人気ブログランキング |

タグ:ダーク・ツーリズム ( 29 ) タグの人気記事


2013年 09月 09日

プワショフ強制収容所跡地を行く

プワショフ強制収容所はシンドラーの工場からも近い。
下の方にある「ゲートの家」の西側に収容所があったのだ。今は草だらけの丘だが。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_2324353.jpg

収容所の当時の位置を示すとこうなる(写真はヨソからの借り物)。
この写真を見るとわかるように当時のものは何ひとつ残ってない。あるのは草と木だけ。
ただ、この丘を越えたところにモニュメント像があるはずだから、それを見ようと思った。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23243467.jpg

アーモン・ゲートの家の近くから、緩い斜面をのぼる。
といっても、踏みわけ道くらいしかない。地面は雨で濡れた草だらけだから、すでに
十分濡れていた靴はたちまちビショビショで、水がしみて靴下もビショビショ。あああ・・・。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23311634.jpg

シンドラーの工場やアーモン・ゲートの家くらいまでなら、それでもまだユダヤ人団体見学者もいた。
しかしこんな、ナニもない草原を、足を濡らしながら歩くヤツは一人もいない。さすがに「いくら何でも、
オレってモノズキすぎるのではないだろうか?」という自責の念が少し湧いてきた(笑)。

うわー、道に植物のトンネルができちゃってるよ。
こんなトコくぐったら、全身ビショビショになっちゃうじゃん。しかし今さら引き返すこともできん。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23321962.jpg

うわー、何だろアレ。
プワショフ強制収容所は全部「壊して、丘の下に埋めちゃった」って感じなんだと思うんだけど、
こうやってところどころ、かつての建物の一部が顔を出してるところもあるようだ。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23324476.jpg

このあたりから、イ課長の気持ちは急速に暗くなってきた。
何もない草ボウボウの丘といっても、その下にはかつての強制収容所が埋まってるのだ。
そして、そこで殺され、埋められ、そのまま忘れられたユダヤ人の遺体なんかもおそらくたくさん・・・
あああダメだ。ビルケナウで「死体を埋めた穴の跡」を見たときと同じような気分になってきた。

アッチはそれでもまだ「ここにそういうものがあった」と説明され、たくさんの人がそこを見学してる。
たとえて言うなら「参拝者の絶えないお墓」と言えるだろうけど、じゃ、ここプワショフは?

ここにはほかの見学者もいなけりゃ、ガイドさんもいない。誰もいない。
かつて強制収容所のあった場所だよ?この土の下には想像を絶する死と怨念が堆積している。
そんなダークな場所の重苦しさをイ課長ひとりで受け止めるの?


それ無理です。ムリ。ゆるして。


強制収容所跡地を徒歩で単独横断しようなんてプランを立てたことをちょっと後悔した。
アウシュビッツほどはっきりしてなくても、ここプワショフにも「死の匂い」はある。
そういうところをたった一人で歩くってね、そりゃイヤな気分だよ。もしこのまま道に迷って、
ずっとここにいたら気が狂うかも、なんてちょっと思った。とにかく早く丘を越えちまおう。
(2つめの写真でいうと、イ課長が歩いたのは3 Mass Graves:集団墓地のあたり。ひーー)

おおっデンデン虫だ。
「死の匂いの中に自分しかいない」という状況に、かなり挫けそうになってたから、
デンデン虫でも何でもいい、とにかく生き物に会えて少しホッとした(笑)。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23333762.jpg

道がだいぶ平坦になってきた。もう丘の頂上あたりじゃないだろうか?
だとすると、モニュメントが見えていいはずだが・・。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23342212.jpg

しばらく歩いたら発見した。丘を越えて行ったから、モニュメントの背中側から近づくことになる。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23344698.jpg

これがプワショフ強制収容所の慰霊碑というか、記念碑というか、とにかくモニュメントなのである。
当時のものは何一つ残ってなくて、後に設置されたこのモニュメントだけが、この場所の“悪しき記憶”に
つながるものと言っていいだろう。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23351194.jpg

真ん中が引き裂かれたようにビリッと割れたモニュメント。
これを見たことで、イ課長の「雨のクラクフ・ダークな旅」計画は一応完遂したことになる。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23353745.jpg

プワショフ強制収容所のモニュメントは、反対側の道路からだったら苦労なくのぼっていける。
ただ、この反対側の道路には市電が通ってないし、アーモン・ゲートの家も見たいイ課長としては
ヴェリチカ通り側から「収容所跡地の丘を歩いて越える」という方法をとったわけだ。
プワショフ強制収容所跡地を行く_f0189467_23362376.jpg

歩く距離自体は大したことはない。晴れた日だったら散歩コースとしてちょうどいいかもしれない。
しかし親切な人が多いポーランドとはいえ、女性の一人歩きは防犯上さすがにお勧めできない。
それに、いくら「何も残ってない丘」っつうたって、かつては強制収容所のあった場所。そこを歩いてれば
いろんなことを考え、いろんなことを感じる。丘の向こう側に着くころには精神的に疲労する。

しかもこの時のイ課長は前日にアウシュビッツ・ビルケナウでたっぷりとダークネスを注入されたばかり。
昨日の暗さがたっぷり残ってるところに、新たな暗さと重さがズシリ。さすがにもうダメ。

プワショフ強制収容所モニュメントから斜面をおりて反対側の大通りに出た。
暗くなった心と空腹を抱え、寒さに震え、雨に濡れながら市電の駅までビッコをひいて歩かねばならぬ。
前に書いたけど、この旅行中に右足の裏の皮がズルムケて痛かったんだよ)。

この時ばかりはね、「ダークな旅も・・・ちょっとツラいな・・」と思ったよ、さすがに(笑)。

 


by tohoiwanya | 2013-09-09 00:04 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(4)
2013年 09月 07日

映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家

雨のクラクフ、ダークな旅は続く。

シンドラーの工場を出たイ課長は、再び市電に乗り、ヴェリチカ通りを南東に向かった。
この先にプワショフ強制収容所跡地があり、残虐非道なサディスト所長として恐れられた
アーモン・ゲートの旧宅もその近くに残っているはずなのだ。

「シンドラーのリスト」をご覧になった方なら、レイフ・ファインズが演じたオニの収容所長
アーモン・ゲートの存在は忘れない。彼もシンドラーと同様に実在の人物なんだけど、
その評判はこれ以上悪くなりようがないくらい、悪い。

あの映画の中で最もいやなシーンの一つが、アーモン・ゲートが自宅のベランダから
タバコを吸いながら、ライフルで収容所にいる収容者を気まぐれに狙撃する場面だ。
映画をご覧になっていない人のために、動画を貼っておく。
 


これ、実際にあった話のようで、さらにタチの悪いことに、アーモン・ゲートは自分が狙撃した
犠牲者の死体に向かって飼い犬をけしかけ、食わせてたっていうんだから、こうなるともはや
冷酷とか残虐ってレベルじゃない。立派な異常者。

しかし感心させられるのは、この稀代の悪役を演じるにあたってのレイフ・ファインズの役作りだ。
この写真を見てみ?アーモン・ゲートを演じるために、彼がタイコ腹の肥満体型にわざわざ太ったのは
間違いないし、本人のこういう古い写真資料を研究した上であの場面を演じたのも明らかだ。
(下に載せた写真はネットからの拾い物)
映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家_f0189467_23532778.jpg

映画にもあったように、アーモン・ゲートの家はプワショフ強制収容所のワキに存在した。
その家がまだ現存しているとなれば、これはぜひ見ておきたい。
場所がどこなのか、地図で特定するまでは一苦労だったんだけど、こういうことには仕事以上の
情熱を傾けることで有名なイ課長だから(笑)、ちゃんと発見したのである。もちろん、地図には
アーモン・ゲート旧宅なんて出てるわけないから、鉛筆で「この辺のはず」という印をつけておいた。

最寄と思われる停車場で市電を降り、あの辺と思われる地点に向かって緩い坂道を登る。
この先のはずだ。地図によると、この坂を登りきったところの道のやや左手のあたりに・・・
映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家_f0189467_0111027.jpg

うおッ?!こりゃたまげた。
ここにもまた別のユダヤ人団体が見学に来てるよ。アーモン・ゲートの家なんていうダークスポットを、
団体で、ガイドつきで見に来ているとは驚いた。シンドラーの工場でもユダヤ人団体と遭遇したし、
クラクフでイ課長が行きたいと思った場所は、ユダヤ人が見たいと思う場所と重なるってことだ。
映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家_f0189467_23535192.jpg

そして、これが問題のアーモン・ゲートの家なのである。
映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家_f0189467_23544020.jpg

ぼろい。古い。完全な廃屋。
看板の文字が読めないけど、売りに出されているっぽいね。しかし、売れるのかなぁ?
周囲は普通の人たちが住む普通の閑静な住宅街だ。そこに一軒だけ幽霊屋敷みたいなこの家が残っている。
ご近所の人にとっちゃあまり嬉しくない近隣物件かもしれないけど、しかしこれはこれで残しておくべきという
気もする。こうして見学者もいるくらいだし。いっそ市とか国とかが買い取って保存したらどうなんだろ?
映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家_f0189467_23562436.jpg

これは東側の道路に面したガワで、この反対側、西側が収容所に面してて、例のバルコニーも
そっち側にあるんだけど、それを見るのは極めて困難だ。隣の家の庭に入り込まないといけない。
こんな感じで、隣家の庭の奥にアーモン・ゲート旧宅がのぞいている。
映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家_f0189467_2355742.jpg

しょうがないから、出来る限り中に入って、望遠で撮ってみた。
うーむ・・・このバルコニーからアーモン・ゲートは退屈まぎれに収容者たちを狙撃したわけだ・・うーむ。
映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家_f0189467_23553971.jpg

映画だとアーモン・ゲートの家は高いところにあり、収容所を上から一望するような位置関係になっていた。
実際、バルコニーから収容者を狙撃しようとすればそうなっているのが普通だ。

しかし、プワショフ強制収容所はアウシュビッツやビルケナウと違って、まったく保存されていない。
ソコにあったものはたぶん壊して埋めちゃったはずで、さらに土を盛ったりしたせいか地形も変わっている。
だから、現在は旧アーモン・ゲート邸のバルコニーから正面を眺めると、小高い丘があるばかりで、
眼下に広がる収容所を一望するなんていう構造ではなくなっているのである。

さて、では当初の計画通り、その跡地を歩くとするか。
雨のクラクフ・ダークな旅の計画の最後は「旧プワショフ強制収容所跡地の徒歩横断」だったのである。
そこに収容所が確かにあった。しかしいま残った遺構はない。ロクに道もない。ただの草ボウボウの丘陵地帯。
雨の中、一人でそんなところを歩いて横断しようっていうんだからモノズキすぎるぞ、イ課長。

そんなプワショフ強制収容所跡地。次回ご案内いたしましょう。何もないけどね(笑)。
 

  

by tohoiwanya | 2013-09-07 00:01 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 09月 05日

シンドラーのホーロー工場

雨のクラクフ、ダークな旅。次はシンドラーのホーロー工場見学なのである。

この工場、戦後ずっと他の工場として転用されてたんだけど、あの映画が有名になったおかげで
ガゼン注目が集まり、数年前に戦時歴史博物館としてリニューアル・オープンしたらしい。
しかしまぁ、途中で壊されもせず、よく50年以上も残ってたよねぇ。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23391870.jpg

事前にいろいろ調べたら、ここは見学申込み制みたいになってるようで、ネットで見学時間を予約した。
で、その時間になるまで雨の中時間をつぶしたんだけど、いざ指定時間になって行ってみた感じだと
中はガラ空きだし、個人であれば普通にブラッと行ってチケット買って見られるんじゃないかなぁ?
ちなみに、この日はイ課長と同じ時刻にユダヤ人旅行者の団体がガイド付きで見学に来てた。

順々に見学するとあの団体と一緒になって落ち着かないから、先に奥の方から見学しよう。
奥の方になると、もう見学者はイ課長しかいない(笑)。しーーんと静かなスペースに展示された
「ドイツ占領下のクラクフの様子」はなかなか充実している。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23394649.jpg

これって駅の看板だよな。
クラクフ中央駅をポーランド語で表示すればKraków Główny になるはずだが、ドイツ語風に書けば
Hbf(ハウプトバーンホフ=中央駅)になるわけだ。ドイツで散々見慣れたHbfの文字をポーランドで
見かけるとハッとする。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23413699.jpg

こっちは当時の床屋の店内を再現したコーナーだ。こんな展示があるたぁ思わなかったぜ。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23422287.jpg

こんなものもある。人形劇に使う人形っぽい。これを使って「反ナチ・レジスタンス人形劇」なんかを
上演したんだろうか?抑圧された者たちの、秘密の“娯楽”だったのかも。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23424965.jpg

もちろん、「戦争当時のクラクフの様子」だけじゃなく、シンドラー関連の展示も多い。
大きなデスクが置かれた部屋がある。おお、これはまさしくシンドラー社長の執務室に違いない。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23432059.jpg

デスクの上には当時の新聞まで置かれて、たった今まで、ここに人がいたかのように演出されている。
写真立てなんかもあるね。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23433660.jpg

馬に乗ったシンドラー氏の写真。
この人については「心底いい人だからユダヤ人を助けた説」から「戦後の戦犯指定を逃れるために
計算づくで助けた説」まで、諸説あるらしいけどね。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_2344291.jpg

一方こちらは「シンドラーのリスト」に名前が載ったおかげで助かったユダヤ人たちだろうな。
彼らは無賃金労働者として働いてたわけだから、普通に考えれば「搾取されるガワ」だったわけだが
実際には信じ難い幸運に恵まれた人たちということになる。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23443521.jpg


映画ヲタク・イ課長がシンドラーの工場に行けば、映画と実物を比較してみるというのも大きな興味。
映画に出てきた工場の建物外観は実際にこの工場でロケしていることは明らかだ。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23472030.jpg

驚いたのはこの階段だよ。
あの映画を観た人なら「ああ、あの階段」と思い出すだろうけど、それがちゃんとある。
女性が自分の親の助命嘆願のためにシンドラーを2度訪ねていく、あの場面の階段だ。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23481176.jpg

暗くてちょっとわかりづらいけど、左側の壁のデザインなんかを見れば同じ階段だってことがわかる。
こんなところもわざわざ本物の階段を使って撮影したんだなぁ。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23482952.jpg

映画の中の守衛室ガワから階段を見るとこんな感じ。
何の変哲もない階段なんだけど、自分が見た映画の撮影スポットだと知ると、つい興奮して
何枚も写真を撮りたくなるっていうのは映画ヲタクの悲しい性というべきか(笑)。
 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23491658.jpg

 シンドラーのホーロー工場_f0189467_23493519.jpg

シンドラーの工場、公式には「クラクフ戦時歴史博物館」。
展示は充実してて、ご紹介しきれなかった写真もたくさんある。ぜひご自分の目でご覧ください。
場所はゲットー英雄広場から線路下のトンネルを通って、歩いて6~7分ってところかな。
Google Mapで「Fabryka Schindlera」で検索すると出てくるはずです。


   

by tohoiwanya | 2013-09-05 00:01 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(0)
2013年 09月 02日

クラクフ、ゲットー英雄広場

雨のクラクフ・ダークな旅。
カジミェシュ地区の次に向かったのは、ビスワ川をわたったところの市電の停留所。
この停留所はリポヴァ通りにある「シンドラーのホーロー工場」の最寄駅なのだ。

シンドラーの工場はここから歩いていけるし、ちゃんと見学時刻も申し込んである。
でもまだたっぷり時間はあることだし、まず停留所に面したゲットー英雄広場を見学しようではないか。

ここも第二次大戦におけるユダヤ人の悲惨な運命を象徴する場所のひとつといえる。
もっとも、ただ見ただけじゃ「いかにも悲惨」という印象は全然ない。
椅子だけがいくつもいくつも置かれてて、モダンアートの展示広場か何かにすら見える。
クラクフ、ゲットー英雄広場_f0189467_1535420.jpg

前回見たカジミェシュ地区に古くから住んでいたユダヤ人たち、まずビスワ川の対岸にある
このあたりのユダヤ人ゲットーに強制移住させられた。そしてさらに、ここも強制退去させられて
強制収容所に強制的に送られるわけだ。すべてに「強制」の文字がつく。

だから「シンドラーのリスト」のゲットー強制退去の場面がカジミェシュ地区で撮影されたってことは、
実は「ゲットー退去の場面を、ゲットーに行く前に住んでた地区」で撮ったっていうことになる。
ユダヤ人ゲットーらしき面影を残す建物は、今やこの辺にはほとんど残ってないらしい。
クラクフ、ゲットー英雄広場_f0189467_1565282.jpg

ユダヤ人たちは強制収容所に送られる際にこの広場に一時集められた。
強制収容所送りになる前、一ヶ所に集められて待たされるっていうと、ワルシャワを舞台にした映画の
「戦場のピアニスト」が思い出されるけど、あれと同じようなことがクラクフの、この広場でもあったわけだ。

さて、この広場に来れば誰もが思うことだが、この椅子はナンなのだろう?
クラクフ、ゲットー英雄広場_f0189467_157105.jpg

調べたところでは、この椅子って、古い記録映画にまつわるものらしい。
カジミェシュ地区からゲットーにユダヤ人たちが強制移住させられた時のフィルムってのが残ってて、
中でも子供たちが学校の自分の椅子を頭に乗せてゾロゾロと歩いている場面は可哀想になる。
この映像が有名になったもんで、ユダヤ人の悲惨な運命を象徴するものとして椅子が置かれたらしい。

その動画がないかとYouTubeを探したら、ちゃんとあるよ。
下の動画の、2分04秒あたりに、椅子を運ぶ子供たちの可哀想な姿がちょっと写ってる。
ここに写ってる子供たちのうち、無事に戦後まで生き延びた子が一人でもいるんだろうか・・・?
  
      

ちなみに、後で気付いたけど、この古い記録映像の2分44秒あたりから、イ課長がたまたま撮った
この橋の当時の姿も写ってるね。映像を見てて「あ、この橋はもしかして」と思ったけど、間違いない。
クラクフ、ゲットー英雄広場_f0189467_15205870.jpg

昔からのユダヤ人街だったカジミェシュ地区からゲットーに強制移住。
そこからさらに強制退去させられ、働けるものはプワショフの強制収容所へ(ここは労働収容所だった)。
労働力価値のない者はそのままアウシュビッツへ(ご存知のように、ここは絶滅収容所)送られた。

そんなユダヤ人のダークな歴史が凝縮されたクラクフのゲットー英雄広場。
雨で椅子の上には水たまりができ、そこに降る雨粒の波紋が広がる。
クラクフ、ゲットー英雄広場_f0189467_1575854.jpg

この椅子を濡らすのはクラクフに降る雨か・・殺されていったユダヤ人たちの涙か・・
なーんて感傷的なフレーズが頭をよぎったりするのである。何せ天気がダークだからさ(笑)。
クラクフ、ゲットー英雄広場_f0189467_1583121.jpg

しかし、いかにフードつきコートとはいえ、冷たい雨にぬれ続けて、さすがに寒くなってきたよ。
シンドラーの工場の見学予約時刻(たしか11時にしたと思う)まで、まだけっこうあって、結局、
それまで屋根のついた市電の停車場で雨宿りせざるを得なかったイ課長なのでありました。
 

 

by tohoiwanya | 2013-09-02 15:25 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(2)
2013年 08月 31日

映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”

さてポーランドネタに戻るわけだが、本日はやや映画寄りの話。

アウシュビッツに行った翌日はクラクフで丸一日フリー。計画はいろいろあったんだけど、
まず最初は映画「シンドラーのリスト」の撮影に使われた“あの場所”に行ってみたんだよ。
建物の正確な名前を知らないから“あの場所”としか言いようがないのだが。
映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”_f0189467_23414037.jpg

この日のクラクフは朝からずーーーっと雨だった。
まぁダークな旅にふさわしい、ダークな天候といえるけど、寒かったねぇ〜。
地元の人たちも革ジャンとかで厚着してる。
映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”_f0189467_23415481.jpg

市電に乗って行ってみたのがカジミェシュ地区(発音が難しい)。この辺は旧ユダヤ人街だった。
「シンドラーのリスト」の印象的なシーンに使われた“あの場所”はこの一角にある。
あの映画をご覧になった方なら以下の説明で「ああ、あの場面の・・・」と思い出すかもしれない。

ドイツ軍がゲットーのユダヤ人たちを一斉に強制移送の時、あるユダヤ人母娘が混乱の中で、
「ドイツ軍協力少年」になった娘の同級生?の男子に偶然会う・・・っていうシーン、覚えてない?

男子はちょっと照れたように「・・・やぁ、ホニャンカ」って同級生に挨拶し(正確な名前は忘れた)、
「こっちなら大丈夫だよ」と言って、その母娘を建物の奥に連れてってあげる。お母さんは感謝して
「もうあなたもすっかり大人なのね」みたいなことを言う。

叫び声や悲鳴、銃声、軍靴の音、破壊音なんかが充満する強制移送の修羅場の中で、ここだけは
フッと静かな場面で、非常に印象に残るシーンだ。その場面の動画がないかと思って必死に探したら、
発見したよ。このリンクの動画の8分50秒からがそう。(どこかの国の言葉の吹き替え版みたい)

見れば一目瞭然。この場面で使われたのがここだ。カジミェシュ地区の、白壁のアパートの一角。
母親はこの階段の下に隠れて、自分を追って階段を下りてきた娘と抱き合う。
映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”_f0189467_23423890.jpg

白いアーチと、雨に濡れた石畳が美しかった。
こんなところ、誰もいないに決まってると思ってたけど、イ課長以外にもう一人、どこかの欧米人が
ここの写真を撮りに来てたね。映画ヲタクがクラクフに来て考えることって、似ているらしい(笑)。
車の音もほとんど聞こえず、ほんとに静かなところだった。
映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”_f0189467_23402040.jpg

このアーチのある場所はゲットー強制退去のシーンで何回か出てくる。
ほら、こちらのショットでも、奥の方に、このアーチが写ってるでしょ?
映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”_f0189467_23404291.jpg

映画では、このアパートを使っていろんな角度から何度も撮影してるのがわかる。
ドイツ軍がベランダからユダヤ人の家財道具を投げ落とすところもこのあたりで撮ってるよね。
映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”_f0189467_23421068.jpg

「シンドラーのリスト」に出てきた「あそこ」がカジミェシュ地区にあるのを知ったのは全くの偶然だった。
偶然だったけど、いざソレがあると知るとやっぱり見たくなって、それがカジミェシュ地区のどこなのか
突き止めるためにものすごい努力をした(笑)。実際見つけたときは嬉しかったねー。
ちなみにアーチを反対側からみるとこんな感じ。風情のある、きれいなところだよね。
映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”_f0189467_23435966.jpg

雨のクラクフ、ダークで、ヲタクな旅。
まず最初は軽め?の「シンドラーのリスト」のロケ場所を見に行ったわけだけど、イ課長はさらに
市電に乗って、次のダーク&ヲタクスポットに向かうのでありました。
 

by tohoiwanya | 2013-08-31 00:11 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 08月 24日

ビルケナウ強制収容所 その3

今日で終るからね、強制収容所のハナシは。

ビルケナウ強制収容所の一番奥まで行った見学者ツアー。
帰りは線路から少し離れた、居住棟がズラリと並んだ原っぱを通って戻ってくる。
この時点で、イ課長は(おそらく見学者たち全員も)精神的な体力は使い果たしている(笑)。

先導していたガイドさんが、英語で何か言いながら、ある建物の中にひょいと入る。
見学者たちもゾロゾロと中に入ってみると・・・

ははぁ~、これって収容者居住棟か。
中はこんな風になってるわけね。
 ビルケナウ強制収容所 その3_f0189467_142271.jpg

映画「シンドラーのリスト」の中でも、夜、収容所のベッドに入った状態で収容者たちが
自分たちの“今後の運命”を相談するシーンがあったけど、あのシーンでは収容者たちは
全員通路ガワに枕をもってきて、通路をはさんで話をしていた。

実物をみるとその様子がよくわかる。
なぜかっていうと、ほら、寝台の板は通路側(頭の方)から窓側(足の方)に行くに従って
ゆるーーく傾斜してるからだ。頭を低くして寝るヤツはいないだろうから、どうしたって
通路側に頭を持ってくることになる。ふーむ、最初っからそういう設計になってるんだねぇ。
 ビルケナウ強制収容所 その3_f0189467_143924.jpg

窓ごしの光に照らされた寝台の板がやけになまなましい。
この上に布団を敷いて寝た・・とは考えづらいよなぁ。貨車で輸送される収容者が自分で
布団やマットレスを運んだとは思えないし、収容所から支給されたとも思えないよなぁ。
ワラとか、ボロきれとかを敷いて、なんとか“ソレらしく”したのかなぁ?
 ビルケナウ強制収容所 その3_f0189467_154846.jpg

ポーランド、夏は涼しいだろうけど、冬はそれはもう寒かったはずだ。
こんなところで、腹ペコで、ガリガリに痩せて、身を寄せ合っかろうじて暖をとったのか。

冬は寒い土地だけあって、木造棟なんか一つもなくてぜんぶレンガ造り。
しかも、各棟には一つずつ暖房用の暖炉みたいなものがあったんじゃないかと想像される。

ビルケナウその1」で、カマドと煙突だけが残って墓標みたいに見えるっていう写真を載せたけど、
近くから見るとこんな感じ。建物の周囲の壁を支えた土台と、カマド(というか、暖炉?)と煙突だけが
残ってる。
 ビルケナウ強制収容所 その3_f0189467_183467.jpg

どうしてこういう具合になったのかよくわからない。ドイツ軍が撤退時に破壊していったのか、
それとも収容所を解放した連合軍がブッ壊したのか?いずれにしても壁や屋根は破壊しても
中の煙突と暖炉だけは残っちまったってことなんだろうなぁ。
・・てなことを考えながら、なおも草っ原を歩く見学者たち。心なしか足取りも重い(笑)。
 ビルケナウ強制収容所 その3_f0189467_152018.jpg

またガイドさんがひょいと別の建物の中に入っていく。今度はナンだ?

うわーーーーー。トイレです。収容者用のトイレの跡。
仕切りもヘチマもない、出すべきモノだけ、とにかく出せっていうようなトイレだ。
 ビルケナウ強制収容所 その3_f0189467_18578.jpg

ガイドさんの説明によると、当時の収容所で最も貴重品とされていたものの一つが
トイレットペーパーなんだって。収容者同士の間でトイレットペーパーをあげる、もらうって行為は
もう本当に大変なプレゼントだった(・・・というようなことを説明していたんだと思う)。
 ビルケナウ強制収容所 その3_f0189467_191686.jpg

そして、ようやく見学者は最初の「死の門」のあたりに戻ってきた。
とにかく、アウシュビッツ・ビルケナウ日帰り見学ツアーは終ったのだ。
あの赤毛のガイドさんとはここでお別れ。
 ビルケナウ強制収容所 その3_f0189467_19338.jpg

この日歩いた距離は相当なもののはずで、足も疲れたけど精神的疲労はさらに大きい。
帰りのバスの中もみんな静かで、疲れて寝てる人もいた。

しかしイ課長はさすがに眠れなかったよ。
このツアーには昼食がつかないから昼飯ヌキだったわけだけど、空腹も感じない。
十分予想されたこととは言え、やはりアウシュビッツ体験はそりゃーもうダークで重かった。
「自分が生きてることに感謝しよう」的な、前向きな気分にもなれない。
この重さをどうしたらいいのだ・・・と思いながらボンヤリとポーランドの風景を眺めた。

はぁーーーーー。お疲れ様でした。
読む方も書く方も疲れたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所訪問記。
最初の訪問スタンス表明や、バスに乗り遅れた話を含めて勘定したら、今日で9記事めかよ。

ただね、実はこの帰りのバスでちょっとしたデキゴトがあったんだよ。
イ課長にとってはこの旅行で最も忘れがたい出来事の一つと言っていい。

いわばアウシュビッツ訪問記の「付録」として、次回、その話を書こう。
それは全然暗い話じゃないから、安心してくれたまえ(笑)。


  

by tohoiwanya | 2013-08-24 01:10 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 08月 22日

ビルケナウ強制収容所 その2

ビルケナウ強制収容所のつづき。今日はもう少し細かいところを見ていこう。

線路わきをずーーーっと歩いていく途中、ガイドさんがある場所で立ち止まって説明する。
英語だからよくわかんないけど、貼られた写真を見れば何の説明かは一目瞭然だ。
貨車で運ばれてきた収容者たちは、ここで降ろされ、「収容」か「ガス室直行」か選別される。
線路際のこのあたりで、選別が行われたということのようだ。
ビルケナウ強制収容所 その2_f0189467_23572865.jpg

こういう写真を見て、説明を聞きながら、フと写真が貼られた建物を見る。
うわーーーーそういうことか。この「選別作業写真」に写っている建物が、今まさに我々の前にある
この建物だということなんだと思う。煙突の形とか、そっくりだもんな。
こういうのこそ、普通の博物館展示では味わえないもので、荒れ果てながらも昔の姿がそのまま残る
ビルケナウならではと言うべきなんだろう。
ビルケナウ強制収容所 その2_f0189467_23573877.jpg

やがて、一行は線路のドン詰まりに着く。
死の門からここまでけっこう距離があるよ。1km弱はあるんじゃないだろうか。とにかく広いのだ。
ビルケナウ強制収容所 その2_f0189467_2358315.jpg

このあたりには、いろんな言語で書かれた慰霊碑みたいなものがいくつも置かれている。
こういうのはね、大丈夫なの、見ても。「後になって設置されたもの」なら冷静に見ていられる。
ビルケナウ強制収容所 その2_f0189467_23582528.jpg

見るのがつらいのは、やはり「当時あったもの」だよ。たとえばこんなガレキの山がある。
実はここ、ガス室があったところ。いよいよ敗色濃厚っていうんでドイツ軍がビルケナウを放棄するとき、
さすがに残しておいちゃマズいだろうっていうんで爆破していった。
ビルケナウ強制収容所 その2_f0189467_2359050.jpg

慰霊碑とちがって(というのは失礼だが)、こういうものはすごい存在感で見る者に迫ってくる。
ここで殺された膨大な数の収容者たちの、それを爆破したドイツ軍の、さらに言えばこの爆破跡を
そのままの状態で保存し続けたポーランド人たちの、いろんな思いが重くのしかかってる。
ビルケナウ強制収容所 その2_f0189467_23591463.jpg

さらにたまらない場所がある。
英語の説明がよくわからなかったけど、要するに死者を埋めた穴の跡みたいなところらしい。
強制収容所の敷地内に死体を埋めた場所があるのはある意味予想されたことだ。
埋められた死体の数が100や200なんてナマやさしいレベルじゃないこともわかってる。

しかし、今回のアウシュビッツ・ビルケナウ見学ツアーを通じて最も濃厚に
「死の匂い」を感じたのがここだった。いたたまれないという気分になったよ。

収容所のヨソの施設で死んだ(あるいは殺された)人を、ここにたくさん、たくさん埋めたんだろう。
しかしそれだけじゃあるまい。穴のワキにズラリと並ばせられ、後ろから射殺されたなんてケースも
あったに違いない。要するに「この場で殺され、そのまま埋められた」人たちも多いはずだ。
ビルケナウ強制収容所 その2_f0189467_01243.jpg

想像を絶する数の「強いられた死」。天寿を全うできなかった男、女、子供・・。
その中には戦後掘り返され、ちゃんと埋葬しなおしてもらった遺体も多いんだろうと思う。

しかし「埋まったまま忘れられた遺体」だってたくさんあるはずなんだよ。それもたぶんすごい数が。
そんなものは一つもないと考えるのは無理がある。今でもたくさん埋まってると考えざるを得ない。
いま自分が歩いてる、このあたりの土の下にだ。どんな巨大な墓地でも、こんなにナマナマしい
「死の匂い」を感じたことはない。

荒涼たるビルケナウ強制収容所にコモッているダークパワー、スゴすぎます。
すでに精神的には十分「もうダメ」状態に近かったイ課長だが、あの穴にはトドメをさされた。
カラダは他の見学者と一緒に普通に歩いてはいるけど、心はフラフラ。
おそらく他の見学者たちも同じような気分だったのではないかと思うのだが。
ビルケナウ強制収容所 その2_f0189467_015741.jpg

重くて、暗いことばかり書いてきたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所訪問記。
たぶん次回で終る。あと1回、ガマンしてつきあっていただきたい。


 

by tohoiwanya | 2013-08-22 00:02 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 08月 19日

ビルケナウ強制収容所 その1

さーて。のどかなお盆ウィークも終わり、人々は仕事に戻る。
イ課長もダークなアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の訪問記執筆に戻ることにするぞ。
またしばらくの間、このブログは暗くなる(笑)。

ビルケナウを含めた、広義のアウシュビッツ強制収容所のイメージとして、イ課長の中に最も強く
記憶されているのは、以前に載せた「働けば自由になる」のあのアーチと、トンガリ屋根の下のトンネルから
まっすぐ伸びている収容者輸送用の列車の線路。この二つの情景だ。
アウシュビッツていうと、必ず使われる写真で、大学生の時に読んだ名著「夜と霧」にもこの写真が載ってて、
非常に印象的だったんだよね(この古い写真は拾い物)。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_03321.jpg

「働けば自由になる」のアーチはアウシュビッツの入口にあるけど、トンガリ屋根の下のトンネルと、そこから続く
長い線路のある場所は、実はアウシュビッツではなくビルケナウ強制収容所なのだ。トンネルのある建物は
俗に「死の門」と呼ばれた。これからいよいよそこにいくわけだ。うーむ、ううーむ・・・(←心の準備をする音)。

アウシュビッツからビルケナウまではバスで移動する。

見学ツアー参加者はツアーバスで行くわけだけど、アウシュビッツ〜ビルケナウ間を定期運行してるバスも
あるみたいで、下の写真がたぶんそう。バスはそう頻繁に出てるわけじゃなさそうだったから、ツアーじゃなく
自力見学を目指す方は(イ課長も最初はそうだった)、確認した方がいいと思う。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_035719.jpg

バスはビルケナウ収容所の駐車場に着いた。着くと、目の前にはもう「死の門」だ。

そのままガイドさんに引率されて「死の門」のワキのあたりから収容所の中に入る。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_045610.jpg


うわーーーー。

第一印象・・というか、ビルケナウにいる間じゅう、ずっと抱き続けることになる印象がこのとき強烈に形成された。
こんなにダダッ広くて、こんなに荒涼としたところだったんだビルケナウって。想像をはるかに超える。
まさに「うわーーーー」と言うしかない。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_053944.jpg

おそらく、ここに来た人の大半は予想を超えるその広さと、その荒れ果てた感じに打たれるはずだ。
その印象を漢字二文字で表せと言われたら「荒涼」という言葉以外は浮かばない。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_064375.jpg

線路を中心線として左右に広大な収容所敷地が広がり、見学者たちはその線路に沿って歩く。
何度も振り返って「死の門」を見る。ああ、イ課長が古い白黒写真資料で何度も観たあの光景だよ。
トンガリ屋根の「死の門」、トンネルから続く線路・・・まさに今自分は“悪しき記憶”が濃厚に染み付いた
場所を歩いているんだ。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_07461.jpg

線路の左右には本当に「どこまでもどこまでも」って感じで居住棟が延々と並んでるんだけど、
特に、死の門を背にして右側の建物の荒れ果て方は尋常じゃない。崩れた建物が延々と続いている。
たぶんカマドと煙突だけが残って、周囲の建物はぜんぶ壊れてしまっているんだと思う。しかし、
自然崩壊とは思えないから、ドイツ軍が収容所を放棄するときに破壊していったんだろうか?
まるで墓標のようだ。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_08613.jpg

ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_082254.jpg

途中に有蓋貨車が1台置かれている。収容者たちがスシ詰め状態でここに連れてこられた貨車だ。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_085493.jpg

ここにも花が飾られてるけど、これもまた死者の慰めのためというより、ここに来た見学者が、この重苦しい
景色から少しでも逃れたいがために置いた花じゃないかと思える。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_09710.jpg

アウシュビッツ強制収容所はいろんな展示物があって、博物館として整備されているのに対し、
このビルケナウ強制収容所はそういう感じじゃない。昔のまま、広大な敷地に荒れ果てて、残っている。
見学者の感じ方も何となく違ってくる。アウシュビッツが膨大な展示物を見て「考える収容所」だとすれば、
このビルケナウは荒涼たる場所に立って、「感じる収容所」という感じだ。
ビルケナウ強制収容所 その1_f0189467_072436.jpg

「感じる収容所」ビルケナウ。
当然、話は次回に続くのである。読者の方々にもたっぷりと感じていただきたい。

  

by tohoiwanya | 2013-08-19 00:09 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(4)
2013年 08月 09日

アウシュビッツ強制収容所 その4

まだまだ続く暗黒のアウシュビッツ強制収容所シリーズ。
屋外に出ても、見学すべきダークな場所はたっぷり残っている。目をそむけずに見ていこう。

たとえばこれ。前回、「銃殺控え室」をご紹介したけど、あの部屋で服を脱いだ収容者たちは次に
この壁の前に立たされ、銃殺された。手向けの花が飾られてるけど、この花がここで銃殺された
人々の慰めになるとは思えない。むしろ見学者の方が「ここで昔あったこと」の重さに耐えられず、
その重さから少しでも逃れたいがために置いた花なんじゃないかと思える。
アウシュビッツ強制収容所 その4_f0189467_2357199.jpg

アウシュビッツ強制収容所 その4_f0189467_23564443.jpg

これは絞首用の柱。この横にわたされた長いハリに収容者がズラリと吊るされ、殺された。
上の銃殺もそうだけど、こういう収容者の目につきやすいところで仲間を殺してみせるっていうのは
一種の見せしめなんだろう。しかし、自分たちもいずれ死ぬ、と運命づけられた収容者たちに対して
「少し早く死んだ」仲間を見せることで、見せしめ効果があったのかどうか・・・。
アウシュビッツ強制収容所 その4_f0189467_23574463.jpg

さぁもっと先へ進む。次はいよいよガス室の見学だ。後戻りはできないのだ。
気分が悪くなろうがどうしようが、見学者たちは順々に、ガス室の中に連れて行かれるのである。

中はこんな感じ。施設の性格上、見学者もこの中に入ると「じっくり見学しよう」という気にはなりづらくて、
モノも言わず、わりと足早に内部を眺め、入る前より一段と暗い気分になって出て行く。
アウシュビッツ強制収容所 その4_f0189467_2359341.jpg

イ課長のイメージだと、ガス室の天井には“擬装用”のシャワーがあったはずだけど、ここにはない。
アウシュビッツのこの場所は「最初のガス室」として作られたもののようで、後に管理用の建物として改造され、
戦後ガス室として復元された、とWikipediaには書いてあった。シャワーノズルみたいな“偽装”が
一般化するのはもうちょっと後になってからなのかもしれない。
アウシュビッツ強制収容所 その4_f0189467_23592190.jpg

映画「シンドラーのリスト」では、女性たちがガス室送りになったと思って押し込められた部屋が、実は
本当のシャワー室だったっていうシーンがあったけど、実際にそういうことはあったらしい。要するに
ガス室とシャワー室って、髪を切ったり全裸にヒン剥いたりっていう事前処理も含め、部屋の構造も規模も
ほとんど同じだったんだろう。最後に出てくるものが毒ガスか、水かの違いだけ。

そして、その奥には以前に模型で見たクレマトリウム、つまり死体焼却施設がある。
ガス室で殺し、死体を運び、ここで焼く。流れ作業。作業にあたるのもまた収容者たちで、読んだ話だと
そういう作業にあたっていた収容者たちは、時に死体の山の中に自分の親族、ひどい時には自分の妻を
発見する、なんてケースもあったらしい。
アウシュビッツ強制収容所 その4_f0189467_23594799.jpg

こんな風にしてアウシュビッツを見ている時、イ課長は何となくヘンな思いが湧いてきた。

ここには、当時あった状態のまま残ってるものがたくさんある。かつてたくさんの収容者たちが実際に
その手で触れたものも多いだろう。
そういうものに、自分の手をくっつけたくなった。要するに触りたくなったんだよ。

何回か前の記事で、アウシュビッツに関しては「そこに行って、そこに触れ、そこの空気を吸い、
そこの土を踏むことが重要」みたいなことを書いたけど、文字通りの意味で、触りたくなった。

もちろん展示物に触るのは見学者として、ほめられた行為ではない、というか、いけない。
でも、とにかく当時のものを、何でもいいから、自分の手で、ジカに触らなければならないと思った。

だから、途中にあった鉄格子を手でちょっと触った。ついでにその手を写真に撮った(笑)。
この鉄格子はたぶん、かつて大勢のユダヤ人や政治犯たちも手で触れたところだろう。
そこを、自分でも触った。
アウシュビッツ強制収容所 その4_f0189467_005034.jpg

「自分は確かにここに来た」ということを確認したい・・というのとは違う。強いていえば
「私はここに来ました」ということを、かつてここを触った人たちに伝えたかった、というのが近いか・・・。
なぜあんなにも「触りたい、触らなければ」と思ったのか、正確には自分でも未だによくわからない。

しかし、何度もいうけど展示物に触るのはよくないことだ。ごめんなさい。この場を借りて謝ります。
でもあの時はどうしても、ちょっとでいいから、触るべきだと思ったんだよ。
見学してるうちに、イ課長の精神状態もダークになってきたようだ。
アウシュビッツ強制収容所 その4_f0189467_012130.jpg

いやーーーまったくもって実に重いツアーだ。
しかし、この見学ツアーはまだまだ続くのである。そしてこのシリーズも。
次回はアウシュビッツから移動して、ビルケナウ強制収容所をご紹介しようと思う。


 

by tohoiwanya | 2013-08-09 00:02 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(6)
2013年 08月 07日

アウシュビッツ強制収容所 その3

アウシュビッツ博物館のダークな展示物。どんなものが、どのくらいあるのか?
今日の記事&写真はことのほかダークだから、そのつもりで覚悟して読んでほしい。

まずこんなものがある。収容者がつけていた義足とか松葉杖のたぐい。
これ、むかし写真で見たことがあって、その時もかなりショックをうけたけど、実物だよ。ううう。
身に着けてるものっていうより、これらは実質的には「身そのもの」。義足がなきゃ歩けんだろう。
ってことは、これらは死体からはずしたもの・・・か?・・・うう・・・ううう。
アウシュビッツ強制収容所 その3_f0189467_23594930.jpg

これがまたスゴい。お皿とかコップとかピッチャーとか、とにかく「器」。
膨大な数の、器という器が集められてるんだよ。これもまた見るとすごく暗い気持ちになる。
お皿やコップなんて、あまりにも日常的で、生活感あふれる道具じゃない?そういうものが
持ち主を失って、数えきれないほどあるわけだ。ここに連れてこられた収容者たちは、
コップみたいなものまで「行った先で使うつもり」で大事にカバンに入れて持ってきたんだなぁ・・。
アウシュビッツ強制収容所 その3_f0189467_00780.jpg

こっちにはそのカバンが膨大な数、ある。
収容所に連行された収容者たちは、例外なく身の回りのものをカバンに入れて持ってきたはずだ。
それが残ってる。器と同じように「持ち主(と中身)を失ったカバン」たち。ものすごい量だ。
アウシュビッツ強制収容所 その3_f0189467_002572.jpg

イ課長が想像するに、焼却処理できる人間(死体)とか衣服とかと違って、器とかカバンっていうのは
燃やして灰にしづらいから、仕方なく貯めこんで、そのまま残っている・・んじゃないかなぁ?
カバンの展示室はこんな感じで、ガラスの向こうはとにかくひたすらカバン、カバン、カバン・・・
アウシュビッツ強制収容所 その3_f0189467_004275.jpg

ああ、これも写真で見たことがあると思う。靴だよ。収容者たちが履いていた靴。
これもカバン同様、燃やしづらい革製のものが多いから残っているのかも。
アウシュビッツ強制収容所 その3_f0189467_011627.jpg

パネル展示のところで「なんとかミリオンの人々が殺された」と言われても正直、イメージがうかばない。
しかしこういう展示はここで膨大な数の人が、義足やカバンや靴を奪われた後、殺されたということを
無言で、すごい力で訴えてくる。見学者はその無言の圧力を受け止めなければならない。
アウシュビッツ強制収容所 その3_f0189467_01376.jpg

この辺になるとガイドさんは何も説明しなくなり、見学者も完全に無口になる。
説明不要のものが、ものすごい量そこにあり、今まさにそれを見ているという事実の重さに
打ちのめされるしかないのだ。

最後に毛髪だけが保存された展示室に行った。その展示室は撮影禁止の看板があったから写真はない。
髪の毛って痛みやすいから、照明や空調にも気を使って保存してるんだと思う。

収容者たちが「これからシャワーだよ」と言われてガス室に送られていたというのは有名な話で、
女性の場合は髪を切られ、全裸にさせられて(名目上、シャワーだから)、ガス室に押し込められた。
映画「シンドラーのリスト」にもその“事前処置”の様子が非常にナマナマしく描かれてるけど、
その「事前処置」で刈り取った女性の髪なんだろう。それが残ってる。

ヤマのように、という子供じみた表現しか思いつかないけど、とにかくヤマのようにある。
カバンや靴と同じような感じで堆積してるんだよ。女性の髪が。もうどんな感想の言葉も出てこない。
ちなみに、ドイツ軍は刈り取った大量の毛髪を、ジュウタン等の材料にしてたって話で、
髪の毛で編んだ(織った?)ものも一部展示されている。

こうして、見学者は一通り、博物館の展示物を見たことになる(んだと思う)。
もちろん、遺品や遺髪以外の展示もたくさんある。たとえば、銃殺用の壁に立って銃殺される前に
服を脱いだりする“銃殺控え室”とか。下が男性用控え室なのである(女性用もある)。
アウシュビッツ強制収容所 その3_f0189467_022894.jpg

こういう大量のダークな展示物を見て、そのダークな雰囲気に完全に押しつぶされたイ課長。
いったん外に出て、外気と陽光にふれたときは、正直少しホッとした。
もっとも、外に出てもそこには高い壁と、鉄条網と、監視用の塔が当時のまま残ってるわけで、
まだ自分は強制収容所の中にいるんだということを再認識させられるわけだが。
アウシュビッツ強制収容所 その3_f0189467_031683.jpg

ほら、読んでるアナタもすっかり暗い気持ちになってきたでしょう?
しかしアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の見学ツアーはまだまだ続くのである。


  

by tohoiwanya | 2013-08-07 00:03 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(2)