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2017年 07月 24日

グリニッジ天文台【子午線編】

ちょいと箸休めを挟んで、グリニッジ天文台に戻りましょう。
「子午線編」っつうからには、別の編もあるみたいですねー、続くんですねー、こわいですねー。

さてだ。現在は博物館として公開されているグリニッジ天文台。
展示内容も普通の天文台とは違って、子午線とか標準時とか、そういうものに関するものが多い。
「ここならではの展示」ってことだよな。本日はその中でも子午線の話をしたい。
 
まずはいきなりで恐縮だがイ課長のアホ面写真から。
下の写真でイ課長がまたいでいるのがグリニッジ子午線で、このときイ課長は地球の
東半球と西半球の両方に足を置いたことになる。グリニッジ天文台に来た観光客が必ず撮る
記念写真の定番ポーズ。
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とーころがですよ。
この記事を書くためにちょっと調べてみたけど、子午線の世界も深いんだねー。
上の写真でイ課長がまたいでいるのは正確には「エアリー子午線」と呼ばれるものなんだけど
しかし子午線はこれだけじゃないのだ。

初代グリニッジ天文台長だったハレー(ハレー彗星のヒト)とか、第3代天文台長だった
ブラッドレー(この人も科学史では有名)とか、いろんな人が子午線決定には力を尽くしてて、
エアリー子午線とは43m離れた別の子午線とか、6m(!)離れた別の子午線とか、いろいろあるのだ。
下は6mしか離れてない子午線の位置表示で、エアリー子午線のすぐそばにある。
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それだけならまだいい。20世紀になってさらに科学的な子午線基準が定められた。
IERS基準子午線っていうらしいんだけど、それはグリニッジ子午線から西に102.478m離れてるんだと。
科学的厳密さに即して言えば上の写真でイ課長がまたいでいる線には何の意味もないわけだ。

でも一般人が学校で習う子午線といえばやっぱグリニッジのココだよな。いや勉強になった。
訪問前にこういうことを予習しておけばもっと有意義な訪問になっただろうに(笑)。

緯度には南極・北極っていう基準があるけど、経度には地球上で基準とすべきところがない。
しかしどっか基準を作らなきゃっていうんで、グリニッジにしようってことになったのは1884年の
ことなんだと。その時点ですでにグリニッジを基準にしたイギリス式の海図が世界中でかなり
普及してたから、ここが良かろうということだったようだ(フランスだけは抵抗したらしいが)。

建物の中はエアリーさんが子午線を観測した時の機器が保存されている。
下の写真の下の方、木の床に細い銅板みたいなのでラインがあるじゃん?これが子午線。
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そのまま目を転じると子午線のラインはこんな風に窓の真ん中を通って外に続いている。
エアリーさんは上の写真の巨大な黒い歯車みたいな装置(たぶん子午環っていうんだと思う)で
窓の中心を基準に観測したようで、その窓の中心がそのままグリニッジ子午線になったわけだ。
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お、エアリーの前に子午線を観測したブラッドレーさんがいる。こういう顔してたのか。
たぶん多くの業績を残した人なんだろうけど、科学史においてブラッドレーといえば
光速度測定の歴史でガリレオ、レーマーに次いで必ず取り上げられる人だ。彼が発見した
光行差を用いた光の速度計算は約30万km/秒で、ほぼ合ってた。
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実はイ課長、文学部出身のくせに科学史の本を読むのがけっこう好きなもんで、
グリニッジ天文台の展示で名前を聞いたことある人を見つけると、やっぱちょっと嬉しくなる。
イ課長ですら知ってる人がいるくらいだから、天文史マニアなんかにとっちゃここはもう
たまんないと思うよ。

グリニッジ天文台は17世紀に設立されたらしいけど、その頃の観測機器なんかも残ってる。
現在に比べりゃオモチャみたいな性能なんだろうけど、それでも18世紀に光速度がほぼ正確に
計算できちゃったんだからすごい。
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子午線について調べたらいろいろ勉強になったので、ついその成果をいろいろと書き連ねて
しまいました。次回更新はグリニッジ天文台ならではのテーマその2として、計時技術と
経度測定法についてご紹介しますです。いつから科学ブログになったんだ?ここは(笑)

 

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by tohoiwanya | 2017-07-24 00:20 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 07月 20日

グリニッジに行ってみよう その2

エレベーターを待ってると自転車ニイチャンだの、乳母車ママだの、だんだん人が増えてきた。
下から上がってきたエレベーターにもけっこう人が乗ってるから、人の通行はけっこう多いトンネルみたいだ。
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ぐぃーん・・と下に降りる。
別にダイヤモンド鉱山に降りるワケじゃないから、階段でも十分なくらいの深さだけど、それでもちょいと
ワクワクするってもんだ。
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どぉーん。これがトンネル。ただし名称は知らない。
地図で見るとグリニッジあたりのテムズ川って川幅はせいぜい400mくらいに見えるから、トンネルの長さも
500mはないんじゃないかなぁ?でも川の下のせいか、すげー空気がひんやりしてて涼しい。
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もし今この瞬間、地震が起きてこのトンネルの天井にピキッとヒビが入ったら、その瞬間にテムズ川の水が
どしゃーーーっとトンネルに流れ込んできてオレたちはたちまち溺れ・・ずに、どっちかの出口に流されて
意外に助かるのかな?なんて考えたりもしたけど、もちろんそういうことはなかった。

ほどなく対岸、つまりサウスバンク側に到着。ここにもエレベーターがあったけど、今度は階段で
地上に出ることにした。ビルでいえば3階分くらい段数じゃなかったかと思う。やっぱそれなりに深い。
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・・え?トンネルの写真は1枚だけかって?
いや実はもっとあるんだけど、イ課長やトホ妻のツラが写ってるやつが多いもんだから
掲載可能なのは1枚だけなんス、すんません。
 
明るい外に出てみるとすぐ目の前に帆船カティ・サーク号が見える。おおおお。
そういえばカティ・サークっていうウィスキー(だっけ?)もあったよねぇ。たぶんこの船の
名前からとったんだろうな。昔は紅茶を運ぶ船だったらしい。
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なかなか気分のいいグリニッジ到着じゃん。「カティ・サーク」っていうDRLの駅もあるから
そこまで乗るのが早いんだろうけど、イ課長としては一つ手前で降り、トンネルで川をわたり、
地上に出たところで帆船を目にして驚くというルートもお勧めしたい。

このグリニッジは天文台をはじめとした一帯が海事都市として世界遺産になってる。
確かに歴史ある町並みという感じだ。天文台があるくらいだから昔は田舎だったんだろうけど
今はDLRも通ってるし、赤い二階建てのバスがあるから、ロンドン交通局の管轄内なんだろう。
ロンドン郊外っていうより、完全にロンドンの一部だね。
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川べりに近いところにあるカティサーク号から南、つまり川から遠ざかる方向に歩いて行くとすぐに
広大な公園になる。ケンジントン公園みたいにところどころに建物があったり池があったりする
わけじゃなく、芝生が生えたなだらかな斜面と木がいっぱいあるだけ。もしかするとここは
特にナントカ公園っていうような名称もないのかもしれない。
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しかしここはすごくキレイなところだったよ。
造園されたって感じがなくて、昔からずっとこんな感じの斜面だったんだろうって気がする。
学校の生徒たちが揃って(おそらく天文台の)見学に来てたり、かと思うとイヌが走り回ってたり、
天気がよかったこともあって、ゆるやかな斜面を歩くのが全然苦にならない。
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丘を登って後ろを見ると、おおーー何と良い景色。
遠くに見える二つのドームのある建物は旧王立海軍大学ってとこだそうで、この建物の設計者である
クリストファー・レンはセントポール寺院の設計者として知られている。うーむ・・来る前はさほど
期待してたわけじゃないけど、グリニッジ、いいトコじゃん。
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まぁここまで来たらコトのついでに有名なグリニッジ天文台を見学していくか。
別に天文台見学が目的で来たわけでもないんだけど、せっかく地球の経度0地点に来たんだから
子午線が通る場所、世界標準時の基準地点グリニッジ天文台を見ずに帰るわけにもいかんだろ。

というわけで、次回はいよいよグリニッジ天文台だ。
ここはけっこう面白かったし、写真もいっぱいあるからジックリご紹介するぞ。

 

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by tohoiwanya | 2017-07-20 00:11 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 07月 13日

王立地理学会のシャクルトン

王立地理学会の場所を調べたら、ホテルから歩いても行ける場所だと判明した。
それが実は滞在最終日の朝、ケンジントン公園を横断して行った目的地だったのだ。
場所はロイヤル・アルバートホールのすぐ近く。

これが由緒ある王立地理学会、ロイヤル・ジオグラフィカル・ソサエティの建物なのである。
うーむ・・・確かに古色蒼然たるレンガ造りの建物が歴史を感じさせるぜ。
しかしイ課長の興味は学会そのものではない。シャクルトンの銅像なのである。
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しかし銅像ってシャクルトンだけなのだろうか?英国の有名な探検家は他にもいる。
あるとすればリヴィングストンかスコットか・・と思ってたけど、予想通りリヴィングストン博士発見。
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リヴィングストンについてはイ課長も詳しくは知らない。
アフリカ探検で大変な功績を残した人で、そのままアフリカで行方不明になった。
新聞記者スタンレーが彼を捜しに行き、アフリカの奥地でリヴィングストンを見つけたことは
英国では天下の大ニュースとして報じられたらしい。

リヴィングストン博士の下を通ってカドを曲がると・・・お!ありましたシャクルトン。
いかにも極地探検家らしいナリで銅像になっている。
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この人の人生はホント、波乱万丈だった。
前回書いた南極横断の失敗⇒2年近くにわたる漂流⇒奇跡の航海⇒奇跡の救出劇だけでも
十分波乱万丈だがこの後がまたスゴい。

植村直己さんなんかもたぶんそうだったんだろうけど、探検家ってどうも特殊な人種らしい。
雪山だの南極だので苦しい目にあってる時は「二度とこんなツラい探検するもんか」と思うけど
いざ平穏な日々に戻るとドウしようもなく危険な探検に再び行きたくなってウズくんだな。
シャクルトンもあれだけ大変な目に遭いながら、英国に戻ってしばらくするとウズいた。

で、1921年に再び南極に向かった。この時の目的は「亜南極の探検旅行」という、極めて
バクとしたもの。要するに目的ウンヌンより、とにかく何でもいいから理由をつけて、
もう一度南極に行きたかったんだと想像される。
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1922年1月、シャクルトンはあまりにも思い出深いサウスジョージア島に再び寄港。
例の「4人め」の存在を感じながら凍死寸前になりつつ山脈を横断した、あの島だ。
しかし体調が悪化し、船内で医師の診断を受けた。この時の医師は例の大漂流+奇跡の救出の時の
探検に同行した人で、あれほど生死の境を経験したにもかかわらず、前回探検隊の隊員の多くが
この時にも再び志願して参加したらしい。

医師はシャクルトンに「もうあまりムリすべきではないですよ、ボス」とか何とか忠告したらしい。
「君はいつも私に何かやめさせようとするな、今度は何をやめろっていうんだ?」
「まずは酒ですね、ボス」
この会話の直後、シャクルトンは深刻な心臓発作に襲われ、そのまま死んでしまった。
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6年前に奇跡の航海で辿り着いた絶海のサウスジョージア島で死ぬというウソみたいな本当の話。
結局彼の遺体はそのままサウスジョージア島に埋められた。まさに本望というべきだろう。

彼の死後しばらく、英国では「南極の英雄といえばスコット」という時代が続いたようなんだけど、
1960年代頃から徐々に世間の評価が変わり、今じゃシャクルトンの方がすっかり有名になっちまった。
「真のリーダーのあるべき姿」的なモデルとしてよく取り上げられて、ビジネス研修なんかでも
“教材”になることがあるんだと。
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しかしイ課長はビジネスリーダー論にシャクルトンを持ち出すのは個人的には好きではない。
彼は驚くほどの能力と体力とリーダーシップ、そして何より強運を持ったすげー探検隊長だった。
それでいいじゃん。

たまたま本を読んでいなければ決して来ることはなかったであろうロンドン王立地理学会。
しかしイ課長はシャクルトンの銅像と一緒に記念写真も撮ってたいへん満足なのでありました。
結局のところイ課長も単なるミーハーなのである(笑)。
 

 

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by tohoiwanya | 2017-07-13 00:04 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 07月 11日

アーネスト・シャクルトンという人

シャクルトンはロンドンネタの一つとしていつか扱うべき人だった。
ポートレート・ギャラリーの時も紹介しかけたけど、この人の驚くべき業績(と言っていいのか?)を
説明しようとすると、どうかいつまんで説明しても長くなるので扱いに困ってたんだよ。

イ課長は英国旅行の前にたまたま彼に関する本を何冊も読んだとこだった。
いわばシャクルトンは英国旅行の時、イ課長にとっちゃマイブームだったわけ。
本日はご存知ない方のために彼がどういうヒトか、極力短く説明しよう。
(下はイ課長が買って読んだ本その1)
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アーネスト・シャクルトンは英国の南極探検家で、活躍したのは20世紀初め。
アムンゼンとかスコットなんかと同時代の人で、極地探検が「英雄の時代」と言われた頃の
英雄の一人なのだ。英国人だけど正確にはアイルランドの生まれ。
 
アムンゼンとスコットの南極点到達争いは有名だし、負けた方のスコット隊が帰路に遭難して
全員死亡した悲劇も有名だ。これはご存知の人が多いだろう。

シャクルトンも当初は南極点到達一番乗りを狙った。最初はスコットの第1回探検に同行して
南緯82度まで迫って撤退。次は自分の探検隊を組織して南緯88度まで迫って撤退。
これはどちらも当時の最南端到達記録だったから、英国じゃ著名人になった(買って読んだ本その2)。
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その後南極点到達はアムンゼンに先を越されたから、シャクルトンは次なる目標を南極大陸
横断と決め、再び自分の探検隊を組織。エンデュアランス号という船で南極に向かった。
結果的にこの探検は大失敗するわけだけど、この失敗が彼を有名にした最大の要因と言っていい。
ここから先は少しでも記述を短くするため、年表方式で書くことにする。

1914年 8月 エンデュアランス号でロンドンを出発するのとほぼ同時に第一次大戦勃発。
1914年12月 最後の寄港地サウスジョージア島から南極海に。だんだん流氷に苦しめられる。
1915年1月19日 とうとう巨大流氷にガッチリ固められて船は停止。そのまま船は氷と一緒に漂流。
        漂流したしたまま船の上で南極越冬。
1915年10月27日 氷圧に耐えきれずエンデュアランス号崩壊。28人の乗組員は氷上に移動。
         今度は巨大流氷の上のキャンプでさらなる漂流が始まる。
1916年 4月 9日 氷が割れ始めたので船から持ってきた3艘の救命ボートで南極海に漕ぎ出す。
1916年 4月15日 信じ難いことに3艘のボートはエレファント島ってトコにたどり着いた。だがそこは無人島。
         誰かが救助を呼びに行かないと誰も気づかない。一番近そうな島は1300km離れた
         サウスジョージア島。2年前の12月に寄港したトコだ。そこに行けば捕鯨基地がある。
         行くしかない。救助を呼ぶにはそれしか方法がないのだ。
1916年 4月24日 3艘のボートで一番マトモそうなジェームズ・ケアード号に急ごしらえの甲板作って
         改修し、シャクルトンは自分自身の他に5名の隊員を選抜、再び南極海に漕ぎ出した。
1916年 5月10日 再び信じ難いことにジェームズ・ケアード号はサウスジョージア島にたどり着いた。
         だが到着したのは運悪く島の無人地帯。捕鯨基地があるのは島の反対側。急峻な山脈を
         越えて島の向こう側に行かなきゃ救助も呼べない。
1916年 5月18日 体力回復を待ってシャクルトンはまたもや自分を含む3名の、まだしも使い物になりそうな
         隊員を選抜し、地図もなく、装備もなく、ボロ服のまま酷寒の山脈越えに出発。
1916年 5月20日 またまた信じ難いことに3人は島の反対側の捕鯨基地に到着。
1916年 8月30日 何度か氷に阻まれたものの、エレファント島に残していた隊員の救出に成功。

さて、ここで問題です。
シャクルトンを含めて最初28名いた隊員、最後に救出された時点で何人が生き残っていたでしょうか?
 
       
実は28人全員が生き残ったのだ。一人も死ななかった。
南極大陸横断は失敗したけど、この信じ難い一連のデキゴトと全員生還とでシャクルトンの名は
極地探検史上不滅となり、とうとう王立地理学会に銅像が建てられるに至った。
(下の画像はWikipediaにあったものを切り取って少し加工したもの)
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最後の山越えの時に有名なエピソードがある。
ボロ服の3人が凍死寸前でフラフラになって山を歩いてる時、シャクルトンは自分たちと一緒に
「4人目」が歩いているような強い感覚を覚えた。彼はその話を敢えて口にしなかったらしいんだけど
後で他の二人が「隊長、私あの時、もう一人いるような感じがしてたんですよ」と口々に言った。

この話はシャクルトン自身も本に書いてて、後に英国の教会で「神サマが彼らをお導き下さったのです」
てな感じでよく取り上げられたらしい。

イ課長はこの一連の実話を新潮文庫の「サードマン」という本で初めて知り、その内容にタマゲた。
巨大流氷の上で半年近く、アザラシの脂肪ストーブで煮たペンギン肉シチューとか食って28人が
生き延びたのも信じ難いが、1300km(東京から奄美大島くらい)の超荒れた海を無動力のボートで
風と海流を頼りに、豆ツブみたいな目標の島まで航海したなんて、もはや信じろって方がムリ。
まさに神がかり的としか言えん。ちなみにそのボートはシャクルトンの母校に今も保存されている。
(イ課長が買って読んだ本その3)
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とにかくあまりにも信じ難い実話なので、その後シャクルトン自身が書いた探検記の抜粋を含め、
彼に関する本をさらに数冊読んだ。英国に行ったのはそのちょうどその直後だったのだ。
(下はイ課長が図書館で借りて読んだ本)
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となればだよ?王立地理学会にあるというシャクルトンの銅像は見ておきたいじゃないの。
ロンドンで行きたい場所が王立地理学会って、なんてシブい観光客であろうか(笑)。

というわけで次回、その銅像を見に行った時の話だ。
前フリだけで続き物にしないよう、これでも必死に話を短くしたんだよ?イ課長は。


 

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by tohoiwanya | 2017-07-11 00:13 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 06月 28日

ピーターバラ大聖堂というところ【その3】

それでは「ピーターバラ歴史散歩」とまいりましょう。
まずはヘンリー8世のお妃1号だったキャサリン・オブ・アラゴンのお墓。
キャサリンについてはもうかなり説明したからクダクダ書く必要はあるまい。

もとはスペインの王女様だったわけだから、気位は高かったんだろうなぁ。
どうせ亭主は好色デブのヘンリー8世。イ課長が彼女の立場だったら巨額の慰謝料もらって
サッサと離婚して安楽な余生を送るだろうけど、生まれた時から王族のキャサリンには
そういう発想はなかったんだと思われる。
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これがお墓。ヘンリーに強引ムリヤリ離婚されたとはいえ、お墓の称号はQueen of England 。
ガンとして離婚に応じないカタクナさを持つ反面、人柄は良かったようで幽閉先の城の周辺住民達からは
慕われてたらしい。ついこないだまで英国王妃、それが自分勝手な王様と悪女アン・ブーリンのせいで
こんな目に・・可哀想なキャサリン様・・というわけで世間の同情も強かった。
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彼女の墓の上に何か果物が・・最初はリンゴかと思ったけど、これ、たぶんザクロだ。
これはトホ妻の知識だけど、ザクロといえばグレナディン、グラナダの町のシンボルでもある。
スペインから嫁入りしてきたキャサリンの霊を慰めるお供えとしてはふさわしいんだろう。
悲劇の王妃・キャサリンを慕う人が今でもいるんだねぇ。何となくしんみり・・・。
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そんなキャサリンを追い出して王妃の後釜に座ったアン・ブーリンも結局3年ほどで姦通の罪を
着せられて処刑。アンの斬首刑が行われた時、キャサリンのお墓にあったロウソクがひとりでに
一斉点灯したと言われる。あたかも自分を追い出した憎い女の死に快哉を叫ぶかのように・・・
ま、言い伝えです。イ課長だって信じません(笑)。でもこういうウワサがやたら広まって
無視できなくなったヘンリーはピーターバラに調査団を差し向けたっていうから、彼の中には
キャサリンに対する負い目があったことは間違いない。

この大聖堂にはその後釜王妃アン・ブーリンの娘(エリザベス1世)の命で処刑されたスコットランド女王
メアリ・スチュアートのお墓だった場所もある。“だった場所”と書かなければならないだけあって、
この背景説明はキャサリンより一段と複雑だが、何とか短くまとめよう。

メアリ・スチュアートはスコットランド女王だったのにロクでもない男と再婚して廃位の憂き目に遭い、
イングランドにいわば亡命した。王族ではよくあることだけどメアリ・スチュアートとエリザベスは
遠縁にあたるらしいんだよね。そんなこともあってイングランドでも当初はそれなりに処遇されてた。

ところが彼女には陰謀好きなトコがあったようで、よせばいいのにカトリック勢力たちの
エリザベス暗殺計画なんかにのせられた。陰謀がバレて死刑。そしてピーターバラに葬られた。
だから昔はここにメアリ・スチュアートのお墓があったわけだ。しかしこの後も話は続く。
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エリザベスは生涯結婚しなかったから子供がいない。
で、自分が死んだ後のイングランド王にメアリ・スチュアートの息子ジェームズを指名した。
ジェームズはスコットランドとイングランド両方の王様になったわけだけど、まず母親のお墓を
ピーターバラからもっと格式高いウエストミンスターに移設。だもんでピーターバラにはこうして
メアリ・スチュアートの「お墓だった場所」だけが残ってるというわけ。

調べたら面白いことを知った。
エリザベスが生涯未婚で子供がいなかった以上、チューダー朝の血は彼女で途絶えたことになる。
ところがメアリ・スチュアートの血筋はジェームズ以降イングランドで連綿と続いてるんだと。
男を見る目はなかったが、繁殖力ではメアリ・スチュワートの圧勝というべきか(笑)。
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英国史の他の時代だったら特に感じるところもなかっただろうが、なぜかそこだけは詳しい
ヘンリー8世に関わる悲劇の女性二人のお墓がある(あった)というのはピーターバラ訪問の
大きな動機だった。建築的興味ではなく歴史的エピソードにちなんで大聖堂に行くなんてこと、
これまであまりなかったと思う。

ピーターバラ大聖堂で英国歴史散歩。なかなか有意義な訪問でございました。

 

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by tohoiwanya | 2017-06-28 00:22 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 06月 20日

ピーターバラ大聖堂と二人の女性

ピーターバラという地名、スペルはPeterborough と書く。
サイモン&ガーファンクルの名曲スカボロ・フェアはScarborough Fair と書く。
どっちもborough だけど、英国のPeterborough がピーターボロと書かれることはない。
試しに「ピーターボロ」で検索するとカナダや米国にあるピーターボロの方が先に出てくる。

borough の英国風発音は「バラ」に近いってことなんだろう。とりあえずこのブログでも
ピーターバラと表記させていただきます。

カンタベリーほどの知名度はないにしても、ピーターバラは「有名な大聖堂のある町」として英国じゃ
5本の指には入るんじゃないか?宗教的な“格”もかなり高いはずだし、建物も当然立派なはずで
例によって建築的興味はピーターバラ大聖堂訪問の大きな動機だった。
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ただピーターバラ大聖堂には歴史にホンロウされた二人の女性の話がつきものだ。
一人はヘンリー8世の妻だったキャサリン・オブ・アラゴン、そしてもう一人は
スコットランド女王だったメアリ・スチュワートだ。二人とも悲劇の王妃・女王といって
差し支えない波乱の人生を送った。

英国史の中でイ課長が局所的に詳しい「ヘンリー8世と6人の妻」関連ネタ。この二人の女性も
「関連ネタ」なんだよね。キャサリンは6人のうちの最初の奥さんだし、メアリ・スチュワートは
元スコットランド女王だったのにイングランドで処刑された。処刑に最終決済を与えたのは
エリザベス1世で、これは「6人の妻」のうちのお妃2号の娘。
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キャサリンについては前にもちょっと書いたよね。
「~オブ・アラゴン」という呼称からもわかるようにスペイン王室から英国にお嫁入り。
しかし結婚して数か月でダンナは若死に。一説では巨額の持参金の返却を惜しんだ父ヘンリー7世が
「それならオマエ」ってんで弟のヘンリーと婚約させたともいわれる。肖像画通りだとすれば
イ課長の好みの女性ではないが(笑)、ヘンリーとの夫婦仲は当初は良かったらしい。その証拠に
子供も何人かこしらえた(下の写真は本文と関係ありません)。
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だがそのうち無事に成長したのはメアリ(後のメアリ1世=ブラッディ・メアリ)だけで、
男子に恵まれなかった。このことがキャサリンの運命を暗転させた。もしメアリが男の子だったら
キャサリンは「亭主の浮気に悩む英国王妃」として生涯を送れたんじゃないかと思う。
だが彼女は「亭主に強引に離婚された元英国王妃」になってしまったのだ。

ヘンリーとしては安定した王位継承のために男子がほしい。キャサリンはもう30過ぎ。
今なら30ちょい過ぎなんて全然オッケーだけど、16世紀だと超大年増だったんだろうなぁ。

で、好色ヘンリーはもっとピチピチした子宮を持ってそうなアン・ブーリンに目をつけた。
しかしアンだってバカじゃない。アタシとヤリたきゃアタシのこと王妃にしてよと迫る。

アンとヤルことしか頭にないヘンリーはアンを王妃に迎えるために邪魔なキャサリンを離婚。しかし
キャサリンはガンとして離婚を拒否。この辺からはもう泥沼のタタカイで、「死んだアニキの嫁さんとの
結婚なんて無効でぃ!」というムチャクチャな理屈で離婚したことにし、邪魔なキャサリンは
どこかの城に幽閉しちまった。
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数奇な(というか、かなり不幸な)運命をたどったキャサリンはやがて幽閉先のナントカ城で死に、
ピーターバラ大聖堂に葬られたわけだが、「1000日のアン」って映画の中でキャサリンが
死んだことを告げられたヘンリーが家来とこんな会話を交わすシーンがあった。

「陛下、キャサリン様がお亡くなりに・・ご葬儀はウェストミンスターで?」
「うー・・ウェストミンスターは(葬儀代が)高い。ピーターバラでいい。ピーターバラなら安い」

実際にそういうやり取りがあったかどうかはわからないけど、邪魔なキャサリンが死んでホッとしつつ
葬儀にかけるコストも惜しむヘンリーの酷薄さが伝わるシーンだった。

そのキャサリンが眠るピーターバラ大聖堂に行くわけですよ。
午前中に行ったイーリー大聖堂ではいつものゴシック建築的興味が強かったイ課長だけど、午後の
ピーターバラは建築的興味だけじゃなく、ちょいとばかり「英国歴史散歩」って感じを帯びてたね。

・・・と、こんなことを言ってるうちに列車はピーターバラ駅に無事到着。
大聖堂の方に向かって歩く。人口16万人ちょいっていうから小さな地方都市ではあるけど、
イーリーより商店も人通りも多くて賑やかだ。
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大聖堂に着く前に早くも小ぶりな歴史的建造物が目につき始める。
これも教会だろうなぁ。「ウェストミンスターよりは安上がり」とはいえ、元王妃の
葬儀をやり、お墓も作るくらいだからそれなりに格式高い大聖堂だったわけで、町自体も
古い歴史があるんだろう。
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おっと、見えてきましたピーターバラ大聖堂。
それではいよいよ「大聖堂の日」の二つめ。ピーターバラ大聖堂の内部を次回ご紹介いたしましょう。
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え?悲劇の女性の二人目の方はどうしたのかって?キャサリンの話で長くなっちまったから、
メアリ・スチュアートについては大聖堂の記事の中で触れますです、はい(←いいかげん)。
 
 

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by tohoiwanya | 2017-06-20 00:35 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 03月 16日

ナショナル・ポートレート・ギャラリー

さて、夜のオペラまではまだ時間があるから、トラファルガー広場でしばらく休んだあと
ナショナル・ポートレート・ギャラリーに行った。

ここはその名の通り、肖像画ばっかりが集まった美術館。
英国史なんて大して詳しくないし、ましてや「顔を見ただけで誰だかわかる人」なんて少ないから
そんなにジックリ鑑賞したわけじゃないけど、それでも本で見覚えのある人が何人かいたから
ご紹介しよう。写真も禁止されてなかったし。

【ヘンリー8世関係者】
英国史の中で、なぜかイ課長が局所的にそこだけ詳しい「ヘンリー8世と6人の妻」。
希代の自分勝手&好色王として有名な王様だから彼にまつわる女性たちの肖像画は多い。
これはお妃1号、キャサリン・オブ・アラゴン。
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自分の兄嫁だった女性と結婚したわけだけど(兄自身は結婚してすぐ若死に)・・うーーん・・
ヘンリーの女の趣味はちょっと変わってたとしか・・・(笑)。

そのキャサリンを強引に離婚した理由がこのアン・ブーリンと交尾したかったからなんだけど、
この絵を見るとますますヘンリーの女の趣味を疑いたくなる(笑)。相当フェロモン系の女性だっと
想像されるんだけど、この絵を見る限りイ課長は全くソソラれない。
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これはヘンリーの女の趣味の問題っつうより、16世紀イギリス肖像画家の技量の問題だと思った。
ハッキリ言ってヘタだ。様式的っていうのとはちょっと違うと思う。やっぱりヘタだよ。
同時期にドイツの大画家ハンス・ホルバインがチューダー朝関係者の肖像画をいくつも描いてるけど、
それらに比べたらガッカリするくらいヘタ。下の絵の右側はたぶんメアリ1世(お妃1号の娘)だろうが
わざと醜く描いてるようにすら思える。そりゃ確かに英国に美人は少な・・いや何でもない。
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「イギリス人は絵を描くのはヘタだが収集するのは上手」ってある本で読んだけど、たしかに
こういう絵を見るとそう思いたくなる。そういえばハンプトン・コートの幽霊回廊にあった王族肖像画も
絵としての魅力は全然なかったなぁ・・。

【ヴィクトリア女王】
背が低い女性だったようで「偉大なる矮人」なんて言われた人だ。
しかしルックスに関しては上のキャサリン・オブ・アラゴンやアン・ブーリンよりはマシ・・というか
まぁ普通の顔だ。16世紀よりは画家の技量も上がってモデルを理想化する技術をマスターしたかな。
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ヴィクトリア女王といえば19世紀、まさにイギリス最盛期に君臨した女王。けっこう長生きした。
ホームズが活躍してた頃の英国の女王様でもあるわけだよ、ワトソン君。

【マイケル・ファラデー】
20£紙幣の肖像にもなったくらいの、英国の大物理学者。
紙幣の肖像より若い頃だろうけどやけに二枚目だ(笑)。この頃になるとイギリスの画家も
マトモな肖像画を描けるようになったと思われる。
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意外なことにファラデーって平民出身で、高等教育受けてないんだよね。若い頃デービーって科学者の
助手に雇われたのがキャリアの始まり。デービーにしてみりゃ学歴もないファラデーを科学者として
育てようなんて考えはこれっぱかしもなかったに違いない。

とーころがファラデー君、才能あるある。
特に物理実験におけるセンスは天性のもので、メキメキ頭角を表し、様々な決定的実験によって
物理学、特に電磁気の研究分野では永久不滅の名を残した。

雇い主のデービー自身も新元素をいくつも発見した、けっこうエラい科学者だったんだけど、
「デービーの科学上最大の発見はファラデーを見つけたことだ」なんて人から言われたらしい。
それが面白くなかったのか、後年は優秀な弟子に嫉妬して足を引っ張ろうとしたこともあったようだ。
しかしファラデーは恩ある師匠には決して逆らわなかった。晩年まで科学者として尊敬され続けた、
人望あるけど謙虚な、立派な人だったらしい。

【アーネスト・シャクルトン】
うわーシャクルトンの肖像画が見られるとは嬉しい。
ちょうど英国に行く前にこの人に関する本を集中的に読んだもんで、シャクルトンはイ課長にとって
ちょっとした「マイブーム」だったのだ。
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ご存知ない方のために彼のしたことを紹介したいけど、短くまとめることはとても不可能だ。
いずれシャクルトンについては別ネタで取り上げる予定だから、その時改めて書くことにする。
シャクルトンというのは英国の極地探検家なのである。

というわけで、ザッと見たナショナル・ポートレート・ギャラリーでした。
もっと性根を据えてじっくり見ればいろいろ発見もあったんだろうけど、こン時はカンタベリー帰りで
疲れた上に腹も減ってたもんで、鑑賞もややテキトウだったのである(笑)。


 

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by tohoiwanya | 2017-03-16 00:11 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 03月 10日

トラファルガー広場というところ

ロンドン行ったことない人でもトラファルガー広場の名前は知っている。

太古の昔、新婚旅行でイ課長とトホ妻がロンドンで別行動をとった時(とるか?普通)
合流したのもトラファルガー広場のライオン像の前だった。イ課長は早めに来て、待ち合わせまで
ナショナル・ギャラリーの一部を駆け足でザーッと見たっけなぁ。
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あれから25年、くたびれ初老夫婦になった我々はカンタベリーの帰り、懐かしきこの広場に来た。
この日はコヴェント・ガーデンでオペラを見る予定だったんだけど、夜の開演まではまだたっぷり
時間があったから、絵でも観ようかと思ってここを通りかかったのだ。

いやぁ~・・トラファルガー広場にいると本当に「あー自分はいまロンドンにいるなぁ」という
気分になるね。時間はたっぷりあるんだから少しここで休んでいこうぜ。
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この日は快晴というわけじゃなかったけど、気温も暑くも寒くもなく比較的快適で、
広場もいろんな人たちで賑わってた。見てると楽しい。

地面に絵を描いてる。欧米の広場っていうとよくこういう路上画家がいるよね。
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しかしこの日トラファルガー広場で目立ってたのは絵描きではなく宙に浮くパフォーマンス。
棒に何か仕掛けがあって体重を支えるようになってるんだろうけど、うまく出来てる。
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だが(おそらく)毎日やってるせいだろうなぁ、あまり注目を集めてない。お賽銭も少なそう。
向こうでやってるハシゴを使ったパフォーマンスの方が圧倒的に集客力が高い。
宙に浮いてる本人も向こうのパフォーマンスに見とれてるようじゃあかんな(笑)。
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由緒ある広場だけあって、こっちには立派な騎馬像。誰かと思ったらジョージ4世。
このジョージ4世って人がねぇ~・・父ちゃんのジョージ3世はマジメな人柄だったようなんだけど
コドモはみんな問題児ぞろい。ジョージ4世自身も皇太子時代は超放蕩借金バカ息子。息子たちの
相次ぐスキャンダルのせいか、父ちゃんのジョージ3世は最後に精神障害で頭おかしくなった(マジ)。
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自分が即位してジョージ4世になっても相変わらず問題王。今度はなぜか正妻キャロラインを
異常なほど嫌い、自分の戴冠式にも出席させないという仕打ち。何なんだろうか。キャロラインと
離婚したい王とそれを認めない議会で散々モメたらしい。そんなお騒がせ問題王でも一応は王様だから
こうしてトラファルガー広場に騎馬像作ってもらえるんだなぁ。

・・と思って調べてみたら、何と、元々は王室の厩があったこの場所の再開発を命じたのが実は
ジョージ4世だったんだと。その再開発がやがて現在の広場につながったってことらしい。いわば
トラファルガー広場成立の大功労者。一応マトモなこともやったんですね(笑)、ジョージ4世。

このジョージ4世銅像がナショナルギャラリーに向かって右側にある。
こういうのは大体左右対称に置かれるもんだ。向かって左には誰の銅像があるんだろうかと思って
行ってみたら驚いた。げぇッ?!何だい?こりゃあ。
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位置的にはさっき見たジョージ4世騎馬像のちょうど反対側に置かれているから「セット」のはずだ。
それが何でガイコツ?ブラックジョークか?イギリスじん~~お前らの考えることはわかんねぇよ。

その後調べたところ、このガイコツ馬の像はつい最近、2015年に設置されたもののようで、
設置時に「来年まで展示される」って書かれてたから、2016年の訪英当時はあったけど、今は
ないのかもしれん。要するに一時的に置かれた現代芸術ということらしいが、ガイジン旅行者が
そんなこと知るわけない。てっきり昔からここにあったガイコツだと思ってブッたまげたぜ。

ま、トラファルガー広場とは要するにこんな感じのトコなわけですよ(笑)。
それでも、さっきも言ったようにこの広場は「ああロンドンに来たんだなぁ」という旅情に
ぼんやりと浸るにはすごくいいスポットだと思う。
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歩き疲れてトラファルガー広場で一休み。さて、次はどこに行こうかとなった時、ビッグ・ベンでも
ウエストミンスター寺院でもコヴェントガーデンでも、ロンドン名所の多くに歩いて行けるしね。

もちろん広場の真後ろにある巨大美術館ナショナル・ギャラリーを見るのもいい(タダだし)
そのまた裏にはナショナル・ポートレート・ギャラリーもある(これもタダ)。イ課長とトホ妻は
結局この後ポートレート・ギャラリーの方に行くわけだが、その話はまた後日。


 

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by tohoiwanya | 2017-03-10 00:15 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 03月 03日

カンタベリー大聖堂 その②

さてだ。
前回は天井特集になっちまったが、別に天井だけがカンタベリー大聖堂の見どころじゃない。
他のところもちゃんとご紹介せんとな(・・と言いつつ、また天井の写真)。
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ここを舞台にした史実ではなんといっても「カンタベリー大司教トマス・ベケット殺害」が有名。
王様であるヘンリー2世と、大司教であるトマス・ベケットが激しく対立し、王の部下たちが
この大聖堂でトマス・ベケットをブッ殺してしまった。いわば王権による聖職者殺害テロ。
それも大聖堂の中でっていうんだから、こりゃもう英国史に残る大事件ですよ。

ここがそのトマス・ベケット殺害現場。
壁に飾られた剣の切っ先が集まったところでグサッとやられたってことなんだろうな。
何となく薄暗くてソレらしい演出になってる。こういう血なまぐさい歴史もここにはあるのだ。
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このトマス・ベケット殺害に怒ったローマ法王はわざとベケットを列聖。ベケットは聖トマスになった。
カンタベリー大聖堂は聖トマスのありがたい聖地として巡礼者が押しかけるようになるわけだが
そうなると殺害させたガワであるヘンリー2世は身の置き所がない。要するにベケットの列聖は
ローマ法王による巧妙ないやがらせだったんだな。で、ヘンリー2世は後にトマス・ベケットの墓に
ひざまづき許しを乞うハメになった・・らしい。ホントかどうかわからんが。

非業の死を遂げたトマス・ベケット、ゴースト好きのイギリス人となれば、この大聖堂にはトマス・ベケットの
ゴーストが出るという言い伝えもあるかもしれない、つうか、絶対あるに違いないはずだが、そこまでは
事前調査しなかった。出発前は切符トラブル処理でゴーストどころじゃなかったの(笑)。

カンタベリー大聖堂はステンドグラスもなかなか見事だった。
やはり建物同様、作られた時期はけっこう違いがあるようで、絵の感じを見るとその差が歴然。

たとえば下の写真なんかは最も古い時期に作られたものではないかと推定される。
人間の顔の描き方なんかが素朴でいかにも古そうだ。
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こっちは参事会会議室にあったステンドグラス。
これになると人物描写にもやや「モデルの個性」みたいなものが描写されてる感じがするよね。
上よりも新しいものではないかと推定される。
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こんなのもある。作成時期としては最も新しそうなステンドグラス。
色もたいへん鮮やかでハデだけど、とにかく注目すべきは人物の顔、特に目なんかの描き方だ。
右側の女性の表情がやけに漫画チックというか、アニメ画風。
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これもアニメ調ステンドグラス。カンタベリー大聖堂のステンドグラスがこんな
アニメ調キャラで埋まっていたとはなぁ。
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アップで見てみようか?ほら。上を見上げている女性の顔とか目の描き方がまるっきり
ディズニーアニメやん。「美女と野獣」かよって感じで、これには驚いた。
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大聖堂の内陣にはこんな感じの彫像もある。
これはおそらく「お墓」だと思われる。仏教では「お寺のお堂の中に死者の墓をつくる」って
ことはしないけど、キリスト教、特にカトリック聖堂にはけっこうある。
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イ課長推測では、後ろでお祈りしてるのが亡くなったご本人、前のお坊さんはその当時の
カンタベリー大司教をモデルにしてるんじゃないかと思うけど、違うかな?

ここにもお墓。大陸ヨーロッパもそうだけど、カトリック大聖堂はある意味死に満ちている。
横たわっているのは間違いなく亡くなったご本人だろう。
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てな具合に内部をいろいろ見て、さて、ヨーロッパの教会を見学した時のお約束行為。
ロウソク寄付をいたしましょうかね。たまる一方で財布を重くしていた少額コインたちを
こういう時に使ってしまおう。一番左寄りがイ課長ロウソクなのである。おなじみの光景だのう。
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カンタベリー大聖堂はこれで終わりだろうって?なんのなんの。
大聖堂外部についても書くべきことはあるのだ。フランスの時もそうだったけど、ゴシック大聖堂に
関しちゃ、イ課長は遠慮なしに書くのである(普段だって別に遠慮してないが)。
 

 

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by tohoiwanya | 2017-03-03 00:13 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 02月 27日

カンタベリーに行ってみよう

だんだん英国ネタの出現頻度が高まってきた。タイのネタがあと少し残ってるけど、
それが終わればあとは全部英国ネタになるから、そろそろ英国の長編ネタに取りかかろう。
というわけで、カンタベリーの話なのである。

カンタベリー。地名だけはご存知の方が多いはずだ。まず有名な大聖堂がある。
英国国教会で一番格の高い、いわば総本山で、そこの一番エラい人がカンタベリー大司教。
有名な中世文学「カンタベリー物語」なんていうのもあった。

・・と、イ課長がカンタベリーについて知ってることといえばこの程度(笑)。とにかく中世から
大聖堂を中心に栄えたいわば門前町で、今も中世の面影を残す町らしい。一応「マイルドな
ゴシック建築オタク」のイ課長だから、何はともあれカンタベリー大聖堂は見たかった。
カンタベリー訪問はトホ妻も異論なしだったから二人で行ったのである。

元々ゴシック教会建築って、極めて特化した目的のために発達した一種の“異常建築”だけど
写真なんかで見ると英国ゴシックってその“異常度”がフランスなんかより一段と高そうなんだよね。
中世の香り残す町・カンタベリーで英国随一と言われる大聖堂を拝ませてもらおうじゃないの。

というわけで、イ課長&トホ妻はビクトリア駅から8:34発のカンタベリー行き列車に乗った。
カンタベリー西駅着予定は10:19だから、ロンドンから1時間45分の英国・鉄道の旅。
切符予約ではホトホト苦労したけど乗ってる分には快適(笑)。
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で、着きました西駅。カンタベリーには東駅と西駅とがあって、どっちも町の中心から少し離れてる。
ロンドンからカンタベリーに行く列車は東西どっちの駅に行くのも同じくらい本数があり、
ロンドンに戻る列車もやはり同じくらい本数がある。要するにどっちでもいいのだ。
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西駅を出てしばらく歩くと、おおおっ、早くも中世ムードたっぷりの門が旅行者を迎えてくれる。
門の中は現在は道路になってるけど、この狭さだから1車線分しか幅がなくて、反対車線は門を
ウネッと迂回してる。昔は人間と、せいぜい馬車くらいしか通らなかった門だろうからねぇ。
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町の中心、すなわち大聖堂がある方向に歩くにつれ、人通りも増えて賑やかになる。
観光客だらけというわけではなく、地元の人たちもくり出すショッピング街って感じだ。
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うおーーいい感じの風景。
フランスのノルマンディー地方なんかと同じく、英国南部にもこういう木組みの家が多いんだね。
窓からシェイクスピアがひょいと顔をのぞかせてもおかしくない中世ムード。
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これは1575年からある家みたいで(小さくて読みづらいが)エリザベスさんのGUEST CHAMBERSって
書いてあるから、当時はおそらく巡礼者用の旅籠だったに違いない。こういう旅籠に同宿した巡礼者が
お互いに持ち寄った話を集めたものって設定で「カンタベリー物語」は書かれてる(読んでないが)。
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おっとー見えてきました。路地の向こうに見えるツンツン尖り建造物。
あれこそ名高きカンタベリー大聖堂に違いない。ホントに町の中心にあるんだね。
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うーーーむ・・・何ともご立派かつ壮大なお姿。
ここに来るまでは古い木組みの家が並ぶ狭い道で、いかにも中世風の面影があったけど、
この大聖堂の周りはかなり広い敷地が整備されているようだ。
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さて、それではいよいよカンタベリー大聖堂の中に入ってみましょうかね。
ここんとこ東南アジア旅行が続いたから、久しぶりの欧州ゴシック大聖堂見学だ。
というわけで、当然のごとく次回につづくのである。

 
 

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by tohoiwanya | 2017-02-27 00:02 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(4)