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2013年 07月 09日

誰も知らない施設「闘争と殉教の霊廟」 その2

続き物にした自責の念があるから、粛々と2日連続で更新するのである(笑)。

ためしに「ワルシャワ ゲシュタポ本部」でgoogle検索してみると、この建物の前を通ったっていう話は
あるけど、中に入ったっていう日本語の情報はやっぱりないみたいだなぁ。

日本で初めて紹介されようとしてるのかもしれないワルシャワ旧ゲシュタポ本部、別名「闘争と殉教の霊廟」。
それでは奥の方に入ってみましょう。
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この施設、全体の構造はこんな感じになっている。長っ細い構造のところに小さい部屋がいくつもある。
実物はこんな風に長~い廊下があって、片側に小さな部屋がずらりと並んでいるというわけだ。
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小部屋の一つを覗いてみると・・・おお、これは明らかに独房だ。ダークだ。
こういうところにブチ込まれたナチ抵抗分子のポーランド人がいったい何人いたことか。
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こっちはと見ると、これはゲシュタポ要人の執務室っぽい。「尋問部長室」って感じか。
さっきの独房とは大違いで、わりと明るくて間取りも広い。
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しかし、尋問部長室でフと脇に目を転じるとこんなグッズが入った棚が置かれている。
う、これは・・・
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・・・これは明らかに防毒マスクだ。
ゲシュタポ本部で防毒マスク?なんとなくイヤなイメージが湧いてくる。
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椅子に後ろ手に縛られた反ナチ分子のポーランド人が、首を振って抵抗するのを抑えつけて
ムリヤリこのマスクをはめさせ、そこから神経ガスかなにかを強制的に吸わせて・・・いや、これは
あくまでもイ課長の妄想だけどさ。

こっちはもっとイヤなイメージが湧いてくる。
具体的にはわからんが、ガスとかじゃなく、もっと物理的に痛めつけるための拷問器具としか思えない。
なんてダークなんだ。とは思いつつ、やっぱり目が離せない。
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この施設の中でも特に印象的なのがここ。
ここは尋問(あるいは拷問)前の逮捕者たちの、まぁなんというか一種の「控え室」みたいなもんで、
ここでジッと座って自分の番がくるのを待ったらしい。
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もちろん他の逮捕者たちと会話するなんてことは許されず、この暗い部屋の、この小さな椅子に座って
ひたすら自分が呼ばれるのを待ったんだろう。ここは通称「トラム」と呼ばれたんだと。

「大変だ、ホニャビッチがゲシュタポに連行されたらしい」
「かわいそうに、またトラム行きか」 なんて感じで話されたんだろうな、当時のワルシャワでは。

闘争と殉教の霊廟、要するにこういうところなのだ。
施設自体はそんなに広いものではないし、何かすごい展示物があるというわけでもない。
じっくり見ても、見学自体は長時間を要しない。

かつてのゲシュタポ本部が、戦争で破壊されることもなく、ほぼ当時のまま残っているという、そのこと自体に
意味がある場所だよな。内部のダークな雰囲気は、それはもうスゴくて、しばらく中を見ているうちに
少し息苦しくなったような気分になる。

さて、そろそろ明るい外の空気を吸おうと、出口に向かったら、途中にノートが置いてあった。
見学者が感想なんかを自由に書き込むノートで、まぁ観光地なんでよくあるやつだ。
それをパラパラとめくってみたけど、日本語はおろか漢字もハングルもまったく見つからない。
ここに来る東洋人の旅行者なんて皆無に近いんだろう。誰も知らないんだからしょうがないよな。

私はここに来た初めての日本人なのだろうか?

ノートに日本語でそう書いて、外に出た。
外には開館時間とかのプレートが貼ってあるけど、ポーランド語だからサッパリわからない。
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・・・と思ったら、おっと英語もあるじゃないか。
なんと、ここって月曜火曜は休みなんだ!いやーー運が良かったなぁ。
この日はちょうど水曜で、ここに来るチャンスはこの時しかなかったのだ。
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闘争と殉教の霊廟。
知られざるワルシャワ観光・見学スポットとして、ぜひ見るべき・・・とは口が裂けても言えない(笑)。
見たら気が滅入るのは間違いない。

ただ、とにかくここは日本であまりにも知られてなさすぎるからね。情報はほとんど皆無。
そんなこともあって、この施設のことはちょっと丁寧にご紹介したかった。

イ課長と同じようにダーク志向の強い人なら(あまり多いとは思えないが)、見学してみる価値はある。
場所はここ。見学者は多くなさそうだから、あのノートにイ課長が書いた筆跡がまだ残ってるかも(笑)。


 

by tohoiwanya | 2013-07-09 00:15 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(4)
Commented by げんまいちゃ at 2013-07-09 08:18 x
もともとはどういった目的に使われた建物だったんでしょうね。ナチスが侵攻してきてから新築されたものではないですよね、きっと? ポーランドの歴史には疎いですが、あっちこっちの国に接収されては独立運動をし・・・というイメージがあります。ナチスの残した傷跡も街の歴史としてしっかり残していこうという気概、それをしかも文部省にしちゃうってのは粋だなあと思いました。ポーランド人ってなんかアホっぽいイメージが定着してますが、実はすごいじゃん、と。
・・・などと勝手に想像を膨らましましたが、実は新しい建物だったりしてね。
Commented by tohoiwanya at 2013-07-09 15:33
>ナチスが侵攻してきてから新築されたものではないですよね、きっと?

げんまいちゃさん:
おそらくそうでしょうねぇ。元あった大きな建物をナチスが接収したんだと思う。
接収以前もポーランド政府の何かのお役所だったんじゃないのかなぁ?

現在の建物は本当にキレイですから、おそらくドイツ軍がいなくなった後、
オフィス部分は改修し、キレイにして文部省にした。しかし、悪しき記憶がこびりついた
尋問部屋とか独房とかは、そのまま壊すに忍びない、ここで死んだ人のためにも
残そう、ってことになったんじゃないかと、なんとなくそんなストーリーが想像される。

他のことはともかく、民族独立とか、第二次大戦とかに対するポーランド人の考え方っていうのは
たぶん我々が想像もできないくらいシビアなものなんだと思います。
Commented by はな at 2013-07-10 10:21 x
ここ、初めて知りました!

ワルシャワで半日市内観光ツアーのオプションに参加して、
多分ユダヤ人歴史博物館だったと思うんですが、そこに行ったとき、
同じツアーにおられたユダヤ人やしき老夫婦が、ガイドさんの
説明を聞きながら涙ぐんでおられた姿が印象的でした。
英語ツアーだったため、またもや私はほぼ理解できずでしたが、
その時のポーランド人ガイドさんの表情とか、他のヨーロッパ人の
お客さんの真剣に聞き入っている姿とか、内容は理解できなくても、
見ているだけで、なんか考えさせられるものがありました。

それにしても、日本人はおろか、本当にアジア人が少なかった
ですね!なのに、お寿司屋はところどころにありましたね^^
Commented by tohoiwanya at 2013-07-10 13:14
>日本人はおろか、本当にアジア人が少なかったですね!

はなさん:
アジア系はほんと、少なかったですねぇ~。
その代わり、ユダヤ人ツアー団体はすごく多かった。あちこちで見た。
クラクフで私が行ったダークなところでは、見学者がユダヤ人団体と私だけ、なんていう
極端なケースも(笑)。要するに、私が見学したいダークな場所っていうのは
大体「ユダヤ人の悲惨な歴史」がからんだ場所ってことですよねぇ。
自分の見学志向が明らかに“ユダヤ的”であることを認識させられました。
昔だったら、ゲシュタポに連行されたかも(笑)。


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