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2019年 10月 14日

イーサーンというところ 2

いや大変な台風でした。
多摩川沿いとはいえ府中近辺は幸い大した被害はなかったけど、下流は洪水。
まぁ世田谷あたりの洪水もほかの県の被害に比べればまだしも、なのかもしれんが。

こういう時はオチャラけたことも書けないので、イーサーンの話を続けよう。
イーサーンについてはもうちょっと書いておきたいことがあるのだ。

イーサーンは貧しい地域。そういうイメージがあり、実際そうなんだと思うけど
ラオスからメコン川をはさんだ対岸イーサーンにかけての地域って、民族学的?に
みるとミョーなところでもあるんだよね。

多民族国家ラオスの中で最も多いのはラオ族で、国内に何百万人といる。
ラオスは国全体でも人口が一千万人いないから、何百万人のラオ族は圧倒的シェア。
だが驚くべきことにタイ国内のイーサーンにはラオ族が1,500万人くらいいるらしい。
ラオ族の人口はラオスよりタイの方が多いわけ。その大半はイーサーンにいる。
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昔は戦争に勝った方が「人間」を労働力の戦利品としてゴッソリ持ってくことがあったようで、
タイとラオスの戦争のあと、大量のラオ族がメコン川西岸に強制移住させられたらしい。
さらに自発的移住もけっこうあったみたいなんだよね。イーサーンが貧しい土地だっつうても
山岳国ラオスから見れば耕作可能地は広いし。さらに加えてラオスが社会主義国になった後、
タイに逃げたラオ族もかなりいるみたいだ。

このことがイーサーンというエリアにさらに特別な事情とイメージを与えてるようだ。
イーサーンはラオスと同様にモチ米を食うし、ラープも食う。言葉も似てる(らしい)。
どっちにも同じラオ族が住んでるんだから文化的に近似性が強いのは当然だ。しかし
この「ふたつのラオ族」の間にはビミョ~な断層があるみたいなんだよね。
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「オレたちの言葉がラオ語?冗談じゃねぇ。オレらが話してるのはイーサーン語だい」
というタイのラオ族もいれば・・

「あいつらは国を捨ててタイに依存した連中だ。ラオスのオレらと一緒にすんな」
というラオスのラオ族もいるらしい。タイとラオスの経済格差もあいまって、
同じラオ族の間でもそこにはいわく言い難い複雑な感情が残る。

だから、タイ中央部や北部みたいにタイ族が多いエリアの(タイ族とラオ族って
これまたビミョ〜に違うらしいのだ)人が「イーサーン」って言う時、そこには
「貧しい田舎」ってだけじゃなく「民族的な違い」というニュアンスもある(らしい)。
前回記事で「イーサーン」って言っただけで独特のアイデンティティがあるって
書いたけど、「イーサーン=ラオ族の多いエリア」っていう意識はあるみたいなんだよ。
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ラオスからイーサーンにかけてはラオ族の民族的連続性と、感情的断層とがある。
今回ラオスからバスで国境を超え、鉄道を乗り継いでバンコクまで移動したってことは
そういうエリアを飛び石宿泊で、陸路で通り抜けてきたことになる。

ま、もちろんタイ語もラオス語もできず、ラオ文化のこともよく知らないイ課長には
そういう民族的連続性や断絶を体感することなんてできないけどね。
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ただ、タイに入った直後のイ課長はラオス滞在中の口グセが抜けなくて、タイ人相手に
ラオ語で「コープチャイ(ありがとう)」って言っちゃたことが何度かある。
言ったあとで「あ、いけね」と思って相手を見ると、全く気にしてる様子がない。

イーサーンだからラオ語がスンナリ受け入れられたのか?それともガイジンの
言い間違いにいちいち反応しなかっただけなのか?

・・・それはわからないのである。

 


by tohoiwanya | 2019-10-14 00:05 | 2019.08 ラオス・タイ旅行 | Comments(0)


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