決まってて、
ゴロゴロスーツケースの中には必ず二つの重要な小バッグが入る。この二つの小バッグのうちの一つは
「電器・機械関係」の小物を全て突っ込んでおくもので、最も重要な海外用コンセントアダプタはじめ
携帯充電コード、iPod充電コード、カメラ用予備バッテリーやバッテリー充電器その他モロモロ、
電気屋さんで買うような旅行関連グッズを片っ端から入れる。

もう一つの小バッグは「トイレタリー・メディカル関係」のグッズを全て突っ込んでおくためのもので、
歯磨き歯ブラシ、他のホテルから持ち帰った石鹸やシャンプー等のグッズ、小瓶にわけたシーブリーズ、
リップクリームからバンドエイド、果ては耳カキや爪切りに至るまですべからくこのバッグに突っ込む。
(下の写真はロンドンのホテルのアメニティグッズ。こういうのを次回旅行用に持ち帰るわけ)
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この小バッグには当然クスリも入れる。
しかし海外旅行にどんなクスリをどの程度持っていくかってけっこう悩ましいよね。

イ課長は幸いなことに、日常的にクスリの服用を必要とするような持病って今のところないから、
風邪薬と胃腸薬くらいで済んでるけど、量には悩む。晩秋の欧州出張で風邪ひいた時は風邪薬を
飲み尽くしちまって非常に困った。寒いところ行く時は風邪薬を多めに持っていきましょう。

逆に、暑い東南アジアあたりなら風邪より腹をコワすリスクの方が高そうだから胃腸薬を多めに
持っていきたいところだが、現実には冷房効きすぎで風邪ひくリスクもある。インド出張じゃ冷房と
外気温の温度差で風邪ひいた。帰国後に会社で「インド風邪で・・ゲホゲホッ!」なんて言うと
みんな逃げるように遠ざかっていった(笑)。

「旅に持っていくクスリ」ってリスクヘッジのためのものだから、保険の掛け金と同じで
「どの程度持ってくと安心か?」って決めづらい。結局テキトウに持ってくしかないんだが。

イ課長はビタミンCサプリメントもよく持ってく。これ、もう10年近く前に買ったヤツなのだ。
賞味期限?はトックに切れてるんだろうが、早くカラにしたくて持ってく(笑)。でもビタミンCは一応
風邪の予防にもなるし、冬の欧米出張ン時なんか、けっこうまじめに摂取したよ(ビールでね)。

行き先の特性上、特にコレを持っていくというケースもある。
インド出張の時は「粉末ポカリ」みたいなヤツを持ってって、現地で水に混ぜてセッセと飲んだ。
行き先がインドで、しかも仕事だったからね。アソビだったらあそこまで用心しなかっただろうが。

あと、旅行の前に病気になると、その時医者からもらった薬をとっといて持ってくことが多い。
何年か前にジンマシンになったことがあった。その次の旅行で「旅先でジンマシン再発」という
恐怖が拭いきれなかったので、医者からもらった薬の残ったヤツを持ってった。

今回は先日のハイパーゲーリの時にもらった整腸剤なんかがまだ残ってる。あれ持っていこう。
身体はすっかり回復して食欲もあるけど、あの大衰弱の記憶はナマナマしいものがある。
旅先でああなったらジゴク。念のため持っていきましょう。
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出発まであと3週間。
こないだもらった整腸剤が通勤カバンの中にまだ残ってるのを見て
「あ、これ、旅行に持ってくか」と思い、ついでにこんな記事を書いてしまいました(笑)。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-16 00:14 | 2017.08 ミャンマー・タイ旅行 | Comments(4)
2017年 07月 13日

王立地理学会のシャクルトン

王立地理学会の場所を調べたら、ホテルから歩いても行ける場所だと判明した。
それが実は滞在最終日の朝、ケンジントン公園を横断して行った目的地だったのだ。
場所はロイヤル・アルバートホールのすぐ近く。

これが由緒ある王立地理学会、ロイヤル・ジオグラフィカル・ソサエティの建物なのである。
うーむ・・・確かに古色蒼然たるレンガ造りの建物が歴史を感じさせるぜ。
しかしイ課長の興味は学会そのものではない。シャクルトンの銅像なのである。
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しかし銅像ってシャクルトンだけなのだろうか?英国の有名な探検家は他にもいる。
あるとすればリヴィングストンかスコットか・・と思ってたけど、予想通りリヴィングストン博士発見。
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リヴィングストンについてはイ課長も詳しくは知らない。
アフリカ探検で大変な功績を残した人で、そのままアフリカで行方不明になった。
新聞記者スタンレーが彼を捜しに行き、アフリカの奥地でリヴィングストンを見つけたことは
英国では天下の大ニュースとして報じられたらしい。

リヴィングストン博士の下を通ってカドを曲がると・・・お!ありましたシャクルトン。
いかにも極地探検家らしいナリで銅像になっている。
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この人の人生はホント、波乱万丈だった。
前回書いた南極横断の失敗⇒2年近くにわたる漂流⇒奇跡の航海⇒奇跡の救出劇だけでも
十分波乱万丈だがこの後がまたスゴい。

植村直己さんなんかもたぶんそうだったんだろうけど、探検家ってどうも特殊な人種らしい。
雪山だの南極だので苦しい目にあってる時は「二度とこんなツラい探検するもんか」と思うけど
いざ平穏な日々に戻るとドウしようもなく危険な探検に再び行きたくなってウズくんだな。
シャクルトンもあれだけ大変な目に遭いながら、英国に戻ってしばらくするとウズいた。

で、1921年に再び南極に向かった。この時の目的は「亜南極の探検旅行」という、極めて
バクとしたもの。要するに目的ウンヌンより、とにかく何でもいいから理由をつけて、
もう一度南極に行きたかったんだと想像される。
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1922年1月、シャクルトンはあまりにも思い出深いサウスジョージア島に再び寄港。
例の「4人め」の存在を感じながら凍死寸前になりつつ山脈を横断した、あの島だ。
しかし体調が悪化し、船内で医師の診断を受けた。この時の医師は例の大漂流+奇跡の救出の時の
探検に同行した人で、あれほど生死の境を経験したにもかかわらず、前回探検隊の隊員の多くが
この時にも再び志願して参加したらしい。

医師はシャクルトンに「もうあまりムリすべきではないですよ、ボス」とか何とか忠告したらしい。
「君はいつも私に何かやめさせようとするな、今度は何をやめろっていうんだ?」
「まずは酒ですね、ボス」
この会話の直後、シャクルトンは深刻な心臓発作に襲われ、そのまま死んでしまった。
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6年前に奇跡の航海で辿り着いた絶海のサウスジョージア島で死ぬというウソみたいな本当の話。
結局彼の遺体はそのままサウスジョージア島に埋められた。まさに本望というべきだろう。

彼の死後しばらく、英国では「南極の英雄といえばスコット」という時代が続いたようなんだけど、
1960年代頃から徐々に世間の評価が変わり、今じゃシャクルトンの方がすっかり有名になっちまった。
「真のリーダーのあるべき姿」的なモデルとしてよく取り上げられて、ビジネス研修なんかでも
“教材”になることがあるんだと。
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しかしイ課長はビジネスリーダー論にシャクルトンを持ち出すのは個人的には好きではない。
彼は驚くほどの能力と体力とリーダーシップ、そして何より強運を持ったすげー探検隊長だった。
それでいいじゃん。

たまたま本を読んでいなければ決して来ることはなかったであろうロンドン王立地理学会。
しかしイ課長はシャクルトンの銅像と一緒に記念写真も撮ってたいへん満足なのでありました。
結局のところイ課長も単なるミーハーなのである(笑)。
 

 

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by tohoiwanya | 2017-07-13 00:04 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 07月 11日

アーネスト・シャクルトンという人

シャクルトンはロンドンネタの一つとしていつか扱うべき人だった。
ポートレート・ギャラリーの時も紹介しかけたけど、この人の驚くべき業績(と言っていいのか?)を
説明しようとすると、どうかいつまんで説明しても長くなるので扱いに困ってたんだよ。

イ課長は英国旅行の前にたまたま彼に関する本を何冊も読んだとこだった。
いわばシャクルトンは英国旅行の時、イ課長にとっちゃマイブームだったわけ。
本日はご存知ない方のために彼がどういうヒトか、極力短く説明しよう。
(下はイ課長が買って読んだ本その1)
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アーネスト・シャクルトンは英国の南極探検家で、活躍したのは20世紀初め。
アムンゼンとかスコットなんかと同時代の人で、極地探検が「英雄の時代」と言われた頃の
英雄の一人なのだ。英国人だけど正確にはアイルランドの生まれ。
 
アムンゼンとスコットの南極点到達争いは有名だし、負けた方のスコット隊が帰路に遭難して
全員死亡した悲劇も有名だ。これはご存知の人が多いだろう。

シャクルトンも当初は南極点到達一番乗りを狙った。最初はスコットの第1回探検に同行して
南緯82度まで迫って撤退。次は自分の探検隊を組織して南緯88度まで迫って撤退。
これはどちらも当時の最南端到達記録だったから、英国じゃ著名人になった(買って読んだ本その2)。
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その後南極点到達はアムンゼンに先を越されたから、シャクルトンは次なる目標を南極大陸
横断と決め、再び自分の探検隊を組織。エンデュアランス号という船で南極に向かった。
結果的にこの探検は大失敗するわけだけど、この失敗が彼を有名にした最大の要因と言っていい。
ここから先は少しでも記述を短くするため、年表方式で書くことにする。

1914年 8月 エンデュアランス号でロンドンを出発するのとほぼ同時に第一次大戦勃発。
1914年12月 最後の寄港地サウスジョージア島から南極海に。だんだん流氷に苦しめられる。
1915年1月19日 とうとう巨大流氷にガッチリ固められて船は停止。そのまま船は氷と一緒に漂流。
        漂流したしたまま船の上で南極越冬。
1915年10月27日 氷圧に耐えきれずエンデュアランス号崩壊。28人の乗組員は氷上に移動。
         今度は巨大流氷の上のキャンプでさらなる漂流が始まる。
1916年 4月 9日 氷が割れ始めたので船から持ってきた3艘の救命ボートで南極海に漕ぎ出す。
1916年 4月15日 信じ難いことに3艘のボートはエレファント島ってトコにたどり着いた。だがそこは無人島。
         誰かが救助を呼びに行かないと誰も気づかない。一番近そうな島は1300km離れた
         サウスジョージア島。2年前の12月に寄港したトコだ。そこに行けば捕鯨基地がある。
         行くしかない。救助を呼ぶにはそれしか方法がないのだ。
1916年 4月24日 3艘のボートで一番マトモそうなジェームズ・ケアード号に急ごしらえの甲板作って
         改修し、シャクルトンは自分自身の他に5名の隊員を選抜、再び南極海に漕ぎ出した。
1916年 5月10日 再び信じ難いことにジェームズ・ケアード号はサウスジョージア島にたどり着いた。
         だが到着したのは運悪く島の無人地帯。捕鯨基地があるのは島の反対側。急峻な山脈を
         越えて島の向こう側に行かなきゃ救助も呼べない。
1916年 5月18日 体力回復を待ってシャクルトンはまたもや自分を含む3名の、まだしも使い物になりそうな
         隊員を選抜し、地図もなく、装備もなく、ボロ服のまま酷寒の山脈越えに出発。
1916年 5月20日 またまた信じ難いことに3人は島の反対側の捕鯨基地に到着。
1916年 8月30日 何度か氷に阻まれたものの、エレファント島に残していた隊員の救出に成功。

さて、ここで問題です。
シャクルトンを含めて最初28名いた隊員、最後に救出された時点で何人が生き残っていたでしょうか?
 
       
実は28人全員が生き残ったのだ。一人も死ななかった。
南極大陸横断は失敗したけど、この信じ難い一連のデキゴトと全員生還とでシャクルトンの名は
極地探検史上不滅となり、とうとう王立地理学会に銅像が建てられるに至った。
(下の画像はWikipediaにあったものを切り取って少し加工したもの)
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最後の山越えの時に有名なエピソードがある。
ボロ服の3人が凍死寸前でフラフラになって山を歩いてる時、シャクルトンは自分たちと一緒に
「4人目」が歩いているような強い感覚を覚えた。彼はその話を敢えて口にしなかったらしいんだけど
後で他の二人が「隊長、私あの時、もう一人いるような感じがしてたんですよ」と口々に言った。

この話はシャクルトン自身も本に書いてて、後に英国の教会で「神サマが彼らをお導き下さったのです」
てな感じでよく取り上げられたらしい。

イ課長はこの一連の実話を新潮文庫の「サードマン」という本で初めて知り、その内容にタマゲた。
巨大流氷の上で半年近く、アザラシの脂肪ストーブで煮たペンギン肉シチューとか食って28人が
生き延びたのも信じ難いが、1300km(東京から奄美大島くらい)の超荒れた海を無動力のボートで
風と海流を頼りに、豆ツブみたいな目標の島まで航海したなんて、もはや信じろって方がムリ。
まさに神がかり的としか言えん。ちなみにそのボートはシャクルトンの母校に今も保存されている。
(イ課長が買って読んだ本その3)
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とにかくあまりにも信じ難い実話なので、その後シャクルトン自身が書いた探検記の抜粋を含め、
彼に関する本をさらに数冊読んだ。英国に行ったのはそのちょうどその直後だったのだ。
(下はイ課長が図書館で借りて読んだ本)
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となればだよ?王立地理学会にあるというシャクルトンの銅像は見ておきたいじゃないの。
ロンドンで行きたい場所が王立地理学会って、なんてシブい観光客であろうか(笑)。

というわけで次回、その銅像を見に行った時の話だ。
前フリだけで続き物にしないよう、これでも必死に話を短くしたんだよ?イ課長は。


 

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by tohoiwanya | 2017-07-11 00:13 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)