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2017年 03月 16日

ナショナル・ポートレート・ギャラリー

さて、夜のオペラまではまだ時間があるから、トラファルガー広場でしばらく休んだあと
ナショナル・ポートレート・ギャラリーに行った。

ここはその名の通り、肖像画ばっかりが集まった美術館。
英国史なんて大して詳しくないし、ましてや「顔を見ただけで誰だかわかる人」なんて少ないから
そんなにジックリ鑑賞したわけじゃないけど、それでも本で見覚えのある人が何人かいたから
ご紹介しよう。写真も禁止されてなかったし。

【ヘンリー8世関係者】
英国史の中で、なぜかイ課長が局所的にそこだけ詳しい「ヘンリー8世と6人の妻」。
希代の自分勝手&好色王として有名な王様だから彼にまつわる女性たちの肖像画は多い。
これはお妃1号、キャサリン・オブ・アラゴン。
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自分の兄嫁だった女性と結婚したわけだけど(兄自身は結婚してすぐ若死に)・・うーーん・・
ヘンリーの女の趣味はちょっと変わってたとしか・・・(笑)。

そのキャサリンを強引に離婚した理由がこのアン・ブーリンと交尾したかったからなんだけど、
この絵を見るとますますヘンリーの女の趣味を疑いたくなる(笑)。相当フェロモン系の女性だっと
想像されるんだけど、この絵を見る限りイ課長は全くソソラれない。
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これはヘンリーの女の趣味の問題っつうより、16世紀イギリス肖像画家の技量の問題だと思った。
ハッキリ言ってヘタだ。様式的っていうのとはちょっと違うと思う。やっぱりヘタだよ。
同時期にドイツの大画家ハンス・ホルバインがチューダー朝関係者の肖像画をいくつも描いてるけど、
それらに比べたらガッカリするくらいヘタ。下の絵の右側はたぶんメアリ1世(お妃1号の娘)だろうが
わざと醜く描いてるようにすら思える。そりゃ確かに英国に美人は少な・・いや何でもない。
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「イギリス人は絵を描くのはヘタだが収集するのは上手」ってある本で読んだけど、たしかに
こういう絵を見るとそう思いたくなる。そういえばハンプトン・コートの幽霊回廊にあった王族肖像画も
絵としての魅力は全然なかったなぁ・・。

【ヴィクトリア女王】
背が低い女性だったようで「偉大なる矮人」なんて言われた人だ。
しかしルックスに関しては上のキャサリン・オブ・アラゴンやアン・ブーリンよりはマシ・・というか
まぁ普通の顔だ。16世紀よりは画家の技量も上がってモデルを理想化する技術をマスターしたかな。
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ヴィクトリア女王といえば19世紀、まさにイギリス最盛期に君臨した女王。けっこう長生きした。
ホームズが活躍してた頃の英国の女王様でもあるわけだよ、ワトソン君。

【マイケル・ファラデー】
20£紙幣の肖像にもなったくらいの、英国の大物理学者。
紙幣の肖像より若い頃だろうけどやけに二枚目だ(笑)。この頃になるとイギリスの画家も
マトモな肖像画を描けるようになったと思われる。
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意外なことにファラデーって平民出身で、高等教育受けてないんだよね。若い頃デービーって科学者の
助手に雇われたのがキャリアの始まり。デービーにしてみりゃ学歴もないファラデーを科学者として
育てようなんて考えはこれっぱかしもなかったに違いない。

とーころがファラデー君、才能あるある。
特に物理実験におけるセンスは天性のもので、メキメキ頭角を表し、様々な決定的実験によって
物理学、特に電磁気の研究分野では永久不滅の名を残した。

雇い主のデービー自身も新元素をいくつも発見した、けっこうエラい科学者だったんだけど、
「デービーの科学上最大の発見はファラデーを見つけたことだ」なんて人から言われたらしい。
それが面白くなかったのか、後年は優秀な弟子に嫉妬して足を引っ張ろうとしたこともあったようだ。
しかしファラデーは恩ある師匠には決して逆らわなかった。晩年まで科学者として尊敬され続けた、
人望あるけど謙虚な、立派な人だったらしい。

【アーネスト・シャクルトン】
うわーシャクルトンの肖像画が見られるとは嬉しい。
ちょうど英国に行く前にこの人に関する本を集中的に読んだもんで、シャクルトンはイ課長にとって
ちょっとした「マイブーム」だったのだ。
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ご存知ない方のために彼のしたことを紹介したいけど、短くまとめることはとても不可能だ。
いずれシャクルトンについては別ネタで取り上げる予定だから、その時改めて書くことにする。
シャクルトンというのは英国の極地探検家なのである。

というわけで、ザッと見たナショナル・ポートレート・ギャラリーでした。
もっと性根を据えてじっくり見ればいろいろ発見もあったんだろうけど、こン時はカンタベリー帰りで
疲れた上に腹も減ってたもんで、鑑賞もややテキトウだったのである(笑)。


 

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by tohoiwanya | 2017-03-16 00:11 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 03月 10日

トラファルガー広場というところ

ロンドン行ったことない人でもトラファルガー広場の名前は知っている。

太古の昔、新婚旅行でイ課長とトホ妻がロンドンで別行動をとった時(とるか?普通)
合流したのもトラファルガー広場のライオン像の前だった。イ課長は早めに来て、待ち合わせまで
ナショナル・ギャラリーの一部を駆け足でザーッと見たっけなぁ。
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あれから25年、くたびれ初老夫婦になった我々はカンタベリーの帰り、懐かしきこの広場に来た。
この日はコヴェント・ガーデンでオペラを見る予定だったんだけど、夜の開演まではまだたっぷり
時間があったから、絵でも観ようかと思ってここを通りかかったのだ。

いやぁ~・・トラファルガー広場にいると本当に「あー自分はいまロンドンにいるなぁ」という
気分になるね。時間はたっぷりあるんだから少しここで休んでいこうぜ。
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この日は快晴というわけじゃなかったけど、気温も暑くも寒くもなく比較的快適で、
広場もいろんな人たちで賑わってた。見てると楽しい。

地面に絵を描いてる。欧米の広場っていうとよくこういう路上画家がいるよね。
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しかしこの日トラファルガー広場で目立ってたのは絵描きではなく宙に浮くパフォーマンス。
棒に何か仕掛けがあって体重を支えるようになってるんだろうけど、うまく出来てる。
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だが(おそらく)毎日やってるせいだろうなぁ、あまり注目を集めてない。お賽銭も少なそう。
向こうでやってるハシゴを使ったパフォーマンスの方が圧倒的に集客力が高い。
宙に浮いてる本人も向こうのパフォーマンスに見とれてるようじゃあかんな(笑)。
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由緒ある広場だけあって、こっちには立派な騎馬像。誰かと思ったらジョージ4世。
このジョージ4世って人がねぇ~・・父ちゃんのジョージ3世はマジメな人柄だったようなんだけど
コドモはみんな問題児ぞろい。ジョージ4世自身も皇太子時代は超放蕩借金バカ息子。息子たちの
相次ぐスキャンダルのせいか、父ちゃんのジョージ3世は最後に精神障害で頭おかしくなった(マジ)。
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自分が即位してジョージ4世になっても相変わらず問題王。今度はなぜか正妻キャロラインを
異常なほど嫌い、自分の戴冠式にも出席させないという仕打ち。何なんだろうか。キャロラインと
離婚したい王とそれを認めない議会で散々モメたらしい。そんなお騒がせ問題王でも一応は王様だから
こうしてトラファルガー広場に騎馬像作ってもらえるんだなぁ。

・・と思って調べてみたら、何と、元々は王室の厩があったこの場所の再開発を命じたのが実は
ジョージ4世だったんだと。その再開発がやがて現在の広場につながったってことらしい。いわば
トラファルガー広場成立の大功労者。一応マトモなこともやったんですね(笑)、ジョージ4世。

このジョージ4世銅像がナショナルギャラリーに向かって右側にある。
こういうのは大体左右対称に置かれるもんだ。向かって左には誰の銅像があるんだろうかと思って
行ってみたら驚いた。げぇッ?!何だい?こりゃあ。
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位置的にはさっき見たジョージ4世騎馬像のちょうど反対側に置かれているから「セット」のはずだ。
それが何でガイコツ?ブラックジョークか?イギリスじん~~お前らの考えることはわかんねぇよ。

その後調べたところ、このガイコツ馬の像はつい最近、2015年に設置されたもののようで、
設置時に「来年まで展示される」って書かれてたから、2016年の訪英当時はあったけど、今は
ないのかもしれん。要するに一時的に置かれた現代芸術ということらしいが、ガイジン旅行者が
そんなこと知るわけない。てっきり昔からここにあったガイコツだと思ってブッたまげたぜ。

ま、トラファルガー広場とは要するにこんな感じのトコなわけですよ(笑)。
それでも、さっきも言ったようにこの広場は「ああロンドンに来たんだなぁ」という旅情に
ぼんやりと浸るにはすごくいいスポットだと思う。
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歩き疲れてトラファルガー広場で一休み。さて、次はどこに行こうかとなった時、ビッグ・ベンでも
ウエストミンスター寺院でもコヴェントガーデンでも、ロンドン名所の多くに歩いて行けるしね。

もちろん広場の真後ろにある巨大美術館ナショナル・ギャラリーを見るのもいい(タダだし)
そのまた裏にはナショナル・ポートレート・ギャラリーもある(これもタダ)。イ課長とトホ妻は
結局この後ポートレート・ギャラリーの方に行くわけだが、その話はまた後日。


 

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by tohoiwanya | 2017-03-10 00:15 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 03月 03日

カンタベリー大聖堂 その②

さてだ。
前回は天井特集になっちまったが、別に天井だけがカンタベリー大聖堂の見どころじゃない。
他のところもちゃんとご紹介せんとな(・・と言いつつ、また天井の写真)。
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ここを舞台にした史実ではなんといっても「カンタベリー大司教トマス・ベケット殺害」が有名。
王様であるヘンリー2世と、大司教であるトマス・ベケットが激しく対立し、王の部下たちが
この大聖堂でトマス・ベケットをブッ殺してしまった。いわば王権による聖職者殺害テロ。
それも大聖堂の中でっていうんだから、こりゃもう英国史に残る大事件ですよ。

ここがそのトマス・ベケット殺害現場。
壁に飾られた剣の切っ先が集まったところでグサッとやられたってことなんだろうな。
何となく薄暗くてソレらしい演出になってる。こういう血なまぐさい歴史もここにはあるのだ。
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このトマス・ベケット殺害に怒ったローマ法王はわざとベケットを列聖。ベケットは聖トマスになった。
カンタベリー大聖堂は聖トマスのありがたい聖地として巡礼者が押しかけるようになるわけだが
そうなると殺害させたガワであるヘンリー2世は身の置き所がない。要するにベケットの列聖は
ローマ法王による巧妙ないやがらせだったんだな。で、ヘンリー2世は後にトマス・ベケットの墓に
ひざまづき許しを乞うハメになった・・らしい。ホントかどうかわからんが。

非業の死を遂げたトマス・ベケット、ゴースト好きのイギリス人となれば、この大聖堂にはトマス・ベケットの
ゴーストが出るという言い伝えもあるかもしれない、つうか、絶対あるに違いないはずだが、そこまでは
事前調査しなかった。出発前は切符トラブル処理でゴーストどころじゃなかったの(笑)。

カンタベリー大聖堂はステンドグラスもなかなか見事だった。
やはり建物同様、作られた時期はけっこう違いがあるようで、絵の感じを見るとその差が歴然。

たとえば下の写真なんかは最も古い時期に作られたものではないかと推定される。
人間の顔の描き方なんかが素朴でいかにも古そうだ。
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こっちは参事会会議室にあったステンドグラス。
これになると人物描写にもやや「モデルの個性」みたいなものが描写されてる感じがするよね。
上よりも新しいものではないかと推定される。
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こんなのもある。作成時期としては最も新しそうなステンドグラス。
色もたいへん鮮やかでハデだけど、とにかく注目すべきは人物の顔、特に目なんかの描き方だ。
右側の女性の表情がやけに漫画チックというか、アニメ画風。
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これもアニメ調ステンドグラス。カンタベリー大聖堂のステンドグラスがこんな
アニメ調キャラで埋まっていたとはなぁ。
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アップで見てみようか?ほら。上を見上げている女性の顔とか目の描き方がまるっきり
ディズニーアニメやん。「美女と野獣」かよって感じで、これには驚いた。
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大聖堂の内陣にはこんな感じの彫像もある。
これはおそらく「お墓」だと思われる。仏教では「お寺のお堂の中に死者の墓をつくる」って
ことはしないけど、キリスト教、特にカトリック聖堂にはけっこうある。
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イ課長推測では、後ろでお祈りしてるのが亡くなったご本人、前のお坊さんはその当時の
カンタベリー大司教をモデルにしてるんじゃないかと思うけど、違うかな?

ここにもお墓。大陸ヨーロッパもそうだけど、カトリック大聖堂はある意味死に満ちている。
横たわっているのは間違いなく亡くなったご本人だろう。
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てな具合に内部をいろいろ見て、さて、ヨーロッパの教会を見学した時のお約束行為。
ロウソク寄付をいたしましょうかね。たまる一方で財布を重くしていた少額コインたちを
こういう時に使ってしまおう。一番左寄りがイ課長ロウソクなのである。おなじみの光景だのう。
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カンタベリー大聖堂はこれで終わりだろうって?なんのなんの。
大聖堂外部についても書くべきことはあるのだ。フランスの時もそうだったけど、ゴシック大聖堂に
関しちゃ、イ課長は遠慮なしに書くのである(普段だって別に遠慮してないが)。
 

 

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by tohoiwanya | 2017-03-03 00:13 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 02月 27日

カンタベリーに行ってみよう

だんだん英国ネタの出現頻度が高まってきた。タイのネタがあと少し残ってるけど、
それが終わればあとは全部英国ネタになるから、そろそろ英国の長編ネタに取りかかろう。
というわけで、カンタベリーの話なのである。

カンタベリー。地名だけはご存知の方が多いはずだ。まず有名な大聖堂がある。
英国国教会で一番格の高い、いわば総本山で、そこの一番エラい人がカンタベリー大司教。
有名な中世文学「カンタベリー物語」なんていうのもあった。

・・と、イ課長がカンタベリーについて知ってることといえばこの程度(笑)。とにかく中世から
大聖堂を中心に栄えたいわば門前町で、今も中世の面影を残す町らしい。一応「マイルドな
ゴシック建築オタク」のイ課長だから、何はともあれカンタベリー大聖堂は見たかった。
カンタベリー訪問はトホ妻も異論なしだったから二人で行ったのである。

元々ゴシック教会建築って、極めて特化した目的のために発達した一種の“異常建築”だけど
写真なんかで見ると英国ゴシックってその“異常度”がフランスなんかより一段と高そうなんだよね。
中世の香り残す町・カンタベリーで英国随一と言われる大聖堂を拝ませてもらおうじゃないの。

というわけで、イ課長&トホ妻はビクトリア駅から8:34発のカンタベリー行き列車に乗った。
カンタベリー西駅着予定は10:19だから、ロンドンから1時間45分の英国・鉄道の旅。
切符予約ではホトホト苦労したけど乗ってる分には快適(笑)。
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で、着きました西駅。カンタベリーには東駅と西駅とがあって、どっちも町の中心から少し離れてる。
ロンドンからカンタベリーに行く列車は東西どっちの駅に行くのも同じくらい本数があり、
ロンドンに戻る列車もやはり同じくらい本数がある。要するにどっちでもいいのだ。
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西駅を出てしばらく歩くと、おおおっ、早くも中世ムードたっぷりの門が旅行者を迎えてくれる。
門の中は現在は道路になってるけど、この狭さだから1車線分しか幅がなくて、反対車線は門を
ウネッと迂回してる。昔は人間と、せいぜい馬車くらいしか通らなかった門だろうからねぇ。
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町の中心、すなわち大聖堂がある方向に歩くにつれ、人通りも増えて賑やかになる。
観光客だらけというわけではなく、地元の人たちもくり出すショッピング街って感じだ。
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うおーーいい感じの風景。
フランスのノルマンディー地方なんかと同じく、英国南部にもこういう木組みの家が多いんだね。
窓からシェイクスピアがひょいと顔をのぞかせてもおかしくない中世ムード。
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これは1575年からある家みたいで(小さくて読みづらいが)エリザベスさんのGUEST CHAMBERSって
書いてあるから、当時はおそらく巡礼者用の旅籠だったに違いない。こういう旅籠に同宿した巡礼者が
お互いに持ち寄った話を集めたものって設定で「カンタベリー物語」は書かれてる(読んでないが)。
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おっとー見えてきました。路地の向こうに見えるツンツン尖り建造物。
あれこそ名高きカンタベリー大聖堂に違いない。ホントに町の中心にあるんだね。
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うーーーむ・・・何ともご立派かつ壮大なお姿。
ここに来るまでは古い木組みの家が並ぶ狭い道で、いかにも中世風の面影があったけど、
この大聖堂の周りはかなり広い敷地が整備されているようだ。
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さて、それではいよいよカンタベリー大聖堂の中に入ってみましょうかね。
ここんとこ東南アジア旅行が続いたから、久しぶりの欧州ゴシック大聖堂見学だ。
というわけで、当然のごとく次回につづくのである。

 
 

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by tohoiwanya | 2017-02-27 00:02 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(4)
2016年 07月 12日

黒の仏塔

信じ難いことに未だに英国時差ボケが治らないイ課長です。本日は松本清張の小説みたいな標題です。

さて。
東南アジア、特にタイの仏教施設を見学した日本人の中には、仏像や建物の金ピカぶりにちょっと辟易
する人も多いはずで、少なくともイ課長はする(笑)。金ピカ系仏教美術って、どうしても「最近つくられた
新しいもの」に見えるから、ツルツルでピカピカではあっても時代を経た有り難みが感じられなくて、
「ただハデなだけ」に見えちゃうんだよねぇ。

それは日本国内の史跡でも同じ。たとえば京都の金閣寺って今は「創建当時の姿」が再現されてるから
金ピカで、それが水に映えてすごく美しい。

でも、むかし白黒写真で「焼失前の金閣寺」を見たイ課長は驚いたよ。もちろん金箔なんてハゲて、
薄汚れた古~い木造建築物なんだけど、どっしりしてて風格あって、そりゃもう素晴らしかった。
「いくら新しくて金ピカのもの作っても、古いオリジナルにゃかなわねぇ・・」なんて思ったもんだった。
もっとも、金ピカ金閣寺の方が東南アジア系観光客からは圧倒的に支持されるのは間違いないだろうが(笑)。

金ピカの話をしたのは、ヴィエンチャンにあるタート・ダム=黒塔の話を書くための、いわば前フリ。
タート・ダムはイ課長の宿泊ホテルからメコン川の方に歩いて行く途中にある史跡なのである。
テクテク歩いてると、突然道がロータリーになってて、真ん中にこんなのがデンとあるのだ。
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うはー・・・これがタート・ダムですか。写真で見た時から異様なたたずまいだなぁと思ってたけど
実際に見てもなかなか異様だ。要するにこれも仏塔なんだけど、黒塔っていうだけあって確かに黒っぽい。
手前の車と比べるとわかるように、それほど巨大仏塔ってわけじゃないが、風格あるじゃん。
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この「時代がついた感じ」がシブくていいよね。16世紀頃のものみたいで、元は「白い塔・黒い塔」の二つあって
黒い方だけ残ったとか、元々金ピカの仏塔だったのが、タイが攻め込んで金をはがして持ってったから黒くなったとか、
言い伝えが諸説あるらしい。

イ課長が好きな伝説は、このタート・ダムの下にヴィエンチャンの守り神である巨大蛇・ナーガが住んでて、
外国から侵略されたりして国が大ピンチになるとグワッと地上に現れてヴィエンチャンを守ってくれるという
言い伝え。ちょっと大魔神っぽい(笑)。でもそのくらいの歴史と風格は十分感じさせる塔だよ。
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もうお分かりだろうが、イ課長は金ピカツルツルのタート・ルアンより、ドス黒く薄汚れてところどころ
雑草まで生えてる、このタート・ダムの方が断然気に入ったんだよ。そう思う日本人は多いんじゃないかなぁ?
これに比べると、タート・ルアンは金ピカで新しそうな分、損してると思う。

ここまで書いてイ課長はハタと気づく。
これって要するに、仏教建築や仏教美術をどう捉えるかの違いだ。

日本人は仏教美術を「古美術」として見てるんだよな、たぶん。古美術なら当然古い方がイイ。
金ピカで新しいものより古くて黒ずんで「時代がついた」由緒あるモノの方が有り難いわけで、
古くてクスんだ仏像に金箔貼り直してピカピカにしちまったら有難さも半減だ。

一方、東南アジアの仏教美術に対する見方は耐久消費財、たとえば「家」なんかに近いんじゃないか?
ずっと長く使うモノなんだから、新しさ・美しさを失わない方がイイに決まってる。金箔塗装がハゲたら
貼り直すのが当然。古くなったボロ家なんて有難さ半減じゃん。
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こういう視点の差。ドッチがイイ悪いという問題ではもちろんない。
でも「耐久消費財なら、確かにいつまでも金ピカで新しい方がいいよなぁ」と考えると、
今後東南アジアで金ピカ仏像を見ても、「うひゃぁ・・」っていう単純な辟易とは違う見方が
できるかもしれない、などと思ったりするワケよ。

他のことも書くつもりだったけど、金ピカ仏教美術に対する視点の話で長くなっちまったから、
本日はタート・ダムの話だけでおしまい(う、ウソだろヲイ・・)。

 
 

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by tohoiwanya | 2016-07-12 12:59 | 2015.09 東南アジア旅行 | Comments(0)
2016年 06月 15日

タート・ルアンというところ

ラオスの象徴と誰もが認めるタート・ルアン。
どうせ続きものになっちまったんだから、じっくり紹介しようではないか。
こんなにタート・ルアンのことを詳しく紹介したブログって少ないと思う(笑)。

元々この地には13世紀頃にクメール様式の寺院が建てられたらしい。アンコール・ワットなんかの
ちょっと後だから、たぶんアレを小ぶりにしたような感じのものがあったんだろうな、きっと。

その後、廃墟化してたのを、16世紀にセーターティラート王っていう王様が四角い構造の
施設に作り直したらしい。16世紀っつうたら日本なら織田信長とか豊臣秀吉がいた頃だ。
作られたのはそれほど古代ってわけじゃないのだ。
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タート・ルアンの前にはそのセーターティラート王の銅像がある。ちなみに、この王様はその後ミャンマーが
攻めてきた時に殺され、タート・ルアン自体も19世紀にタイが攻めてきた時にブッ壊されたらしい。あーあ・・
つまり今見てるタート・ルアンが修復・再建されたのは19世紀以降なわけで、けっこう新しいわけだ。
確かに金ピカでツルッとしてて、古いものには見えない。
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ふーむ・・・。金色の塗装がところどころハゲてるけど、造形的にはなかなかだ。
どこから見ても手前の低い塀のギザギザと組み合わさって、立体感がでる仕掛けになってる。
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こういう、ちょっと細身でクネッとしたカーブのある仏塔ってラオス様式っていうそうで、タイの北部にも
非常によく似た形の仏塔がある。ちなみに、タート・ルアンにはお釈迦様の胸の骨が納められてる
らしいけど、もちろん見られない・・つうか、ホントにあるかどうかもわからない(笑)。
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このあたりからイ課長はやや本格的に驚き始めた。
何にって、要するにヴィエンチャンの異常なまでの人の少なさに、だ。

そりゃまぁアンコール・ワットみたいに世界的に有名な史跡じゃないよ?
しかし一応ラオス随一の名所。外人観光客が少ないのはイイとしても、ラオス国内からココを見に来た
国内観光客ってのがもう少しいてもよさそうなモンなのに、びっくりするほど人が少ない。

タート・ルアンの周囲には芝生ゾーンが広がる。これはただの芝生ではない。お祭りなれば全国から来た
坊さんや参拝者がここに座る。タート・ルアンの四囲がビッシリ人間で埋まるわけ。だからここは
芝生でできた広大な参拝所ともいえるのだ。しかし今は信じがたいほどの人の少なさ・・。
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周囲の廊下?にはこんな古い遺物が展示されてる。おそらく昔のクメール寺院時代あたりに
ここにあった仏像とかのカケラなんだろうな。
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うーーむ・・それにしても、この人の少なさよ・・なんて静かなんだ。
タート・ルアン自体はザッと見れば終わってしまう。グルグル回ってどこから見たって同じ(笑)。
しかしこの場所を支配する静かな雰囲気は捨てがたい・・というか、ほとんど信じがたいくらいだ。
タイやベトナムで「その国の一番有名なお寺」っつうたら参拝客や観光客でごった返してるはずだよ。
プノンペンのお寺だってもっと人がたくさんいてガヤガヤしてた。

いやー・・・静かだ。人間の数も少ないし、話し声みたいな、人間活動に付随する音量も極めて低い。
音楽も聞こえないし拡声器の音もない。ヴィエンチャンで一番有名な観光スポットが
こんなに静かでひそやかな雰囲気であることが何よりも驚きだったよ、イ課長には。
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「ラオスって人が少なくて静か」という印象は、その後ラオスにいる間ずっと続くことになる。
ヴィエンチャンより圧倒的に外人観光客が多いルアンパバーンでも同じ雰囲気を感じたもんなぁ。

率直に言ってパトゥーサイにしても、タート・ルアンにしても、観光物件としてはそれほど
スゴいものではない。見どころの少ないヴィエンチャンだからこその見どころと言える(笑)。

しかしこの静けさ、人の少なさ、ひそやかさみたいなのは居心地よかったねーー。
タイでもベトナムでもカンボジアでも感じたことがない雰囲気だよ。これが“ラオスっぽさ”なのかな?

ま、まだヴィエンチャン到着早々。とりあえずこの町の有名スポット両横綱は制覇したけど、
まだ日は高いんだから、もうちょっと見てみようじゃないの、ヴィエンチャン。


 

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by tohoiwanya | 2016-06-15 00:25 | 2015.09 東南アジア旅行 | Comments(0)
2016年 06月 13日

何はともあれタート・ルアン

さて、パトゥーサイ、いかがでした?
それほどスゴいってほどのものでは・・と思った方はイ課長とおおむね同じ印象を持ったと言っていい。
だが、これから行くタート・ルアンでアナタはさらにその思いを強くするかもしれない(笑)。
見どころのない町・ヴィエンチャン観光の真髄はこれからだぜ。

ところでタート・ルアンって一体ナニか?
まぁ仏教施設の一種なんだけど、木造建築で中に仏像が鎮座してるっていう「お寺」ではなくて、
巨大な仏塔なのだ。位置付けとしては寺っつうよりモニュメントと言った方がいいんだろう。

このタート・ルアン。世界的な知名度は低いかもしれない・・・つうか、誰も知らんよな(笑)。
イ課長だってヴィエンチャンに行こうと思うまではコレッパカシも知らなかった。

しかしね、タート・ルアンといやぁ、ラオスん中じゃもう大変なもんなのだ。
仏教施設としての格がズバ抜けて高いのは間違いなくて、その証拠にラオスの国章にもなってるし、
ラオスのキープ紙幣の裏にだってホレ、ばっちりデザインされてる。
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まさにラオスの象徴、ヴィエンチャンのシンボル。どうだ恐れ入ったか。そこにこれから行くんでぃ。
パトゥーサイとタート・ルアンを制覇すりゃ、もうヴィエンチャンに怖いモンなんかねぇ!(←バカ)

このタート・ルアン。パトゥーサイからだと距離的に1.5kmくらいかなぁ?けっこう歩く。
望遠で撮ると遠~くの正面に見えるけど、まだけっこうあるよ?ガイド情報等ではトゥクトゥクを
使えと書いてあるけど、また価格交渉が面倒臭い・・って以前に“流し”のトゥクトゥクなんて
あんまりそこらを走ってない。

当初想定していたレンタルサイクル調達も不備に終わったし、もうしょうがねぇ、歩こう。
東南アジアで毎度おなじみの汗だく徒歩行軍。しかし歩いてるうちに「これは自転車じゃなくて
正解だったかも」と思うようになった。
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ヴィエンチャンってサイゴンやバンコクに比べればバイクや車の数はウソみたいに少ないけど、
上の写真を見てもわかるように、この通りだけはソコソコ車が多い。渋滞がないからスピードもそこそこ出てる。
危ない運転ってわけじゃないけど、自転車コグなら車道じゃなく歩道をコギたい。

ところが日本みたいに歩道の端っこをナナメ坂にして自転車や乳母車の出入りがラクなようになんか
なってない。自転車で走りやすい歩道じゃないんだ全然。しかも歩道に乗り上げるように駐車してる
車も多いから、徒歩でも歩きづらいくらい。自転車で歩道を走るのは大変だと思う。
かといって、さっきも行ったようにこの通りに関しては車道を走るのもちょっと避けたい。
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ま、イ課長はどっちみち徒歩だから悩む必要ないけど(笑)、ビエンチャンでレンタル自転車借りて
タート・ルアンに行こうと思ってる方がいたら、タート・ルアンまでの大通りはちょいとばかり
自転車じゃ走りづらいことを頭の片隅に置いておいていただきたいと思うのである。

はぁ~・・やっと着いた・・と思ったら、何という人の少なさ・・閑散としすぎておる。
しかもタート・ルアンの前にはなーーーーーーんにもない、トテツもなく広い平坦地が広がってる。
おっそろしく広いぜ?いったい何の目的でこんな・・・。
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これ、イ課長の想像では駐車場じゃないかと思うのだ。
このタート・ルアン、何しろラオスじゃ一番ありがたい仏教施設で、毎年11月のお祭りには
ラオス中から坊さんやら参拝者やらが集まってくるらしい。そういう人たちのためのバスの
駐車場じゃないかなぁ?あるいは祭りの時のテント屋台用の土地とか・・とにかく「祭り用」の
何かのスペースではないかと思うんだよね。とにかくバカ広い。
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しかし今日はがらーーーんとしたもんだし、イ課長だって何もない広場に用はない(笑)。
さっそく中に入ってみようじゃねぇか、タート・ルアン。
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ヴィエンチャンの観光情報っつうと、とにかく必ずココの写真がついてる。そういう写真で
散々見たものの実物をいよいよこれから拝むわけだが・・

しかし長くなっちまったから続きは次回だ。
(このネタは続き物にする予定じゃなかったんだけどなぁ?)

  
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by tohoiwanya | 2016-06-13 00:35 | 2015.09 東南アジア旅行 | Comments(0)
2016年 06月 10日

何はともあれパトゥーサイ

ワッタイ空港からホテルまではスムーズに着いた。
Mr. トシヴドゥキ」なんてスペルミスもなく(笑)、すんなりドライバーを発見、車に乗り、ホテルに着いた。
前年泊まったシェムリアップのホテルでは空港送迎はトゥクトゥクだったけど、ヴィエンチャンでは
立派な四輪車だったんで軽く驚いた。
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ホテルでチェックインを済ませ、一休みしたらさっそく市内観光に出撃。
ヴィエンチャンには一泊しかしないから寸暇を惜しむのである。もっとも見どころの少なさで有名?な
ヴィエンチャンだから、どこに行こうか迷うほど選択肢が豊富ではない。

そんなヴィエンチャンの数少ない観光スポットとして必ず紹介される両横綱みたいな存在が二つあって、
その一つがパトゥーサイ、もう一つがタート・ルアン。この際二ついっぺんに制覇してくれようじゃねぇか。
外は暑いがさぁ行くぞ。今日もはりきって製塩業に励むぞ(笑)。

まずはホテルからもほど近いパトゥーサイからだ。勝利の門とか凱旋門とか訳される。
パリの凱旋門と同じように広い大通りの真ん中にデンと建ってるから(道路は左右に分かれる)、
遠くからでも容易に発見できる。ヴィエンチャンの背骨といえるランサン通りに出て視線をヒョイと
左に向けただけで、ほら、あったーーー。
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パリの凱旋門を手本にして作られたと言われるだけあって(ほれ、ラオスは旧フランス植民地だし)、
なかなか堂々とした門なのは確か。しかし門に見とれる観光客の姿はほとんどない。

この門、登れる。パトゥーサイを制覇したと言うためには外観を見るだけじゃなく上に登りたいところだ。
ただし登るにはチケットがいる。3000キープ。まぁ50円弱ってところか。
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階段を上っててっぺんに向かう。ここも外人観光客は少なくて、むしろ地方から来たラオス人が
首都ヴィエンチャンに来て、ここを観光してるって感じに見えるなぁ。
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はい登頂完了。歩いてきたランサン通りの南西側を見てみましょう。いやぁ~こうして高い所から見ると
ヴィエンチャンってなにもない、平べったい町だなぁ〜・・・車の数も少ないよね。
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はい反対の北東側。世界で最も静かな首都なんて言われるだけあって、街の中心部でも車やバイクの数が
少ないねぇー。サイゴンだったら昼となく夜となく道路中がバイクで埋め尽くされてるだろうに。
当然、交通渋滞なんてものもない。ラオスって予想していた以上にノドカな国っぽい。
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おお、凱旋門の窓の柵までこうしてホトケ様仕様になっていたとは。凝ってるねー。
さすが敬虔な仏教国。
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サイゴンやハノイに大聖堂があるベトナムと違って、ラオスにはああいう誰にでも目につくコロニアル建築
みたいなモノってあまりない。っていうか、ちょっと読んだ話だとフランスはインドシナの植民地経営に際して
カンボジアやラオスの“現地業務”はベトナム人にやらせた部分が大きかったとも言われてる。
現地法人で雇った現地人社員を使って、隣りの国に作った現地子会社を運営させるようなもんか。
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こうしてイ課長のヴィエンチャン観光はとりあえずパトゥーサイから幕を開けた。
この後「両横綱」のもう一方も制覇しに行くわけだが、それについてはまた次回に。


 

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by tohoiwanya | 2016-06-10 00:13 | 2015.09 東南アジア旅行 | Comments(0)
2016年 06月 01日

ロッブリーという町

ロッブリーって実はすごく歴史ある町だって何かで読んだ。
それについて調べててちょっと驚いた。「タイ史」ってずいぶん“最近”から始まってるんだね。

タイ王国.comってところの記述では13世紀のランナータイ王国とか14世紀のアユタヤ王朝あたりからが
「タイの歴史」として扱われてて、それ以前は「先史時代」としてまとめられちゃってる。
12世紀から前はもう先史時代なのぉ?しかしよく考えればそれは無理もないことだ。

アンコール・ワットだのをバンバン建設してクメール王国が最盛期を迎えたのは12世紀頃のはず。
日本が「いい国作ろう鎌倉バフク」の頃、クメール王国はシェムリアップを首都として領土拡大し、
ロッブリーもその支配下にあった。だからクメール遺跡がこんなにいっぱい残ってるわけで、
この町では道の真ん中にもこんな遺跡がデンとあるのだ。
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つまりだよ。「タイ史観」的に考えれば11〜12世紀頃はタイって国はまだなかったといえるわけだよな。
その頃タイの大部分はクメール王国(カンボジア)だったんだから。

ただしそのずっと前、日本が「虫も殺さぬ大化の改新」とか「なんときれいな平城京」なんて言ってた頃に
ロッブリーはドヴァーラヴァティー王国っていう古代王国の要衝だったらしい。要衝だからこそ、
後にこの町を支配したクメール王国も、ココにこんなにいくつも寺院を作ったんだろうな。
タイの“先史時代”においてロッブリーというのは非常に重要な町だったのである。

しかしまぁそれも遠い昔の話。いまのロッブリーはクメール遺跡とサルを除けば、タイのどこにでも
ありそうな地方都市だ。町の中心部と思われるあたりを歩いてたら市場を発見。市場好きのイ課長は
例によってフラフラと吸い寄せられる。
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東南アジアの市場で何が楽しいって、やっぱりその「野趣あふれる」ワイルドな感じだよね。
肉だろうが魚だろうが、クソ暑い気候の中でただ置いてあるだけという陳列ぶりが東南アジア気分だ。
小分けされた切り身が冷蔵ケースに並ぶだけになっちゃったら猛烈につまらん。イ課長がガキの頃は
日本の魚屋もこれに近かったよ(さすがに肉は冷蔵ケースで売られてたが)。
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そろそろ腹が減ってきたぞ。もう昼だもんな。
今日は8:30発の列車に乗るためにけっこう早起きしたのに、1等車で出たクリームパン以外は
何も食っとらん。腹が減った。ロッブリーで何か食うぞ。

で、ヌードルを食うことにした。この旅行ではバンコクに滞在した最後の4日間、イ課長はなぜか
「麺食いヤロウ」になったから、この店でも食ったのは麺。この時の「麺食い生活」ぶりはいずれ
詳しくご紹介することになるだろうが。

出てきました。うーーうまそうじゃん。これもクイッティアオ(タイラーメン)の一種かな?
タイでは何も言わずにクイッティアオ頼むと米粉の麺で出されることが多いけど、ここでは
バーミーっていう黄色い小麦粉麺を頼んだ。要するに中華麺だね。暑い国で汗たっぷりかいた後は
熱くてしょっぱいヌードル食ってさらに汗ダクダクになるのが気分ってもんだ。
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腹減ってたから写真を撮ったあとはズルズルむさぼり食いましたよ。いやーーうまかった。
オバちゃんごちそうさま。ちなみにここのクイッティアオは35バーツ。約110円くらいか。
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クメール遺跡も見たし、サルまみれにもなったし、美味いクイッティアオも食って腹も満ちたし
何となく気分は充足した。そろそろバンコク戻るか。軽く2時間はかかるはずだから早めに帰るとしよう。

実はロッブリーの駅を降りたあと、バンコクまでのロトゥー乗り場の場所は用意周到に確認しておいた。
駅を出たすぐ西側にあるんだよ。市場からそこまでテクテク歩いてたらナゾの遺跡を発見。
いや、これは取り壊した家のレンガの土台が残ってるだけか?これだけ街中に遺跡がゴロゴロあると、
遺跡なんだか、取り壊した家なのか区別がつかなくて困る(笑)。
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はい着きましたロッブリーのロトゥー乗り場。
これに乗ってイ課長は無事バンコクに戻ってきたのである。ちなみに料金は120バーツ。
約380円くらいで、行きに間違って一等車の切符買っちまった鉄道料金よりずっと安い。
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前にも書いたけど、このロッブリー行き、前年タイに来た時もちょっと狙ってたプランだったのだ。
しかし例の現金紛失事件のためにソレどころじゃなくなった。だから今回はバンコク到着翌日に
何はさておきロッブリーに行ってやろうと思ったわけ。

去年の「バンコク尻すぼみ」のリベンジを果たし、イ課長の一年越しの溜飲も少しは下がったのである。

 
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by tohoiwanya | 2016-06-01 00:06 | 2015.09 東南アジア旅行 | Comments(4)
2016年 02月 27日

国民感情というもの

さて、やっと2014年東南アジア旅行に話を戻そう。
本日はカンボジアとベトナムの間にあるフクザツな国民感情というシリアスなテーマを取り上げる。

地理的な隣国同士って、まず例外なく過去に征服したのされたのっていう歴史があるから
両国民の間にフクザツな感情がたまる。反日だ嫌韓だと言い合ってる日本と韓国もそうだけど
ベトナムとカンボジアの間にもいろいろある。遺跡観光ツアーのガイドさんから聞いた話の中にも
ベトナムにからんで「ええ?そうなの?」と思うことがあったので、書いておきたいのだ。
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たとえばアンコール遺跡群に入るための共通入場券。
1日券(20$)、3日券(40$)、一週間券(60$)の三種類あるって前に書いた
シェムリアップのマッサージ屋のお姉さんの一か月の給料が80$って言ってたことを考えれば
カンボジア的には超々高額チケットだ。

それでもアンコール遺跡に押し寄せる観光客は年間200万人。一人平均40$のチケット買うとして
入場料収入は8000万$≒約100億円。アンコール遺跡群の入場料収入はカンボジアの国家財政に
トテツもなく貢献してるはず・・と、誰でもそう考える。

ところがギッチョン。
ガイド氏は悔しそうな顔でこう言う。「おかねはみんなベトナムにとられちゃうんですよぉ~
えええ?カンボジアにある遺跡なのに、なんでベトナムがとっちゃうのさ?

あとで調べて驚いた。本当にそうらしいんだよね。
前に写真を載せた入場チケット。このチケットの左下にピンクの桜みたいなマークが
あることにご注目いただきたい。
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このSOKHA HOTELS っていうホテル・リゾート運営企業、実はベトナムの会社なのだ。
アンコール遺跡入場券販売利権はこの会社が独占的に握ってるらしい。カンボジアに還元されるのは
収入の10数%(一説では100万ドル/年)程度とかで、あとはこの会社の売上になっちまうらしい。
だから遺跡の修復に使われるお金なんて、入場料収入のほんの、ほんの一部だけってことになる。
(主要な遺跡の修復は事実上、先進国からの援助に依存している)
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そりゃカンボジア人、ムカつくわなぁ。
さっきザックリ試算したように、アンコール遺跡の入場料収入は年間約100億円という規模。
仮にその1割、10億円をカンボジアに還元しても残り90億円はベトナムのもの。しかもその収入は
オレたちの国にある遺跡から吸い上げてるっていうんだから

自分の国の遺跡なんだから、入場券発行の利権なんてベトナム企業から取りあげて国営化すりゃ
いいのでは?と思うけど、経済的にも軍事的にも強いベトナム相手だとそうもいかんのかなぁ・・。
まぁね、カンボジア当局の中には甘い汁のおこぼれにあずかるのと引き換えに、ベトナム企業に
便宜を図ってる人間がいることも十分想像されるが。
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イ課長がシェムリアップに来るのにアンコール・エアを使ったっていう話をしたら、このガイド氏、
またまた悔しそうな顔をしてこう言う。「あれだってベトナムの会社ですよぉ~
えええ?!ホントなの?
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これまた調べてみると、アンコール・エアの出資比率はカンボジア政府51%、ベトナム航空49%だと。
出資比率ではかろうじてカンボジアの方が過半を占めてるけど、カンボジア政府に航空会社運営の
ノウハウなんて皆無なのは明らかだ。実際にはベトナム航空に牛耳られてる可能性は高い。
うーーーむ・・・

以前に書いた「予習」をちょっと思い出してほしい。
ポル・ポト政権の恐怖政治からカンボジアを解放したのはベトナム軍の侵攻。
その後新たに作られたヘン・サムリン政権を世界は「ベトナムの傀儡」と見なした・・と書いた。

傀儡という表現が適切かどうかはともかく、ヘン・サムリン政権が当時カンボジアを実質支配してた
ベトナムの影響下で作られた“親ベト政権”だったのは間違いない。そして今のカンボジア首相の
フン・センという人はヘン・サムリン政権当時の外務大臣だった人・・ははぁ・・・ってことはだ、
今のフン・セン政権は依然として“親ベト政権”の延長線上にあると言っても間違いじゃないんだろう。

うーーむ・・・こういうことを知ると、ベトナムに対する鬱屈した感情がカンボジア人の中に溜まるのも
無理ないかななぁ・・と素朴に思う。アンコール遺跡の収入の大半がベトナムのものってのは、
さすがにそれはちょっと・・・と思ってしまうわけヨ。

ま、こういう問題はよその国の人間が見るほど単純なもんじゃない。
二つの国の間にはイ課長の知らない歴史的経緯ってヤツがいろいろあるのは間違いない。

実際、ポル・ポト政権の時には国境沿いのベトナムの村がクメール・ルージュに襲われて、
多くのベトナム人がこれ以上ないくらいヒドい殺され方をしたなんて例もあったし、その後の
ポル・ポト派との内戦でも多くのベトナム兵が死んでる。大体だなぁ、ポル・ポト支配から解放されて
今のカンボジアがあるのは誰のおかげだと思ってんでぃッ?と、ベトナム側にすりゃそういう思いがあるだろう。
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どっちかの肩を持つつもりはないし、イ課長はベトナムもカンボジアも両方好きで、
どちらの国にもまた行きたいと思ってる。

でもさぁ、経済発展著しいベトナムは今や一人当たりGDPじゃ軽くカンボジアの倍、総額で比較したら
カンボジアの10倍以上だぜ?両国の経済力は水鉄砲と大砲くらいの差があると言っていい。
言い換えればカンボジアって国はそんだけ貧しいわけさ。街の「都会度」にしたって雲泥の差だもん。
サイゴンはもうすぐ地下鉄ができるけど、プノンペンに地下鉄なんて22世紀になってもできるかどうか・・。

なぁ、ベトナムのお兄ぃさんたちよ。そりゃま、過去にいろいろ遺恨があるのは重々承知してるけどよゥ、
ここは一つ度量の広いとこ見せちゃぁくれねぇかなぁ?アンコール遺跡群の入場料収入ぐれぇはそのまま
カンボジア野郎どものフトコロに入れてやるってわけにゃいかねぇかい?なぁ、ベトナムのお兄ぃさんたち、
おめぇさんがたを男と見込んで、あっしからもお願ぇしやすよ。

 
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by tohoiwanya | 2016-02-27 00:06 | 2014.09 東南アジア旅行 | Comments(2)