2015年 08月 26日
それでは始めよう。トゥール・スレン虐殺博物館。 以前にこのブログでダークツーリズムについて書いたとき、アウシュビッツ以外の代表的な ダークツーリズムの例としてカンボジアのトゥール・スレンや南京大虐殺紀念館について触れた。 あれを書いたのが2013年の10月。それからわずか1年後の2014年9月にまさか自分が本当に トゥール・スレンに行くことになるたぁ、お釈迦様もイ課長も気が付かなかったねー。 そもそも最初はトゥール・スレンがカンボジアのドコにあるのかも知らなかったんだから。 何となくアウシュビッツと同じように人里離れたところにあるんだろうって先入観があったけど 実はプノンペン市内の便利な場所にあって、元々は高校の校舎だったんだと。 入口はこんな感じ。入場料は2ドルくらいだったと思う。米ドルね。 地元の中学生たちがゾロゾロ見学なんていう感じは全然なくて、来場者はほとんど全員が 海外から来た旅行者のようだ。ただし日本人らしき人は見かけなかったなぁ。 建物の感じは日本人から見ても確かに学校の校舎っぽい構造になってると思う。 建物の両端に階段があり、各階の教室はベランダ兼用の廊下でつながってる。イ課長がむかし通った 中学校も同じような構造だったよ。内廊下がないんだよね。 しかしここがポル・ポト時代なにに使われてたか知ってる見学者としては、建物が学校っぽいがゆえに 逆に不気味な気分になる。ごく普通の学校が自国民拷問・虐殺の一大拠点として使われたという事実。 階段の踊り場の床にはこんなシミがあるけど、これ、もしかすると血の跡か?トゥール・スレンには 床に血痕が残ってるなんて場所がけっこうあるらしいんだけど、ここかなぁ?ううう・・・ トゥール・スレンの展示内容をご紹介するにあたっては「見た順」ではなく「ダーク度」を指標に書こう。 「気分がダークになった度合いの」軽→重という流れで書いていきたい。その方が読み手も少しずつ “耐性”ができていくような気がするからね。まずは穏やかなところから。 ①関連図書資料展示 教室の一つは関連図書を集めて自由にお読みくださいって感じの部屋になってる。 欧米人旅行者が何人もジックリ読んでた。欧米人が多いってことは英文図書が多いはずで、 イ課長は特に何か読んでみるってことはしなかったけど、こんな風に机とイスが並んでるのを見ると 改めて「ここはもと学校だったんだなぁ」って感じる。 ②大部屋 ここでは共産主義革命の内部攪乱を図る反革命分子を片っ端からしょっぴき、尋問し、拷問し、殺した。 そういう意味じゃワルシャワ旧ゲシュタポ本部に似た性格を持ってるんだけど、収容していた 人数も相当多かったようで、収容所的な側面もある。これが教室を使った大部屋収容施設。 番号のあるところが「一人分の就寝スペース」ってことらしいから、ほとんど体をくっつけるようにして 寝てたわけだ。冷房はないから夏は暑かったはずで、隣りのヤツの体は汗でベトベト・・なんてことを 気にしてられないくらい、ここの衛生状態はそもそも最悪だったらしいけどね。 当時の様子を描いた絵(反射で見づらいが)。床にすごい密度で収容者が寝かされてる。 耐え難い居住環境だ。もっとも、逮捕⇒尋問&拷問⇒粛清(殺害)というここのシステムを考えれば 一人の収容者が1年も2年もここで暮らすということはあまりなくて、収容期間は数か月程度ってのが 多かったなんて話も読んだ。 ③収容者心得 歩いていくとこんな英語の看板があった。最初は「飲食禁止」みたいに見学者向けの注意事項でも 書いてあるのかと思ったけど、乏しい英語力で読んでみると、これは当時の収容者たちに対して 体制側(要するにポル・ポト派)が要求した一種の“収容者心得”だってことがわかってくる。 1.質問にはちゃんと答えなければならない。質問をそらしてはならない。 2.口実を設けて事実を隠してはならない。お前が抵抗することは厳しく禁じられている。 3.お前は革命を阻害する愚か者であってはならない。 4.お前は質問に対して時間を無駄にすることなくただちに答えなければならない。 (中略。英語が得意な方、訳してください) 10.いかなる規則違反があった場合でも10回の鞭打ちか5回の電気ショックをうけることになる。 十分予想されることだけど、実際ここに収容された人のほとんど、つうかほぼ100%近くは 反革命分子でもスパイでも何でもないフツーの人。そういう人たちが拷問の苦痛に耐えかねて 「自分はスパイですぅ」という自白を強要され、仲間(親戚や友人)は誰かを吐かさせられる。 そこで名前の出た仲間(親戚や友人)もまたここにしょっぴかれ、拷問され、自白を強要され、 仲間の名前を言わされ・・というイモづる式のサイクルが延々と繰り返されたわけだ。 「私、スパイですぅ」なんて自白すれば、自分が処刑されるってことは十分わかっている。 しかし仮にテコでも自白しなければ、延々と拷問また拷問が続き、拷問の果ての拷問死が待っている。 どっちみち自分は殺されるという状況の中で「少しでも長く生きて長く拷問され続ける」か 「早くウソ自白して早く死ぬ」か・・収容者たちはそういう選択を迫られたことになる。 トゥール・スレン虐殺博物館。この程度の“ダークさ加減”はまだ序の口なんだけど、 続きは次回だ。まだまだあるぞ。
by tohoiwanya
| 2015-08-26 00:08
| 2014.09 東南アジア旅行
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