2015年 08月 31日

トゥール・スレン虐殺博物館 その3

ウチも最近はすっかり暗黒ブログ化した感があるな。
しかしそれでも書くトゥール・スレン虐殺博物館展示内容。今日はまたさらに重苦しい話になる。


⑧看守たちの写真
トゥール・スレンにおいて収容者の拷問その他の実務にあたった看守たち。
ポル・ポト体制のキモチ悪さを象徴するように、看守たちはほとんど10代のコドモばかりだった。
以前に書いたように、子供の頃から洗脳教育された異常なコドモ革命闘士、コドモ看守たち。

コドモ看守の写真はたくさん残ってる。全員同じ帽子をかぶり、笑顔を見せている者もいる。
まだ幼さ丸出しの彼らが革命洗脳教育をうけ、拷問技能に関するスキルを訓練されたうえで
トゥール・スレンで働いてたわけだ。
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ポル・ポト体制下では学校も病院も全て閉鎖され、医者や教師はインテリだから殺された。
病院もなけりゃ医者もいないという状態で、たとえば農村地域で強制労働させられてる誰かが
病気になった場合どうしたのか?放置された?その方がよかったかもしれん。

そういう場合、コドモ看守と同じような急ごしらえの「コドモ医者」が医療行為にあたったらしい。
もちろんド素人だから病気なんて治せっこない。内容的には真似ごと、お医者ごっこのレベルだろう。
実際、家族が「注射されたとたんに死んだ」なんていうカンボジア難民の証言は少なくないのだ。
理不尽な強制労働のあげく空腹と疲労で病気になり、医療技術ゼロのコドモ医者にかかって死ぬなんて、
もはやグロテスクな悪夢そのもの。
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女性の看守もいた。こちらもみんな若い。
モノの本によると当時「ポル・ポト体制側女子」のヘアスタイルは横分け+首の後ろでざっくり切った髪型に
決まってたらしい。ここで一番左の列の、下から2番目に写ってるゴツい顔の女性を記憶しておいていただきたい。
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看守みたいな、ポル・ポト体制下における“体制側”の仕事に就いてた者って、クメール・ルージュが
政権をとる前からポル・ポト派の支配下にあった「解放区」の住民たちで、農村出身者が多い。

そういう体制側から見ればプノンペンみたいな都市部の連中は「革命思想が浸透してないクズ人間」だから
町から強制的に追い出し、強制労働させながら教育するのが当然という発想になる。その中に少しでも
反革命分子が混じれば悪い思想はすぐ広がる。そうなる前にアヤシそうなヤツは片っ端から施設に集め、
自白させ、殺す。彼らにとってはスジの通った革命思想だったんだと思われる。


⑨看守たちの回想(反省?)
そういう“体制側”にいて、多くの自国民を拷問し、殺した看守たち。
1979年1月のポル・ポト敗走後、一部ではそういう連中に対する復讐リンチもあったらしい。
でも全体としてはそういう例って少数で、多くの看守たちはその後もカンボジアで罪に問われることなく
多少の“再教育”を経ていまも普通に生活している。

戦争犯罪って通常は「A国(通常は戦勝国)の人間を殺したB国(通常は敗戦国)の人間」が
対象になる。裁判では「殺された国」のガワの裁判官なり検察官なりが「殺した国」の
軍人や政治家を裁く形になる。日本もドイツもそうだった。

しかしカンボジアの場合そうじゃない。自国民が自国民を殺してるから、仮に戦争犯罪で
裁くとしても、告発する相手は当然自国民だ。
ただでさえ人口の1/2だか1/3だかが殺されたっていうのに、さらに大量のカンボジア人を、
カンボジア人自身が戦犯として追求し、投獄し、場合によっては処刑できるだろうか?

ポル・ポト体制がカンボジアに残した大〜きな傷の一つがコレだと思うんだよイ課長は。
家族を殺された恨みを持つ人間と、殺した当事者である元看守とがその後も混じり合ったまま
一つの国の国民を形成し続けてる。イ課長には想像が難しい世界だ。

トゥール・スレンにはそういう「今もカンボジアで生活してる旧ポル・ポト体制側の人」のことも
展示されている。要するに当時のココの看守たちはいまどうしてて、何を思うか?というわけだ。

⑧で「一番左の列の下から2番目の女性をご記憶あれ」と書いた。
たまたまイ課長の写真に入ってたその女性が「看守のその後」の展示の対象になっていたんだよ。
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写真の感じだと今はカンボジアのどこかの農村でつましく暮らしているっぽい。
当時の恨みを持った連中に今でも狙われるとか、復讐が怖くてしょうがないってこと、ないんだろうか?

「看守のその後」に関する展示は他にもある。
この男性の場合「当時クメール・ルージュのために働いたことは後悔してない。罪を犯した者には
裁判がなされるべきだ」みたいな本人の回顧談が載ってる。彼が看守だった当時の写真を見ると、
まるっきり中学生くらいだ。
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しかし現在の彼が革命の名の元に死んだ何百万もの自国民に(その中の何人かは自分が殺してるかもしれない)
何を思うのか、この短い文章からは読み取れない。そして、これもまたイ課長には想像がつかない。


うーん・・書いてたらまた長くなってしまった。しかし最もキツい展示はまだあるのだ。
さらにトゥール・スレンの記事は続くのである。

 
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by tohoiwanya | 2015-08-31 00:08 | 2014.09 ベト・カン・タイ旅行 | Comments(0)


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