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2013年 07月 29日 ( 1 )


2013年 07月 29日

アウシュビッツに行くということ

アホなトイレの話題を続けて油断?させたところで、いきなりポーランド旅行の最もダークなネタに突入。
初めに断っておくが、アウシュビッツ訪問の話は当然のことながら「読んで面白い」ものでは全然ない。
しかも間違いなく続きものになる。2回や3回では終らない。しばらくの間、このブログは暗くなる(笑)。

イ課長のポーランド旅行後、周囲のヒトとの会話はほとんどが以下のようなパターンになった。

「ポーランドいったんだ〜。ドコ見てきたの?」
「(どうせ言っても知らんよな、と思いながら)うーん・・たとえばその・・・ワルシャワの旧ゲシュタポ本部・・」
「なにそれ?」
「(これも反応ないだろうな、と思いながら)あと、たとえば、クラクフの旧市街とか・・」
「ふーん、知らない」
「(結局コレを言うしかないか、と思いながら)まぁ一番有名な場所だとアウシュビッツに行ったけどね」
「ええ?アウシュビッツ見てきたの?」

相手がポーランドについて何も知らなくても、アウシュビッツと言いさえすれば、必ず知っている。
実際、アウシュビッツっていまやポーランドで最も外人旅行者が集まる場所だと思うよ、大げさじゃなく。
イ課長にしても、ポーランドに行ったらここだけは絶対に見なければ、と思っていた。

ここで、イ課長がなぜアウシュビッツ強制収容所に行きたかったか、その理由を書いておきたい。
いうなればアウシュビッツ訪問にあたってのイ課長の基本スタンスとでもいうか。マジメな話である。
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戦争の悲惨かつ残酷な歴史を伝える施設っていうのは世界中にいっぱいある。
日本だと広島や長崎の原爆資料館なんかが挙げられるし、韓国や中国に行けば抗日戦争の歴史を
伝える施設が当然あるし、ベトナムにも戦争証跡博物館なんてものがあった(行かなかったが)。
もちろんアジアだけじゃなく他の国にもある。前に書いたワルシャワ蜂起博物館なんかもまさにそれだ。
何もアウシュビッツ強制収容所跡だけが「戦争の悲惨さを今に伝える」ものではない。

「日本は過去の侵略戦争に対する反省が足りん」と思っている中国や韓国の人がこのブログを読めば、
「イ課長はアウシュビッツなんか行くよりも、(たとえば)中国の抗日戦争記念館みたいな施設を見学して、
まず自らの歴史認識を改めて反省しろ」と言いたい人もいるかもしれない。

ただね、少なくともイ課長にとってはアウシュビッツ強制収容所という場所は、いろんな国にある、
いろんな戦争記念館のたぐいとは根本的に違う、ものすごく特殊な場所なのだ。

世界中にある「悲惨な戦争の記憶を忘れないための施設」のほとんどは、まぁ一言で言えば
「その国の人々が戦争で戦い、殺された歴史を伝えるために、後からその国が作った施設」のはずだ。
これは当たり前の話で、原爆資料館は日本が作り、ワルシャワ蜂起博物館はポーランドが作った。
どれもみんな「その国が作った施設」だ。

アウシュビッツはそういう点で、あまりにも特殊だ。なぜならあそこは
自国民(だけではなかったが)を殺すために、他国が作った施設そのもの」だから。
戦争の記憶を後世に伝えるために作られたっていうものとは根本的に違う。

「戦争の記憶を忘れないために」的な施設なら、当然、建物は戦後に建てられたものであり、
そこに置かれたものは“展示物”で、それを見る行為は“見学”という言葉が適当だろう。
広島や長崎の原爆資料館も、中国や韓国やベトナムやポーランド等々のいろんな施設も、世界中の
戦争メモリアル施設はほぼ全部この分類に含まれると考えていいだろう。

しかしアウシュビッツやビルケナウは違う。
(まぁそういう意味では、ポーランド国内に多く残る旧強制収容所跡地はぜんぶ違うわけだが)

それは悲惨な歴史を伝えるためにあるのではなく、悪しき記憶そのものとしてそこにあり続けている。
そこにある建物は後から記念館としてではなく、“そのとき”絶滅収容所として建てられたものなのだ。
人々はそこで殺され、そこで焼かれ、そこに埋められた。居住棟もユダヤ人たちが寝泊まりしたもので、
そこに窓枠があれば、それは70年前にユダヤ人たちが触った窓枠だ。展示物ではないのだ。
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もちろん、アウシュビッツは現在は博物館としてちゃんと整備されてて、完全に当時のままではない。
(そういう点ではビルケナウの方が当時のまま、後世の手が入っていない)
博物館だから、いろんな展示物や写真があり、見学できる。それはそれでもちろん重要だ。
でも、イ課長にとってアウシュビッツに行くことは“観光”ではもちろんないし、“見学”っていうのとも
またちょっと違うものだったんだよね。

イ課長としては、とにかく「その場所に行く」ことが重要だった。
行って、そこに触れ、そこの空気を吸い、そこの土を踏む。考えてみ?その土の下には、間違いなく
埋まったまま忘れられた亡骸もあるはずなんだよ。そういうところを歩く。
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イ課長はこれまでの人生でそんな場所に行ったことはない。
アウシュビッツに行って、そんな経験をすることに自分が耐えられるかどうかもわからなかった。
でもとにかく行きたかったんだよ。

うーん、どうも上手にまとまらないが、イ課長の「アウシュビッツに対する思い」っていうのは
こういうことなのだ。

というわけで、次回からアウシュビッツ訪問の話を順を追って書いていこうと思う。
まだ行きもしないのに、こんなにいっぱい書いてるんだから、この話は長く続くだろうなぁ〜。
とにかくアウシュビッツへの道は厳しかったのだ。次回、まず「ツアーバスに置いてけぼりを食う」という
悲惨なシチュエーションからスタートするわけだからね(笑)。

 

by tohoiwanya | 2013-07-29 00:06 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(6)