2015年 11月 06日

子供のころ戦争があった

健全・不健全バナシからようやく普通の旅行ブログらしい話に戻れるぜ。

サイゴンにファングーラオ通りっていう大きな通りがある。

例のベンタイン市場前のロータリーから南西に向かってのびる大通りで、片側は公園になってて
反対側にはオフィスやレストラン、ホテルなんかがズラリと並ぶ。サイゴン中心部にある
賑やかな大通りだ(下の写真はファングーラオ通りガワからみた市場前ロータリー)。
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このファングーラオ通りとデタム通りがぶつかるあたりは旅行代理店や安いホテルが密集してて、
外国人旅行者(特に欧米系)が集まるエリア。夜も賑やかで、バンコクにあるカオサン通り
みたいなところと言っていいんだと思う。
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近藤紘一さんの「サイゴンのいちばん長い日」という本にもファングーラオ通りという地名が出てくる。
近藤さんが再婚したベトナム人の奥さんの実家がこの通りの近くにあったらしいのだ。彼自身もその
奥さんの実家に身を寄せてたことがあるからほとんど家族同然。

(南ベトナムにとって)戦況が悪化し、近藤さんは奥さんを日本に避難させるんだけど、彼自身は
特派員としてサイゴンに残る。今や彼自身の親戚でもある奥さん一族も当然サイゴンにいるわけだ。

そのサイゴンもいよいよダメ。明日にも北ベトナム軍が入ってくるっていうんで街中が騒然とした中、
報道関係者ほか現地在留日本人は日本大使館に集合すべしという連絡がある。近藤さんがその前に
大急ぎでファングーラオ通りの奥さんの実家に行く場面は、陥落前日のサイゴンの大混乱を
生々しく感じさせる一方で、戦争に翻弄される市井の人々の悲哀が胸に迫ってきて泣ける。
ちょっと引用させていただこう。


流しのモーターバイクをつかまえてファングーラオ通りに行く。
一族の連中は睡眠不足で赤い目をしていた。前夜、300メートルと離れてないところに
ロケット砲弾が落ちた、という。(中略) チュン爺さんに片言のベトナム語と身ぶり手ぶりで
事情を説明し「みんな力を合わせて食いつないでくれ」と手持ちの金を渡す。ロケットよけに
防空壕を掘るようにいい、その足で初老の義理の従姉妹チー・バイをともない、川沿いの問屋街で
米を100キロ買って渡した。

問屋の前で別れるとき、いかつい顔の彼女が大声で泣き出した。
「もう帰ってこないんだね、こんな形で別れるなんて。戦争はイヤだよ」
ちょっと目がしらが熱くなった。みんなにまた会えるのはいつか。
「泣くなよ、しっかりしてくれ」
日本語で言い残して、モーター・シクロで集合所に向かう。



いまファングーラオ通りを歩けば「この街は長い戦争ののち、40年前に陥落した」なんて思いださせる
ものはまったくない。いかにも新興国の首都の大通りって感じだ。しかしベトナム戦争を同時代的に新聞や
テレビで見聞きし、近藤紘一さんの著書も読んでるイ課長としてはやっぱりしみじみと感じるものがある。
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いまベトナムは平和なのだ(カンボジアと同じこと言ってらぁ)。
自分が子供の頃、砲弾が飛び交い、硝煙のにおいが漂っていたサイゴンの町を、いま年を経て
オッサンになった自分がこうして外国人観光客としてソゾロ歩いてるのだ。

サイゴン陥落も今や40年も前の話。
ベトナムにとってあの戦争は「体験」というより、徐々に「歴史」になりつつあると言っていいんだろう。

だがイ課長はベトナム戦争を同時代的に(報道を通じてだが)体験している程度に年寄りなのだ。
子供だった頃、ベトナム戦争報道は毎日のように目にした。カンボジアについての情報は少なくて
なにも知らなかったけど、ベトナムに関してはどんな愚かな子供だってあの国が大変な戦争の
真っ最中なんだってことはわかる。イ課長にとって「子供の頃ベトナムは戦場だった」のだ。

前にも書いたように近藤紘一さんご自身は残念なことに若くしてガンで亡くなっている。
奥さんと連れ子の娘さんはその後パリで暮らし、娘さんはフランス人と結婚したらしい。
サイゴン陥落当時、ファングーラオ通りに住んでた奥さんの一族はいまどうしてるんだろう?
「チュン爺さん」は亡くなっただろうなぁ。別れ際に号泣した「初老の義理の従姉妹チー・バイ」は
今でもサイゴンにいるのかなぁ?

ベトナム戦争は40年前の歴史となり、ベトナムはいま平和な国として経済発展を続けている。
ファングーラオ通りに面した公園は昼間も例のフェスティバルで賑やかだ。ここを歩く市民の多くも、
いまやあの戦争を歴史としてしか知らないわけだよねぇ。
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でもね、当時新聞でベトナム戦争の写真を見て「こえー」なんて言ってた日本のガキンチョが
いまオッサンとして平和なサイゴンの町を歩けばね、やっぱ年寄りだからこその感慨ってもんが
湧いてくるわけですよ。戦争はもうないのだ。いまサイゴンは平和なのだ。
戦争がないという状態はそれだけで何と素晴らしいことか(また同じこと言ってらぁ)。

本日の記事はこれといったネタは何もない。
“生きる歴史となった年寄りジジイの繰り言”と思ってご容赦いただきたいのである。

 
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by tohoiwanya | 2015-11-06 00:11 | 2014.09 ベト・カン・タイ旅行 | Comments(6)
Commented by ようめ at 2015-11-06 13:00 x
子供のころに「ベトナムから逃れてきた子供たちが日本の学校に通っている。九九を言えるようになった」というニュースが流れたのを憶えています。(九九の七の段が苦手だったせいか)
クチのトンネルツアー、行っておかないといけないように思って行きましたが、美味しいランチのついた「楽しいツアー」であることに罪悪感を感じたり…
トゥールスレンでは当時投獄された人にガイドを頼みましたが、しょせんは興味本位で来ていることが申し訳なかったり…
今、静かに、あるいは賑やかに見学できるのはとてもいいことなんですけど、あの頃の苦しんだ人たちの、その苦しみや恐怖って消えないだろうし、消えないのであれば今はどこにあるんだろうと思う時もあります。
何年も前ですが、トゥールスレンのすぐ前に、若いカンボジア人が「当時の監獄の食事を模したメニューを出すレストラン」を開業し、非難轟々ですぐ閉店したと言う話を聞きました。
彼のお母さんは当時をよく憶えている人で、息子のレストランの話を聞いて失神したとか。
私らみたいな外国人が押し寄せるから、「商売になる」と思ってバカなことする若い人も出てくるのかなと、胸がチクチクしました。
観光客の永遠のジレンマですよね。
Commented by tohoiwanya at 2015-11-06 17:54
>九九を言えるようになった」というニュースが流れたのを憶えています

ようめさん:
ナパーム弾で背中を大やけどした女の子が大きな口をあけて泣きながら裸で道路を走ってくる、
後にピューリツァー賞をとった有名な写真。あの写真が当時の新聞の日曜版に大きく掲載されたのを
見たときのことを私は忘れられないです。当時小学校高学年くらいかなぁ?
オヤジが寝坊するから日曜だけは親より先にコドモが新聞を読むわけなんですけど(笑)、
そこにあの写真が載ってた。最初はどういう状況なんだかよくわからなかったんだけど
先に記事を読んだ姉が「その女の子の背中、焼けただれてるんだって」って教えてくれた。
自分とさほど年齢も変わらなそうな小学生の女の子だけにあれはショックでした。

私にはベトナム戦争って子供の頃のリアルな戦争(ほかの国だけど)だけに、何となく
ナマナマしい記憶が強いのかなぁ?アウシュビッツやトゥール・スレンには行ったけど
サイゴンの戦争証跡博物館だけはなぜか行きたいという気持ちになれなくて行ってないんです。
Commented by piki at 2015-11-07 14:53 x
わたしも、ベトナムっていうと、ベトナム戦争とか思うので、
年寄りなんでしょう。

お正月にベトナムに行こう(なんかしらないけど、同じ飛行機でも、途中で降りる
香港よりやすかったから)と思いましたが、へんな日程だったので、あきらめました。

ホーチミンとハノイ、どちらでもよかった。っていうか、違いがわからなかった(っていうか、今でもわかりません)
Commented by nassi at 2015-11-07 15:17 x
ベトナムに関する話題には事欠きませんね。
今年の4月にサイゴンに行ったことは前回のイ課長のブログにも報告しました?があの時はベトナム戦争戦後節目の40周年記念行事準備中で当局は神経質になっていました。多分市民等を動員しての団体行事が予定されていたのでしょう、大勢の人が同じTシャツ姿で練習していました。街頭では「ベトナーム♪・ホーチーミン♬」の大合唱が拡声器で鳴らされておりnassiもすっかりそのメロデイが体に染みついてしまった程です。戦争に関する博物館の幾つかに行きましたが「人はどうしてあれほど残酷になれるんだろう!」と言う思いから抜けきれませんでした。そのベトナムも今は嘗て敵対した「米国ドル」が流通する国です。過去を払拭しながら発展と国益を一義に逞しく生きる人々の再生力に感動します!その後に訪問したハノイのホテルで先の「ベトナムホーチミン」を口ずさむとフロントの全員が合唱してくれてますます好きになりました。過去ばかり引きずっているどこかの国とは違いますね。
Commented by tohoiwanya at 2015-11-08 12:17
>わたしも、ベトナムっていうと、ベトナム戦争とか思うので

ぴきさん:
やっぱコドモの頃に刷り込まれた記憶というのは残りますな。私にとっては「ベトナム」と
「レバノンのベイルート」っていうのがとにかくドンパチやってる所っていうイメージが強い。
それだけに、そういう場所が平和になって自分がいると思うと感慨深かった。
今のコドモたちなら、さしずめ「イラク」「シリア」「アフガニスタン」あたりかなぁ?ヤバいのは。
Commented by tohoiwanya at 2015-11-08 12:33
>あの時はベトナム戦争戦後節目の40周年記念行事準備中で

nassiさん:
おおおそうか、1975年4月がサイゴン陥落だから2015年4月といえばまさに40周年。たぶん4月30日には
盛大な記念行事があったんでしょうな。1970年、大阪万博の年が日本の「戦後25年」で、あの時私は
「しはんせいき(四半世紀)」って言葉を覚えたんですけど(笑)、戦後生まれのコドモにとっては25年でも
「戦争があった時代からはまるっきり違う現在」っていう意識があった。それがベトナムじゃもう
40年ですもんねぇ。そう考えると戦後25年の日本でもかつての敵国・アメリカとはすっかり仲良くなって
アメリカは憧れの先進国でしたもんねぇ・・。


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