2015年 08月 24日

ダーク・ツーリズムに向けた予習 その2

モノの本によると、ポル・ポトを中心としたクメール・ルージュのボスたちっていうのは
別に血に飢えたサディスト集団ってわけじゃなく、フランス留学経験のあるエリートばかりで
一応カンボジア型共産主義建設(革命)の理想に燃えてたんだと思われる。
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しかしその理想は普通に考えれば完全なビョーキ。彼らの異常なまでの「既存体制破壊」の執念には
驚きを通り越してゾッとする。都市住民は全員強制疎開&強制労働、都市部の学校も病院も全部閉鎖。
私財は没収、通貨は廃止、宗教なんかも当然廃止だ。都市住民の大人たちを農村で強制労働させる一方で
子供たちを集めて革命洗脳教育をほどこし、異常なコドモ革命戦士を大量育成して手先として働かせた。
カンボジアじゃ夫婦や親子なんて家族関係は事実上消滅しちまった。ついでに戸籍も廃止ときた。

そしてご存知のように、反革命的と言いがかりをつけては自国民をとにかく片っ端から殺しまくった。
医者とか教師とかエンジニアとかのインテリは反革命分子になりそうだから殺す。メガネかけてるヤツは
インテリっぽいから殺す。フランス留学中のエリート連中はインテリの最たるものだから「カンボジアに戻って
祖国再建に力を貸してほしい」と声をかけ、呼び寄せ、殺す。

ここに彼らのビョーキぶりが見てとれるとイ課長は思う。フランス留学したカンボジアのエリートって、まさに
自分たちじゃん!ポル・ポト派の連中は「かつての自分たち」を反革命分子として危険視し、殺したことになる。
こうなるともう完全な被害妄想。もちろん殺したのはエリートだけじゃない。地方で強制労働させてるヤツらが
ちょっとでもサボッたり不平を言えばソク殺す。
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人口約600万人のうち200万人くらいが殺されたなんて話もあるけど、このくらいの規模になると
アウシュビッツと同じで正確な人数なんてわかんないし、聞いてもその規模をイメージできない。

この大虐殺。思想背景的には中国の文化大革命とか毛沢東思想の悪しき影響が強かったようで、それはそうなんだと思う。
ただ、ポル・ポト派幹部の当時の発言(もちろん伝聞だが)を読むと、実際問題として単純に「養うべき国民の数を
減らしたかった」っていう側面もあるんじゃないかって気がするんだよなぁ。

イ課長がバスで越えたあのタイ国境は命からがら逃げてきたカンボジア難民が押し寄せた場所なんだよ。
あのバスで途中弁当を積んだタイ側の国境の町アランヤプラテートは当時世界中からジャーナリストや
ボランティアや人権活動家が押し寄せ、パンク寸前だったらしい。

しかしイ課長が注目するのはむしろここから先の展開。
これだけメチャクチャなポル・ポト体制、いったいどうやって倒れたのか?カンボジア人民の反乱?

実はベトナムのカンボジア侵攻のおかげなんだよね。ポル・ポト派はだんだん「ベトナムは敵だ」って被害妄想も
強めたようで、ポル・ポト軍がベトナム領内の村を襲撃・虐殺するなんていうことも増えてきたらしい。
カンボジアからベトナムに逃げて来た難民から隣国で何が起きてるかの情報も入ってくるわけだから
「ポル・ポトってどうもマジキチみたいだし、早めにツブしといた方が・・」という思いが
ベトナム側にあったことは十分想像できる。

で、ベトナム軍は「反ポル・ポト」のカンボジア武装勢力と一緒に1978年暮れにカンボジアに侵攻し、
翌年1月、アッという間にプノンペンを制圧した。当時のベトナム軍は戦争慣れしてたからねぇ。
プノンペンには親ベトナム派のヘン・サムリン政権が設立され、ポル・ポトはタイ国境の山岳地帯に敗走。
山奥にこもってヘン・サムリン政府に対してゲリラ戦を続けることになる(=カンボジア内戦)。
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(上のモノクロ写真3点の出所は ://diogenesii.wordpress.com/ ただしココ自体がたぶん
 2次使用じゃないかとは思うが) 

こうして見れば、今度はどちらかといえば「ポル・ポトをやっつけたベトナム側の方に正義はある」と思える。
ベトナム軍侵攻がなければポル・ポト支配がもっと続いてたのは確実。ベトナムは残虐なポル・ポト支配から
カンボジアをとりあえず解放してあげたことになる。

ところが世界はそうは見なさなかった。
当時ソ連寄りだったベトナムがカンボジアに侵攻したのを中国や米国やタイは良く思わなかったんだな。
「弱いカンボジアを侵略した悪いヤツ・ベトナム」として孤立させようとした。ヘン・サムリン政権なんて
ベトナムの傀儡だから認めない、で、あろうことかポル・ポト政権こそカンボジアの正当な政府なんだと主張した。
ソ連の息がかかったベトナムの、そのまた息がかかったカンボジア政府を世界は認めなかったのだ。

結果的に国連の議席は何とポル・ポト政権に与えられ、日本政府もそれに同調した。つまりだよ?
何百万の自国民を殺したキチガイ政権を「正当なその国の政権」として日本を含む世界の多くは承認し続けたのだ。
そんなこともイ課長は今回初めて知ったよ。「歴史を直視しろ」とか言ってる世界中の為政者の皆様方には
「自国民を何百万も殺したポル・ポト政権こそ正当な政府」と認めたご自分たちの歴史もぜひ直視してほしいもんだ。
(当時は虐殺情報に対して大半の国が半信半疑だったのだ、みたいな言い訳が用意されてるんだろうけどさ)

この時期の報道ではカンボジアに軍を進めたベトナムが悪者にされてたのは確かで、イ課長もベトナムが
カンボジアを実質的支配下に置いているというニュースを見て「迫害されたユダヤ人が今度はパレスチナ人を
迫害してるみたい・・」みたいな印象を持ったもんだった。

一方ベトナムは自国のカンボジア侵攻を正当化したいって思いがあったから、ポル・ポト時代にカンボジアで
何があったかを世界に訴えた。それがあまりにも残虐すぎて信じ難いから、最初は誰もが「まさかぁ・・」と
思った(んだと思う)けど、今となってはポル・ポト派による自国民大虐殺の事実を疑う者はいない。

タイ国境地帯に隠れたポル・ポト派とヘン・サムリン政権(+ベトナム)によるカンボジア内戦は
その後も1991年頃まで続き、ポル・ポト自身は1998年に心臓発作で死亡した(毒殺説もあり)。
ポル・ポト派の残党も今や消滅したんだと思う。しかしポル・ポト支配の4年間がこの国に与えた
ダメージはあまりにも深い。カンボジアの人口ピラミッドがこんなに歪んでるってこと自体、
この国でかつてあったことがいかに異常なことだったかを物語る。
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プノンペンではトゥール・スレンにぜひ行こうと思っていたイ課長は以上のようなことを
日本で予習してからカンボジアに行き、トゥール・スレンを見学したわけだ。

イ課長にとっては2012年ポーランド以来のダーク・ツーリズム、トゥール・スレン虐殺博物館見学。
次回から始めさせていただきます。ええ、もちろん続きものになるはずですよ、ええ。

 
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by tohoiwanya | 2015-08-24 00:07 | 2014.09 ベト・カン・タイ旅行 | Comments(0)


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