イ課長ブログ
2020-05-01T00:21:20+09:00
tohoiwanya
海外・国内出張記&旅行記だらだら
Excite Blog
新ブログ開設のお知らせ
http://iwanya.exblog.jp/31165070/
2020-05-01T00:21:00+09:00
2020-05-01T00:21:20+09:00
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tohoiwanya
日本での私生活
「いわんや(=引退したイ課長)ブログ」
https://retiredikacho.exblog.jp/
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コラートは面白い町だった その5
http://iwanya.exblog.jp/31162912/
2020-04-29T16:26:00+09:00
2020-04-29T20:00:23+09:00
2020-04-29T16:26:15+09:00
tohoiwanya
2019.08 ラオス・タイ旅行
なるかもしれぬ。最後がまた黒歴史っていうのは(あるんだよ、まだ)ナンだから、ここは
やっぱりイ課長ブログらしくタイネタでいくか。前回の献血記事でちょうどイーサーンの
マラリアリスクについて書いたところだし(笑)。
汲めども尽きぬコラート小ネタ集またいっちゃおう。バンコクやチェンマイみたいな
有名観光都市はもちろん見どころ多くて楽しいけど、イーサーンの旅はまた格別の楽しさが
あったなぁとしみじみ思うよ。小ネタ10まで書いたから11からだな。
⑪プレーン・コラート
さてプレーン・コラートとは何か?
イ課長もキチンと説明する自信ないが、プレーンって一種の伝統民謡みたいなモンで、
タイのあちこちにあるみたい。コラートにも昔から根付いたプレーンがあるから
プレーン・コラート。日本語にするなら「コラート節」とでも訳すのがいいのかな?
要するに地元に根付いた伝統芸能。普通そういうのってディナーショウなんかで
高いカネとるところが多いけど、コラートではこれが簡単に、しかもタダで見られる。
例のタオ・スラナリー像に、たとえば「大学受かりますように」と祈願したとして、
願いが成就すると、お礼参りとしてこのプレーン・コラートを奉納するんだね。
タオ・スラナリー像の周りにはソレ用の小舞台がいくつもある。
バンコクのエラワン廟ではやっぱり奉納のタイ舞踊がタダで見られたけど
あれと同じだ。スラナリー像のある公園を歩いてると高い確率で目にできる。
民族衣装を着た人が踊り・・というか、独特のポーズをとりながら何か歌ってる。
歌の内容は不明。ポーズの意味も不明だけど、こういうのは見てて面白い。
こういう珍しい民俗伝統芸能が観光客用のショーとしてではなく、地元に根付いた
文化として今でもチャンと残っているのはイイことだ。がんばれプレーン・コラート。
⑫ガイジンってだけで人気者
ミャンマーのヤンゴンでも感じたことだけど、コラートでも外人は注目される。
外国人観光客少ないからね、イーサーンは。
コラート滞在も終わり、タノンチラ駅でケンコーイへの列車を待っていた時のこと。
ベレー帽をかぶった制服の2人組が歩いてきた。明らかに鉄道関係者ではない。
ベレー帽っつうからには軍人サンか?しかも制服着てるってことは公務中だ。
その公務中の軍人がだよ?イ課長を見るとすかさず写真を撮る(笑)。いきなり
写真モデルですよ。「駅で見かけたガイジン」ってことか。しかしこの軍人さん二人、
写真撮るだけじゃ満足しないようで、イ課長に英語で話しかけてきた。もちろん
尋問なんかでは全然なく、親しみを込めたニコニコ顔で、だ。
「オマエはこれからどこに行くのだ?」
「ケンコーイである」
「おお、ケンコーイ・・・ケンコーイで何をするのだ?」
うーん答えづらいな。ちょっとマニアックというか、オタクっぽい目的なんだよ。
「あー・・チョンラシットダムの湖の上の鉄道橋を見たいのである」
「何だって?」
「チョン ラシット ダム」
だが何度言ってもチョンラシットダムという単語は通じない(笑)。
彼は「まぁいい。とにかく気をつけて良い旅を」とか何とか言ってくれた。
その彼とはこの人なのである。
もし彼がタイ軍のグリーンベレーなら、軍の中でもかなりのエリートのはずだ。
そんなエリート軍人がガイジン見つけると写真を撮り、話しかけ、ツーショット写真に
喜んで応じてくれる。世界どこでも田舎の人はフレンドリーなんだねぇ。
コラートはタイ国鉄の東北線がウボン方面行きとノンカイ方面行きに分かれる分岐点。
ある本で「上越線と信越線でいえばコラートは高崎に相当する」って書かれてた。
イーサーン最大の町で交通の要衝。しかし有名観光地はピマーイ遺跡くらい。
でもこれまで書いたように、いろんな小さな驚き、小ネタがあって、タイ田舎旅情を
感じさせてくれる町だったよ、コラート。居心地よかった。観光なんてしなくていいから
もう2~3日コラートでウダウダしていたかったなぁ・・。
というわけで、イ課長は明日が最終出社日。5月からは同じエキサイトブログの2つめに
移動するけど、異動先URL等はこちらにもご案内を書いておきます。
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旅と献血の危険な関係
http://iwanya.exblog.jp/31159243/
2020-04-27T00:12:00+09:00
2020-04-28T16:23:55+09:00
2020-04-27T00:12:30+09:00
tohoiwanya
2019.08 ラオス・タイ旅行
どうしてもそっち方向に話が進まざるを得ないからだ。少し長い話になるがご容赦いただきたい。
海外渡航がらみで献血できない理由としては「狂牛病の頃の英国」っていう除外条件が有名で、
これに引っかかる人は多い。でもこの除外条件はよく知られてるから、該当する人はわざわざ
電車乗って献血ルームに行くムダは犯さない。だがイ課長は結局ムダ足を踏んだ。どうしてか?
まぁ順を追って話そう。
行ったのは新宿東口の献血ルーム。外出自粛のせいで血が足りないってニュースで見て
「久しぶりに献血するか」という気になったのだ。イ課長、若い頃はバカスカ献血した人間で
カラダでしか社会のお役に立てないことを自覚してるの(笑)。
最初にお決まりのチェックをうける。「朝メシ何時に食ったか」とか「最近薬飲んだか」とか、
この辺は昔からあるヤツだ。これが「ふるい①」で、ここで早くも海外渡航歴について聞かれる。
「中南米に行ったことは?」 「いいえ」 「最近1年間で海外に行かれましたか?」
最近1年っつうたら昨年2月の欧州出張は範囲外だから・・・「ラオスとタイ、ですね」
「行ったのはいつ?」「去年の8月です」「どのくらい?」「えーと・・2週間くらいかな」
「お仕事で?ああ、観光ですか」 てな感じで「ふるい①」でかなり詳しく聞かれる。
これが済むと血圧を測り、待ってると番号を呼ばれて第二のチェック。これが「ふるい②」。
オデコで熱を測られ、手を肩に置くポーズを30秒保てるか調べられ(今やこんなのがあるんだ!)
さらにペンタブレットでたくさんある質問に回答しなければならない。
ここでも海外渡航に関する質問を聞かれる。「中南米行ったか」とかドコソコに行ったかとか
「ふるい①」との重複質問も含めて質問数が多いから答えるのに時間がかかる。当然ここでも
「ラオスとタイ」って入力するわけだけど、入力方法がわかりづらくてマゴついちまったぜ。
献血ルームに来てからすでにけっこうな時間が経過してる。
ようやく入力し終えて「ではこちらに」と案内されたから、やっと採血かと思うとさらに
「ふるい③」。また問診かよ~・・。今度は女性の先生からまたまた最近1年の海外渡航に
関して聞かれる。もう何度も同じこと答えてるのに。「去年8月、ラオスとタイ行きました」と
3回めの回答。しかしこの先生はさらに突っ込んで聞いてきた。
「タイのどこへ行きました?」
「・・??町の名前を言うんですか?えー・・ウボンラチャタニとか、スリンとか・・」
「バンコクにも行きましたか?」
「ええ、最後はバンコクから帰国しましたから」
すると彼女は何やら本をめくり、タイのページを開く。
「タイの地図の黄色くなってるところはマラリアの報告があります。バンコクも含まれます。
この黄色い地域に1年以内に行かれた方には献血をご遠慮いただいております」
えええええええええ?!!
その地図を見ると、バンコク、さらにラオス・カンボジア国境に面した県はぜんぶ黄色。
ラオスから国境越えて入ったイ課長は確実にウボンで、おそらくスリンでも引っかかるはずだ。
コラートあたりは「白」だった気もするけど、最後のバンコクが黄色じゃどうしようもない。
(下は単なる参考用白地図。マラリアとは無関係ですから)
さらに聞かれる。「ラオスはどこに行かれました?」
「えー・・ヴィエンチャンと、あとパクセー・・」またまた彼女はその本のラオスの箇所を開く。
げげげ。見るとラオスは全土がほとんど真っ黄色ではないか。
「ラオスはヴィエンチャン以外全部マラリアの報告がありますので、1年以内に行かれた方は
やはり献血はご遠慮いただいております」
ええええええええ??!!(下の地図も同様に、単なる参考ですから)
ゴネてもしょうがないことはすぐわかった。しかしすんなり納得し難いのも事実だ。
大体「一度行ったが最後、1年間は献血ダメ」って、それ、長過ぎないか?
「行ったのは去年の8月、今は4月。それでもダメなんですか?」
「ええ、非常に潜伏期間の長いマラリアの例が報告されてますので」
・・ということらしい。イ課長は今もマラリア潜伏期間中の可能性ありってことですよ。
しかしさらに納得いかないのは「ふるい」のかけ方だよな。
イ課長は「ラオスとタイに去年の8月に行った」って「ふるい①」でも「ふるい②」でも答えた。
でもそこはなぜかパスし、「ふるい③」で初めてハネられたことになる。これってどうなのさ?
一番いいのはこういう問診をネット形式で、事前にセルフチェックでやってもらうことだろう。
「行った国=タイ」って回答した人にだけ限定質問で「バンコクに滞在しましたか?」と聞けば
すぐ結果判明。該当する人がわざわざ献血ルームまでムダ足踏まずに済む。
仮に世界中の国の献血可否条件をデータ化し、質問として設定するのが難しいとしてもだよ?
最初の「ふるい①」でハネることは出来たはずだ。そうすればイ課長は「ふるい②」以降の
手間と時間をかけずに済んだし、献血センター職員だってその分ムダな作業が減った。
安全な血液を確保したい、少しでもリスクのある人は除外したいのは当然のことだ。しかしだよ?
献血できるかできないか、細かい条件がたくさんあるからとりあえず献血ルームまで来て下さい、
そこで何度も同じ質問に答え、3回目でようやくダメと判明したらムダ足で帰って下さいって・・
それが善意の献血希望者に対する適切なシステムだと思いますか?日本赤十字さん。
まぁね、あるいは日赤にとっては献血ルームに来た上で、すべての献血条件をクリアした
人たちだけが「善意の献血希望者」であり、途中でハネられる人間のことなんていちいち
考慮していられないのかもしれないが・・・
とりあえずイ課長としてはこのことは書いておく必要がある。
①最近1年間にタイのバンコク、およびラオス・カンボジアと国境を接したイーサーンを訪問した人
(正確にナニ県とナニ県がダメだったかはチラッと地図を見ただけなのでわからない。イーサーン
以外にも黄色い県はタイのあちこちにあって、白かったのはバンコクを除く中央部あたり)
②最近1年間にヴィエンチャン以外のラオスを訪問した人
(ほぼ全土真っ黄色だったから、世界遺産のルアンパバーンもたぶんダメなはず)
このどちらかの条件に合致する人は献血でハネられます。理由はマラリアのリスクがあるから。
ミャンマーやカンボジア、ベトナム等、他の近隣国については地図を見てないのでわかりません。
なんだかなー・・外出自粛の中、新宿まで行ったのに・・大ガッカリもいいところだ。
とりあえずイ課長は今年8月までは献血できない。その頃までコロナ騒ぎが続けば、8月にまた
献血ルームに足を運ぶつもりではいる。しかしその間「輸血用の血が足りない」という報道を
目にしたり、町で「献血にご協力くださーい!血が足りませーん!」と呼びかけてる人を
見るたびにいささかイヤな気分になるのは、残念ながら止めようがないのである。
【追記】
日赤の献血ページにこういうところがある。
http://www.jrc.or.jp/donation/about/refrain/
その中にマラリアに関するこういうPDFがある。
http://www.jrc.or.jp/donation/pdf/R1_mararia.pdf
イ課長が見た地図というのは間違いなくこのPDFだと思われます。
要するに「献血ルーム行く前にこれでチェックできるようになってるじゃないか」という
ことなんでしょうな。従って、今回はこれでチェックしてから行かなかったイ課長が悪いと、
そういうことになる・・が・・こんな片隅に置かれたって気が付かないって。
太字巨大ポイントで「献血ルームに来る前に必ずご覧下さい」くらい書いて欲しい・・・。
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東京・小さな旅【新宿・中野編】
http://iwanya.exblog.jp/31154848/
2020-04-24T00:12:00+09:00
2020-04-24T02:05:51+09:00
2020-04-24T00:12:01+09:00
tohoiwanya
日本での私生活
本日は電車に乗って府中市外に出てしまいました。すみません。でも用事があったんです。
行ったのはまず新宿で、何しに行ったかというと・・・
①献血
血が足りないらしい。そこで新宿の献血ルームに行くことにした。重要な用事だ。
しかしイ課長はちょっと機嫌が悪い。なぜなら「献血はご遠慮いただく」対象として
ハネられたからだ。これについては次回以降の更新で詳しく書くっす。今や新宿地下道も
こんなに見通しよくなっちゃってるよ。携帯写真だから画質悪くてごめんね。
次の用事は新宿からガラ空きの電車に乗って中野に移動する必要がある。
何の用事かというと・・・
②メガネフレーム探し
ほとんどの人はご存知ないだろうが、日本には「大きいメガネ研究会」っていうのがあって、
大型サイズのオリジナルフレームを作ってる。ただ、そのフレームを置いてる店は少なくて、
中野にあるこのメガネ屋さんはたくさん置いてる数少ない眼鏡店なのである。
イ課長は背もデカいが頭もデカいからメガネ選びはいつも苦労する。幅も問題だけど、さらに
問題なのがツルの長さで、今かけてるメガネも耳のかかりはキモチ浅い。だからこういうお店を
頼りにすることになる。来るのはもう3回目だけど、コレぞ!というのがなかなか見つからない。
今日も結局決めかねたけど、そろそろ新しいの作らないとなぁ・・。
③テイクアウトで地中海料理
中野におけるもう一つの重要な用事。
それは中野にあるカルタゴ-Carthago-というレストランに寄ることで、ここはイ課長の
友人ご夫妻が30年の長きにわたってやってる、アラブ・トルコ・地中海料理のお店なのだ。
ご夫妻とのつきあいもまた長い。奥様の方とは大学の某サークルで一緒だったわけだから
軽く40年を超えるつきあい。すっかり不良老人の群れと化した当時のサークル仲間たちが
今でもこの店に年に数回は集まるという、我々にとっては「母なる店」に近い存在。
コロナっち騒ぎでこのお店も営業を休まざるを得ず、テイクアウトを始めたということを
ご主人のツイッターで知った。それなら中野に行くついでに買いに行こうではないか。
テイクアウトの営業は15時~20時だそうで、15時直後に行った。相変わらずご夫妻とも
お元気な様子だったのは嬉しい。本日のテイクアウトはギリシャ料理4品で、一つずつ買って
ウチで極めて珍しいギリシャディナー。
●トマトとピーマンのピラフ詰め
●ほうれん草とフェタチーズのパイ(ハルミチーズおまけ)
●ギリシャサラダ
●ギリシャムサカ
これは普通のカメラで撮りました。料理のおいしさを写真で損なわないように、精いっぱい
キレイに盛り付け。サヤエンドウとレモン、赤ワインは飾り(笑)。トマトやピーマンに詰まった
ピラフは東南アジアで食うチャーハンとは全然違う美味しさでございました。
このテイクアウト、売り切れることもあるそうだけど、ご主人は「たくさん作れないからねー」と
言ってた。今はとにかく飲食店はどこも大変なはずで、中野を歩いてるとあちこちのお店が
お弁当やテイクアウトの店頭販売に声を枯らしてたよ。がんばれ飲食店!
あのメガネ屋にはいずれまたフレーム捜しに行くから、その時はまたカルタゴに寄ろうっと。
「自宅で地中海料理」なんてこんな機会でもなきゃまずないもんね。
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府中市・小さな旅【府中刑務所編】
http://iwanya.exblog.jp/31152789/
2020-04-22T15:18:00+09:00
2020-04-30T13:05:59+09:00
2020-04-22T15:18:41+09:00
tohoiwanya
日本での私生活
ウチから行ける範囲の府中市散歩。本日はウチからの方向でいうと北西かな。
とりあえずまず北に歩きましょう。
北には東京農工大の広大なキャンパスがあって、広大な農園もあって、この道路際には
広大な馬術部の練習場もある。おウマさんもいます。
さらに北に行くと農工大の中に入っちゃうので、西に迂回してまた北に・・って感じで
ウチからおおむね北西方向に進んで行くと、トツゼン広くてキレイな道路が現れる。
中央分離帯もある立派な道路だけどやけに距離が短くて向こうは何かで行き止まり。
ヘンな道だな?と思ったけど、入口ンとこに府中刑務所って書かれてる。
ほぉ、ってことはこれは普通の意味の道路じゃなくて、刑務所の敷地内道路?でも両側には
一般住宅が建ってる・・ってことはやっぱり刑務所敷地の外ってことか?よくわからん。
府中刑務所のそばは何度も通ったことあるけどこの道路は知らなかった。
これが有名な府中刑務所です・・・塀しか見えないけど。
ここでは年に一度刑務所文化祭っていうのがあって、その日は一般開放されて中に入れる。
イ課長も一度見学に来たことがある。独房の中を見られたりして面白いよ。
しかし今日は当然閉まってる。実はここに来たのは散歩を兼ねて刑務所一周ジョギングが
可能かどうか、コースを検証しに来たのだ。
四角く広大な刑務所の東側はジョギングに適している。人も少なく車も少ない。この日も
高校生が走ってた。
しかし景色がなー・・(笑)。左回りにせよ右回りにせよ、府中刑務所をグルッと一周すると
視界の半分は常に高い塀で占められる。単調な景色というのは走る疲れを増す。うーん・・
やっぱ府中の森公園のジョギングコースの方がいいな。
せっかくここまで来たから刑務所北の歩道を少し先に行ってみる。
このあたりが日本犯罪史上に残る、あの三億円事件の犯行現場だったのである。
事件は1968年12月10日。もうすぐ退職する老人イ課長が9歳の時の話だから、若い人には
「昭和史」だろうけど、ガキだったイ課長はニュースで大騒ぎしてたのをよく覚えてる。
結局、1975年に未解決のまま時効。75年つうたらイ課長は16歳の高校生か。
「もうすぐ時効」って時のマスコミの騒ぎもまた大変だった。
あの事件は当時の警察にも深刻な影響を与えたようで、警察内部では「三億円事件」なんて
いちいち言わず「フチュウ」とか「フチュウのヤマ」っていうのが符丁のように使われたって
話を聞いたことがある。
何しろ52年前の事件。犯行当時の写真と今を比べると、変わってないのは高い塀くらいだけど
逆に言うと高い塀という特異な、共通する風景が今でも“雰囲気”を残してるよね。
さて・・それでは帰りましょうか。
本日の散歩はちょいとばかり「実録・昭和史の裏側」っていう感じだったな(笑)。
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府中市・小さな旅【競馬場&市場編】
http://iwanya.exblog.jp/31149169/
2020-04-20T00:02:00+09:00
2020-04-20T00:16:28+09:00
2020-04-20T00:02:30+09:00
tohoiwanya
日本での私生活
ウチから行ける範囲の府中市散歩。今回はウチを出て南に向かう。
いちょう並木のある通りをひたすら南に歩いてしばらく行くと京王線の線路の行き当たる。
これを越えると(っていうか、くぐると)何となく「市の南の方に来た」って気分になる。
同じ道をさらに南に。すると道は大きな施設にぶつかる。
これが日本ダービーの舞台、東京競馬場。ここまでは歩いてもそれほどの距離じゃない。
過去に自転車で数回来たことがある。
しかしコロナっちのおかげで競馬は当分中止。もちろん散歩の目的も競馬ではない。
競馬場周りの道をぐるーっと回ってJRの府中本町駅ガワにある西門の方に行ってみよう。
こっちの方は来たことがない。
ほほう〜・・競馬場オヤジたちの食欲と飲酒欲をまかなう店がこんなトコに並んでるんだ。
府中本町駅前にもこういう店があるけど、競馬開催日になると見事に「黒っぽい」男たちで
メチャクチャ混み合うんだよね。焼き鳥、酒、ビールと並ぶメニュー看板がくらやみ祭りの
祭り茶屋みたいだから、さしずめ“競馬茶屋”ってところか。今は商売あがったりだろう。
競馬場を後にしてさらに府中街道を南下。南武線のちょっと手前で分かれ道に入る。
それをさらに進むとこんな感じで高速道路と線路をくぐるトンネルが。だんだん怪しげな
散歩ルートになってくるけど物怖じせずに進みましょう。
ふだんはココは自転車で通り抜けるんだけど、徒歩で通るとけっこう長いトンネル。
単に下り坂のあと登り坂っていうんじゃなく、けっこうウネウネした道になってる。
ここを抜けると・・・。
はい。昔イ課長とトホ妻が工場見学に来て出来立てプレミアムモルツを飲ませてもらった
サントリー武蔵野ビール工場がある。つまりさっきくぐったトンネルがユーミンの名曲
「中央フリーウェイ」で右に見える競馬場♪ 左はビール工場♪と歌われた、ちょうど
そのあたりだったということになる。しかし今日の散歩の目的はビール工場でもない。
ビール工場の隣にある大東京綜合卸売センター。ここです。ここが今日の目的地。
いつもは自転車で来るトコだけど、歩いてきたら早足でも片道30分かかっちまったぜ。
途中、競馬場で写真とか撮って道草食ったからなぁ・・。
ここは業務用の食品を売る卸売店舗が集まったところで、まぁ要するに市場。しかし
普通の消費者が来て買うこともできるのだ。「市場好き」のイ課長が嫌いなワケない場所で
ここには時々自転車で来て主に調味料なんかを大量に買い込む。
スーパーと比べて劇的に値段が安くはないと思う。しかし普通のスーパーじゃまず見かけない
業務用巨大容量の調味料類が買えるから結果的には安い(はず)。イ課長家ではゴマ油とか
ここで取手付き大容量ペットボトル買う(ウチはゴマ油の消費量が多いのだ)。
たとえば写真右下。ハウスのシチューの素は1kg箱。何かのイベントで超巨大鍋を使って
超大量シチューを作る時には便利だろうが一般家庭じゃまず使わない。その上のカレー粉も
すげぇ大型缶。こういうのは見てるだけで楽しい(さすがに買わない)。
キャラメルコーン好きなら泣いて喜びそうな1kg近い超大容量ボトル。食い終わったら
この空ボトルにプラモデルとか入れられそうだ。
いつもは自転車で来るこの大東京綜合卸売センターで日本酒やら味醂やら醤油やら、
重たい液体調味料4本、その他あれこれ買い込んで約5kgのリュックを背負い・・
さぁそれではまた家まで歩いて帰りましょう。
再びおウマさんの首が並ぶ東京競馬場の柵の周りをぐるっと回って・・・
はい再び京王線高架。往路30分、買い物30分、帰路は荷物を背負ったから足取りが
重くなって35分くらいかかったかな。約6kmくらい歩いたはずで、ちょっとした
府中市散歩でございました。
・・ま、散歩っていうより単なる買い物とも言えるが(笑)。
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府中市・小さな旅【府中の森公園編】
http://iwanya.exblog.jp/31144805/
2020-04-17T00:18:00+09:00
2020-04-17T00:17:59+09:00
2020-04-17T00:17:59+09:00
tohoiwanya
日本での私生活
そんな閉塞的な日々が続いております。皆様いかがお過ごしでしょうか。
イ課長は4月末の退職まであと半月あるものの、実質的にはもう引退自宅生活してる(笑)。
会社行くのは最後の30日と、あと1〜2回だろ。ブラック企業で黒歴史を積み重ねたチンピラも
おジイさんになれば引退するのだ。
黒歴史はお休みして本日はのどかな地元ネタ。府中市の小さな旅。
自宅にいましょう、不要不急の外出はヤメましょうという日々がずっと続いてるわけだけど、
そうなると運動不足になる。イ課長の場合、通ってたジムも閉鎖中だからなおさらだ。
散歩やウォーキングくらいはせんと。
で、府中の森公園っていうのに行ってみた。この公園にはジョギングコースがあるそうだから、
トレッドミル代わりに走ってみようか・・というわけで散歩を兼ねてコースの下見に行ったわけ。
ジョギングコースは3パターンあるらしい。ふーむ・・・トレッドミルと同じくらい走るなら
最長2kmコースを2周はしたいところ・・よし、2kmコースを歩いてみるか。
いかにも散歩・ウォーキングって感じの大人も多いし、遊具で遊んでる子供も多い。
自宅にいるだけじゃ体がナマる⇒それなら府中の森公園行って体を動かすか・・って、大体
考えることはみんな同じみたいだ(笑)。
上のコース図でいうと一番右寄りのあたりは「武蔵野の森」というゾーン名が示すように
森っぽく造園されてて、このあたりを走るのは気持ちよさそう。
途中には日本庭園とか池もある。カモさんもいる。
そして府中市美術館。この近くから歩き始めたからちょうど一周か。当然信号はないし、
平坦だし、適度にジョギングやウォーキングの人がいてイイ感じのコースじゃん?
次回は2kmコース走ってみようかな。
・・というわけで、本日走ってきた。走るとなるとカメラなんて持たないから写真はない。
2kmコースを2周、いったん休憩して1.4kmコースを1周。ジムで走るのと同じくらいの
距離を走ったつもりだったけど、実はコースを間違えてた(笑)。コース図の左上あたり、
野球場の裏を周っちまったぜ。ま、コース間違えても失格にはならないからいいのだ。
それでも約5kmくらいは走ったから汗かいた。運動で汗かくのも久しぶりだ。
引退したらここに週2回くらいのペースで走りにくれば、そこそこの運動にはなる。
しかしそれもせいぜい6月くらいまでかな。
夏になったらキツいよ。真夏の炎天下、ここを走るのは暑がり汗っかきのイ課長にとっては
もはや危険。うーん・・。
その頃までにはコロナっちが終息して、ジムが再開するのを祈るしかないか・・。
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若かりしイ課長の黒歴史 その3
http://iwanya.exblog.jp/31141768/
2020-04-15T00:22:00+09:00
2020-04-20T15:09:32+09:00
2020-04-15T00:22:13+09:00
tohoiwanya
日本でのオシゴト
いつの日か・・」なんて考えると心が折れそうになるけど、バカき日の黒歴史ならいくら書いても
心は折れない。むしろ軽くなる。退職の機会に少しでも吐き出してしまおう(笑)。
本日はとってもミジメだった大阪出張の話。
大阪のちっちゃいメーカーにあるものを製造委託したんだけど、ここでもお決まりの納期ピンチ。
委託メーカーの様子を見てくる&ハッパをかけるという用向きで下っ端社員のイ課長が大阪に
出張したわけ。ブラック企業入社後1年数カ月経った頃のはずで、季節は夏だった。大阪では
ドコ行ってもラジオで高校野球やってたなぁ。
ところが東大阪市にあるそのメーカーに行ってみて驚いた。製品はほとんど出来てない。
とりあえず出来た分だけ明日少量送り、その翌日また出来た分を少量送り・・って感じの
自転車操業で製造と出荷を繰り返すしかない。この頃には多少の納期遅れには慣れてきた
若きイ課長もこれはさすがにショックだった。
イ課長は日帰り出張のつもりで来た。しかし事態がこうなるともう工場に泊まり込みですよ。
工場の人も責任を感じて徹夜で作業してくれてるのにイ課長だけ「じゃ、よろしく」なんて言って
帰るわけにいかない。同じく徹夜で作業を手伝う。
文学部卒業のイ課長が工場で手伝える作業なんてあるのか?これがね、あるんだよ。
この段階ですでに勤続1年数カ月。バカはバカなりにブラック企業でモマれてる。前年の暮れには
やはり福島の工場で納期遅れが発生し、一晩中巨大裁断機を操作したなんてこともあった。うっかり
手を入れたら簡単に指がチョン切れるってシロモノだ。そんな機械まで操作させられたイ課長だから、
やれないことでもヤッちゃうの。とにかく少しでも多くモノを作らんと・・・。
この東大阪の工場ではコンピュータ・ミシンでの縫製というのを担当した。いま思い返すと
「ホントにあんなことやったのか?」と自分でも思うけど、縫製箇所がわりと直線に近かったから
手で布をキチッと押さえていればシロウトでも何とか操作できたんだよ。
結局その夜は工場に泊まり込み。翌日も納期遅れは全然解消してないから工場にへばりつき、
集荷センター経由してたら間に合わないブツをジカにお店に送るための電話連絡に明け暮れたわけだが、
いくら若くても二日連続徹夜はムリ。その夜は梅田のホテルに泊まった。着替えもせずに寝たよ。
翌日はまた東大阪の工場に“出勤”だ。「メドがつかない」日が毎日続くわけだから、イ課長は
いつまでたっても東京に帰れない。結局梅田に泊り、東大阪に通うという日々が一週間続いた。
しかしイ課長を苦しめたのは納期遅ればかりじゃない。「明日はメドがついて帰れるかな」と
期待しても、結局「今夜も泊らなきゃ」となって泊まることの繰り返し。そんな先行き不透明すぎる
出張で着替えをどうするか、だ。何せ日帰りのつもりで着替えなんて持ってきてないからね。
さすがに今だったら大阪でシャツやパンツ、靴下なんかを買うだろう。
だがあの時のイ課長は買わなかった。安月給でビンボウだったっていうのもあるけど、「ヒゲを剃ると
ツキが落ちる」のと同じような感じで「着替えを買うと出張がますます長引く」気がしたんだよね。
着替えなんか意地でも買うもんか。
しかし夏の高校野球やってる季節。着替えないでいると臭いぞ。イ課長は昔から汗っかきだったし。
となればヤルことはひとつしかない。自分で洗濯ですよ。
ホテルにもランドリーサービスはあったんだろうけど、そんな高額サービス使ったことないイ課長に
「旅先で洗濯」っていうのは当然のナリユキ(今でもそうか・・)。半袖Yシャツ、アンダーシャツ、
パンツ、靴下という4点セットを1日おきぐらいにホテルの洗面台でシコシコ洗濯だ。バスタブで
踏んづけて洗濯したこともあったな(これは今でも時々海外でやる)。
問題は干す作業だ。着替えがない以上、明朝にはまたこれを着ないといけない。夜のうちに
どうやって乾かすか?
部屋に二つだけあったハンガーはYシャツとアンダーシャツに使う。とすると後は靴下とパンツ。
どこに干すか・・うむむ・・部屋に何か棒状の、布を引っ掛けられるようなものはないか?
あちこち捜してたらプラスチックの長い靴ベラを発見。おお。これは使えるのでは?
靴ベラの両端に靴下を差し込み、バランスのとれる場所に置いた。これで干せる。やった。
となると残る問題はパンツ・・・
靴ベラまで動員しちゃったんだから、もはや部屋に棒状のものはナニもない。どうしよう。
テレビの上にでも置くしかないか・・とあきらめかけた時にあるモノがイ課長の目にとまり、
たちまち脳内に電球がピンと光った。
最近はあんまりないけど、昔のビジネスホテルにはよく水割り用のアイスペールとトングが
置いてあった。これが使えそうだ。トング、つまり氷をつまむギザギザつき巨大ピンセットに
パンツを引っ掛け、それを冷房の吹き出し口にハメ込んだ。これで万事解決。
着てるもの全部洗って干してるわけだからイ課長自身は全裸にホテルの浴衣だけを着た状態。
ホテルの部屋には靴ベラに干した靴下や、トングに干したパンツがうまい具合に配置されてる。
イ課長は思った。こんな画期的な工夫を思いついた人間が過去にいただろうか?
窮地に陥った時の自分の問題解決能力に自分でホレボレ・・・と言いたいところだけど、まぁ
実際のところあれはまことにもってしみじみとミジメすぎる光景であり、自分の置かれた状況が
つくづくイヤになる光景だったよ、わが青春の暗かった夏・・・。
もっとトシとってから大阪には何度も出張して、梅田周辺のホテルにも泊ったけど、今でも
「大阪出張、梅田のホテル」っていうと、トングに干したパンツが冷房にそよいでた、あの
光景を思い出す。こういうのを原体験というのかもしれぬ。
ここでまた新社会人諸君への励ましの言葉・・といきたいところだが、今はザンゲすべき時だ。
(たぶん)1983年の夏に、大阪梅田のあのホテルで、あのトングを使って氷をはさみ、水割りを
飲んだ方がもしおられたら、この場を借りて深く深くお詫び申し上げます。ごめんなさい。
(ホテルの名前?書けねーよ!!)
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若かりしイ課長の黒歴史 その2
http://iwanya.exblog.jp/31138444/
2020-04-13T00:18:00+09:00
2020-04-14T11:30:04+09:00
2020-04-13T00:18:34+09:00
tohoiwanya
日本でのオシゴト
むしろ増えてるくらいだから、この際イ課長の黒歴史シリーズを続けちゃうことにしよう。
退職直前。洗いざらい告白するにはいい機会だ。新社会人の多い時期だし。
今じゃ考えづらいけど、イ課長が入ったブラック企業はとにかく研修なんて皆無で、
入社したその日からいきなり使いっ走りに奔走させられた。完全に「カラダで覚えろ」型。
そうやってカラダで覚えながら入社半年後くらいにやったあの仕事も忘れ難いものがある。
できれば忘れたいのだが(笑)。
その時はあるブツを6万個、そのあと追加で4万個、計10万個作った。数千万円単位のシゴト。
その会社にとってはかなり大きな取引で、そんな仕事を入社半年のチンピラが一人で担当
したっていうんだから、する方もさせる方も、両方かなり問題がある。
意外にもその仕事はメチャクチャな納期遅れにはならなかった。「綱渡り」ではあったけど
何とかはなりそう。しかし担当者としてはその工場に行き、「宜しくお願いします」と頼み、
トラブルがなさそうか確かめ、今後の見通しを把握して・・ってほどの深い思慮もなく、
とにかく「一度見に行ってこい」と製造委託先の工場を見に行かさせられた。
工場は名古屋近郊の某市。早起きして新幹線に乗り、名鉄に乗り換えて行った。
製造はおおむね順調で、今日のトラックで第一便を東京にある顧客企業の配送センターに
運ぶ予定と聞かされてホッとした。でも納期ギリギリだから若きイ課長もそのトラックに
同乗し、東京での納品に立ち会った方がいいだろうということになった。
夕方愛知県を出たから東京着は夜中。配送センターは東京都下にあるから、当時千葉県の
実家に住んでたイ課長は「今日は帰れないな」と覚悟を決めた。それ以上に心配なのが
天気で、ちょうど低気圧だか台風だかが来てたんだよ。東名はチャンと通行できるか
怪しいから中央高速で東京まで行くことになった。
大型トラックなんて乗ったことある?イ課長は後にも先にもあの時だけだ。
ネクタイしたままドライバーのおっちゃんの隣に座り、土砂降りの中を東京まで走る。
中央高速って山間部を走るせいか、とにかくすごい雨だった。高いトラックの運転台から前を
見てるだけだけど、大型車に追い抜かれるとハネ水が滝のようで一瞬視界が完全になくなる。
でも何とか無事東京に着き、深夜の納品も済ませた。ここで話が終わればめでたしめでたし。
問題はこの後だった。
電車なんてトックにない。おっちゃんから「おにいちゃんどうすんの?」と聞かれたので
「新宿近くでおろしてください。サウナにでも泊まります」と答えた。
イ課長は大学時代に旅行で何度も地方の24時間サウナっていうのに寝泊まりした。
ホテルより安いし、予約ナシで飛び込みで泊れる。新宿まで行けばサウナは何軒も
あるだろうから、今日はサウナ泊り、明日直接会社行こうと思ったわけ。
で、歌舞伎町にサウナを見つけ、入ったのがもう夜中の1時か2時頃だったはず。
このサウナでの一晩がその後のイ課長に拭い去り難い悪しき記憶を残すことになる。
サウナが時に男性同性愛者の「相手探し」の場所になるらしいってことは何となく知ってた。
当時はそういう人がサウナにいたんだよ。今は知らんが。しかも場所は歌舞伎町ときた。
ヤバめの状況であることはわかってたけど、イ課長にはソノ気がないし、なにせクタクタ。
万一周りでおホモ様たちの祭典が開かれても背中を向けて爆睡してる自信はあった。
とにかく疲れてたし、若い頃のイ課長は睡眠力がすごく強かったのだ。
しかし実際にはソレどころじゃなかった。眠ってるとどっかのヤロウが触ってきたからだ。
「相手探し」ってアアいう風に行われるとは知らなかった。簡易ベッドで爆睡してると
隣に寝てるヤツが触ってくる。異様な感触でハッと飛び起きるとソイツはパッと寝たふり。
これでヤツはイ課長が“相手”にならないと認識するらしい。
この時はそういう行為がイイとかワルイとかドウでも良かった。とにかく眠りをジャマされた
怒りだけが湧く。あのね、オレは今日早起きして愛知まで往復(しかも帰りはトラック)して
さっき深夜の納品済ませたばかりなの。発情してるオマエと違ってオレは疲れてるの!
ねむいの!眠らせろ!!バカヤロウ!!
再び眠りにつこうとすると、イ課長をあきらめたヤロウはモゾモゾと起きて別の男を探しに行く。
やれやれ、これでやっと眠れる・・・どころの騒ぎじゃない。空いた隣のベッドには別のヤツが
入ってきてイ課長が爆睡すると手を伸ばしてきやがる。ナンてトコなんだここわ。
明け方まで「寝ると触られ、起き、また寝ると・・」を繰り替えし、最後は眠るのをあきらめた。
疲労と寝不足と貞操の危機疲れ?でイ課長は心底くたくた。もう電車が動いてるはずだから
サウナを出てフラフラと新宿駅から山手線に乗り、フラフラと誰もいない早朝の会社に行き、
倒れるようにソファで寝ましたよ。
今思い返しても悪夢のような夜だったなぁ・・。これが入社半年後くらいのデキゴト。
この春「コロナ入社」した若者諸君、キミたちもこの後いろいろ大変な目に遭うだろうけど、
ここまでヒドい目に遭う確率はたぶん低い。大丈夫。キミたちはがんばれる。何とかなる。
でもイザって時は貞操だけは死守しましょう。
もうすぐ「コロナ退社」するジイさん社員からの力強い励ましの言葉でした(笑)。
(本日も写真はイミなし水族館シリーズということで)
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若かりしイ課長の黒歴史
http://iwanya.exblog.jp/31135343/
2020-04-11T00:38:00+09:00
2020-04-11T16:45:43+09:00
2020-04-11T00:38:53+09:00
tohoiwanya
日本でのオシゴト
グローバル・クライシス状態。
こういう時こそ楽しかった過去の旅行記を書こう、とも思うけど、こう見えたってイ課長も多少は
意気消沈してるのだ。退職したらパーッと海外旅行どころか、この調子じゃ5月になってもドコにも
行けないに決まってる。あ~・・・もっとも、こんな理由で意気消沈だなんて言ってられるのは
今のご時世では夢のように恵まれた境遇なんだけどね。
せっかく退職直前だから、ちょっと回想記事でも書いてみっか。「この人に黒歴史あり」(笑)。
イ課長は大学入る時1年浪人してるから、23で就職した。今からちょうど38年前の春だ。
入った会社は今の基準で考えればご立派なブラック企業。その後つぶれて現在はない。
「将来こういう職につこう」とか「そのためにこういう資格をとろう」とか、そういう目的性が
皆無の大学4年生だったから「入れてくれる会社」に入った結果がブラック企業。まぁあの当時は
同程度に「黒い」会社は中小企業にはヤマほどあったと思うけどね。
営業担当として最初に担当した仕事は上司から引き継いだものだ。
彼は「イカチョウ君、キミに売上をあげよう」なんて恩着せがましく言ってたけど、今にして思えば
ヤバい仕事を新入りに押し付けただけだった。製造委託メーカーが「作れない」と言い出し、大変な
納期遅れのうえに当初仕様とは異なる商品になるというメチャクチャな事態に。
入社して最初に引き継いだ仕事がいきなり破綻。いきなり修羅場。
入社1か月もせずして会社泊まり込み、徹夜という経験を強制させられることになる。もっとも、
そういう経験はその後何度も起きるということを後に知ることになるのだが(笑)。
あまりにヒドい納期遅れなので、先方担当者と打ち合わせのあと「このままウチの会社に来て
この事態を説明してくれ」と言われた。ちなみに、その先方担当者もイ課長ほどじゃないにしても
入社年月の浅い女性担当者。彼女としても「アタシのせいじゃない」というコトを会社の上司に
説明したかったに違いないが、そのためには「委託先の担当者」に説明させるのがいい。
行きましたよ。入社1カ月にも満たず右も左もわからない新入りがクライアントへの釈明に。
あの時の若きイ課長にはそれなりのクソ度胸があったとも言えるけど、それ以上に明白だったのは
開き直り精神だよな。「どうなったって知るもんか。オレにさせる方が悪い」っていう(笑)。
会社で徹夜して納品ブツを作る内職、日曜日にネボケまなこでひとり車を運転して納品に行き、
ねぼけマナコで会社に戻ってくる途中十字路でトラックと衝突(笑)。イ課長は何ともなかったけど
会社のリース車はイッパツで廃車。
「始末書を書け」って言われて「こんなんでイイのかなぁ?」と思いながら書き、ハンコ押して
提出したけど、その後38年間のサラリーマン生活で始末書なんて書いたことがない。
かくのごとくシャカイに出ていきなり、ブラック企業で黒歴史の数々を積み重ねてきたイ課長が
わりと若くして到達した真理がある。それは
この世に人類が現れて以来、終わらなかった仕事はひとつもない というものだ。
どんなにツラい、苦しい、メチャクチャな仕事も最後には終わる。
たとえそれがほとんど破綻した仕事であったとしても最後には結局終わる。しかもだよ?
さらに不思議なことに、人は次の新たな仕事を担当しなければならなくなるんだよ。
入社最初の仕事に失敗したからって、その仕事を定年まで続けるなんてことはゼッタイないの。
今年の3月に大学を卒業し、4月から会社勤めを始めた諸君は今不安の只中にいるはずだ。
感染症の緊急事態宣言下での新入社員経験なんて、イ課長だって想像できない。
「出だしがこんな調子で、オレ(アタシ)は実際に仕事を担当できるのかな?」と
不安を感じる人もいるかもしれない。
そういう若者たちにとって、この恥多き回想が少しでも励ましになれば幸いです。
大丈夫。何とかなるよ。イ課長だって何とかはなったんだから(笑)。
(本日使用の写真はイミもなく大昔の葛西水族館の写真を使っておりますです)
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退職前のヒキダシ遺跡発掘作業
http://iwanya.exblog.jp/31130642/
2020-04-08T00:12:00+09:00
2020-04-10T19:01:59+09:00
2020-04-08T00:12:24+09:00
tohoiwanya
日本でのオシゴト
イ課長の退職は4月末。残りほぼ3週間ってことになる。
当初計画では4月初旬は年度末仕事のフォロー。中旬には休暇消化で華麗に海外へ。
下旬は片付けと引継ぎ、30日にバイなら~♬・・とそんな4月になるはずだった。
だがそんな美しいプランは完全に消滅した。何もかもコロナっちのせい。
まず初旬の年度末フォローが消滅したってのがスゴい。顧客企業にしたって今は年度末に
うけとった仕事の内容精査どころじゃないからね。
さらに旅行なんてもはや論外中の論外という状態。海外はあきらめて国内旅行を
予約したけど、それもまたあきらめてキャンセルしたですよ。
だもんで、4月は片付けと引継ぎしかやることはなくなった。片付けばかりはテレワークじゃ
出来ないから出社することになる。しかし「なるべく出社するな指令」が出てるから、週の
半分程度会社に来てデスク回りを片付け、あとは余った有給休暇を使って自宅でチンタラと
幽閉生活。よもやこんな4月になろうとは・・・。
とりあえず片付けだ。過去にデスクの移動や会社の引っ越しはあっても、引き出しの
キャビネットは14年使い続け、中身が入れ替わってないから、古い書類の地層を掘ってると
ミョ~~なものが発掘される。携帯で撮ったものをいくつかご紹介しよう。
展示会のノベルティとかでもらった3色ボールペンなんてのはゴマンと出てくる。
しかし箱入りの高級そうなパーカーのボールペンが出土したのにはちょっとびっくりだ。
ロゴを見るとアーヘン大学の名が・・ああ、2011年の欧州出張でなぜかアーヘン大学の
シンポジウムに出た時の記念品だ。さすがの書き味。ありがたく使わせて頂きます。
ヒトコトもわかんねぇドイツ語のシンポジウム出るなんて、稀有すぎる経験だったぜ。
欧州、特にドイツでは訪問先からけっこう立派な記念品もらうことがあって、訪問回数が
多いドイツ機械工業連盟(VDMA)のお土産がごそっと発掘された。高級そうな方位磁石、
手前の小っちゃいモノはキーホルダー型の4GBスティックメモリ。
東日本大震災の時、ドイツのS氏が心配してメールをくれたって記事を書いたことあるけど、
これらは全部そのS氏がくれたものなのだ。こういうものは大事に持ち帰ろう。
切符やらレシートやら、海外出張に絡んだ証票類も大量に発掘される。いやはや。
これなんて2007年って書いてあるから13年前、初めて欧州出張行った時の遺物だ。
これは説明不要の2012年インド出張。あれももう8年前になるんだなぁ。
日曜に自費で日帰り観光したタージ・マハルは、それはもう美しうございました。
イ課長が古い海外出張関連書類をヒキダシに堆積させてるのは「捨てられない性格」だから
・・というわけではない。これらの出張は基本的にすべておカミから出たお金、早い話が
税金で行った業務だから、年度末の会計監査がことのほか細かくて厳格。出張中の移動や
宿泊に関する領収書・証票類はすべて持ち帰り、キチッと精算する必要がある。
しかも恐ろしいことに年度末監査が済んでも、何年か後(3年だか5年だか)に会計検査院による
追い打ち監査が突然入るかもしれないときた。だから年度末監査終了後も搭乗券の半券とか
荷物タグなんてつまらないものすら怖くて捨てられないわけ。そういうブツがごっそり堆積し、
形成された地層だから、まぁ出るわ出るワ・・・。
だがもう時効だろ。もう知らん。写真撮った後は片っ端からシュレッダ~♬
切符なんて消滅しても海外出張「ついで観光」の記録はブログに詳細に残ってるもんね(笑)。
すごく不可解な遺物も出土する。たとえば塩。
シオ・・・??何でまたこんなものが・・密閉包装された塩が何となく黄ばんでるから
年代的にはすごく古い遺物と推定される。誰かの出張ミヤゲと考えるのが妥当だろうが
記憶はまったくない。短い社員生活の間にも歴史のナゾは存在するのだ。
さらにナゾな遺物もある。知らない女性名が書かれた賃金支払い明細が出てきた。
写真なんて載せられん(笑)。ナンなのさこれわ?!通訳とか翻訳業務で誰かに委託料を
払った時の明細か?とも思ったけど、こんな名前の女性に仕事を頼んだ記憶は全然ない。
アナタだれ?ここに書かれた金額はナニ???
あーこえー。シュレッダーしてしまいましょうね♬ これで謎はなかったことに。
てな感じで、退職前のイ課長は週3日くらいこんな調子でチンタラ片付けをやり、ときどき
引継ぎ打合せもするって感じのノドカな4月を過ごすことになった。コロナっちのおかげで
旅行予定がフッ飛んだのはガッカリだけど、仕事がヒマになったのはたいへん結構。去年の
定年到達後にすぐこのくらいヒマになってりゃ、さらなる雇用延長に対してもう少し前向きな
気持ちになれたかもしれないのに(笑)。
問題なのはお世話になった人たちへの挨拶回りだ。今や不要不急の訪問は憚られるから
退職のご挨拶もメールで送るしかない。申し訳ないけどしょうがない。
送別会って問題もあるけど、緊急事態宣言が出た今となってはそれも論外。
イ課長送別会がホットスポットになって集団感染、会社は営業停止して消毒・・・って事態は
いくら「あとは知ったこっちゃねぇ」という立場でも避けたい。
「コロナが終息したら改めてイ課長さんの送別会盛大にやろう」とかナンとか言われて、
そのままウヤムヤ・・・というのが最も可能性の高いシナリオかな。意図したことでは
ないにせよ、ハタ目には「コロナ退社」みたいなもんだからしょうがないか(笑)。
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コラートのターミナル21は面白すぎた
http://iwanya.exblog.jp/31127763/
2020-04-06T00:18:00+09:00
2020-04-06T00:31:20+09:00
2020-04-06T00:18:06+09:00
tohoiwanya
2019.08 ラオス・タイ旅行
しっかり長編でご紹介しよう。写真もいっぱいあるよ。
コラート小ネタ集の中で「ムシ珍味」を売ってた場所としてご紹介したTerminal 21。
バンコクのTerminal 21については以前にこのブログにも書いた。フロアごとに
海外有名都市の雰囲気を出してて、TOKYOフロアは日本人が見るとメチャ面白い。
ここで見かけたカタカナ風英語フォントを暗号クイズにしたこともあるよね。
そのTerminal 21がコラートにも進出し、すごい店を作ったらしい。
そりゃーちょっと見に行きたくなる。バンコクの店を知ってるだけにね。
というわけで、ピマーイ遺跡からの帰りに寄り道してみた。
ほら見えた。あれは空港の管制塔ではない。あれがTerminal 21なのだ。
ビルの上にこんなの作ってる。バンコク店と同じように「ここから世界の大都市へ」って
コンセプトを打ち出してるんだと思われる。TOKYOフロアもきっとあるよ。
着いた。すっげーー。いつ完成したのか知らないけど、バンコク店より新しいはずで、
外観もピカピカ。
さっそく中に入ってみよう。お、あるあるTOKYOフロア。ここを見るのが楽しみなんだよ。
期待に胸が高鳴ってきたぞ。いやホント、マジで。
ぎゃははは。いきなりきました、これぞジャパーン。
巨大お相撲さんがハッケヨイしてる向こうに鳥居の列。だがこんなのはまだ序の口なのだ。
ぶはははは!ここにもお相撲さん。念のために言っとくけどチョンマゲのお相撲さんは人形。
ムラサキのポロシャツ着たのは生身のタイのおっさんだからね(笑)。
バンコク店でも大人気の巨大招き猫だが、ここはちょっと顔が違って帽子もかぶってる。
これがネコ駅長に見えてしまうのは日本人だけだろう。そのうえ柱には浮世絵ときたぜ。
すごい手間とお金かけてるよなー。素晴らしい。大したもんだTerminal 21。
日本語の看板がまためちゃくちゃで、面白すぎてカメラをしまうヒマがありません。
いつからサムスンはパチスロ業にまで進出したのだ?いいのかよ、こんなの。
バンコク店にもあるヒトコト看板。これ好きだ。
イ課長もかねもち、だいすきです。かねもちの友達、紹介してください。
こちらもバンコク店でおなじみの提灯ディスプレイ、コラート店でも炸裂してます。
全部言葉が違うってのがスゴい。しかし「きん」ってなに?「きん」って・・。
このブログ読者なら今やこの程度のカタカナ風フォントは軽く解読しちゃうね。
TOKYOと書いてある。しかしそのフグは明らかに大阪のものだろ(笑)。さらに
「とくべつ」「ほうこ」ときやがった。とにかくフロア中がこんな調子で、
日本人ならTOKYOフロアを歩いてるとニヤニヤ笑わずにはいられないの。
バンコク店にはない、コラート店だけの新機軸ってのもある。衝撃的だったのは
TOKYOフロアの天井にあった超巨大フキダシ。漫画で登場人物のセリフを入れる、
あのフキダシですよ。こういうのが天井のあちこちにあって、いろんな願いごとが
書かれてるんだけどさぁ・・。
「良いこと」っていうのは「入ってくる」ものだったんだなぁ。これなんかは
それでも意味はわかるし、文法的にも大きな間違いはないと言っていい。
ぎゃはははは。何て読むんだよコレ?
「たのたのたのしんで」って読ませたいのか?誰かイ課長に正確な読み方を
おし教おしえてください。
これなんてとうとう誤植。「い」の右側が落っこちとる。だが「い」を補完しても
まだ意味不明だ。「思い通りたのしんで下さい」・・と書きたかったのか?それとも
文字通りの意味で「思い通り飲んで下さい」って言ってるのか?何だかよくわからんが
とりあえずイ課長も飲みたいです。飲まして。
うひゃーー、すげーー、きれーーー。満開の桜とピンクの提灯。
頭の中には「とむ、とむ、とむ・・」とタイコの音のようなコダマが響く。
いやぁーー、全部の写真はとても紹介しきれんよ。
とにかくTerminal 21のコラート店、TOKYOフロアはめっちゃくちゃ面白い。
ここを面白がることができるのは、ある意味日本人旅行者だけの特権だ。
ヘタなテーマパークよりよっぽど面白いよ。しかも無料。
ご存知のようにこのTerminal 21はイ課長訪問の約半年後、2月に大変なテロの
舞台になってしまった。今は営業再開したようだけど、悲惨な記憶が残る施設に
なっちゃったのは否めない。
それでも去年8月にココを見た時はホントおかしかった。
コラートのTerminal 21が再びコラートの善男善女が集う平和で楽しい、そして
日本人にはことさら面白いショッピングモールに戻っていることを祈念いたしますです。
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コラートは面白い町だった その4
http://iwanya.exblog.jp/31123151/
2020-04-03T00:03:00+09:00
2020-04-03T00:03:38+09:00
2020-04-03T00:03:38+09:00
tohoiwanya
2019.08 ラオス・タイ旅行
“通算”で⑨から始めよう。
⑨タイ語の白夜行
前回書いたようにコラートで泊ったホテルは安いってだけで、大した宿じゃなかった。
たぶん外国人利用がすげー少ないホテルに違いない。部屋に宿泊客用とおぼしき
テーブルゲームが置かれてたけど、それもタイ語版バンカースっぽいもの。
タイ人以外わかねぇって(バンカース自体、若い人にはわかんないか・・・)。
しかしゲームと一緒に置かれてた本には興味をひかれた。
タイ語版の「白夜行」だ。東野圭吾ってタイでも人気あるんだねぇ。表紙には
日本語もあるけど中身は当然のことながらタイ語のみ。タイ語で書かれた本なんて
ジックリ見るの初めてだ。
読めないけど、眺めてるだけでもなかなか面白い。
文頭にチョンチョンがついて少し右ズレしてる行がセリフではないかと思われる。
ふーむ、タイ語では会話をカギカッコでなく、こうやって書くのかな。
タイ語の本なんてグニュグニュ文字だらけで模様にしか見えないかと思ったけど
わりと行間が広くとられて読みやすそうだ(読めないけどさ)。そのせいか本は
かなりブ厚かったね。もっともイ課長は日本語でも「白夜行」を読んでないから、
日本語版がどの程度厚いのか知らないんだが。
⑩タイの死生観
そのホテルのハス向かいにワット・ナントカっていうお寺があった。ガイドブックには全く
紹介されてない、観光価値は限りなく低そうなお寺だったけど、何せホテルのハス向かい。
近いからぷらっと行ってみた。
ふーむ・・お堂がある。まぁこの程度のお堂はタイ中いたるところにある。
中には金の大仏様もあった。しかし金のブッダだってまたタイのそこらじゅうに
あるよな。ま、予想通りフツーのお寺か。
さて帰ろうかと思ってお堂を出てサンダルを履くために足元を見た。
するとちょっと変わったものが視界に入った。ん?こんなところにいくつも
ヒトの写真が・・・ハッ!!そうか、これらの写真、たぶん故人だ。
有名な話だけど、タイにはお墓という考え方がない。
亡くなって火葬したあとは散骨することが多いようで、Facebookのタイの知人が
投稿してた写真でも、遺骨を川に散骨してるのを見たことがある。
しかし中にはこうやって遺骨をお寺の壁に漆喰で塗りこんじゃうこともあるそうで、
これが日本で考えるところの「埋葬」「お墓」に近い存在といえるかも。
それでもやはり日本的な「お墓」とは根本的に違うようで、こうやって壁に入れても
何年かすると壁から骨壺を取り出し、最終的にはやはり散骨することが多いらしい。
輪廻転生の死生観が強いタイでは、死はオワリではなく次の転生に向けたタマシイの、
いわば“移動”にすぎない。タマシイの仮の宿であった肉体の残骸=骨にはそれほど執着
しないようで、日本みたいに墓に遺骨をいつまでも保存し、子々孫々供養して・・
・・っていう発想はないといわれる。
・・といったことは話では聞いてたけど、見たのは初めてだ。
こういう「壁埋葬」、観光客が集まるような立派なお寺だとあまりやらないのかも。
たまたまフツーのお寺にぷらっと来たから目にしたのかもしれない。
感染症騒ぎで世界がドヨンとしてる時に埋葬ネタというのもいささか気が引けたけど
個人的にはちょっとした驚きがあったから書いておきたかったのである。
次回はもうちょっと明るいネタにする予定です(笑)。
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イ課長ミシュラン ホテル評価 57
http://iwanya.exblog.jp/31120413/
2020-04-01T00:02:00+09:00
2020-04-01T00:02:16+09:00
2020-04-01T00:02:16+09:00
tohoiwanya
2019.08 ラオス・タイ旅行
今回は2軒いっぺんに。タイに入ってスリンと、コラートのホテル。
Maneerote Hotel(スリン)
マニーロート・ホテルと読むのであろう。例のクレオパトラがいたホテル。素泊まりだと
約1,700円、朝メシつけても2,000円というキョーイの安さ。でも外観はけっこう立派。
象祭りの時はこの何倍もの宿泊料になるのは間違いない。
立地・利便性★★★★☆
駅からは15分くらい歩くかな。荷物引きずってだとキツいし、暑い。
でもいったんホテルに入れば徒歩圏にコンビニも、市場も、スーパーもある。
市場隣接の屋内屋台街もある。利便性の高いエリアだった。
部屋★★★★☆これが素泊まりで1,700円?ってくらいキレイな部屋。5階。カーテンの向こうには
キレイなバルコニーまである。
これでメシ付き2,000円は異常な安さだ。象祭り以外の時期だとスリンのホテルが
これほど安いとは。地方都市だから物価もバンコクにくらべりゃ安いんだろうけど、
これで商売やっていけんのかね?
トイレに小さな問題があったことを除けば、これだけ広くて立派な部屋に
この値段で泊まれれば御の字。星4.5個くらいには値する。
朝食★★★★☆
朝メシはなかなか良かった。開始時間も6時半と早く、ラオスみたいに食いっぱぐれずに
済んだ。複数あるセットメニューから選ぶ方式で、1泊目は西洋風、卵とソーセージの
ぶれっくふぁすと(パンはトースト。やっぱりタイはトースト文化圏か)。
2泊目はゴハンものにしたら、こんなオジヤが。ボリュームあってなかなか結構でした。
従業員対応★★★★☆
「車は手配できない」というクレオパトラの宣告には困ったけど、それ以外の対応は
良かったと思うよ。新しいトイレットペーパーちょうだいって言えばすぐ対応したし、
クレオパトラだって美女図鑑用の写真撮らせてくれたし(笑)。
スリンで安くてマトモなホテルを捜してる人にはここ、お勧めできます。
Urban Bamboo(コラート)
アーバン・バンブーって、直訳すれば「都会の竹」。ヘンな名前。コラートは大きい町で
ホテルも多いけど、旧市街の便利なところで探すと意外なほど少ない。結局、タノンチラ駅まで
歩いて行けるという立地を重視してここにした。2泊で1,500バーツだから1泊750バーツ。
2,500円くらいってトコか。朝食付き。スリンのホテルよりは高いが、それで十分安い。
立地・利便性★★★★☆
タノンチラ駅から荷物引きずって徒歩で行けるホテルなんてココくらいしかない。
もちろんタオ・スラナリー像の公園(あそこはソンテウ路線の発着点になってる)にも
歩いて行ける。利便性はイイ。
朝の散歩がてら、今日の列車の切符を駅に買いに行き、あとは例のサイトで列車の
遅延情報見ながら部屋で出発時間を調整なんてことも可能、鉄道利用者には特に便利だ。
部屋★★★☆☆
狭いけどまぁまぁかな。ただし部屋にはポットもコップも何もない。うっそー。
すると階段のところにこんな棚が。コップなんかはここに置いてあるヤツを自由に
使えってことらしい。それならそれでいいけど最初に教えてほしかった。
前にも書いたようにココはトイレにトイレットペーパーホルダーがなかったが、寝室に
ロールだけは置かれてた。それならいい。高圧水ホースさえあれば、ペーパーホルダーが
ない程度のことはもはや減点対象にはならなくなってきた(笑)。
朝食★★☆☆☆
ここも朝メシはいくつかのメニューから選べるんだけど、大したことはない。
普通のパンと目玉焼きじゃつまんないと思ってテキトウに注文したら、正体不明の
挽肉炒め+目玉焼きが供された。食ってみても正体不明。さほど美味しくはない。
しかしまぁ目玉焼き二つだから栄養価だけは高いはずだ(←卵信仰)。
2泊目は「ベトナム風サンドイッチ」っていうのにしてみた。バイン・ミーみたいな
フランスパンのサンドイッチを期待したワテがアホやった。
・・・これ、フランスパンっつうよりホットドック用のパンだよな。
間に挟まってるカマボコみたいな具と、白っぽいソース?がまた例によって正体不明。
腹をこわすことはなかったけど、あの時食ったものが何だったのか未だにわからない。
ま、全体的に見てそんなに大したことないホテルで、あまりお勧めもしない。最大のウリは
旧市街中心部からも駅からも徒歩圏という利便性かな。あとは安さくらいですな。
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ピマーイ遺跡というところ その2
http://iwanya.exblog.jp/31117709/
2020-03-30T00:13:00+09:00
2020-03-30T00:13:24+09:00
2020-03-30T00:13:24+09:00
tohoiwanya
2019.08 ラオス・タイ旅行
コロナ問題は通奏低音のように世界を覆っているが、とりあえずピマーイの続きだ。
ピマーイ遺跡の細部を見てみよう・・となれば、やっぱり他の遺跡と同様、石のレリーフに
注目だ。調べたところでは、これは「踊るナーラーヤナ神」というモノだそうで、当然ながら
ヒンズー系の神様が彫られている。
うわ、これなんてすごく保存状態良くてキレイだけど、何となく「良すぎる」から
後世の複製じゃないかって気もする。
細部をズームで撮ってると、復元作業の精度に首をかしげたくなる場所も目につく。
たとえばこれ、模様がつながってない。本来あるべき模様のパーツが見つからなくて、
多少のズレには目をつぶって石を積み上げるコトの方を優先したっぽいよね。
ピマーイって崩れた状態で発見されたのは何と1901年にさかのぼる。遺跡としての保存が
決定したのが1930年代、復元作業は1960年代から80年代まで続いたようだ。とっても長い作業。
戦争を挟みながら、何世代にもわたって復元の努力が続けられたわけだ。その努力を考えれば
「多少のズレに目をつぶる」くらいのことが仮にあったとしても、目クジラたてません。
そういうことには目をつぶって、見事に復元された遺跡内部に入ってみよう。
お、仏像がある・・といっても後ろにある光背は七頭のナーガに見えるよね。すり減ってるが。
とすると、仏像っぽく見えるけどこれはヴィシュヌ神?
ピマーイ遺跡って最初ヒンズー寺院として建てられた後すぐ仏教寺院に改装されたらしい。
“本場”カンボジアでもヒンズー寺院のアンコールワットと、仏教寺院(らしい)のバイヨンが
近くにあるのと同じで一緒で、その辺の境目にあんまり目クジラ立てる必要ないのかも。
こんなモノも。これは間違いなく当時のオリジナルが残ってると考えられるけど、用途不明。
イ課長の想像では4つの穴に棒をたてて上に鍋を置き、真ん中の大きな穴で火を燃やして調理。
いわばカマドの跡に見えるけど、違うかな?
さらに祠堂周辺をぶらついてみる。
中央の祠堂はもちろん立派だけど、周囲にあるこういう低い塀とか門とかが入り組んだ箇所が
廃墟感たっぷりで好きだ。
さーて、たっぷり見学したからそろそろ帰ろうか。
ラオスでワット・プー、タイに入ってからパノム・ルン、ムアン・タム、そしてピマーイ。
クメール遺跡業界?じゃ有名な遺跡をイッキに見ようという欲張りな計画で、ピンチもあったけど
こうして全部見られて、気分は良かった。
コラートへの帰りのバスも例の時計塔のところから。いつバスが来るかわからないし、
暑いし、疲れたし、ちょっと糖分を補給で美女図鑑にもご登場いただいた働き者の
お姉さんのところでクラッシュアイスたっぷりのアイスコーヒーを買った。
冷たくて甘いコーヒーを飲み干して、残った氷をボリボリ食ってたらバスが来た。
よしよし、と思ってカップをゴミ箱に入れて乗り込んだんだけど、あとで反省した。
中身の氷はそれこそ道端にザラッと捨てて(そうすりゃいずれ溶ける)、ゴミ箱には
カップとストローだけ捨てるべきだったんだよ。ゴミ箱の中で氷が溶けて、中に水が
たまっちゃったに違ない。帰りのバスの中でも「あー氷を出してから捨てりゃよかった」と
うっかりミスをくよくよ後悔し続けた。
ラオスとイーサーンにあるクメール遺跡を見て回るという今回の旅の大きな目標は
見事達成したわけだけど、ニンゲン、大事を達成した後って、逆にゴミの捨て方みたいな
些細な小事が気になるモノなのかもしれないねぇ。
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