人気ブログランキング |
2013年 08月 24日

ビルケナウ強制収容所 その3

今日で終るからね、強制収容所のハナシは。

ビルケナウ強制収容所の一番奥まで行った見学者ツアー。
帰りは線路から少し離れた、居住棟がズラリと並んだ原っぱを通って戻ってくる。
この時点で、イ課長は(おそらく見学者たち全員も)精神的な体力は使い果たしている(笑)。

先導していたガイドさんが、英語で何か言いながら、ある建物の中にひょいと入る。
見学者たちもゾロゾロと中に入ってみると・・・

ははぁ~、これって収容者居住棟か。
中はこんな風になってるわけね。
f0189467_142271.jpg

映画「シンドラーのリスト」の中でも、夜、収容所のベッドに入った状態で収容者たちが
自分たちの“今後の運命”を相談するシーンがあったけど、あのシーンでは収容者たちは
全員通路ガワに枕をもってきて、通路をはさんで話をしていた。

実物をみるとその様子がよくわかる。
なぜかっていうと、ほら、寝台の板は通路側(頭の方)から窓側(足の方)に行くに従って
ゆるーーく傾斜してるからだ。頭を低くして寝るヤツはいないだろうから、どうしたって
通路側に頭を持ってくることになる。ふーむ、最初っからそういう設計になってるんだねぇ。
f0189467_143924.jpg

窓ごしの光に照らされた寝台の板がやけになまなましい。
この上に布団を敷いて寝た・・とは考えづらいよなぁ。貨車で輸送される収容者が自分で
布団やマットレスを運んだとは思えないし、収容所から支給されたとも思えないよなぁ。
ワラとか、ボロきれとかを敷いて、なんとか“ソレらしく”したのかなぁ?
f0189467_154846.jpg

ポーランド、夏は涼しいだろうけど、冬はそれはもう寒かったはずだ。
こんなところで、腹ペコで、ガリガリに痩せて、身を寄せ合っかろうじて暖をとったのか。

冬は寒い土地だけあって、木造棟なんか一つもなくてぜんぶレンガ造り。
しかも、各棟には一つずつ暖房用の暖炉みたいなものがあったんじゃないかと想像される。

ビルケナウその1」で、カマドと煙突だけが残って墓標みたいに見えるっていう写真を載せたけど、
近くから見るとこんな感じ。建物の周囲の壁を支えた土台と、カマド(というか、暖炉?)と煙突だけが
残ってる。
f0189467_183467.jpg

どうしてこういう具合になったのかよくわからない。ドイツ軍が撤退時に破壊していったのか、
それとも収容所を解放した連合軍がブッ壊したのか?いずれにしても壁や屋根は破壊しても
中の煙突と暖炉だけは残っちまったってことなんだろうなぁ。
・・てなことを考えながら、なおも草っ原を歩く見学者たち。心なしか足取りも重い(笑)。
f0189467_152018.jpg

またガイドさんがひょいと別の建物の中に入っていく。今度はナンだ?

うわーーーーー。トイレです。収容者用のトイレの跡。
仕切りもヘチマもない、出すべきモノだけ、とにかく出せっていうようなトイレだ。
f0189467_18578.jpg

ガイドさんの説明によると、当時の収容所で最も貴重品とされていたものの一つが
トイレットペーパーなんだって。収容者同士の間でトイレットペーパーをあげる、もらうって行為は
もう本当に大変なプレゼントだった(・・・というようなことを説明していたんだと思う)。
f0189467_191686.jpg

そして、ようやく見学者は最初の「死の門」のあたりに戻ってきた。
とにかく、アウシュビッツ・ビルケナウ日帰り見学ツアーは終ったのだ。
あの赤毛のガイドさんとはここでお別れ。
f0189467_19338.jpg

この日歩いた距離は相当なもののはずで、足も疲れたけど精神的疲労はさらに大きい。
帰りのバスの中もみんな静かで、疲れて寝てる人もいた。

しかしイ課長はさすがに眠れなかったよ。
このツアーには昼食がつかないから昼飯ヌキだったわけだけど、空腹も感じない。
十分予想されたこととは言え、やはりアウシュビッツ体験はそりゃーもうダークで重かった。
「自分が生きてることに感謝しよう」的な、前向きな気分にもなれない。
この重さをどうしたらいいのだ・・・と思いながらボンヤリとポーランドの風景を眺めた。

はぁーーーーー。お疲れ様でした。
読む方も書く方も疲れたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所訪問記。
最初の訪問スタンス表明や、バスに乗り遅れた話を含めて勘定したら、今日で9記事めかよ。

ただね、実はこの帰りのバスでちょっとしたデキゴトがあったんだよ。
イ課長にとってはこの旅行で最も忘れがたい出来事の一つと言っていい。

いわばアウシュビッツ訪問記の「付録」として、次回、その話を書こう。
それは全然暗い話じゃないから、安心してくれたまえ(笑)。


  

by tohoiwanya | 2013-08-24 01:10 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
Commented by hanatomo31 at 2013-08-24 01:15
私も記憶が曖昧なので、なんとも言えないんですが、
あの煙突だけが残っていた建物跡って、そこだけひょっとすると木造建築だったってこと無いかしら?
だとすると比較的早く朽ちて、煙突だけ残るのもあるかも?
Commented by tohoiwanya at 2013-08-24 14:22
>そこだけひょっとすると木造建築だったってこと無いかしら?

ハナトモさん:
あーーーなるほど。確かにそれは可能性としてあり得る。
粗末な木造バラック小屋みたいなものを想像してたわりに、残った建物は全部レンガ造りなので
「やっぱ寒いポーランドじゃ、いくら何でも木造は無理だよなぁ」と思ったけど、
実は木造もけっこうあって、すでに朽ち果てたのかもしれない。
とすると、あのトイレにしても、たまたまレンガで造られていたから残ってるけど、
木造の、もっと祖末なトイレもあったのかもしれない。単に残ってないってだけで。
 
Commented by はな at 2013-08-24 21:13 x
イ課長さん、お願いがあります。
プワショフのことも、少しでいいので紹介していただけませんか。
強制収容所のお話は、ダーク極まりなくなること充分承知していますが、、、やはり、気になります!!
Commented by tohoiwanya at 2013-08-25 00:25
>プワショフのことも、少しでいいので紹介していただけませんか

はなさん:
大丈夫です。近々必ず書きます。それも「少しでいいので」どころか、たっぷりと(笑)。
順番上、アウシュビッツが先になりましたけど、この次の日、
カジミェシュ地区からシンドラーの工場やプワショフ収容所跡地を見て歩いたあの日のことは
書きたくてウズウズしてるくらい(笑)。もうちょっとお待ち下さい。
 
Commented by げんまいちゃ at 2013-08-28 13:32 x
こんにちは。
まだあるのですねぇ。
・・・あ、飽きたとか、もういいとか、そういうことではないです、全く。

こういうダークな体験をしたときに、たくさん語りたくなる心境というものについて、色々思うところがあるのです。

こういうプチダーク体験についてはみなさんいっぱい語りたくなりますよね。きっと当時の収容所内でも、日記を残そうと努力した人はたくさんいたと思う。ところがその後ほんとにトラウマ的な体験をすると、語れる人と語れない人が出てくる。なんでだろう、と。

めちゃくちゃ長寿の日本でも広島とか沖縄とかの語り部さんはもう希少種なのだから、アウシュビッツ・サバイバーでそういう活動ができる人というのはやはり厳しいでしょうね。そういう意味でもこれらの収容所の建物とか遺品とか、ここの持つ空気感とか、そういったものをどうやって残していけるかってのが大切になるんだろうなあと思いました。
Commented by tohoiwanya at 2013-08-28 15:37
>ほんとにトラウマ的な体験をすると、語れる人と語れない人が出てくる

げんまいちゃさん:
もしかすると(あくまでも推測ですが) 本当にひどすぎる体験をした立場になると
「どんな言葉を尽くしてもあれはわかってもらえない」と思うんじゃないかって気がする。
私にしたって、収容所見学くらいのダーク体験だったらいくらでも書けるけど、
実際にソコに収容されて、毎日殺されるかな、と思いながら空腹と極寒の日々を送れば、
仮に生き残れたとしても「あの経験は、とても話して(書いて)伝えられるもんじゃない」と
思うかもしれない。
まぁそれでも、私は基本的に「書きたがり」ですから、収容中の日記や記録は
残そうとするかもしれないですけどね。「伝えられない」とは思いつつも。
Commented by ますだいっこう at 2014-10-31 04:52 x
ポーランド国鉄チケット予約方法のページはとても参考にになりました。感謝です。それ以外の記事はポーランド旅後に読み始め、出発前に目を通しておけばよかったと軽く後悔しております。
ビルケナウの、煙突だけが残った建物跡ですが、日本人公式ガイド中谷さんの説明では、すでにコメントされているように、当時は木造建築だったそうです。煉瓦で追いつかなくなり木造にいわば簡略化した、と。その木材は、戦後に復興期に建築資材などとして撤去・使用されたのだそうです。
Commented by tohoiwanya at 2014-10-31 13:16
>当時は木造建築だったそうです。煉瓦で追いつかなくなり木造にいわば簡略化

ますだいっこうさん:
初めまして。コメントありがとうございます。
中谷さんのガイドでアウシュビッツ・ビルケナウ行かれたんですね。
それは貴重な経験です。
あれはやっぱり木造でしたか。朽ち果てたとか、焼けたんじゃなくて
他の建設資材に流用したんですね。戦争が終ってもきっと資材は不足してたんだろうなぁ。
ポーランドって、欧州旅行の行き先としてはややマイナーですけど
その分、なるべくお役立ち情報も書こうと思っていたので、チケット予約方法が
お役に立ったと聞くと私も嬉しいです。


<< ポーランドのドライバー氏の思い出      ビルケナウ強制収容所 その2 >>