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2017年 03月 06日

カンタベリー大聖堂 その③

さて、ゴシック大聖堂は内部だけじゃなく、外もいろいろ観察すべき点が多い。
カンタベリー大聖堂の外側もしっかり見てくれようじゃないの。

まず大きな特徴はゴシック教会建築につきもののフライングバットレスがないってことだ。
ええ?ないの?あれはゴシック建築をゴシック建築たらしめる決定的重要要素なんじゃ・・?
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しかし実際ないんだよ。その後調べたところではこういうことらしい。

木と違って石材は梁として水平にわたすことが出来ない(仮にすご~く細長い石材を使っても
自重で真ん中で折れやすい)。だから天井をアーチ型に組む。しかしアーチ型って
「左右に広がろうとする力」があるから、それを外側から支える必要がある。

そういう壁を外から、しかも高い位置で支えるためにフライングバットレスという
画期的&曲芸的な建築アイディアが生まれ、天井の高いゴシック大聖堂の建築を可能にした
・・と、そういうことだった(はずだ)。

「その①」でも書いたようにカンタベリーは天井に凝り、それをよく見せたい目的もあって
天井高はホドホドでとどめた。だから壁を支えるのも高めの控え壁で何とかなるらしい。
フライングバットレス(飛び梁)なんてアクロバティックな技法を使わなくても良かったんだと。
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なーるほど。つまり「華麗な天井装飾を見てもらいたい」⇒「それゆえに天井高はほどほどに抑える」
⇒「それゆえにフライングバットレスなしでもOK」ってことか。デコラティブな天井があることと
フライングバットレスがないことはちゃんと関係してるわけだ。勉強になるのぅ。

もう一つゴシック聖堂につきものといえばガーゴイル様。
これはちゃんとカンタベリーにもあった。そう多くはなかったけどね。
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こちらにも、猛烈にすり減ったガーゴイル様が。これなんておそらくこの大聖堂が出来た
当初からまったく取り替えられずに残ってるんじゃないかと想像される。すごい磨滅ぶり。
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お?こんな低い位置にもガー・・・・ゴイル・・・じゃないよな、これは。
単に柱を頭で支える人面の飾りということらしい。
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しかしこれまたひどい役目だこと。
むかーし書いた女人柱もかなりひどいが、これは首の力だけで柱を支えてるんだからその苦痛は
察するに余りある。首が痛い。背筋疲れる。こういう彫像のモデルにはなりたくない(笑)。
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外側の少し高いところにはもう少し格調高く作られた聖人の像がずらり。
まぁこういうのはどこの教会でもよくあるよね。
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中に混じって、まだ真新しい白い石で作られた聖人がいらっしゃった。当然目立つ。
あれぇーーーーッ?!ここここれってもしかして・・・。
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間違いない。これは現女王エリザベスと夫君のエジンバラ公フィリップ殿下だ。
こりゃたまげた。エリザベス女王って聖人だったのかよ(笑)。よくバチカンがそんな
こと許可・・・なんて得なくてもいいんだ。いまカンタベリー大聖堂は英国国教会が所轄
するわけだから、国教会の長たる女王陛下を聖人に並べるくらいは朝飯前か。
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こちらがエジンバラ公フィリップ殿下。こっちの方が実物に似てるかな。
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このフィリップ殿下、若い頃は異常なほどの二枚目だったことで有名。
若きエリザベスがその異常なイケメンぶりにポーッとなって結婚に至ったのは間違いない(笑)。
しかし仲睦まじいままお二人ともご長寿であらせられるのはめでたいことだ。
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いやー最後の「聖エリザベス&聖フィリップ」にはちょっと驚いたぜ。
存命の女王夫妻もしっかり聖人の列に並ぶカンタベリー大聖堂というわけでした。

というわけで、「イ課長、初めて英国ゴシック大聖堂を見る」の一席、
これにて書き納めといたします。お長くなりました。

 
 

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by tohoiwanya | 2017-03-06 00:05 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 03月 01日

カンタベリー大聖堂 その①

何しろ「その①」だからね。続き物になることは約束されている。覚悟してお読みいただきたい(笑)。

久しぶりに入る欧州ゴシック大聖堂。うーんワクワクするぜ。
こういう大聖堂って入口は西向きで、上から見た場合十字架の根元の方から入る形になる。もっとも
カンタベリー大聖堂の場合、増築を繰り返したせいか、上から見てもキチンとした十字架型には
なってない。下の平面図でいうと右端が入り口ね。
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巨大聖堂に入ったら、誰もが最初にやるのは「うわー・・・」とのけぞって天井を見上げることだ。
もちろんイ課長たちもまず上を見上げて、背中と首をそらせるエクササイズ(笑)。
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うーーむ・・・この天井が英国ゴシック大聖堂の非常に大きな特徴の一つなのだ。
とにかく装飾的なんだよ。一つの柱から9本ものアーチが分岐して天井で複雑にからまりあい、
さらに細かい模様がくっついてる。
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下の写真は2009年に行ったフランスのアミアン大聖堂の天井。横断アーチと交差アーチを
交互に組み合わせたリブ・ヴォールト。デコラティブなカンタベリー大聖堂の天井に比べると
シンプルで、その分力強い感じがする。
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実はカンタベリー大聖堂のこの天井なんてマシな方で、英国にはもっともっと装飾過剰な
扇形ヴォールトの大聖堂がワンサカある。明らかに英国独特、ミョーな方向に異常発達を遂げた
建築技法といえるだろう(下はハリー・ポッターの映画ロケにも使われたグロスター大聖堂
回廊の天井。写真はWikipediaから拝借)。
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この「異様にデコラティブな天井」は英国ゴシックにもう一つの特徴を与えている。
それは天井高がフランスのものほど高くないってこと。フランスで見たアミアンランスなんかは
あからさまに身廊の天井高を競い合ってたけど、英国は「せっかくキレイに天井を飾ったんだから、
高すぎて見えないんじゃもったいない」ってんで、天井高もやや抑え気味なんだと。
こういう建築思想の違いって興味深くて面白いねぇ。
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ううむ、天井の話だけで長くなってしまった。先に進もう。
カンタベリー大聖堂、とにかくバカでかいから、身廊と交差廊との“交差点”に行くまで
けっこう歩く。とりあえずその“交差点”まで行ってみよう。いわば大聖堂のヘソ。

そこまで来て再び背中と首のエクササイズ(笑)。うっひゃーーー!こりゃすげぇ。
まさに扇形ヴォールトがひしめきあう華麗すぎる装飾。
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すごいねこりゃ・・。ちょうどここが大聖堂の真ん中にあたる部分で、この華麗な装飾天井の上に
一番高い塔がそびえたってるんだと。いやぁ英国ゴシック、すごいっすね。
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交差廊を越えると十字架のアタマの部分にあたる内陣。これがまた長いんだ。
興味深いのは、こっちの天井はさっき見た外陣よりシンプルで、フランス・ゴシック風の
横断リブ+交差リブ型に近い。なんで?
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思うに、建築年代の差によるんじゃないか?今いる交差廊よりコッチ側が先に建てられて、
後からアッチ側が建てられたと。大体こういうのは後に作られた方がより装飾に凝るはず。
そうじゃないかと思うんだがなぁ。
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いやー久しぶりのゴシック大聖堂。この時は正直言ってイ課長は軽く興奮してたよ。
このカンタベリー大聖堂、中庭に面した外の回廊の天井がまたスゴいんだよ。ほら。
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一本の柱から何本のリブが枝分かれしてるか数える気にもなれない(笑)。
この回廊みたいに、天井が低くてよく見える所ほど凝りに凝った装飾をほどこすというところが
英国ゴシックらしいと言うべきだろう。
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聖堂とくっついてる参事会会議場の天井がまたすさまじい。ほら。
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同じドーム型天井でもこれまで見たリブ・ヴォールトとは違う構造、しかしスゴい装飾は共通。
それにしてもこうやって室内で高い天井をズームで撮っても全く手ブレしないカシオのデジカメの
手ブレ補正機能にも感心しましたですよ。
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あああ・・・結局本日の記事は「天井特集」になっちまった(笑)。
まぁいいのだ。カンタベリー大聖堂の写真はまだいっぱいあるし、書くべきことも残ってる。
フランスの時は「ひとつの大聖堂で3記事」くらい書いてたけど、今回もそのくらいの勢いで
次回に続くのである。


 

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by tohoiwanya | 2017-03-01 00:14 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 01月 23日

ロンドンの火力発電所たち

この際だからビクトリア駅に続いてロンドンネタでいこう。
ビクトリア駅を出た線路がテムズ川を渡ると、線路ワキに非常に有名な廃墟がある。
その名をバタシー発電所。1930年代に建設された、レンガ造りとしては世界最大級の
建造物らしいけど1983年に閉鎖。その後はずっと放置されて巨大廃墟のままだった。

4本の煙突が極めて印象的な建物でピンク・フロイドのアルバムジャケットにも使われたことがある。
閉鎖後はずーーっと廃墟のまま残ってて、「世界で最も有名な都市型廃墟」なんて言われてた。
ロンドンに行ったらちょっと見てみたかった場所なんだよね。
(下がそのピンク・フロイドのアルバム「ANIMALS」)。
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その後調べてみたら、ここはとうとう買い手がついて再開発が決まったらしい。
再開発となると取り壊されるのかなぁ?さっきも言ったようにここはビクトリア駅に
出入りする電車からよく見える。カンタベリーから戻る時にシッカリ確認した。

おー見えた見えた・・あれがそう・・・あれ?あれれ?
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どんどん近づいてくるけど、明らかに煙突が1本しかねぇじゃん・・。
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周囲にクレーンが立ち並んでるから再開発中というのは間違いなさそうだ。
結局この発電所は壊しちゃうのかなぁ?世界的に有名な廃墟だったのに・・・
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その後調べたところでは、ここの再開発は「かつてあった有名な発電所」を部分的に
保存するというコンセプトで計画されてるようだ。こんな完成予想図もあったから
おそらく建物の一部と煙突1本だけは残すんじゃないかと考えられる。
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バタシー発電所の巨大4本煙突の勇姿を見たかったけど、ちょっと遅かったようだ。
ロンドンっ子にとっちゃあの4本煙突は懐かしい光景だったろうに。しかしこうして
部分的にでも保存してもらえるのは世界で最も有名な都市型廃墟だからこそ、といえるだろう。

もう一つロンドンで有名な火力発電所として旧バンクサイド火力発電所がある。
第二次大戦後の復興期に建てられた古い火力発電所で、1981年に閉鎖。その後は
変電所機能が残ったほかは放置プレイ。いずれ取り壊しは避けられなかったが・・

ご存知のようにここは現在テート・モダンという美術館に生まれ変わっている。
パリのオルセー美術館は元が駅舎だが、ロンドンのテート・モダンは元火力発電所。
何となく英仏両国のキャラクターの違いが出ているような・・・。

旧バンクサイド発電所、現テート・モダンもテムズ川のキワにある。内部は美術館用に
改修されたけど外観は昔のままだ。退役オンボロ火力発電所の幸せな余生といえる。
火力発電所につきものの巨大煙突も残ってる(写真は2010年欧州出張の時のもの)。
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テムズ川沿いには意外なほど昔の火力発電所が残ってるようで、こんなのもあった。
これはグリニッジの丘から見えた建物で、煙突の様子からみて昔の火力発電所だろう。
バタシーより小型っぽいけど、この古さから見てまさか現役とは思えないから、
保存されてるのかもしれない。ちなみにこの発電所、見事に子午線上にあるのだ(笑)。
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元々、ロンドンって町は行政・金融・娯楽等々の機能はテムズ川の北に集まってて、
南側のいわゆるサウスバンクは発電所とか倉庫とかが多かったエリアらしい。
本日ご紹介した三つの発電所も全て川の南側にある。テート・モダンなんてホントに
街の中心部に近くて、川を渡ればすぐに金融街シティだ。

そういう意味でもロンドンっ子にとっちゃこれらのド古い火力発電所は川の向こうにある
毎日見慣れた建物であり煙突なわけで、壊さずに残せという声も多かったんだろうなぁ。
イ課長たちが見てきたのはこの三つだけど、他にも残ってるのかもしれない。

第二次大戦後のロンドン復興を支え、テムズ川の南側で余生を送る古き火力発電所たち。
本日は旅行中に見てきたそんな古い発電所特集という、まことに変わった企画でした(笑)。


 

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by tohoiwanya | 2017-01-23 00:03 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2016年 11月 18日

名古屋城天守閣の運命

さてだ。
復元した本丸御殿にかなり感心したイ課長、いよいよ天守閣に向かう。
これが取り壊されて木造復元になるのか、このまま耐震補強されるのか・・
天守閣の運命はまだわからない(あるいはもう決まったのか?)
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城に近づくと、ドテッ腹に食い込んだエレベーターが見える。
昔見た時はナナメにエスカレーターがついてたような記憶があるけど、エレベーターだっけ?
まぁどっちにしたって歴史的建造物としての外観ブチ壊しだよなぁ・・。
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ただ、このエレベーターは木造復元する時に重要な意味を持つ。
もし木造で完全に昔通りに再現したら、そこには木でできた階段しかないのは当然で、
車イスの人や足の悪いお年寄りは天守閣に登れない。江戸時代に出来た天守閣だから
バリアフリーじゃないわけだよ、要するに。

しかし今のご時世、バリアフリーじゃない城を復元したらたぶん非難ゴウゴウだろう。
完全木造復元とはいえ、昔なかった何らかのバリアフリー設備を導入することになる。
今の世の中に合わせて、完全オリジナル復元から多少は“妥協”する必要があるわけだ。
(下の写真は天守閣内部にあるエレベーター。イ課長も乗ってみた)
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オリジナルに戻すというのは大原則だが、やはり時代の要請というのは無視できない。
江戸時代は階段だけで良かったけど、今はバリアフリーじゃなきゃ・・ってことになる。
ここが難しいところだ。オリジナル復元を犠牲にして、どこまでバリアフリーにするか?
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まぁこれに関しては多少「非オリジナル要素」が入るのは仕方ないとイ課長も思う。
本丸御殿にしたって、本来なかった見学者用下駄箱とか作ってるわけだからね。
それでも、やはり木造で復元してほしいと思う。エレベーターが食い込んだ現在の
天守閣は歴史的建造物と言うにはあまりに無惨な姿だと率直に思うのだ。

それに、この建物の耐震性に問題があるってことを知ってると、テッペンまで登って
景色を見てる時、どうしても「もし今ここに地震が来たら・・」と考えちゃうわけヨ。
建て替えにせよ補強にせよ、結論はいつまでも引き延ばせないよなぁ。
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確かに今ある天守閣の内部も半世紀以上の歴史を経て、それなりに味は出ている。
木の踏板がスリ減った階段とか、すごくイイ感じだ。これが普通の建物なら「歴史を
感じさせる内部」と評価できる。でもこれは普通の建物じゃない。元は江戸時代に作られた
日本最大規模の城郭建築、その天守閣なんだから(体積じゃ姫路城天守の2倍あるらしい)。
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イ課長が知ってるのは“木造復元派”の市長さんが「耐震性低いから入場制限だ」って
言ったってところまでで、結局この天守閣がホントに建て替えることに決まったかどうか
実は知らない。調べても出て来ないからまだ正式決定じゃないんだと思われる。

しかしまぁ、こうして訪れた一人の観光客の立場としては、やはり「木造復元」に
期待したいと思うんだよ。100年経った時、その復元がどれだけの価値を持つことか。

薬師寺の西塔とか金堂も最初写真で見たときは、他の古い建物との「時代のつき方」が
全然違って違和感あったけど、あれだってあと100年経ちゃ立派な歴史的建造物だ。
そういう意味じゃ薬師寺なんかの取り組みもイ課長は尊敬するし、名古屋城もそういう風に
なってほしいなぁと思うわけ。
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この日はとにっかく天気が良くて、青空をバックにした名古屋城天守閣は美しかった。
その美しさを、ぜひ木造復元で長く後世に伝えて欲しいと思うのである。


 

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by tohoiwanya | 2016-11-18 00:11 | 国内出張・旅行 | Comments(2)
2016年 11月 16日

復元された本丸御殿に行ってみる

さて、名古屋城訪問の話を続ける。

特別展示とかを見なければ名古屋城の入場料は500円。これで本丸御殿と天守閣に入れる。
行ったのは10時半頃だったかな。土曜だけどバカ混んではおらず、昨夜の雨がウソみたいな、
異常なほどの快晴。
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たぶん30年ぶりくらいで来たことになるな、イ課長は。
初めて見た時はコンクリート製天守閣だけがドン、天守閣のどてっ腹にはエスカレータがバン、
という、まるっきり城らしくないその姿に失望したもんだった。

だがしかし、江戸時代御殿建築の最高峰といわれる本丸御殿が復元されれば、
焼失前の写真のような姿に一歩近づいたといえる。復元は長期にわたり、最初の一部公開が
2013年、2016年にもうちょっと公開範囲が広がった。

ふーむ、これか。
ここは御殿っていうだけあって、天守閣みたいな壮大な外観じゃなく、内部の意匠がウリらしい。
さっそく入ってみようではないか。
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まず真新しい玄関で靴を脱ぐ。古い日本家屋なんだから当然土足禁止。
ちゃんとカギ付き下駄箱が設けられてて、それらも全部木製。けっこう木の匂いもする。
出来立ての真新しい施設ではあるけど、木造ならではの雰囲気があるねぇ。
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ガイド付きでグループごとに見学することもできるみたいだけど、ガイドは出払ってた(笑)。
ま、イ課長としても自由に見たいからひとりでドンドン中に入っていく。
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おおおおおおーーーーー。何だかすげーーー。
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うひょーーーーー天井はあれ、ウルシだろ?フスマ絵もすげーーーー。
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この驚きかたからもわかるように(笑)、ここはねぇ、イ課長は率直に言ってかなり感心したよ。
こりゃーすごい。焼失前の実測図面が残ってたとはいえ、よくここまで復元したなぁ。
フスマ絵だけは戦災で御殿が焼失する前に避難させておいたらしい。それを見ながら
描き直したってことだろうな。いやー職人さんたちの素晴らしい仕事に頭が下がるよ。
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天守閣建て替え反対派の言い分で「あんな御殿、木造のレプリカでちっとも良くない。天守閣が
アレの二の舞になるのはダメ」という論説を読んだ。まぁ反対する理由が何か必要なのはわかるが
「木造レプリカなんてダメ」という反対理由はさすがに愚論すぎないか?そういう人たちにとっちゃ
過去二度焼失して建て直した国宝・東大寺大仏殿も「木造のレプリカ」ってことなのかい?
(今ある大仏殿は江戸時代製なんだから)

イ課長はオリジナル通りに復元しようとする試みを尊敬するし、本丸御殿の復元技術は
十分尊敬に値する出来だと思う。イ課長は個人的にこの本丸御殿復元を支持します。
ちゃんと募金もしてきました(笑)。
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この御殿、まだ復元工事は続いてて、その工事現場も見学できる。それはぜひ見てみたい。
入口で一人ずつヘルメットを渡してくれて、階段を上って工事を見下ろす通路にあがる。
(このオジサン、見学終わってヘルメット返すとちゃんとスプレーして内側拭いてからしまうのである)
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おおーーーーーー。デカい御殿なんだなーーー。
ちなみに、復元工事が全部終了するのは2017年の冬という予定らしい。
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うーーむ、すごい工事。
低層建築の御殿でもこうなんだから、これで名古屋城天守閣を本格木造で復元となりゃ、
さらにスゴい工事になるのは確実だ(下の写真が完成部分と工事囲いの境い目)。
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というわけで、イ課長は(まだ全部じゃないが)復元された本丸御殿にはたいへん感心したのである。
こうなるとコンクリート製で耐震性に不安ありという名古屋城天守閣の立つ瀬はなくなるが、
建て替えにせよ補強にせよ、いずれ大規模工事で天守閣がしばらく見られなくなるのは確実。
せっかく入場券も買ったし、30年ぶりに登ってみようじゃないの。

・・というわけで、名古屋城ネタは続くのである(笑)。


  

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by tohoiwanya | 2016-11-16 00:02 | 国内出張・旅行 | Comments(4)
2016年 11月 14日

名古屋観光で行ったところ

もう半月以上前の話だから、名古屋の話を済ませないとイカンな。
滋賀出張で名古屋に宿泊することにしたイ課長が翌日観光した場所。それはどこか?

これについては行く前にかなーーーりいろいろ考えた。
大須演芸場で寄席・・と思って調べると貸切で何かやってるみたいだが内容不明。
トヨタ産業技術記念館、リニア鉄道館なんて産業系ミュージアムも候補になった。
あるいはちょっと遠いが「さつきのメイの家」なんてのもあって、それも一応考えた。
で、結局これら多数の候補の中からイ課長が行ったのは・・



     どぉーーん・・
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あらまー名古屋城ですか。またずいぶんと当たり前のところに・・。
それにしても何という天気の良さ、何という空の色。

名古屋城については以前にこんな記事を書いてけっこうけなした。若い頃、コンクリート造りの
名古屋城を見てあれほどガッカリしたのに、なぜまた今回改めて・・?

理由は二つある。
一つは今ある名古屋城の「本格木造立て替え計画」があるということを知ったからだ。
このコンクリート製天守閣も、もう築50年以上経って耐震性に問題があるらしい。
それならこの際、本格的な木造・漆喰作りで建て直そうというプランがあるそうで、
現在の市長さんが積極推進派らしい。
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当然巨額の費用がかかる。建て替え派と耐震補強派とで名古屋市議会はモメる。
ただ、耐震補強しても延命可能なのは40年くらいっていう説もあって、文化庁なんかも
「建て替えるなら本物に近いものを」という方針を示したとされる。

木造建て替え派の市長は「耐震性が低いのは危険だ、入場制限しよう」と言い出す。
現在でも名古屋の観光スポットである城の入場規制は地元にとっちゃダメージ大きい。
これはまぁ建て替え推進派の市長による揺さぶりってヤツだな。一方で巨額の費用負担は
どうするんだ、木造本格復元だとバリアフリーにならないじゃんと反対も根強く、
名古屋では大きな政治問題化してるらしい。
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ここで名古屋市民じゃないイ課長が勝手な意見を書くことを許していただきたい。
個人的にはやっぱり木造復元してほしいと思う。焼失前の名古屋城はモノクロ写真で見ても
素晴らしい。それだけに今のコンクリート製のお城に失望するのはいかんともし難い。

確かに、昭和30年代に「二度と燃えないようにコンクリートで」という願いを込めて
作った城を現在の感覚でアレコレ言うのはフェアではない。それは認める。しかし
劣化したコンクリートを耐震補強して数十年延命するくらいだったら、本格木造で
オリジナルに近い復元を期待したいんだよ。
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昭和30年代はそうでもなかったかもしれないけど、今や「歴史的建造物を建てなおすなら
オリジナルに近いものに」っていうのはコンセンサスだと思うんだよね。同じように戦争で焼け、
オリジナルそっくりに復元した今のローテンブルクの街は、まさに元通りに作ったそのこと自体に
意味がある。もし鉄筋コンクリートで外観だけ元通り作り直しても・・・ねぇ?

まぁ木造復元か、耐震補強かはまだわからないけど、見慣れた名古屋城が近い将来何らかの
大規模な工事でしばらく見られなくなるのは避けられないようだ。それなら、まぁもう一度
見ておくかと思ったわけ。これが名古屋城に行った理由の第一。
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第二の理由は、最近になって復元された本丸御殿というのに興味があったからだ。
こっちはもちろん本格木造による復元。150億円の巨費を投じた一大プロジェクト。
まだ復元工事は途中らしいけど、完成した部分は見学できるようだ。写真を見ると
出来立てだからどこもピカピカ。
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コンクリ延命か木造建て替えかで揺れる天守閣。その足下じゃ本格木造による金ピカ復元。
今の名古屋城は歴史的建造物の保存・復元のあり方を考える上で面白いモデルではないか。
というわけで、これが行きたくなった理由の第二。

20代の頃に見て以来の、たぶん30年ぶりくらいに行った名古屋城。
しかし長くなったから、その詳細は次回に(お・・ヲイ、今日は予告だけかよ!!)


 

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by tohoiwanya | 2016-11-14 00:18 | 国内出張・旅行 | Comments(0)
2016年 06月 10日

何はともあれパトゥーサイ

ワッタイ空港からホテルまではスムーズに着いた。
Mr. トシヴドゥキ」なんてスペルミスもなく(笑)、すんなりドライバーを発見、車に乗り、ホテルに着いた。
前年泊まったシェムリアップのホテルでは空港送迎はトゥクトゥクだったけど、ヴィエンチャンでは
立派な四輪車だったんで軽く驚いた。
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ホテルでチェックインを済ませ、一休みしたらさっそく市内観光に出撃。
ヴィエンチャンには一泊しかしないから寸暇を惜しむのである。もっとも見どころの少なさで有名?な
ヴィエンチャンだから、どこに行こうか迷うほど選択肢が豊富ではない。

そんなヴィエンチャンの数少ない観光スポットとして必ず紹介される両横綱みたいな存在が二つあって、
その一つがパトゥーサイ、もう一つがタート・ルアン。この際二ついっぺんに制覇してくれようじゃねぇか。
外は暑いがさぁ行くぞ。今日もはりきって製塩業に励むぞ(笑)。

まずはホテルからもほど近いパトゥーサイからだ。勝利の門とか凱旋門とか訳される。
パリの凱旋門と同じように広い大通りの真ん中にデンと建ってるから(道路は左右に分かれる)、
遠くからでも容易に発見できる。ヴィエンチャンの背骨といえるランサン通りに出て視線をヒョイと
左に向けただけで、ほら、あったーーー。
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パリの凱旋門を手本にして作られたと言われるだけあって(ほれ、ラオスは旧フランス植民地だし)、
なかなか堂々とした門なのは確か。しかし門に見とれる観光客の姿はほとんどない。

この門、登れる。パトゥーサイを制覇したと言うためには外観を見るだけじゃなく上に登りたいところだ。
ただし登るにはチケットがいる。3000キープ。まぁ50円弱ってところか。
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階段を上っててっぺんに向かう。ここも外人観光客は少なくて、むしろ地方から来たラオス人が
首都ヴィエンチャンに来て、ここを観光してるって感じに見えるなぁ。
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はい登頂完了。歩いてきたランサン通りの南西側を見てみましょう。いやぁ~こうして高い所から見ると
ヴィエンチャンってなにもない、平べったい町だなぁ〜・・・車の数も少ないよね。
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はい反対の北東側。世界で最も静かな首都なんて言われるだけあって、街の中心部でも車やバイクの数が
少ないねぇー。サイゴンだったら昼となく夜となく道路中がバイクで埋め尽くされてるだろうに。
当然、交通渋滞なんてものもない。ラオスって予想していた以上にノドカな国っぽい。
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おお、凱旋門の窓の柵までこうしてホトケ様仕様になっていたとは。凝ってるねー。
さすが敬虔な仏教国。
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サイゴンやハノイに大聖堂があるベトナムと違って、ラオスにはああいう誰にでも目につくコロニアル建築
みたいなモノってあまりない。っていうか、ちょっと読んだ話だとフランスはインドシナの植民地経営に際して
カンボジアやラオスの“現地業務”はベトナム人にやらせた部分が大きかったとも言われてる。
現地法人で雇った現地人社員を使って、隣りの国に作った現地子会社を運営させるようなもんか。
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こうしてイ課長のヴィエンチャン観光はとりあえずパトゥーサイから幕を開けた。
この後「両横綱」のもう一方も制覇しに行くわけだが、それについてはまた次回に。


 

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by tohoiwanya | 2016-06-10 00:13 | 2015.09 東南アジア旅行 | Comments(0)
2016年 02月 09日

サイゴン・コロニアル建築散歩【その2】

サイゴン大聖堂のすぐ隣りにある、もう一つの有名建築物。
それは中央郵便局なのである。サイゴン中央郵便局といやぁ、まさにフレンチ・コロニアル建築の
代表的存在で、コロニアル建築っていうとよく例に挙がる。ウィーンの郵便貯金局もそうだったけど、
郵便局みたいな公共建築物って作る方もリキが入るんだねぇ。

外観はこんな感じ。
人民委員会庁舎みたいに高い三角屋根がついてるわけでもないし、入口には大きな時計もあるし
一見するとそれほどデコラティブじゃなくて、実用本位のデザインのようにも見える。
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いやそうでもないな(笑)。中央の彫刻なんて凝りにコッてるよ。
こうやって目の黒目の部分をクリ抜くと、そこがカゲになって「黒目の大理石像」って感じになるよね。
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さて、中に入ってみよう。内部に入れなかったサイゴン大聖堂と違って、ここは現役の郵便局だから
中に入れるんだけど、地元の郵便局利用者より外国人観光客の方が圧倒的に多い(笑)。
しかしこりゃ確かに立派な建物だなーー。長~いカマボコアーチからの採光もあって室内は明るい。
奥に建国の父ホーチミン像があるけど。あれは間違いなく1975年の戦争終結後に掲げられたもんだな。
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しかしそれ以外の装飾はかなり建築当時のままをキープしてるんじゃないかと思うんだよね。
たとえばこれ。20世紀初め頃のサイゴン市内の地図じゃないか?今となっては古地図だが。
地図右寄り、太い川がぐーっとカーブしてるあたりの外側がマジェスティック・ホテルだ。
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さらに同じ頃とみられるメコンデルタ地方の地図もある。
しかし地図もノスタルジックだが、その手前にある照明塔やガラスの照明がアール・ヌーボー調で
実に「時代がついてる」って感じだ。歴史を感じさせるねぇ。
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さらに驚くのはこの木製のボックス。
今はATMの機械が置かれてるみたいだけど、昔は間違いなく電話ボックスだったはず。
カウンターで「どこそこに電話をかけたいんだが・・」って頼むと、交換の人が呼び出して
「2番のボックスでお話し下さい」みたいな感じで案内するんだよね。昔のフランス映画なんかに
よくそんなシーンがあったよ。
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てなことに感心しながら内部を見学してたら、やっぱりスコールがザバッと降り始めた。
雨宿りと見学を兼ねた観光客がさらにドッと入ってきて、内部はすごい人ゴミだったよ。
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これだけ観光客が多い建物だから、郵便局内にはちゃんと土産物屋まである。
イ課長も特に買い物があったわけじゃないけど、雨がやむまでブラブラしてみた。
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この土産物屋の女性店員、全員赤いアオザイを着てて、それがすごくキレイだった。
あーこの赤いアオザイを着た女性の写真撮りたいなぁ(・・って、もう撮ってるじゃん)。
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そこで近くにいた女性店員二人に頼んでにっこり写真を撮らせてもらった。
写真を送ってあげたいからメールアドレスを教えてもらい、最終的にこの左側の女性とは
Facebookのお友達にもなったのである。前に美女図鑑にも載せたよね。
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コロニアル建築という点でも、赤いアオザイ美女という点でも、見るべきものが多い(笑)
サイゴン中央郵便局だったのである。

さて、スコールもやんだし、腹も減ったし、またぶらぶら徒歩観光に戻りましょうかね。
中央郵便局を後にして、ふたたびサイゴンの街にくり出すイ課長なのでありました。
 
 
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by tohoiwanya | 2016-02-09 00:55 | 2014.09 東南アジア旅行 | Comments(4)
2016年 02月 07日

サイゴン・コロニアル建築散歩【その1】

さて、髪をうんと短く刈り、サッパリしたイ課長。

頭も軽く、足取りも軽く、お気楽観光モードでレロイ通りを国立劇場の方に向かって歩いた。
イ課長が目指していたのはサイゴン大聖堂なのである。どのガイドブックにも必ず紹介されてる
サイゴン名所の一つなんだけど、イ課長は見たことがなかった。写真を見ると二つ尖塔があって
ゴシック聖堂っぽい。ごくマイルドな教会建築ヲタク・イ課長としては見てみたかったんだよね。

レロイ通りからドンコイ通りのあたりはコロニアル様式の代表的建物が多い。
この人民委員会庁舎も壮麗なコロニアル建築で有名だ。夜はライトアップされるらしいけど
さぞキレイだろうなー。ベトナム戦争終結まではサイゴン市庁舎として使われてた建物なんだと。
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それにしてもこの建物、戦争で壊されなくて良かったねぇ。
基本的にサイゴン陥落は無血開城だったから、古い建物も意外にキチンと残ってるって感じる。
建築遺産の破壊という点じゃ日本の戦災の方が深刻だったのかもしれん。

人民委員会庁舎を左に見て歩くと正面にはすぐ国立劇場が見えてくる。
以前にご紹介したように、ここもヨーロッパ的意匠が散りばめられた立派な建物だ。
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そして、これまた以前にご紹介したコンチネンタル・ホテル。
その向こうにはもうサイゴン大聖堂の高い尖塔が見える。ほらね。
庁舎、劇場、ホテル、教会とフランス植民地当時の支配者側にとって重要な建物がこの一角に
密集してるわけで、ちょいとばかりフレンチ・コロニアル建築博物館的なエリアといえる。
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さて、サイゴン大聖堂だ。
大理石でつくる本場フランスのゴシック教会と違ってレンガ造みたいだから外観が茶色だけど、
形としてはゴシックだろうなぁ。タテ長三角の屋根を持った尖塔二本。シャルトル大聖堂なんかと
近い外観だね。
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ガッカリしたことに、この時は中に入れなかった。
教会って、常に信者のために門は開かれてるんじゃないのぉ~??ちえーーッ。
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しょうがないから大聖堂のまわりを歩いて外観を眺める。
熱帯を象徴するヤシの葉っぱと高い尖塔をもつ大聖堂って、新鮮な組み合わせだよねぇ。
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サイドはこんな感じ。ちゃんと十字架型に交差廊があり、その先端にバラ窓らしきものがあるから、
やっぱりゴシック様式だよな、でもさすがにフライングバットレス(飛び梁)までは導入してない。
このくらいの高さだったら不要なのかも。
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これ、おそらくラテン語で何か有難い言葉が書かれてると思われる。
まぁキリスト教の大聖堂なんだから、サイゴンでもラテン語使ったってまぁいいよ。
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しかしこれには驚く。中国語だよな?これ。
ラテン語と中国語が併用されたゴシック教会なんて初めて見た。まぁ日本人にとっては
意味を推測するという点ではラテン語より好都合ではあるが。
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このあたりから少しずつ空が暗くなってきた。ひと雨くるかな?
どこかで雨宿りする必要が生じた時、教会に入れないのは困るけど、なーにご安心あれ。
サイゴン大聖堂のすぐワキには、これまたサイゴン・コロニアル建築を代表する
超有名な建物があるから、そろそろそっちに移ろうではないか(つづく)。

 
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by tohoiwanya | 2016-02-07 00:05 | 2014.09 東南アジア旅行 | Comments(2)
2014年 03月 20日

タージ・マハルというところ その4

さて、タージ・マハルの裏のテラス。

ここは日陰で涼しいし、何より眼前にヤムナー川の広大な流れが広がってて、見晴らしがいい。
暗くて暑くて人ゴミだらけだった内部からここに出てくるとみんなホッとするようで、インド人の多くは
ここに座り込んで休憩してた(ただし飲み食いしてる人たちはいなかった。おそらく飲食禁止)。
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イ課長もここでちょっと休むことにした。
水牛がヤムナー川で水飲んでるよ。なんか「悠久のインド」って感じの風景だよねぇ。
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反対側を見るとさっきまでいたアグラ城が見える。うーん・・つい1時間前は
あそこからタージ・マハルを見てたんだよなぁ。
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さて、このタージ・マハルの裏のテラスに出ると、ある重要な発見ができる。
それは前回記事の末尾に書いた「シャー・ジャハーンが思い描いた理想」に関わるものだ。

いま彼は愛妻ムムターズ・マハルと並んで永遠の眠りについている。
だがスーパー建築道楽皇帝シャー・ジャハーンが望んでいたのはそんなみみっちいことではなかった。

彼の構想としては、ヤムナー川の対岸にもう一つ同じ形の霊廟を黒大理石で作りたかったといわれている。
つまり白いタージ・マハルの川向こうに、今度は「自分用」に「黒いタージ・マハル」を作り、
その二つを橋で結ぼうと思ってたらしいんだよ。

白と黒の二つのタージ・マハルがヤムナー川をはさんで建つ・・・あまりにも壮大すぎる彼の建築構想は
結局実現することはなかった。何せ白いタージ・マハルだけで国庫は傾いたといわれるんだから。

そんな話を聞いたことがあったから、「あの辺に黒いタージ・マハルを建てようとしてたのかなぁ?」などと
思いながらイ課長は川の対岸を眺めた。するとだ・・・

これは何だ?これは白いタージ・マハルのほぼ左右中心線上から撮った写真だけど、
対岸にあるこの平らなところも正確に同じ中心線から左右対称に広がっているように見える。
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これは明らかに「黒いタージ・マハル」の基礎工事の後だ。そうに違いない。
でなきゃ川の対岸、同じ中心線上に左右対称の土地造成がなされるなんて考えられない。

黒いタージ・マハル構想は本当だったんだ。これにはけっこう驚いたね。
この話を初めてテレビで知ったときは「そんな言い伝えもあるんだ」程度にしか思ってなかったけど
実際にプロジェクトは動き始めてたんだ。基礎工事だけとはいえチャンとその名残りがあるんだもん。
いやーすごいよシャー・ジャハーン。キミは本当に「黒いタージ・マハル」を作ろうとしてたのか。

それにしても、シャー・ジャハーンが帝位にあったのは1600年代半ば、日本でいえば江戸時代初期か。
その頃の基礎工事の跡がそのまま残ってるっていうのもすごい話だ。
周囲に広がるダダッ広い原野を見る限り意図的に保存したとは考えづらい。単純に残ってるんだろう。

あの造成工事の跡はまさに「シャー・ジャハーンの夢の跡」なんだなぁ・・・
彼がいま白いタージ・マハルに妻の棺と共に眠ることが理想ではなかっただろうと思う理由はここにある。

しかし、もう一つ黒いタージ・マハルまで作ろうってのは、さすがに建築道楽が過ぎるよキミ(笑)。
“白い方”を建てたというだけで歴史に名を残したシャー・ジャハーン。黒いタージ・マハル構想が頓挫して
「女房の墓」に一緒に葬られたのは意に反してたかもしれないけど、愛妻の隣で眠るのも悪くないと思うよ?
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てな具合に、シャー・ジャハーンやムムターズ・マハルのことをホンのちょっと知っておくと
タージ・マハル観光はいっそう感慨深いものになる。
中でもこの「黒いタージ・マハルの造成工事跡」が残ってたのには驚いたねぇ。

さて、タージ・マハルの表から裏までたっぷり拝見させていただいたし、そろそろ戻るか。
表側にまわり、行きに通った真ん中の通路ではなく、外側の通路を歩いて帰ることにした。
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ずーーーっと出口の方に向かって歩き、「ここを曲がったらもうタージ・マハルが見えない」という地点で
最後にもう一度振り返ってタージ・マハルを見た(写真がナナメってるが)。
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いやー堪能させていただきました。インドに来たかいがありました。
さすがは「世界の観光地タージ・マハル」だと思ったよ。実物の持つチカラに圧倒されたましたですよ。
おそらくもう見ることはないだろうが、これからもその輝きを失わないでくれ、タージ・マハル。

かくして、インド出張における「ついで観光」の唯一最大のクライマックスは無事終ったのでありました。
タージ・マハルだけで「その4」まで書いちまったぜ。毎度話が長くてすまんのう。


 

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by tohoiwanya | 2014-03-20 12:12 | 2012.10 インド出張 | Comments(4)