2017年 07月 11日

アーネスト・シャクルトンという人

シャクルトンはロンドンネタの一つとしていつか扱うべき人だった。
ポートレート・ギャラリーの時も紹介しかけたけど、この人の驚くべき業績(と言っていいのか?)を
説明しようとすると、どうかいつまんで説明しても長くなるので扱いに困ってたんだよ。

イ課長は英国旅行の前にたまたま彼に関する本を何冊も読んだとこだった。
いわばシャクルトンは英国旅行の時、イ課長にとっちゃマイブームだったわけ。
本日はご存知ない方のために彼がどういうヒトか、極力短く説明しよう。
(下はイ課長が買って読んだ本その1)
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アーネスト・シャクルトンは英国の南極探検家で、活躍したのは20世紀初め。
アムンゼンとかスコットなんかと同時代の人で、極地探検が「英雄の時代」と言われた頃の
英雄の一人なのだ。英国人だけど正確にはアイルランドの生まれ。
 
アムンゼンとスコットの南極点到達争いは有名だし、負けた方のスコット隊が帰路に遭難して
全員死亡した悲劇も有名だ。これはご存知の人が多いだろう。

シャクルトンも当初は南極点到達一番乗りを狙った。最初はスコットの第1回探検に同行して
南緯82度まで迫って撤退。次は自分の探検隊を組織して南緯88度まで迫って撤退。
これはどちらも当時の最南端到達記録だったから、英国じゃ著名人になった(買って読んだ本その2)。
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その後南極点到達はアムンゼンに先を越されたから、シャクルトンは次なる目標を南極大陸
横断と決め、再び自分の探検隊を組織。エンデュアランス号という船で南極に向かった。
結果的にこの探検は大失敗するわけだけど、この失敗が彼を有名にした最大の要因と言っていい。
ここから先は少しでも記述を短くするため、年表方式で書くことにする。

1914年 8月 エンデュアランス号でロンドンを出発するのとほぼ同時に第一次大戦勃発。
1914年12月 最後の寄港地サウスジョージア島から南極海に。だんだん流氷に苦しめられる。
1915年1月19日 とうとう巨大流氷にガッチリ固められて船は停止。そのまま船は氷と一緒に漂流。
        漂流したしたまま船の上で南極越冬。
1915年10月27日 氷圧に耐えきれずエンデュアランス号崩壊。28人の乗組員は氷上に移動。
         今度は巨大流氷の上のキャンプでさらなる漂流が始まる。
1916年 4月 9日 氷が割れ始めたので船から持ってきた3艘の救命ボートで南極海に漕ぎ出す。
1916年 4月15日 信じ難いことに3艘のボートはエレファント島ってトコにたどり着いた。だがそこは無人島。
         誰かが救助を呼びに行かないと誰も気づかない。一番近そうな島は1300km離れた
         サウスジョージア島。2年前の12月に寄港したトコだ。そこに行けば捕鯨基地がある。
         行くしかない。救助を呼ぶにはそれしか方法がないのだ。
1916年 4月24日 3艘のボートで一番マトモそうなジェームズ・ケアード号に急ごしらえの甲板作って
         改修し、シャクルトンは自分自身の他に5名の隊員を選抜、再び南極海に漕ぎ出した。
1916年 5月10日 再び信じ難いことにジェームズ・ケアード号はサウスジョージア島にたどり着いた。
         だが到着したのは運悪く島の無人地帯。捕鯨基地があるのは島の反対側。急峻な山脈を
         越えて島の向こう側に行かなきゃ救助も呼べない。
1916年 5月18日 体力回復を待ってシャクルトンはまたもや自分を含む3名の、まだしも使い物になりそうな
         隊員を選抜し、地図もなく、装備もなく、ボロ服のまま酷寒の山脈越えに出発。
1916年 5月20日 またまた信じ難いことに3人は島の反対側の捕鯨基地に到着。
1916年 8月30日 何度か氷に阻まれたものの、エレファント島に残していた隊員の救出に成功。

さて、ここで問題です。
シャクルトンを含めて最初28名いた隊員、最後に救出された時点で何人が生き残っていたでしょうか?
 
       
実は28人全員が生き残ったのだ。一人も死ななかった。
南極大陸横断は失敗したけど、この信じ難い一連のデキゴトと全員生還とでシャクルトンの名は
極地探検史上不滅となり、とうとう王立地理学会に銅像が建てられるに至った。
(下の画像はWikipediaにあったものを切り取って少し加工したもの)
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最後の山越えの時に有名なエピソードがある。
ボロ服の3人が凍死寸前でフラフラになって山を歩いてる時、シャクルトンは自分たちと一緒に
「4人目」が歩いているような強い感覚を覚えた。彼はその話を敢えて口にしなかったらしいんだけど
後で他の二人が「隊長、私あの時、もう一人いるような感じがしてたんですよ」と口々に言った。

この話はシャクルトン自身も本に書いてて、後に英国の教会で「神サマが彼らをお導き下さったのです」
てな感じでよく取り上げられたらしい。

イ課長はこの一連の実話を新潮文庫の「サードマン」という本で初めて知り、その内容にタマゲた。
巨大流氷の上で半年近く、アザラシの脂肪ストーブで煮たペンギン肉シチューとか食って28人が
生き延びたのも信じ難いが、1300km(東京から奄美大島くらい)の超荒れた海を無動力のボートで
風と海流を頼りに、豆ツブみたいな目標の島まで航海したなんて、もはや信じろって方がムリ。
まさに神がかり的としか言えん。ちなみにそのボートはシャクルトンの母校に今も保存されている。
(イ課長が買って読んだ本その3)
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とにかくあまりにも信じ難い実話なので、その後シャクルトン自身が書いた探検記の抜粋を含め、
彼に関する本をさらに数冊読んだ。英国に行ったのはそのちょうどその直後だったのだ。
(下はイ課長が図書館で借りて読んだ本)
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となればだよ?王立地理学会にあるというシャクルトンの銅像は見ておきたいじゃないの。
ロンドンで行きたい場所が王立地理学会って、なんてシブい観光客であろうか(笑)。

というわけで次回、その銅像を見に行った時の話だ。
前フリだけで続き物にしないよう、これでも必死に話を短くしたんだよ?イ課長は。


 

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# by tohoiwanya | 2017-07-11 00:13 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 08日

ロンドンで食ったもの【非英国料理編】

先週の今日は人生もこの世も終わりという体調だったが、ニンゲン一週間あれば
ここまで回復するんやのう。本日はちゃんとジムにも行って来たイ課長です。すでにビールは
ガンガン飲んでおります。

というわけで英国ネタに戻るわけだが、ハイパーゲーリーからの回復記念に、本日は
やはり食い物の話とまいりましょう。

イ課長も英国は初めてじゃないし、食い物に期待してもしょうがないことはよくわかってる。
英国で美味いのは中華料理やインド料理だと言われていることも重々承知してる。
要するに「非英国料理」の方がずっとマシなわけで、これは過去の少ない経験からもそう思う。
今回の旅行でもそういう非英国料理を食う機会は何度かあった。たとえば・・・
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①(たぶん)トルコ料理
ポートレート・ミュージアムを見たあと、ロイヤル・オペラ観劇前の腹ごしらえに入ったところ。
当然店はコヴェント・ガーデンの近くだったわけだが、もう一度行けと言われてもわからん。
やたら高いレストランが多そうな中、比較的リーズナブル価格っぽかったので入った。

食ったのはトルコじゃそこらじゅうで売ってるドネルケバブに近いものだと思うんだよね。それが
皿に乗った一品料理になってる。そういう意味じゃ安心して食えるものだけど、味としては
トルコやドイツの売店で食う立ち食いドネルケバブの方が美味しいと思う。

なぜかっつうと味がないんだよねぇ。トルコやドイツで食った立ち食いドネルケバブって皮?の間に
肉や野菜入れたあとダーッとドレッシングをかけて味付けしてくれるけど、そういう味付けが
まったく感じられない。「加熱だけして調味しない英国料理」という話を聞いたことあるけど、
ドネルケバブまで英国風にしないでくれよ。
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おまけに毎度おなじみ大量のイモ。味なしドネルケバブとイモを交互に食ってると口中が渇く。
だがこれまた例によってビールは小瓶だけ。口ん中がパサつく。渇く。なんとかしてくれ。
ビールをお代わりすりゃいいだろうって?英国のレストランで出るビールは小瓶ですら高いのだ。
まったくもう~・・・というわけで、この店はどうもイマイチだった。

②中華料理
英国における“食の避難先”として万人が認める中華料理。
ロンドン滞在5泊め、イーリーやピーターバラに行った日の晩メシで、ベイズウォーター駅近くの
中華料理屋で食ったのである。
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海鮮五目ヌードルとでもいうべきもので、味は悪くなかったと思う。
でも同じ海鮮五目麺ならたぶん日本で食う方がもっと美味しいと思うなぁ。麺の感じがどうも
違うんだよ。もっとも、これはそれぞれの「地域的中華特性」というべきで、日本の中華料理の
「麺がどうもなぁ・・」と思う外国人だっているかもしれないが。

ちなみに、上の写真の右にちょこっと写ってるのはトホ妻が食ったもの。
中華風肉乗せゴハンみたいなもので、少し分けてもらったけど味は問題ナッシングだった。

③イタリア料理
これは最後の宿泊日である金曜に食った。
例の交通博物館行ったあとだから、①と同じくコヴェント・ガーデン近くだ。

イ課長はイタめし屋でパスタを食うとなると、9割以上の確率でカルボナーラを注文するという
オーダー・バラエティの少なさで知られている(笑)。2010年もロンドンで食った。この時も当然
カルボナーラで、モノはこんな感じ。上からチーズをガリガリとふりかけてくれた。
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ちなみに、トホ妻が食ったのはこれ。何かのドリアだと思われる。こちらもチーズつき。
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結局ここが一番無難だったかもしれないなぁ・・。
ビールを頼んだらちゃんと大瓶が出てきたのも嬉しかった。やっぱこうイキたいよねぇ。
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結論
英国では非英国料理の方が美味しいという哲理はおそらく不動のものと思われるが、
その中でもドコがいいかとなると、イ課長の経験の範囲ではとりあえずイタリア料理が最も
安全度の高い“避難先”のように思われますです、はい。

 

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# by tohoiwanya | 2017-07-08 23:34 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 06日

脱水症状の思い出

イ課長、どんどん回復しております。元気になりつつあります。ご安心下さい。
今日のランチは豚肉生姜焼き定食を食いました(ゴハンは少し残したが・・・)。
脱水症状からの回復記念に、脱水症状についてもう一つ記事を書こうという気になった。
むかーーしの旅の話だ。

イ課長がこれまでの人生で「あの時こそまさに脱水症状だった」と自信を持って言えるのが
遠い昔の旅先での出来事で、場所は東南アジアではなく日本国内、佐渡島の一人旅の時だった。
大学の1年か2年の頃だからもう40年近く前ってことになる。イ課長に歴史あり。

あれが初めての「泊りがけ一人旅」だったような気もするけど、ついでに人生初脱水症状まで
体験したんだから、ずいぶん有意義な旅だったぜ。旅程そのものは行きあたりバッタリそのもので、
1泊目は夜行列車の中、2泊目はほぼ野宿、3泊目は佐渡汽船の待合室で眠り、4泊目は新潟市内の
オールナイト成人映画館でせっかくの成人映画も観ずに(笑)寝た。若いからこそできるバカ旅。
バカさって素晴らしい。

今回のハイパーゲーリー以外で人生最大の脱水症状というのはそのバカ旅の二日目のこと。
いよいよ佐渡島に入って、島の最北端までバスで行こうとしたんだけど、バスは途中の入川って
トコまでしか行かず、仕方なく徒歩で行くことにした。
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バスを降りた入川(赤い印)から、その晩野宿した鷲崎(黒印)まで20km近くありそうだ。
地図は持ってたはずで、徒歩で行くのはムチャだってことはバカなりにわかったはずなんだけど、
「バスがないんじゃ仕方ないなぁ」ってんで歩き始めた。何たるバカさ加減。だがこのバカぶりは
トシとった今でも東南アジアあたりで時々顔を出しているような気がする(笑)。

今はどうか知らないけど、40年近く前の佐渡島の海っぺりの道路なんて「左が海・右が陸」っていうだけで
それ以外なーんにもないの。飲み物の自販機なんて皆無。お日様カンカン。どうなるかは目に見えてるわな。
見事に脱水症状ですよ。あの時「ああ脱水症状ってこうなるのか」ってことをイ課長は身体で学んだ。

身体がダルいとか、思考能力低下とかはまだいい。若きイ課長が最も感動?したのは脱水症状になると
口腔内がベタベタしてくるという症状の発見だ。本来なら水分でヌルヌルしてるはずの口ン中がベタベタ。
それだけ水が足りないわけ。これはけっこう恐ろしい。

昨日行った胃腸科の医者もイ課長にベロ出させたけど、それも口腔内の「濡れっぷり」を見るため。
イ課長の舌はヌルヌルじゃなくザラザラしてたようで、医者はすぐに脱水症状と断定したわけだ。

佐渡島に行った頃の若きイ課長にはそんな知識もなかったけど、口ン中がベタベタした時点でさすがに
「これはヤバい」と思ったよ。道端にポツンと一軒あった雑貨屋を見つけ、ジュース飲んでアイス食って
どうにか水分補給できたおかげでイ課長は今もこうして生きていられるわけだ。

これからいよいよ猛暑の季節。皆さまも汗やゲーリーによる脱水症状にはくれぐれもお気を付けあれ。
口ン中がベタベタし始めたらもうヤバいですよ。けっこうな危険ゾーンだと思いますよ。

ちなみに、佐渡島では脱水症状になったあと、海辺の粗大ゴミ置き場で両輪がパンクした自転車を
奇跡的に発見し、それに乗って島の最北部を回ったのである。両輪パンクとはいえ、自転車があると
ないとじゃ大違い。あれで相当距離をかせげた。特に下り坂では絶大な威力を発揮してくれたよ。
尻は痛かったけど風うけて気持ち良かったなぁ~(←バカ)。

もしあの時、捨てられた自転車を偶然発見しなかったら・・と想像すると恐ろしいものがある。
全行程徒歩だったら、鷲崎まで無事辿りついたとはあまり思えない。おそらく途中のどこかで
「東京から来たバカな大学生の干物」が一匹できあがっていたんだろう。あーおっかねぇ。

現在でも愚かなるイ課長が愚かなる大学生だった頃の、愚かなる旅の思い出でございました。

 

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# by tohoiwanya | 2017-07-06 00:12 | 国内出張・旅行 | Comments(2)
2017年 07月 04日

からだを こわした いかちょう

昨日は「きっぱりと夏が来た」と言わんばかりの、突然の猛暑でしたな(東京は)。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

イ課長は昨日のあの猛暑の中、午前中会社をブッチして汗ダクになって病院に行った。
体を壊したもんで、会社周辺の「消化器科」を検索して行ってきたわけですよ。
つまり壊した箇所は消化器だったわけですよ。

いやもう参りましたね。
イ課長は過去にタイで二度ほどプチ食中毒になったけど、日本で普通に生活してて
こんなハイパーゲーリーになったのは大腸内視鏡検査の前に下剤を飲んだ時以来だ。
悪いもの食ったわけでも下剤を飲んだわけでもないのにこの有様。神経性のものと思われる。
インド出張でもゲーリーの魔の手からは逃れてきたイ課長なのに・・
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週末でゲーリーは止まったと思われた。しかし月曜は朝から体調サイアク食欲ゼロで、さすがに
これはマズいと思って病院行ったわけだ。医者はイ課長から症状を聞き、腹に聴診器を当て、
ベロを見ておごそかに言った。「脱水症状がひどいようですな」。

ご存知のようにイ課長はすごい汗っかきだから、暑い国に行くと狂ったように汗をかき
黒いTシャツで製塩業に励む(笑)。しかし水分補給もそれなりにするから、これまで
「汗によるひどい脱水症状」は回避できてた。
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しかしゲーリーによる脱水症状ってのはあまり経験がないだけに、認識が甘かった。
喉が乾くから水分は摂ったつもりだったんだけど、全然足りてなかったようだ。
週末の体調ワルはゲーリーのせいだが、月曜の朝、体調が超最悪でフラフラだったのは
脱水症状のせいだったと思われる(その状態で炎天下、病院まで歩くのはツラかった)。

ポカリやOS1を飲みまくり(イ課長はOS1を知らなくて、医者は呆れていたようだった)、
どうにか消化器系統の機能は回復したようだけど、衰えた体力は全然回復しとらん。
ここンとこずっと昼メシ抜き、晩はウドンかお粥の生活だったからね。風邪ひいても
こっそりビール飲むイ課長が今回ばかりはビールも飲めず。え?それはむしろいいこと?
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さっき神経性だろうって書いたけど、原因は察しがついている。
5月から6月後半、イ課長はある仕事を手伝ったがためにヒドい目に遭わされた。その仕事は
どんどん状況が悪化し、破局が近づくにつれてイ課長の体調も悪化。そして先週とうとう
破局し、イ課長はゲーリー発症(笑)。とてもわかりやすい仕事ストレス。二度とやるもんか。

8月の旅行までちょうどあと一ヶ月だ。
今の体力じゃ、現地でちょっと歩いただけでヘタバっちまう。まずは体力を回復させねば。
そのためにはもっとマトモなもん食わんと。ま、徐々に元に戻しましょう。
とりあえず缶ビールは4日ぶりにさきほど1本解禁しました。

こんな状態だったので、ちょいと更新も間があいてしまいました。
仕事のせいで体壊したことが(自分の中では)明白だったので、アタマに来て
本日は会社を休んだイ課長なのでした。冗談じゃねぇぜホントにもう。
 
 

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# by tohoiwanya | 2017-07-04 22:03 | 日本での私生活 | Comments(6)
2017年 06月 30日

英国ナショナル・レールの予約変更問題

ひさーーしぶりに英国鉄道問題について考えてみようではないか。
え?もう聞きたくない?まぁそう言わないで・・・。
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仮にアナタが英国の鉄道を使ってロンドンからどこかに日帰り旅行したいとする。
英国鉄道切符のネット予約に問題は多いが、あなたが運のいい人で往復の切符を
スムーズにネット予約し、現地で発券もできたとする

さてだ。
切符予約時はまだ日本にいるわけで、現地での観光活動がどの程度時間がかかるのか
よくわからん。そういう時は誰だって少し時間に余裕をもたせて帰りの列車を予約するよな。
イ課長もそうした。現地でアセるのはいやだからね。

しかし幸いなことに現地では道にも迷わずトラブルもなく、目的の観光物件もシッカリ見て
順調に駅に戻ってくることができた・・・となると余裕をもたせた分、帰りの列車まで時間が
けっこう余る。英国ではこういうことが何度か発生した。

カフェあたりでヒマつぶしてればいいんだろうけど、もし予約した列車より1本か2本早い
ロンドン行きがあるなら、それに乗って早くロンドンに戻っておきたい。ここで予約変更問題が
持ちあがってくるわけだ。

予約した列車の変更は可能なのか?イ課長はそれを実際に英国で試してみたわけだが、
結果がどうだったかというと・・

 ①カンタベリー往復の時のSOUTHEAST TRAINS
  ⇒その切符のまま、同区間・同料金の別の列車に乗り、テキトウな席に座って問題なし

 ②プール往復の時のSOUTHWEST TRAINS(これはまだ書いてない)
  ⇒その切符のまま、同区間・同料金の別の列車に乗り、テキトウな席に座って問題なし

 ③イーリーやピーターバラ行った時のThameslink(でも乗った列車は大北部鉄道)
  ⇒その切符は予約した列車以外使えない。1本前の列車?それなら別に切符買わなあかんで。

てな具合で、予約変更の可否は鉄道会社による差が大きいことがわかった。
①②がOKだったから、イーリーから1本早い列車に乗る時も問題ないんだろうと思ったんだけど
念のため、乗車前に駅員に確認したのは正解だった。もし乗っちまった後に検札に遭ったら
たぶん二人分の別の切符代を請求されただろう。

旅行者にとっちゃネット予約した切符の変更ができるかどうかは気になる部分だ。
それが鉄道会社によって対応が違うとなると困る。統一してくんねぇかなぁ。
え?切符に書いてなかったのかって?そんな細かいこと(しかも英語)、読んでましぇん。
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予約通りの列車に乗らなきゃダメと言われたら、待つしかない。
ピーターバラに行く列車を一つ見送って、イーリー駅のホームにあるカフェでお茶を飲んだ。
雨があがったのだけは幸いだった。

「カンタベリーん時は早い列車でもOKだったのになぁ・・」なんて思いながらホームを
歩いてたらこんな看板が。平均的な人間は一日に10回は笑うんだって。今日そんなに笑ったかな?
わかりましたよ笑いますよ。あーーっははは、英国ナショナル・レールは最高だぁ。
・・・・・・けっ。
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何度もいうけど、ネット予約した切符の変更問題は鉄道を使う旅行者にとっちゃ無視できない。
フランスとかベルギーあたりじゃテキトウな列車を予約しても、それはいわば「乗車券」だから
同じ区間の異なる時刻の列車に平気で乗ってたような記憶があるんだけどなぁ。
もちろんTGVみたいな高速特急列車の場合は別だけど。

ひょっとすると座席指定の有無で予約変更の可否が決まるのかな?
でもイーリーからピーターバラまでなんて長くもない乗車区間だし、
座席指定なんてしなかったと思うのだが・・・。

ちなみに、ピーターバラからロンドンに戻る時も予約列車の変更はできなかった。
やっぱテームズリンク(ないし大北部鉄道)はダメなんだと思われる。ピーターバラの駅じゃ
待合室のベンチでぼんやり待った(しかもこの時は到着遅延しやがった、ばかたれ)。
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南東鉄道と南西鉄道は同区間の1〜2本早い列車に乗れたけど、これだって常にそうなのか?
たとえば予約したのと別の日付だったらどうなのか?となるとよくわからない。ましてや、
今回の旅行で乗ってない他の鉄道会社はどうなのかもサッパリわからない。

英国は鉄道網が発達してて、鉄道の旅がしやすいし快適だ(除、切符のネット予約)。
しかしいっぱいある鉄道会社ごとに予約変更の規定は違うようだから、これから
ナショナル・レールの切符をネット予約しようなんて方は、その辺ご留意下さい。
 
 

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# by tohoiwanya | 2017-06-30 00:16 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 06月 28日

ピーターバラ大聖堂というところ【その3】

それでは「ピーターバラ歴史散歩」とまいりましょう。
まずはヘンリー8世のお妃1号だったキャサリン・オブ・アラゴンのお墓。
キャサリンについてはもうかなり説明したからクダクダ書く必要はあるまい。

もとはスペインの王女様だったわけだから、気位は高かったんだろうなぁ。
どうせ亭主は好色デブのヘンリー8世。イ課長が彼女の立場だったら巨額の慰謝料もらって
サッサと離婚して安楽な余生を送るだろうけど、生まれた時から王族のキャサリンには
そういう発想はなかったんだと思われる。
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これがお墓。ヘンリーに強引ムリヤリ離婚されたとはいえ、お墓の称号はQueen of England 。
ガンとして離婚に応じないカタクナさを持つ反面、人柄は良かったようで幽閉先の城の周辺住民達からは
慕われてたらしい。ついこないだまで英国王妃、それが自分勝手な王様と悪女アン・ブーリンのせいで
こんな目に・・可哀想なキャサリン様・・というわけで世間の同情も強かった。
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彼女の墓の上に何か果物が・・最初はリンゴかと思ったけど、これ、たぶんザクロだ。
これはトホ妻の知識だけど、ザクロといえばグレナディン、グラナダの町のシンボルでもある。
スペインから嫁入りしてきたキャサリンの霊を慰めるお供えとしてはふさわしいんだろう。
悲劇の王妃・キャサリンを慕う人が今でもいるんだねぇ。何となくしんみり・・・。
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そんなキャサリンを追い出して王妃の後釜に座ったアン・ブーリンも結局3年ほどで姦通の罪を
着せられて処刑。アンの斬首刑が行われた時、キャサリンのお墓にあったロウソクがひとりでに
一斉点灯したと言われる。あたかも自分を追い出した憎い女の死に快哉を叫ぶかのように・・・
ま、言い伝えです。イ課長だって信じません(笑)。でもこういうウワサがやたら広まって
無視できなくなったヘンリーはピーターバラに調査団を差し向けたっていうから、彼の中には
キャサリンに対する負い目があったことは間違いない。

この大聖堂にはその後釜王妃アン・ブーリンの娘(エリザベス1世)の命で処刑されたスコットランド女王
メアリ・スチュアートのお墓だった場所もある。“だった場所”と書かなければならないだけあって、
この背景説明はキャサリンより一段と複雑だが、何とか短くまとめよう。

メアリ・スチュアートはスコットランド女王だったのにロクでもない男と再婚して廃位の憂き目に遭い、
イングランドにいわば亡命した。王族ではよくあることだけどメアリ・スチュアートとエリザベスは
遠縁にあたるらしいんだよね。そんなこともあってイングランドでも当初はそれなりに処遇されてた。

ところが彼女には陰謀好きなトコがあったようで、よせばいいのにカトリック勢力たちの
エリザベス暗殺計画なんかにのせられた。陰謀がバレて死刑。そしてピーターバラに葬られた。
だから昔はここにメアリ・スチュアートのお墓があったわけだ。しかしこの後も話は続く。
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エリザベスは生涯結婚しなかったから子供がいない。
で、自分が死んだ後のイングランド王にメアリ・スチュアートの息子ジェームズを指名した。
ジェームズはスコットランドとイングランド両方の王様になったわけだけど、まず母親のお墓を
ピーターバラからもっと格式高いウエストミンスターに移設。だもんでピーターバラにはこうして
メアリ・スチュアートの「お墓だった場所」だけが残ってるというわけ。

調べたら面白いことを知った。
エリザベスが生涯未婚で子供がいなかった以上、チューダー朝の血は彼女で途絶えたことになる。
ところがメアリ・スチュアートの血筋はジェームズ以降イングランドで連綿と続いてるんだと。
男を見る目はなかったが、繁殖力ではメアリ・スチュワートの圧勝というべきか(笑)。
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英国史の他の時代だったら特に感じるところもなかっただろうが、なぜかそこだけは詳しい
ヘンリー8世に関わる悲劇の女性二人のお墓がある(あった)というのはピーターバラ訪問の
大きな動機だった。建築的興味ではなく歴史的エピソードにちなんで大聖堂に行くなんてこと、
これまであまりなかったと思う。

ピーターバラ大聖堂で英国歴史散歩。なかなか有意義な訪問でございました。

 

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# by tohoiwanya | 2017-06-28 00:22 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)