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カテゴリ:2011.06 ウィーン旅行( 82 )


2012年 01月 10日

ブダペストに行こう! -その2-

イ課長とトホ妻を乗せた列車は定刻よりやや遅れてブダペストのケレティ・プに到着した。
たぶん間違いなくここが東駅なんだろう…けれてぃぷ。
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でも何だか嬉しかったなぁ…ワケもなく気分が高揚した。

イ課長はドイツ語全然わからないけど、出張で何度も行ってるからドイツ語圏なら
「まぁ何となく何とかなるだろう」っていう、慣れに基づいた根拠のない安心感がある。
さらにトホ妻は一応独文科出身。だからドイツ語圏のオーストリアにいる間は
「わかんないよぉ…」といった心細さを感じることはあまりなかったのだ。

しかしここはハンガリーだよ、ブダペストだよ、ケレティ・プだよ。
ヒトッコトも言葉のわからないガイコクに初めて到着した時の不安と心細さがグッと高まる。
イ課長は海外におけるこの「ちょっと不安なガイコク感」が好きで(程度にもよるが)、
なぜかというと、そこには「ドキドキする」という気持ちとかなり近いものがあるからだ。

初めてプラハに着いた時、初めてのフランス語圏・ブリュッセルに着いた時なんかのことは
その時感じた不安や心細さやドキドキ感と共に、今でもすごくよく覚えてる。
イ課長はそういう気持ちを「ガイコク感」名づけている…というか、たった今名づけた(笑)。
ブダペスト東駅でこの「ガイコク感」を久しぶりに味わったわけだよ、イ課長は。
(実はこの時、トホ妻も強烈なガイコク感を味わっていたことを後に告白している(笑))

国際列車の到着駅だけあって、ブダペスト東駅は古めかしいとはいえ立派な駅だった。
欧州に多い「行き止まり式」の駅だから、まず先頭部分のコンコースを目指して歩く。
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いくら言葉のわからん初めての国とはいえ、イ課長だってコドモではない。
この駅で絶対にやっておくべき二つの重要なことにまず着手した。それは…

①ウィーンまでの帰りの切符を先に買ってしまう
②ユーロの現金をハンガリーの現地通貨に両替する の二つだ。

まず①のハードルをクリアするために長距離切符の売場を探した。
広い駅でなかなか見つからなかったけど、ようやく見つかった。見つかったが…
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うっわーーー…なにやらスゴい。これが切符売場??
ぶっとい角材を柱にしてるってことは…これ…はずすと天井が崩れるとか?(笑)
カウンターも金属格子がビシーッとハマッてて、切符売場というより、どちらかというと
刑務所の面会室を連想させるようなたたずまいじゃん。

ちなみに、ここは切符売場だけじゃなくツーリスト・インフォなんかも兼ねてるようで、
入口でこういう「目的別順番カード」を受け取る必要があるのだ。日本の銀行窓口と同じ。
切符を買いたきゃ上から三つ目の「Ticket」ボタンを押すと、番号を印字した紙が出てくる。
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天井にはこんな風に「何番の客はどのカウンターに行け」って表示があるから、
自分の番が来たらそのカウンターに行けばいいというわけ。
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これだけの認識に到達するまでに、イ課長たちはかなりオタオタして時間をかけたんだけど、
この記事を読んだ読者はもうブダペスト東駅に行っても鼻歌気分でスイスイだね(笑)。

ハンガリーにおいては自分たちが完全な文盲&失語症であることはわかってたから
プリントアウトした列車時刻表の、乗りたい列車ンとこにマル印をつけて職員に提示した。
「2枚」とか多少は言葉のやり取りがあったけど、その辺は英語でこと足りた。

ブダペスト東駅で買った帰りの切符はこれ。
日付らしき数字がグニョグニョ手書きで記入されてるあたり、アナログ的雰囲気が濃厚で
A4の用紙でプリントアウトしたÖBBの切符とは全然違う。イイネ!
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次はハンガリー通貨の両替だ。ハンガリーの通貨は「フォリント」という。
このフォリント、余ってもハンガリーの外に出たら他の通貨に再両替するのは困難らしい。
帰る直前にハンガリー国内でユーロに再両替はできるだろうけど、手数料2度とられるのも
バカバカしいから少なめに両替して、使い切っちゃう方がいい(それでも最後に余ったのだが)。
フォリント紙幣の写真を撮ってこなかったから、拾いモノで勘弁してちょうだい。
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さぁ、これでケレティプで必ずやっておくべきことは二つともやったぞ。
あとは帰りの列車が出る19:10までの間、好きなよ~~にブダペストの街を観光できるのだ。
まずはブダペストに来た観光客なら誰もが訪れるマーチャーシュ聖堂あたりから
制覇してみようではないか。

だがしかし、イ課長&トホ妻は公共交通機関だけが頼りの、ビンボ根性丸出しの個人旅行者。
我々をマーチャーシュ教会に連れてってくれる人は誰もいない。
加えて二人ともハンガリーではカンペキな文盲&失語症ときた(笑)。

マーチャーシュ聖堂に無事たどり着く自信なんてまーーったくなかったのである。
あるのは「たぶん何とかなるんじゃない?」という安易な見通しだけで…
(つづく)





by tohoiwanya | 2012-01-10 00:16 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(16)
2012年 01月 07日

ブダペストに行こう! -その1-

さてだ。
年も明けたことだし、未着手だったウィーン旅行の大ネタにいよいよ取りかかろう。

その大ネタとはウィーン旅行中の一日を費やしたブダペスト日帰り観光なのである。
この日帰り旅行記は長いと思う。ブダペストについて書きたいことはたくさんある。


東ヨーロッパ、ハンガリーの首都…
「ドナウの真珠」と讃えられる美しき街・ブダペスト



…と、こう書くだけですでにこのブログ内にロマンチックな空気が漂い始めるではないか(笑)。

イ課長はこれまでの人生でいわゆる「旧共産圏の東欧」に行った経験って一度しかない。
それは2007年の欧州出張でチェコのプラハに2泊した時で、それ以外は絶無なのだ。

ウィーンと言やぁ、地理的にも歴史的にも東ヨーロッパへの玄関口。
ここまで来たら、まだ行ったことのない東欧の街に、日帰りでいいから足を伸ばしたい。
「ウィーンから鉄道か船で日帰りで行けるところ」に的を絞って検討すると、有力候補は二つ。

候補1はスロバキアの首都・ブラチスラヴァ。ドナウ川を船で下って2時間くらいで行ける。
もう一つはハンガリーの首都・ブダペストだ。こちらは鉄道で約3時間弱。

うーーーん…ドナウ川を船に乗ってブラチスラヴァというのも確かに魅力的だが
二つの街を並べられるとイ課長の心はやっぱり「ドナウの真珠・ブダペスト」に傾く。
生まれて初めてハンガリーに、ブダペストに行こうじゃないか!

というわけで、ウィーン滞在4日目、2011年6月7日にイ課長とトホ妻はブダペストまでの
行きの切符だけ握りしめ、朝6時にホテルを出て、ウィーン・マイドリンク駅に向かった。
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とりあえず往路の切符だけは事前にネットで予約し、プリントアウトしてあった。。
切符予約方法については後日詳しくご紹介するけど、オーストリア連邦鉄道(ÖBB)のサイトで
できるのだ。この辺はドイツのDBやフランスのSNCFと同じ。

ただし帰路、つまりブダペストからウィーンのチケットはなぜか同じサイトで予約できなかった。
理由はよくわからないんだけど、イ課長の推測では「オーストリアからハンガリーへの切符は
オーストリア発行、ハンガリーからオーストリアへの切符はハンガリー発行だから」
じゃないかって気がするんだよなぁ。ハンガリーの切符発行システムはまだネット予約
できるほど高度化してないんじゃないかなぁ?

まぁこういう違いも、別の見方をすれば「東欧らしさ」といえる。
西ヨーロッパとまるっきり同じようなハンガリーなんて、つまんないやん。
旧共産圏の雰囲気って、プラハではあまり感じなかったけど、旧東ドイツでは感じた。
果たしてハンガリーはどうなのか?期待は高まるのである。

予約した列車は7:09発。マイドリンク駅から出発…と、当日までそう思ってたけど、
実はブダペスト行き列車の始発駅は西駅みたいで、イ課長たちが待ち構えてたマイドリンク駅は
二つ目の停車駅っぽい。東北新幹線の東京駅と上野駅みたいな感じ?
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まぁウィーンから乗る方はそれでもまだいいのだ。ちゃんと乗れたんだし。
問題はブダペストで降りる駅だ。モノの本によるとブダペストへの国際列車の多くは
「東駅」というところに着くらしい。イ課長たちが乗った7:09発の列車もまた
終点・東駅に到着すると推測されるのだが…だが…まぁ下の画面を見てほしい。
(日付が2012年の1月4日になってるけど、これはまぁ気にしないで…)

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上段がウィーン・マイドリンク発7:09。それはいい。問題は下段の9:49着の駅だ。
この単語、イ課長には「ブダペスト-ケレティ プ」以外に読みようがない。
ハンガリー語では「東駅」を「ケレティ プ」って言うの?

下の画面を見るとわかるように、ウィーンからの列車は必ずまず「デリ プ」に停まり、
その4分後に終点「ケレティ プ」に着くらしい。
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ここから推測されるのはハンガリー語で「駅」は「プ」って言うらしいってことだ。ぷ?!
それとも pu ってのはハウプトバーンホフ(中央駅)をHbfって書くみたいな略称なのかな?

これまでイ課長も海外で駅のことをステーションとかバーンホフとかギャールとか
いろいろ呼んできたけど なんて聞いたこともないよ。どの言葉とも似ても似つかない。
さすがは東欧。やっぱこうでなくちゃ。

東方民族の血をひくといわれているハンガリー人。ハンガリー語もラテン語起源の
西欧言語とは根本的に違い、言語学的にはむしろアジアの言葉に近いって話を聞いたことがある。
いやワクワクしてくるなー。駅名からしてもうすでにチンプンカンプンだもんね。
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こうして、期待高まるイ課長とトホ妻を乗せ、オーストリア連邦鉄道の特急列車は
ブダペストのケレティ・プに向けてひた走るのであった。


…と、とりあえずブダペスト行きの列車に乗り込んだところまで進行したブダペスト旅行記。
まだまだ続きますが、よろしくおつきあい下さい。




by tohoiwanya | 2012-01-07 00:10 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(6)
2011年 12月 13日

マジョリカ・ハウス

まだ生温かい今回の出張ネタは当然いっぱいある。
しかし、今日もまた6月のウィーン旅行ネタを消化を優先しようではないか。
何しろいーーっぱい残ってるんだから(笑)。

本日はウィーン世紀末建築ネタ。
今回の旅行では特にオットー・ワーグナーの作品を見てまわったんだけど、
その中からご紹介しよう。

その名もマジョリカ・ハウス。
オットー・ワーグナーが設計した集合住宅で、世紀末時代のマンションといったところか。
調べてみたら、これが作られたのは1898年つうから、今から110年以上前。しかし現在でも
ちゃんと現役の集合住宅として使われてて、まぁウィーンに限らずヨーロッパの石造建築なら
100年くらい前のものを使い続けることなんて、さして珍しくもないのだ。

ここは正確にはオーットー・ワーグナー設計の集合住宅が2軒並んでて、
一つは「マジョリカ・ハウス」、一つは「メダイヨン・ハウス」と呼ばれてる。
どちらもそのファサードのデザインからとったあだ名で、
特に色鮮やかなマジョリカ陶板(っていうのがあるらしい)を一面に敷き詰めた
マジョリカ・ハウスが有名だから、2軒まとめてこう呼ばれることもある。

これがマジョリカ・ハウスの正面。ここもホテルから近かったんだよねー。
例の「さようならミシクス」を買ったスーパーの、もうちょっと先にある。
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これはねー、写真で知ってはいたけど実物を見るとやっぱりすごい。
遠景もすごいけど、近くから見ると建物の隅々まで凝った意匠がギュッと詰まってて
その凝りっぷりに驚くね。
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こういう模様見てると、「まるでミュシャの絵の背景みたいだなー」と思っちゃう。
ウィーン世紀末美術はパリのアール・ヌーボーの影響をハゲしくうけてるから
当然ちゃ当然なんだが、改めてこの二つの美術潮流の共通性に感心する。

曇り空だったからわかりづらいかもしれないけど、建物のヒサシの裏までビッシリ
鮮やかな色のタイルで飾られている。テラスの手すりの凝った装飾もすごいよね。
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その隣にあるのがメダイヨン・ハウス。
一見するとマジョリカ・ハウスにくらべて装飾が少ないかな?と思えるけど、
こちらもまた細部をよく見ると尋常ではない凝り方だ。
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この葉っぱとかすごい。この建物だけのために特注で作ったのは明らかで、
すごいお金がかかってそうだ。施主はよくオッケーしたなぁ。
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これだけリッチな建物をポンと有名建築家に注文建築で発注しちゃうくらい、
当時のウィーンは経済的に豊かだったということなのかもしれない。

オットー・ワーグナー設計のカールスプラッツ駅舎を眺め、
オルブリッヒ設計の分離派館を眺め、
そこからぶらぶらとナッシュマルクトの美味しそうなレストランや食材店を眺めながら
歩いてると、やがて右手にこのマジョリカ・ハウスがドンと現れる。

マジョリカ・ハウスを写真に撮って、くるりと振り返るとそこには
ケッテンブリュッケンガッセの地下鉄駅。この駅舎もまたオットーワーグナーの作品だ。
さっきのカールス・プラッツ駅からちょうど地下鉄一駅分だけ歩いたことになる。
ウィーン世紀末建築散策であれば、これはお勧めしたいコースだ(←エラそうに)。
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パリの建築のそこかしこにアール・ヌーボーが残っているように、
ウィーンを歩けばあちこちで世紀末建築にぶつかる。

この魅力ある二つの街に今年両方行くことが出来たのは、こうして振り返ると、
けっこう嬉しい出来事だったといえるかもしれない。
片方はクソ寒い時期の、しかも仕事で行った出張だったとはいえ。




by tohoiwanya | 2011-12-13 22:29 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(4)
2011年 12月 10日

オーストリアにアレがいるわけないだろ!

時差ボケからようやく回復しつつあるイ課長。
本日は久しぶりのウィーンネタ。

6月の旅行の時、どこに行くのかと聞かれると必ずこう答えた。

ウィーンに行くんです

これはウソでもないし、間違いでもない。
でもこう答えるときのイ課長の中に、ほんのちょびっとだけ
「都市の名前を言う方が、国の名前を言うより相手の間違いが少ないだろう」という
気持ちがあったことは否定できない。どういうことかというと、つまり…

オーストリアに行くんです

って答えると、相手がオーストラリアと聞き違い(勘違い)して、
イ課長がコアラやカンガルーと戯れに行くと誤解される可能性がないとはいえない。
「ウィーンに行く」って言えばそういう誤解をされることはないからね。

亡くなった指揮者の岩城宏之が以前にエッセイの中で
「こんど仕事でウィーンに行く」って言うと、少なからぬ相手が
「ああ、ドイツは音楽の国だから、いいですね」って反応するってことを書いてた。
ウィーンがオーストリアの首都だってことをつい忘れてる人も多いみたいだ。

こう考えるとオーストリアって国が気の毒にも思える。
時にはオーストラリアと間違えられたり(まぁ名前が似てるからしょうがないんだけどさ)
時にはドイツの一部と思い込まれたりして、オーストリアという自分の国の存在感が
低いなぁと思ってるオーストリア人は少なくないんじゃないかと思う。

逆にオーストリアの人は海外で「どこからいらしたんですか?」って聞かれたとき
何て答えるんだろう?

「オーストリアから来ました」っていうんだろうか?
いや、けっこう「ウィーンから来ました」とか「ザルツブルグから来ました」とか
国じゃなく、街の名前で答える人がいるんじゃないかって気がする。
それは上述のように、オーストラリアと混同されるのを避けるためで、
なぜそんなことを考えたかっていうと、イ課長が6月のウィーン旅行中に
街の土産物屋でこんなTシャツを見つけたからだ。


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オーストリアにカンガルーはいません


あっはははははは!これをウィーンの土産物屋で最初に見たときはホントに笑った。
誰が考えたのかなぁ?これはサイコウにおかしい。


「どこからいらしたんですか?」
「オーストリアから来ました」
「あらオースト(ラ)リアですか、いいですねーカンガルーがいるんですよねー」
「いえ、あの…オーストリアから来たんです、オーストラリアじゃなく…」

たぶん、オーストリアの人は海外でのこういう会話にウンザリしてるんだろうなぁ。
その怨念?がついにこういうTシャツを作らせたに違いない。

オーストラリアなんかよりオーストリアの方が国としての歴史は断然古い。
オーストリアの人からすればオーストラリアは「自分と似た名前の新参者」だ。

しかも、オーストラリアがまだ未開の大地だった頃、オーストリアは欧州屈指の大帝国
だったわけで、オーストリアの人にしてみりゃ「オーストラリアに間違われる」ってのは
面白くないはずだ。

しかし不幸にして名前が似てて、混同されやすいのはいかんともし難い。
こうして二つの国を連続して何度も書いてるイ課長だって打ち間違えるくらいだ(笑)
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これまで海外でいろんなTシャツを買ったけど、まぁ大体はその街(国)の名前や
シンボル的な建物なんかがプリントされてるもので、デザインとしてはごく“安全”な
ものといえる。たとえばこのベルリンで買ったTシャツみたいにね。

その中でこの「オーストリアにカンガルーはいません」Tシャツは出色の発想だと思うよ。
オーストリア人のウンザリをそのままジョークにしちゃったようなこのTシャツ。
イ課長はいっぺんで気に入って、自分用に黒いのを1着購入したのである。
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by tohoiwanya | 2011-12-10 16:57 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(8)
2011年 11月 17日

ウィーンで発見したヘンなスナック菓子

何とか風邪から立ち直りつつあるイ課長です。

さて、海外出張前のウィーン小ネタ放出シリーズ。
今回は尾籠な話ではない。くだらない話である(笑)。

イ課長は海外に行くと、その土地のスーパーマーケットに行くことを好む。
ガイコクのスーパーマーケットを見るのは楽しい。しかし、ただ楽しいだけじゃなく、
イ課長が現地のスーパーに行くのは缶ビールを調達するという実際的な目的もあるのだ。

ウィーンでは最初の数日間はカールスプラッツ駅の売店でビールを買ってた。
しかし、こういう売店で買うよりスーパーで買う方が安いんじゃないだろうか?
(海外では店によって缶ビールの値段がけっこう違うことがある)
どっかホテルの近くにスーパー、ないかなぁ?と思ってた。

これがあったんだよ。

ホテルの近くのナッシュマルクトの通りを下ってすぐ右側に
BILLAという名前のスーパーがあった。なーんだ、こんな近くにあったんだ。
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これまで出張でドイツやアメリカやシンガポールのスーパーマーケットを見てきたけど
スーパーっていうのは驚くほど、どの国でも同じようなツクリになってるね。
まぁそういう意味じゃ「海外スタンダード」の店舗形態が日本に普及し、日本人が
それに慣れたってことだろうけど、ホント、どの国に行ってもスーパーでは
商品探しで戸惑うなんてことがない。
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スーパーを発見したんで、さっそく缶ビールを何本も買い込んだ。
ついでに何かつまみが欲しいところだよな。ポテトチップスか何か買おうと思って
カワキモノを探していたとき、イ課長はある商品を発見した。

いわゆる、海外によくある「ヘンな日本語商品」のタグイだ。
東南アジアとかならともかく、まさかオーストリアでそんなものを見つけるとは
思ってなかったから、発見するやいなや、イ課長はそれをカゴに放り込んでいた(笑)。

ホテルに戻ってじっくり眺めた。
うーむ…ヘンな商品だ。これはじっくりデジカメに収めておこうではないか。

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さようならミシクス。みしくすだもんね。

「ミシクス」が「ミックス」の誤植であるのは明らかだが、しかしさぁ、一応は
商品として量産して市場に出そうっていうんだから、とりあえず商品名ロゴくらいは
正しい日本語かどうかチェックする体制が欲しかったところだよなー。
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しかもこの sayonara の オーの字の上にあるニョロ印はナンなんだ?
ドイツ語にこんな表記あったっけ?これ、もしかするとフランスとかスペインとかの製品?
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いやしかし、後ろにビッシリ書かれてる文字はどう見てもドイツ語っぽい。
ってことはやっぱりドイツ・オーストリア圏で作られたスナック菓子なんだろう。
よくわからんなー。

大体、商品名のアタマに「さようなら」はどんなもんかねぇ?
これがアウフヴィーダーゼーエン(ドイツ語のさようなら)だと知ってのことか?
浜松名物うなぎパイは「夜のお菓子」として有名だが、
さようならミシクスは「別れのお菓子」なのか?

こういうの見てると面白いよねぇ。
ヨーロッパの人たちが考える「ニホン」のイメージってやっぱり
こういうものなんだなぁと再発見できる。

お寺の塔、稲作が広がった風景(なのかな?これは)、そして円錐の編み笠。
これこそ東洋なのだ。日本なのだ。
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そして最後の決定打がこの「ジョー」。日本人にそんな名前いないぞ?
サングラスをかけたキャラクターよ、キミの名前がジョーなのか?
ジョーとは何だ?教えろ!教えるんだジョーー!!

ちなみに、この「さようならミシクス」。
一体なんで日本風の商品名・商品デザインにしたのかという理由は
食ってみてある程度推測できた。中にワサビ味のついたせんべい(というかスナック)が
混じってるんだよ。だから東洋風→日本風でいこう、と、そういうことらしい。

まぁビールのつまみとしてはなかなかマッチしてたよ、おいしかったよ、ジョー。

アナタもウィーン旅行の際のビールのお供には
ぜひ「さようならミシクス」をおためしください(笑)。





by tohoiwanya | 2011-11-17 00:24 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(4)
2011年 11月 10日

ウィーン路地裏で見つけたナゾ

さてだ。

あと10日もすればイ課長は「行く前からグッタリ長期海外出張」にご出発だ。
それまでにウィーン旅行ネタを少しでも書いておきたい。そうしないと、帰国後は
新たに出張ネタというかなりの在庫が発生するのは避けられないし(笑)。

とはいえ、書き尽くすのに何回もかかるような大ネタには着手しづらいから、
今日は、いかにもウィーンらしい小ネタでいってみよう。

旅行中、イ課長とトホ妻はウィーン旧市街の細い路地をあっちこっち歩き回った。
ウィーン旧市街の、入り組んだ細い路地をあてもなく歩くのはとても素敵な経験なのだ。

ウィーン旧市街の中心であるザンクト・シュテファンの周囲は石畳の太い道・細い道が
迷路みたいに入り組んでて、うっかり入り込むと迷子になっちまいそうなんだけど、
迷子になるのも悪くないな、というくらい情緒ある路地が続いているのだ。
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石畳の道って、それだけでいかにも歴史あるヨーロッパの街って感じがして、
道の向こうにどんな路地裏風景が待ってるんだろうかと思って、つい歩いて行きたくなる。

そうするとたとえばこんな風に裏道にはしゃれたカフェがあったりする。
うーむ…これまた実にシャレたヨーロッパの路地裏風景って感じじゃないか。
向こうはどんな感じなんだ?てな具合でどんどん路地から路地へとさまよい歩き、
次々と撮影意欲をかきたてる光景に出くわし、次々と写真を撮りたくなるわけだ。
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うっひゃー。この細い道なんてまるっきり中世そのものって感じだ。
向こうから口をヘの字に曲げて難しい顔をしたベートーヴェンでも歩いてきそうじゃん。
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…という具合に、ウィーンの路地裏散歩は本当に飽きることがない。
まさに飽くことなく散歩したくなる、魅力あふれる街並みなんだが…

さて、そんな風に散歩してると、ときどき地面にヘンなものを見かける。
下の写真がそうだ。右下の、建物と歩道の境目に石のコブみたいなものが出っ張ってる。
これは一体なんだ?
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ほら、こっちにはもう少しデカいやつがいくつも出っ張ってる。
こんな風に、古い路地裏には建物から路地に向かって出っ張ったコブ状の物体を
ところどころで見かけるんだよ。さて、これは一体何なのか?
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実はウィーン在住・kenwanさんのブログでもこのコブのことに触れてたことがあって
イ課長は「これはたぶん“馬車よけ”では?」ってコメントを書いたことがあるのだ。

馬車よけ。それは何か?

イ課長もよくは知らないんだけどさ(笑)。
都市改造される前の、中世の街並を残してた頃のパリの古い写真で、
こんな感じの「馬車よけ」のコブがあるのを本で見たことがあるんだよ。

中世から続くヨーロッパの都市はウィーンであれパリであれ、大体こんな感じで
石畳の路地が複雑に交錯しているってうのが普通だ。道幅もごく狭い。

そこを2頭立てだの4頭立てだのの馬車がガラガラと走っていくわけだ。
道を歩く人は建物の壁にぴったりくっついてよけなきゃならん。ところがだ。

建物の壁が真っ平らだと(普通はそうだが)、歩行者がいくら壁にぴったりくっついて
馬車をよけようとしても、馬車の方が右や左に寄っただけで車輪にひかれちまう。

そこで、歩行者保護のために「馬車よけ」の登場…と、どうもそういうことらしい。
このデッパリがあれば、細い道で馬車をよけた人間がひかれることはない。
なーるほどね。このデッパリ、作りはけっこう雑で簡単だけど、要するに見た目は
どうでもよくて、出っ張ってさえいえれば交通安全の機能を果たしてるわけだ。

…ということをパリの本で読んだことがあったから、ウィーンでこのデッパリを
目にしたときは「おお、昔の馬車よけが残ってる」と思って嬉しくなった。

ところだが。
そう。話がここでスンナリ終わらないのがイ課長ブログのいいところ(笑)。

実はウィーンの路地裏散歩中にこんなものを見かけた。
あまりに不思議なものなんで、写真に撮っておいた。
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問題は黒い消火栓ではない。トゲ?の生えた茶色い金属製の…この…ナニかだ。
これ、何だと思う?イ課長にもこれはわからないんだよ。

ここはちょうど建物のコーナー部分なんだけど、そこが普通の直角になってなくて、
こんな風に少し凹んだ構造になってる。そこにこうやって金属製のサク?がある。

何だろう?これ。
建物が直角に凹んだところをガードするように設置された、この柵(なのかなぁ?)。

「この凹みに入らせないための柵」のように見える。
しかし、またぐか、くぐるかすれば入れるはずだし、どうも中途半端なのだが…
そもそも、この凹んだ狭いカドッコを立ち入り禁止にする意味があるのだろうか…??

例によって「イ課長の仮説」がいろいろ湧いてくる。
しかし、今回はどれも自信がないよ、我ながら(笑)。

①実はこれも馬車よけ
 馬車の車輪がこの凹みのヘリにぶつからないようにするため…いやしかし、
 その用途にしてはやけに柵が内側すぎる。昔はこの消火栓がなかったと仮定しても
 馬車の衝突防止用の柵っていう説はやや無理があるよなぁ。

②馬をつないでおくための柵
 ほら、よく西部劇なんかで馬を降りたガンマンが馬を“駐車”するために
 入口ワキのベランダの手すりとかに手綱を結んだりするじゃん?
 それと同じように、ここに手綱を結んで馬を待たせてたんじゃないかなー?
 柵から出てるトゲ?は結んだ手綱がほどけないようにするためのもので…
 
③立ち小便を阻止するための柵
 個人的にはけっこうこれが有力だと思う。位置的にいかにも「適地」だし(笑)。
 中世の頃はそこらで排出したり、自分の家で排出したものを後で外の道に捨てる
 なんてことが多かったことは歴史的事実。ここが「いい場所」で、立ち小便するヤツが
 後を絶たなかったために、業を煮やした家主がトゲの生えた柵を作ったと。

イ課長の思いつく仮説はこの3つだ。
どれも説得力はイマイチだが(笑)、さて、この柵は一体何のために存在しているのか?
真実をご存知の方がいたら、ぜひご教示いただきたいのである。

 


by tohoiwanya | 2011-11-10 00:26 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(6)
2011年 10月 31日

バルーンじいさんの噴水 【第三の男】

土日もノートパソコンを自宅に持参して、出張準備のために
出張同行者や旅行代理店や現地通訳さん等々とのメール連絡に忙殺されるイ課長です。

週が始まる前から仕事でぐったりって何なのだ。
しかも今週水曜日にはまた日帰りで岐阜出張が待ってる。イ課長、死ぬかも(笑)。

ということで、本日は「第三の男」の“あの場所”シリーズの小ネタで行こう。
他に大ネタもあるにはあるが、じっくり書いてる余裕がない。まったくもう…。

さて、「第三の男」の小ネタ。
あの映画をご覧になった方には「バルーンじいさん」というだけで、
「ああ、あそこの場面?」とお思いになるかもしれないが。

映画終盤のクライマックス。
ホリー・マーチンスを“エサ”にして、ハリー・ライムをおびき出して逮捕するために、
待ち合わせ予定のカフェの周りには厳重な警戒網がしかれている。
トレバー・ハワード演じるキャロウェイ少佐もこうしてハリーを逮捕するために
物陰にひそんでる。
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そこへ、男の影が近づいてくる。
すわ、ハリー・ライムいよいよ現れたか! …と、逮捕しようと待ち構えてる軍隊も、
オトリになったホリー・マーチンスも、そして観客もイッキに緊張感が高まる。
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ところが、それはハリーではなく風船売りのおじいさんであった。
思わず大きく息を吐いて緊張を解く、というわけなんだけど、このシーンは
極めて印象的で、この映画を見た人なら覚えてるはずだ。
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さて、このバルーンじいさんが現れた時のショット。
右の方に長いヒゲを生やした人物や大きく口を開けて上を見上げてる彫刻が写ってる。
これは一体ドコなんだろうか?今でもこの彫刻はあるんだろうか?

ハリー・ライムのアパートの記事を書いたときにも触れたけど、
ココのサイトに行くと、この場面がどこなのかもちゃんとわかるのだ。何てすごいんだ。

この彫刻、実はミヒャエル・プラッツに面した噴水にあるんだよ。
ハリー・ライムのアパートのロケ現場から歩いて1分で、本当にすぐそばだ。

ほら、これが現在の姿。
撮る角度が映画と少しズレてるし、街は映画当時より圧倒的にキレイになってるけど、
彫刻はもとより、後ろの3階建ての建物や大きな屋根なんて全く当時と変わってない。
左側の角の建物もHALDERってう店の名前まで変わってない!これには驚いた。
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60年以上前に作られた映画にもかかわらずここまで変わってないなんて。
日本の木造建築だったら「60年前のまま」なんて、まず無理なハナシで、
石造建築の欧州ならでは、ということなんだろうなぁ。

ミヒャエル・プラッツっていうのはこんな感じ。
この写真の奥の方、建物をクリ抜いたところにあるのがこの噴水で、
そのちょっと左に見えるトンネルをくぐると、ハリー・ライムのアパートがある。
この一角は「第三の男」の重要な撮影ポイントだったわけだ。
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というわけで、本日は「第三の男」を訪ねる旅の小ネタでした。
他にも超有名シーンの撮影地点に行ってるんだけど、それはイ課長がもうちょっと
落ち着いてからじっくり書くことにするよ。


しかし、出張出発まで落ち着ける日なんてくるんだろうか?(深いタメイキ)




by tohoiwanya | 2011-10-31 00:05 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(0)
2011年 10月 28日

ヨカナーンの首が欲しゅうございます

さてサロメだ。

幕があがると、舞台は…何と言ったらいいか…谷底みたいな感じのセットになってる。
そのセットにはまるでクリムトみたいなウィーン世紀末絵画風の模様が描かれてて、
すでに妖しいムードいっぱいだ。

何せ天下のウィーン国立歌劇場。しかもドイツ語オペラの「サロメ」。
主役のサロメも、ヘロデ(サロメの義父)も、ヘロディアス(サロメの実母)も
ヨカナーンも、歌手陣は文句のつけようもない見事さだ。

え?どの歌手が誰を演じたかって?忘れちゃったよそんなの(笑)。
サロメ役のソプラノが…えーと…だめ、やっぱ忘れた。
そんなに太ったオバハンなんかじゃなくて、7つのヴェールの踊りを踊っても
視覚的なムリはなさそうなソプラノ歌手だ。

後半、ヘロデ王がサロメの舞を所望して「サロメ!頼むからわしのために踊ってくれ、
踊ってくれたらお前の欲しいものを何でもやる。たとえわしの王国の半分でも!
」と
有名なセリフを吐く。
ここでサロメが鋭い目つきでヘロデ王をハタとにらんで「その言葉に偽りはありませんね?
神に誓えますね?
」と念を押すのは妖女サロメの見せ場の一つだ。ぞくぞく…。

そしていよいよ7つのヴェールの踊り。
サロメは一度舞台から引っ込んで身支度をする。「用意ができたわ」と舞台のソデから
声をかけていよいよ激しい踊りの音楽が始まるわけだが・・・

踊りの衣装を着て出てきたサロメを見て「うわぁ」と思ったよ。
エロだから?いやいやとんでもない。その逆。すごく重ね着してるからだ(笑)。

これって要するに設定通り律儀に7枚のヴェールを順々に脱いでいくってことなんだろうけど
薄いヴェールでも7枚も重ねると重くて暑苦しそうだよ。歌手も大変だなぁ…。

踊りが盛り上がるにつれ、お約束通り一枚ずつヴェールを投げ捨てていく。
最後の一枚を脱いで、確かに肌は多めに露出していたようだったけど、
全然エロって感じではなかった・・つうか、そもそもよく見えなかったし(笑)。

まぁね、別にエロは最初から期待していなかった。
この夜、イ課長が一番カンドウしたのは実はオーケストラなんだよ。
ウィーン国立歌劇場管弦楽団、まぁ要するにウィーン・フィルだ。

オケはスゴかったねーーー。
サロメがヨカナーンの実物を見たがって、ねだって地下牢から出す場面がある。
ここはヨカナーンの最初の登場シーンで、オケは「ヨカナーンのテーマ」を
ここぞとばかり、鳴らしに鳴らすだろうと思っていたら・・・

おや、意外に抑制されてるじゃん。「鳴らしまくる」って感じは全然ない。
「さすが、きちっとコントロールされてるなぁ」と、その時は感心したんだけど、
それは最初の方だけ(笑)。

いよいよ最後の見せ場。サロメがヨカナーンの生首を手に抱えて
ああ、私はついにお前の唇に接吻できるのだわ、ヨカナ〜ン♥」と官能的旋律を
これでもかとばかりに高らかに歌う。

ところが、それを上回るかのようにオケがもう鳴らす鳴らす。びっくりしたよ。
CDじゃ気がつかなかったような音もいっぱい聞こえてくる。
「ココんとこで、こんな楽器つかってたんだ」って箇所がいくつもあって、
その熱っぽい演奏には圧倒された。

それだけ鳴らしまくってももちろん音楽は一糸乱れることなく、ウムを言わせず
聴衆を背徳と官能の絶頂へといざなう。うおおおお。すごすぎます。

…と、写真もなく一人で興奮してるけど、まぁ舞台の写真は撮れないわけだから
ご容赦いただくしかない。実は来年のウィーン国利歌劇場の来日引越し公演では
イ課長たちが見た、このプロダクションで「サロメ」を持ってくるんだよね。
その来日公演の宣伝サイトから写真をお借りした。
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いやぁ~・・・嬉しかったなぁ。
休憩中やカーテンコールの時、イ課長は何度も客席の天井を見上げた。
そこには20年前の新婚旅行で見たときと同じシャンデリアがある。
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あの時「死ぬまでにこのシャンデリアをもう一度見ることはないだろう」と
切ない気持になったって前に書いたけど、今こうして年老いて、また来られたなんて。
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あーーー嬉しかった。ここに来られてよかった。
いつまでも幸福感に浸った2011年6月6日、ウィーンの夜なのでありました。





by tohoiwanya | 2011-10-28 00:29 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(2)
2011年 10月 25日

ウィーンでオペラを観る

ウィーンネタをこれまでだいぶ書いてきたけど、ようやく音楽の都・ウィーンらしく
オペラの話題をご紹介できることは、オペラファンのイ課長にとって大きな喜びです。

ドナウ川観光したり、フンデルトヴァッサーの清掃工場を見たあの日の夜、
お待ちかね、ウィーン国立歌劇場におけるオペラ鑑賞が待っていたのである。

思えば、この夜のチケットを日本でネット予約したのは、東日本大震災前だったわけで
ゲキドウの何ヶ月かをくぐり抜けて、いまこうして着飾った人たちに混じって自分たちが
ウィーン国立歌劇場にオペラを観にきてることが夢のようだったなぁ。
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中に入ってみよう。
パリのオペラ座ほどキンキラキンじゃないけど、中は非常に豪華だ。
新婚旅行の時も来たんだけど、あの時はテッペンの安い席のチケットだったから、
いきなり長い階段を登らされて、こうして中の様子をじっくり観察する余裕がなかったんだよね。
今回は少し早めに入って、劇場の中をたっぷり拝見させていただくことにした。
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こっちでは紳士・淑女たちが開演前のお飲物だ。
ちなみに、国立歌劇場にご来場のウィーン市民および観光客の服装だけど、
男はダークカラーのスーツ、御婦人はちょっとおしゃれなワンピースってあたりが
平均的なところで、何もタキシードやイブニングドレス着る必要なんてないのだ。
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もっとも、海外旅行に「ごく普通のフォーマルウエア」を持ってくのもけっこう面倒臭い。
今回、我々は1週間の滞在中にこの日を含めて3回オペラ・音楽会に行く予定だったから、
イ課長は黒のスタンドカラーシャツとジャケット、チノパンを「音楽会用セット」として持っていき、
昼間の観光ではそれを着ず、逆に夜の音楽会は3回ともそれを着た(笑)。

お?こっちではグスタフ・マーラーに関する展示をやってる。
2011年はマーラーの没後100年にあたるし、何てったって彼はかつてウィーン国立歌劇場の
音楽監督だった人だから、特別展ってことなんだろう。
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マーラーって作曲家っていうイメージが強いけど、この劇場の音楽監督だった頃は
非常に有能・辣腕で鳴らした人だったと言われてる。

昔は国立歌劇場も「社交界の延長上」的なところがあって、周囲の注目を集めるために
「わざと遅れてきて、開演後に客席に入る」なんてアホウな客がけっこういたらしいんだけど、
マーラーは周囲の反対を押し切って開演後の客の入場を禁止する措置をとったりして、
ウィーン・オペラの近代化にずいぶん貢献したらしい。
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客席に入ってみる。まだ早いから客も少ないね。
写真を見てわかる通り、イ課長たちの席は舞台に向かって右の、かなり上の方の席だけど、
最前列なのが値打ち。ちなみに、料金は74ユーロ。ユーロ安の今なら8000円くらいだけど
予約した頃はもうちょっと高かったはず。
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びっくりしたのはこんな風に目の前に小さな字幕ボードが設置されてることだ。
(後ろの席の人は、おそらく前の座席の背にコレがあるんだと思う)。
おそらく英語とドイツ語の字幕が出るんだろうけど、我々は全く見なかった。
今日の演目はよく知ってるから、字幕見なくても大体わかっているのだ。
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え?この夜の演目は何だったかって?


うふふ…


それはね…


リヒャルト・シュトラウス作曲のね…




「サロメ」だったのである。

「サロメ」と聞くと、イ課長が大昔に作っていたHPの読者は「え、アレ?」と思うかも。
あのおバカサイトにリンクを貼るのは恥ずかしいんだけど、「サロメ」がどんな
オペラであり、どこが特に見ものであるか、そして我々夫婦が「サロメ」に関して
過去どんな経験をしているか、ここを読んでいただくのが早い。
アダルトチェックは気にしないでいいからね(笑)。

オスカー・ワイルドが書いた有名な戯曲を元に作曲されたオペラ「サロメ」。
踊りの褒美に、サロメがヨカナーンの生首を所望し、その唇に接吻するという
19世紀文学中でも最も背徳的でスキャンダラスな題材を描いたオペラ「サロメ」。

パリで見たギュスターブ・モローもそうだけど、サロメという題材に魅せられた
芸術家はものすごく多くて、作曲家リヒャルト・シュトラウスもその一人だったわけだ。
「サロメ」は彼の作ったオペラの中でも最高傑作の一つに数えられる。

中でも劇中でサロメが踊る「7つのヴェールの踊り」は、曲の盛り上がりにつれて
サロメが1枚、2枚とヴェールを脱いでいき、最後は全裸になる…少なくとも設定上は
そういうことになっていて、このオペラのクライマックスだ。
上のリンク先でイ課長(いわんや)とトホ妻が言ってるように、舞台の上でソプラノ歌手が
本当に裸になっちゃうなんていうヤバい演出もコンニチではアリなんだよね。

まぁ天下のウィーン国立歌劇場の舞台で歌手が裸になるとは考えづらいけど、
しかし官能美を感じさせないサロメなんて、サロメじゃないのもまた事実。
今夜の「サロメ」はどんなんだろうなぁ?楽しみだなぁ。
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さて、いよいよ開演間近。客席も埋まってきたぞ。わくわく。
というわけで、この夜のサロメについては次回、詳細にご報告します。




by tohoiwanya | 2011-10-25 00:15 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(0)
2011年 10月 16日

カールスプラッツ駅舎

フンデルトヴァッサーの清掃工場の話をして、久しぶりにウィーンの建築に話題を転じたら
何と、まだカールス・プラッツ駅舎の紹介をしていなかったことに気がついた。
というわけで、本日はウィーン建築ネタを続けることにする。

カールスプラッツ駅舎というのはウィーン世紀末美術を代表する建築物であり、
ユーゲント・シュティール(端的に言えばウィーンにおけるアール・ヌーボー)の
建物といえば分離派館なんかと共に、たいてい真っ先に例に挙げられる。

分離派館とカールスプラッツ駅って実はすごく近い。
直線距離にすれば200mくらいしか離れてないんじゃないかな。
イ課長たちの宿泊ホテルから分離派館は徒歩約2分、従ってカールスプラッツ駅も
5分くらいの距離だったわけで、とにかく近くて、旅行中何度も目にしたよ。
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これがカールスプラッツ駅舎。建築家オットー・ワーグナーの代表作。
全く同じデザインの駅舎が向かい合って二つ建てられてて、これはその片方というわけだ。
現在は駅舎としては使われてなくて、片方はオットー・ワーグナーに関連した展示室、
片方はカフェとして使われてるみたいだ。

細部を見てみよう。
ここはとにかく「こんなとこまで…」と感心するくらい、建物の細部まで
キッチリと凝った装飾がなされている。ヒサシの裏までこんな感じなんだからねぇ。
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現代の感覚だと、鉄道駅の入口用建物にここまで凝った装飾は必要ないんじゃ?と思うけど、
こういうのが19世紀末から20世紀初め、アール・ヌーボー全盛期の流行だったんじゃないか?
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ギマールがデザインしたパリのメトロの出入り口が今でもアール・ヌーボーの傑作と言われるけど、
この時代の鉄道駅舎のデザインとしてウィーンとパリが図抜けて芸術的だ。
下はパリに旅行した時に撮ったメトロの入口。このアール・ヌーボー的ロゴは有名だよね。
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何かで読んだ話だと、オーットー・ワーグナーが設計したウィーン地下鉄駅舎シリーズの中で
このカールスプラッツ駅は言わば「豪華スペシャルバージョン」で、ここだけにしかない。
で、上にも書いたように今では駅としては使われてないわけだ。

しかしこのスペシャルバージョン以外に、言うなれば「汎用タイプ」というか、
あるいは「量産型」とでもいうべきタイプの駅舎も彼は設計してて、量産型の方は
今でもウィーン市内のあちこちでチャンと駅として使われてる。

旅行中に量産型の駅を何度か見たけど、たとえばこれ。泊まったホテルからもほど近くて、
ここは駅舎を見るだけじゃなく、実際にここを通って地下鉄に乗る機会があった。
しかしこうして改めてみると、入口の濃緑の柱の装飾とか、凝ってるよねぇ〜。
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中もこんな感じで、カールスプラッツ駅みたいに金を使った派手な装飾はないけど
それでも壁面の立体装飾は非常に凝ってる。ちょっと色がハゲてるが(笑)。
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ホームに降りる階段もほのかにユーゲント・シュティールの香りがただよう。
目立たないけど、白一色の壁に作り込まれた立体装飾が上品で美しい。
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「芸術は必要性にのみ従う」っていうのがオットー・ワーグナーの考え方だったそうで、
今でも使われてるこういう地下鉄駅を見ると、彼が建物の実用性というものを優先した上で、
そこに「美」をいかに盛り込むかに腐心したことが伺える。

今回の旅行ではオットー・ワーグナーの重要な作品をいくつか見ることが出来た。
これからもおいおい、ご紹介していきます。

しかし、月曜からは2泊3日で北陸出張。ホテルでブログ書けるかなぁ…??





by tohoiwanya | 2011-10-16 00:32 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(2)