2014年 03月 20日

タージ・マハルというところ その4

さて、タージ・マハルの裏のテラス。

ここは日陰で涼しいし、何より眼前にヤムナー川の広大な流れが広がってて、見晴らしがいい。
暗くて暑くて人ゴミだらけだった内部からここに出てくるとみんなホッとするようで、インド人の多くは
ここに座り込んで休憩してた(ただし飲み食いしてる人たちはいなかった。おそらく飲食禁止)。
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イ課長もここでちょっと休むことにした。
水牛がヤムナー川で水飲んでるよ。なんか「悠久のインド」って感じの風景だよねぇ。
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反対側を見るとさっきまでいたアグラ城が見える。うーん・・つい1時間前は
あそこからタージ・マハルを見てたんだよなぁ。
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さて、このタージ・マハルの裏のテラスに出ると、ある重要な発見ができる。
それは前回記事の末尾に書いた「シャー・ジャハーンが思い描いた理想」に関わるものだ。

いま彼は愛妻ムムターズ・マハルと並んで永遠の眠りについている。
だがスーパー建築道楽皇帝シャー・ジャハーンが望んでいたのはそんなみみっちいことではなかった。

彼の構想としては、ヤムナー川の対岸にもう一つ同じ形の霊廟を黒大理石で作りたかったといわれている。
つまり白いタージ・マハルの川向こうに、今度は「自分用」に「黒いタージ・マハル」を作り、
その二つを橋で結ぼうと思ってたらしいんだよ。

白と黒の二つのタージ・マハルがヤムナー川をはさんで建つ・・・あまりにも壮大すぎる彼の建築構想は
結局実現することはなかった。何せ白いタージ・マハルだけで国庫は傾いたといわれるんだから。

そんな話を聞いたことがあったから、「あの辺に黒いタージ・マハルを建てようとしてたのかなぁ?」などと
思いながらイ課長は川の対岸を眺めた。するとだ・・・

これは何だ?これは白いタージ・マハルのほぼ左右中心線上から撮った写真だけど、
対岸にあるこの平らなところも正確に同じ中心線から左右対称に広がっているように見える。
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これは明らかに「黒いタージ・マハル」の基礎工事の後だ。そうに違いない。
でなきゃ川の対岸、同じ中心線上に左右対称の土地造成がなされるなんて考えられない。

黒いタージ・マハル構想は本当だったんだ。これにはけっこう驚いたね。
この話を初めてテレビで知ったときは「そんな言い伝えもあるんだ」程度にしか思ってなかったけど
実際にプロジェクトは動き始めてたんだ。基礎工事だけとはいえチャンとその名残りがあるんだもん。
いやーすごいよシャー・ジャハーン。キミは本当に「黒いタージ・マハル」を作ろうとしてたのか。

それにしても、シャー・ジャハーンが帝位にあったのは1600年代半ば、日本でいえば江戸時代初期か。
その頃の基礎工事の跡がそのまま残ってるっていうのもすごい話だ。
周囲に広がるダダッ広い原野を見る限り意図的に保存したとは考えづらい。単純に残ってるんだろう。

あの造成工事の跡はまさに「シャー・ジャハーンの夢の跡」なんだなぁ・・・
彼がいま白いタージ・マハルに妻の棺と共に眠ることが理想ではなかっただろうと思う理由はここにある。

しかし、もう一つ黒いタージ・マハルまで作ろうってのは、さすがに建築道楽が過ぎるよキミ(笑)。
“白い方”を建てたというだけで歴史に名を残したシャー・ジャハーン。黒いタージ・マハル構想が頓挫して
「女房の墓」に一緒に葬られたのは意に反してたかもしれないけど、愛妻の隣で眠るのも悪くないと思うよ?
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てな具合に、シャー・ジャハーンやムムターズ・マハルのことをホンのちょっと知っておくと
タージ・マハル観光はいっそう感慨深いものになる。
中でもこの「黒いタージ・マハルの造成工事跡」が残ってたのには驚いたねぇ。

さて、タージ・マハルの表から裏までたっぷり拝見させていただいたし、そろそろ戻るか。
表側にまわり、行きに通った真ん中の通路ではなく、外側の通路を歩いて帰ることにした。
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ずーーーっと出口の方に向かって歩き、「ここを曲がったらもうタージ・マハルが見えない」という地点で
最後にもう一度振り返ってタージ・マハルを見た(写真がナナメってるが)。
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いやー堪能させていただきました。インドに来たかいがありました。
さすがは「世界の観光地タージ・マハル」だと思ったよ。実物の持つチカラに圧倒されたましたですよ。
おそらくもう見ることはないだろうが、これからもその輝きを失わないでくれ、タージ・マハル。

かくして、インド出張における「ついで観光」の唯一最大のクライマックスは無事終ったのでありました。
タージ・マハルだけで「その4」まで書いちまったぜ。毎度話が長くてすまんのう。


 

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by tohoiwanya | 2014-03-20 12:12 | 2012.10 インド出張 | Comments(4)
Commented by piki at 2014-03-21 12:46 x
こんにちは、

現在のインドからは、想像できないような機密で正確な彫刻!
奴隷的マンパワーがあふれていたときでしか、
できない技だとおもいます。

最初のしゃしん。 (美しいというか)クリーンな感じですねえ。
私は、あそこで、ゴロリとなりたい。
Commented by Bきゅう at 2014-03-21 20:39 x
イケメン3人集がよいと思いました。水牛の図は、ふんと悠久のインドですねえ。行きたいなあ。
Commented by tohoiwanya at 2014-03-23 01:03
>私は、あそこで、ゴロリとなりたい

ぴきさん:
私が行ったときのアグラは「灼熱の・・」というほどでは全然なかったけど、
まぁ日本の普通の夏くらいの暑さ。
内部から出るとここは日陰だったし、床は冷えた白大理石。
ゴロリとするには非常にいい場所でしたけど、さすがにヨコになってる人は
いなかったんじゃないか?(笑)
Commented by tohoiwanya at 2014-03-23 01:07
>ふんと悠久のインドですねえ。行きたいなあ

Bきゅうさん:
ぜひ行ってくださいよインド・・・といいたいところだけど、
P国入国履歴があるパスポートだとやっぱ難しいのかな?
逆に言うと私はP国には入りづらいのかもしれないけど、まぁいいか。
タージ・マハルほど見たいものもないし(笑)。


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