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2015年 09月 02日

トゥール・スレン虐殺博物館 その4

本日はトゥール・スレンにおいて、イ課長としては最も気分が暗くなった展示について書く。
ちょっと閲覧注意系の写真もある。見たくない人は早めにスクロールして下さい。


⑩死者の写真と部屋
ベトナム軍がプノンペンに入ってきた時、取るものもとりあえず敗走したクメール・ルージュ。
トゥール・スレンには彼らがほったらかした死体が残ってたって話は前に書いた。

その死体発見当時の写真も展示されている。
実際のところ、ここに収容された人の多くは「ここ」で殺されたんじゃなく、プノンペン郊外の
チュンエクという村で殺されることが多かったとされる。そこはただの野原で、大きな穴を掘り、
穴のふちで殺し、穴に落とし、穴が一杯になると埋めた。殺す側にすれば処理しやすい。
トゥール・スレンは拷問取り調べ、自白させたらチュンエクの“埋葬所”に運んで殺すという流れ。

しかしトゥール・スレンでも拷問のしすぎとか、人体実験とかで死体は発生した。
いずれ運んで埋める予定だったけど、ベトナム軍が入ってきたからほっぽらかして逃げたんだろうな。
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02224154.jpg
 
古い写真で不鮮明だからよくわからないけど、この写真に写ってる部屋やベッドはおそらく
今自分が見ているこの部屋、このベッドであることに気付く。窓や机の位置は発見当時に近づけてるし
ベッドの枠の模様なんかも写真と同じだ。
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02224136.jpg
 
⑪遺骨
殺された人の遺骨もたくさん残ってる。

上に書いた、チュンエク村の虐殺施設。そこは現在「キリング・フィールド」という名称で
トゥール・スレンと並ぶプノンペンの“観光資源”になっている(行かなかったが)。

そこには膨大な数の人骨を納めた慰霊塔兼納骨堂みたいなものがあるってのは知ってたけど、
トゥール・スレンにもにもこんなにたくさん人骨が展示されてるとは思わなかった。
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02084122.jpg
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02084145.jpg
 
以前はここに「ドクロで作られた巨大なカンボジアの地図」なんて展示もあったらしいけど、さすがに
悪趣味という批判が多くて撤去。まぁ現在の人骨の展示も人によっては拒絶反応あるだろうが。


⑫収容者の写真
イ課長にとっては遺体写真や人骨よりはるかにキツかったもの、トゥール・スレンで最も見るのが
ツラかったのは膨大な数の収容者の写真だ。クメール・ルージュはここにしょっぴいてきた人間を
一人ずつ几帳面に写真を撮ってたようで、残ってたネガから死者たちの顔が復活した。
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02004821.jpg
 
まるでパスポート写真のように正面を向いて、鮮明な画像として残っている収容者たち。
ここに収容される時に撮られたってことは、彼らの人生における最後の写真ということになる。
これは文字通り彼らの「遺影」に他ならない。
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02010081.jpg
 
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02010659.jpg
 
収容され、写真に撮られた時点でもう自分の運命を予感した人も多かったのかもしれない。
でもこの先のことが全然わからず、呆然としてたり怯えたりしてる人の顔も少なくない。
でもこの写真に写ってる人たちが全員殺されてるのは確かなのだ。
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02010018.jpg
 
彼らはみんな正面、つまりカメラの方を向いてるわけだから、必然的にその視線は写真を見てるガワの
イ課長の視線とぶつかることになる。つまり死者たちがみんなイ課長を見てるわけだ。
これはもういたたまれない気分になる。
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02032305.jpg
  
帰国後、ある本でこれら写真について書かれた文章を読んだ。その著者は写真を見た時の印象を
「最初はまったく腑に落ちないものだった」と言ってる。なぜかというと写真の中にはスパイという
言いがかりをつけるのもムリがありそうな子供や老人がけっこう混じってるからだ。
トゥール・スレン虐殺博物館 その4_f0189467_02010629.jpg
 
その本によると、こういう子供って実は「反革命的」「スパイ」とされた人間の家族らしい。
反革命思想に染まったヤカラは一家根絶やしにするために老人だろうがコドモだろうが一家そろって
全員が収容され、全員が殺されたわけだ。
  

個人的にはこの「こっちを見てる収容者の写真」がトゥール・スレンで最も精神的負担が大きい展示だった。
アウシュビッツで見た靴や鞄の山はそれでもまだ“人格性”が希薄だから想像で補うって部分があったけど、
ここまでハッキリした、具体的な顔写真となるともう想像の余地なんてない。
膨大な数の、個々の死者たちと対峙しなければならない。これはキツかったよ。
残酷でもグロでもない、ごく普通の「顔写真」だからよけいにキツい。

トゥール・スレン虐殺博物館。こういうところなのである。
これでようやく長く暗かった続きもの記事も完結した・・・と思うでしょ?

ところが恐ろしいことにまだ続きがある。いや、展示内容は大体紹介し終えたんだけど、
トゥール・スレンの抱える暗い問題についてはまだ書いておきたいコトがあるのだ。
でも、とりあえず一回か二回はフツーの記事をはさんで少し雰囲気を変える予定だから
お読みの方々も少し安心?して欲しいのである。

 

by tohoiwanya | 2015-09-02 00:06 | 2014.09 ベト・カン・タイ旅行 | Comments(3)
Commented by メーオ at 2022-09-15 12:53 x
今、自身もポルポト政権での強制労働と拷問を生き延び、その後キリング・フィールドでオスカー助演男優賞を獲得した、医師で俳優のハインSニョル氏の著書を読んでいるのですが、拷問を受けたシーンでは心臓が激しくバクバクしました。

一枚一枚爪を剥がされ、排せつも垂れ流しのまま、衰弱して亡くなった女性や、生きたまま臨月のおなかを刃物で引き裂かれ中の胎児を取り出して、軒先にぶら下げる。母はそのまま失血死する。。

本当に、人間がやることとは思えないけど、やっている側は楽しんでやっているんだというのが伝わってきて本当にゾッとします。。
加害者と被害者がその後そのまま日常生活に戻っていって、家族の中にもその両方が存在するという異様な状態で、多くのカンボジア人は当時を語りたがらないと聞きました。
なんか、、、なんか……ですよね。言葉が見つかりません。
Commented by tohoiwanya at 2022-09-19 20:20
>多くのカンボジア人は当時を語りたがらない

メーオさん:
きゃあ。旧ブログの方にたくさんコメントいただき恐縮です。こちらの方はもう
更新もしてないし、巡回?も時々で油断してたのでお返事遅れてすみません。

プノンペンのトゥール・スレンは今思い出してもまさにダーク・ツーリズムの
極北みたいな所でしたね。このポル・ポト暗黒時代に国そのものの運営ノウハウの
継承が完全に途絶えちゃったせいか、カンボジアは未だに国のシステムがどうも・・ま、ハッキリ言えば政治家や官僚が腐敗してるっていう印象が
あるんですよねぇ。貧しい一般国民はそれを諦めちゃったか、抵抗する気力もないか・・。
Commented by メーオ at 2022-09-21 14:43 x
>政治家や官僚が腐敗してる

これはポルポト以前からずっとらしいですね。
何をするにも「ボンジュール」という賄賂が必要だったとか。
数年前に東京国際映画祭でカンボジアの格差がテーマの映画を見たんですが、監督自身が「拷問や強制労働がないだけで、今の政権もポルポト時代と同じ」という趣旨の事を言ってたのを思い出します。
「植民地」が良いとは言いませんが、一度完全に崩壊してしまった国のシステムを立て直すために、先進国からちゃんと指導を受けることも時として必要なのでしょうねぇ。。


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