2015年 09月 10日

トゥール・スレン虐殺博物館 その5

さー、のどかなプノンペン散歩ネタを二つ続けて油断?させたところで、
トゥール・スレン最後のダークネタに戻ろうか(これで最後だから勘弁しちくり)。

実はトゥール・スレンを見学した後のイ課長の中には何となくモヤモヤが残っていた。
ポル・ポト体制の異常な残虐さに対するモヤモヤじゃなく(まぁそれはそれで当然あったわけだが)
あの施設そのものの「感じ」に対するモヤモヤだ。

地元の中学生たちがゾロゾロ見学なんて風景はなくて、見学者は外国人旅行者ばっか


トゥール・スレンの続き物の最初の記事でイ課長はこう書いた。
普通に考えれば、こういう施設は平和教育・反戦教育のために積極的に活用されるはずで、
カンボジアの明日を担うコドモたちがいっぱい見学に来てて不思議はないはずだ。
実際、アウシュビッツには地元ポーランドに限らず欧州のいろんな国の学校の生徒が見学に来てるし
修学旅行とかで広島や長崎の原爆資料館を見学する日本の子供も多いはずだ。

まぁトゥール・スレンの場合、人骨の実物とか死体写真とか、けっこうアレな展示もあるから
子供にはちょっとアレかな・・しかし見学者が外人ばっかで、地元の人の姿が全然ないっていうのは
ちょっと意外で、それがモヤモヤにつながっていた。
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しかし後付け知識を仕入れた上で振り返ってみると「地元の人があまり見学に来てないな」という
イ課長の印象はトゥール・スレンの根本的な問題を表してるって気がしてくるんだよ。これには
以前に「予習その2」で書いた内容が関わってくる。

ベトナム軍の侵攻のおかげでカンボジア人たちはポル・ポト支配から解放された。
しかし国連はじめ米、中、日その他多くの国々はポル・ポトを倒したヘン・サムリン政権を
「ベトナム傀儡」だっていうんで認めず、ポル・ポトを正式なカンボジア政府として承認し続けた。
それに対し、ベトナムはカンボジアで何があったかを一生懸命世界に訴えた・・って書いたよね?
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問題はまさにここだ。
要するにトゥール・スレンって、カンボジア人自身が博物館として残そうとしたんじゃないんだよ。
ベトナムが自国軍のカンボジア侵攻を正当化するために作った施設なのだ。そこには当然、
「見てよほら、ポル・ポトってこんなに残虐だったんだぜ?!」というベトナム側の政治宣伝目的が
あったのは否定できない。実際、ベトナム軍はプノンペンからポル・ポト派を追い出した1979年1月から
わずか1か月後にはトゥール・スレンを外国報道陣に公開したらしいからね。

ポル・ポト派はこんなにヒドかった、そんなヤツらを追い出すために攻め込んだベトナムの行動は正当。
ベトナム側にすればそう主張したかったはずだ。そしてトゥール・スレンこそがその「ヒドさ」を立証する
格好の証拠物件だったこともまた確か。ここを外国のプレスに見せ、世にも残虐なポル・ポト派の実態を
世界にアピールしようとしたわけだ。

しかし何度もいうけどそれはカンボジア人自身の意思じゃない。ベトナム側の思惑だ。
カンボジアの為政者の残虐さを訴えるためにベトナム作った施設。そういう施設をだよ?果たして
カンボジア人自身が自国の子供たちの平和教育に積極的に活用しようと思うだろうか?
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仮に、ある日本人為政者が日本人を大量虐殺したとしよう(仮に、ですからね)。
その恐怖時代が仮に(何度も言うけど仮に、ですよ)中国軍の日本侵攻によって終焉を迎えたとしよう。
そのあと、東京にあった日本人虐殺施設を中国軍が展示施設として公開したと考えたら、どう?
「日本の支配者はこんなに残虐だった。それを攻め滅ぼした中国軍の日本侵攻は正しかった」という
政治宣伝目的を帯びた施設。

さぁ、日本人はそこを見学しようと思うでしょうか?
次世代の平和教育のために子供たちを積極的に見学させようとするでしょうか?

広島原爆資料館にしても、南京大虐殺紀念館にしても、それらは全て「後からその国の人」が作った。
でもアウシュビッツは違う、と昔書いた。アウシュビッツはポーランド人が作ったわけじゃない。
しかし、あの忌まわしい施設を敢えて残そう、後世に伝えようと思ったのは「その国の人」、
つまりポーランド人自身が中心だったはずだ。

トゥール・スレンも「忌まわしい記憶そのもの」の施設であるという点ではアウシュビッツと同じ
稀有な施設と言っていい。しかしその施設の設立趣旨はアウシュビッツとはだいぶ違う。
忌まわしい記憶の染みついた施設としてトゥール・スレンを残し、公開しようと考えたのは
自分たちじゃない。自国に侵攻してきた「隣りの国の人たち」なのだ。
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そう考えると、確かにトゥール・スレンの展示内容はかなり「残虐さ」が強調されてる部分がある。
以前は「頭蓋骨でできたカンボジア地図」なんて悪趣味な展示すらあったわけだからね。もちろん、
現在はトゥール・スレンの展示内容管理はカンボジアがやってるはずだけど、最初にベトナム軍がここを
公開した時の“展示方針”が残ってるということはあるだろう。

上の絵を見るとわかるように、トゥール・スレンの中には全体が鉄条網で覆われた建物もあって、
その建物は現在でも鉄条網に覆われたまま残っている。
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前にも書いたようにポル・ポト体制下ではプノンペンは住民のいないゴーストタウンにさせられてた。
当時プノンペンで「人がいて、マトモに機能していた施設」って、一部政府機関、一部の大使館、
そしてこのトゥール・スレンくらいしかなかったらしい。
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鉄条網ごしに、いまは発展するプノンペンの街が見える。
しかし当時の収容者たちに見えたのは誰もいない、空っぽの、殺伐たる町だったはずだ。 
 
トゥール・スレン虐殺博物館。
それほど重要な観光物件もないプノンペンという街で、ダーク・ツーリズムという点では
ここは確かにダークな、必見の施設と言っていいと思う。

しかしイ課長自身のことを考えても、事前に“予習”したり、帰国後にさらに後付け知識を
仕入れることで、ここを見学したことの意義はさらに高まる。何も知らずにココに行っても
「うわー、ザンコクー、キモチわりーー」だけで終わってしまう可能性は高い。

ご自身で少し予備知識を仕入れてから見学すると、感じるところも多いはずだ。
まぁ、ダーク・ツーリズムって大体どこもそうだけどね。

ダークなトゥール・スレン見学についてはこれで完結です。例によってお長くなりました・・・。

 
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by tohoiwanya | 2015-09-10 00:10 | 2014.09 東南アジア旅行 | Comments(8)
Commented by 8-8 at 2015-09-10 17:14 x
ポーランド旅行の際には大変お世話になりました。
カンボジアも10年くらい前に行きましたが、こちらの施設には行っていないので大変興味深かったです。(読むのに気合が必要でしたが^_^;)
最後の記事を読んで、アウシュビッツで中谷さん(公式ガイド)がお話されていたことを思い出しました。
『この施設にイスラエルの方が来るようになったのは最近です。それまでは、自分たち(の先人)が迫害された歴史に目を向けることが出来なかった、辛かったんです』と。
もしかしたら、そんな背景もあるのかなと思いました。
Commented by tohoiwanya at 2015-09-11 14:30
>もしかしたら、そんな背景もあるのかなと思いました

8-8さん:
それはあるかもしれません。70年以上前のアウシュビッツですらそうなんだから、
38年前のトゥール・スレンはなおさらナマナマしくて見るのがツラいという思いが
あってもおかしくない。
それと、記事には書かなかったんですけどカンボジア人の隣国に対する多少鬱屈した感情っていうのも
あるような気がするんですよね。アンコール・ワット作った頃のクメール王国はタイの方まで
領土を広げた強大国家だったけど、それ以降、カンボジアやラオスって歴史的にずっと
ベトナムかタイか、どっちかの属国みたいな感じで扱われてきましたからねぇ。
Commented by Bきゅう at 2015-09-11 18:38 x
経済の低い国だと、基本的に、学校がそういうことをさせる余裕(バス代とか)がないのかもしれませんよ。行くとしても、もっと腹の足しになりそうな直接的なところとか? 大人も働いているだろうし。
Commented by はな at 2015-09-12 22:02 x
イ課長さん、お久しぶりです。私もポーランドの際は大変お世話になりました。
カンボジアはシェムリアップしか行った事がないので、この博物館の存在は知って
ましたが(アンコール遺跡のガイドから聞いて初めて知った)内容を詳しく知れて
勉強になりました。
アウシュビッツとは似て非なるもの? ここをカンボジアじゃなくてベトナムが
つくったなんて全く想像してなかった!
でも、アウシュビッツと同じくらい心が痛む展示内容ですよね。
Commented by tohoiwanya at 2015-09-13 00:44
>学校がそういうことをさせる余裕(バス代とか)がないのかも

Bきゅうさん:
確かにそういう事情もあるでしょうね。プノンペンで生徒をそろってどこかに
連れて行こうとしたら路線バスってことになるんだろうけど、サイゴンやハノイに比べて
路線バス網も発達してなさそうだったし(あんまり見た記憶がない)。
ただ、その辺の事情を差し引いても、やっぱり「ベトナムが作ったもんだから・・」っていう
要素はあると思うんですよねぇ。カンボジア人の「対ベト感情」ってちょっと複雑みたいで、
それは滞在中もちょっと感じた。
Commented by tohoiwanya at 2015-09-13 00:53
>アウシュビッツとは似て非なるもの?

はなさん:
お久しぶりです。
トゥール・スレンはアウシュビッツと比較すると確かに違う。
アウシュビッツが「外国人が作ったものを、自国人が後世に残そうとしたもの」だとしたら
トゥール・スレンは「自国人が作ったものを、外国人が“広報用”に残したもの」といえる。
もっとも、ベトナム軍がカンボジアから撤退してからもう20年以上経つわけだし、今や
トゥール・スレンは完全にカンボジアが運営してるはずなんだけど、ひょっとすると、
カンボジア人の中には「こんなもの早く壊して忘れてしまいたい」という気持ちがあるのかなぁ、なんて
ちょっと考えてしまった。

シェムリアップ行かれたということは、遺跡観光はたっぷりしてきたわけですね。
私もそのうちアンコール遺跡群の話をバリバリ書き始めますから(笑)。
Commented by カプメイ at 2015-09-14 19:06 x
作った者の意図はともかく、
人間と言う生き物は、どこまで残虐になれるのかとやり切れない思いになります。
今もどこかの国で命が奪われている現実を知る必要はあると思います。
Commented by tohoiwanya at 2015-09-14 23:21
>どこまで残虐になれるのかとやり切れない思いになります

カプメイさん:
私の場合、特にそれが戦争で戦ってる敵国民とかじゃなく、自国民に向いた
残虐性だったというところでいっそうダークな気分になる。
しかし歴史上見渡せば、中国の文化大革命とか俗にいうスターリン虐殺とか、
自国民が自国民を“大量粛正”した例ってけっこうあるんですよねぇ。

あんまり固有名詞は出せないけど、今でもアソコとかココとかじゃ
ポル・ポト体制と大差ないことがあるはずだし・・。


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