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2017年 01月 05日

海外人物(主にコドモ)図鑑 2017年版

イ課長ブログの数少ない読者のみなさま、本年もよろしくお願い致します。

実は元旦早朝に義母が亡くなってしまったのです。
こうなると正月どころではなくなる。4日の仕事始めは午前中だけ出社したけど
「おめでとう」と言うのも気が引けるよね。そんな事情でお通夜・告別式と
不祝儀が一通り終わるまで更新もちょっと控えておりました。すみませぬ。

さて、新年最初の更新は恒例のアレ・・・といきたいところなんだけど、こちらの方も
どうも歯切れが悪い。去年行ったのが英国だけだからねぇ。いつものように華やかに
美女図鑑というわけにはいかないのだ。

イギリスに美人がいないと言うつもりはない。まぁ多いと言うつもりもないが(笑)。
英国において美女図鑑が難しい理由は他にある。英国に限らず欧州だと全般的に
人物写真を撮る機会そのものが少ないんだよね。

東南アジアを歩いてると露店やら屋台やらで何となく現地の人と仲良くなって写真を
撮る機会がしょっちゅうあった。「あなた日本人?」って向こうから声かけてくることも
多くて、こっちも「写真撮っていい?」って聞きやすい。

だが、英国じゃ「現地の人と何となく仲良くなる」ことって、それほどないよね。
特にロンドンじゃ東洋人も黒人もインド系もアラブ系もちっとも珍しくないし
イ課長たちが入る店やレストランの従業員だってかなりの確率で非アングロサクソン系。
「お?ガイジンだ。どこから来たのかな?」なんてお互いイチイチ気にしない。
東南アジアとは対人的感覚自体が何となく違うのだ。

そんな英国旅行で数少ない人物写真っていうと、盗撮系のコドモ写真が多い。
まぁそんなものでもご紹介するべ。

①英国の田舎のコドモ
これはコッツウォルズ一日ツアーで行ったブロードウェイ(N.Y.のとは違うよ)という村の
村のベンチで見かけたコドモ。アイス食ってる。
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ぽっちゃりした子たちだ。大きくなるとデップリ太った英国ネエチャンになるのかもしれんが
コドモのうちはかわいくて結構(笑)。


②英国の地方都市のコドモ
こちらはピーターバラという街で見かけた女の子。この子はかわいかったね。
地面から定期的に噴水が噴き出す場所に立って、まだかな?まだかな?って待ち構えてる。
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で、ピューッと噴水が噴き出すとキャッキャいって大喜び。かわいい。
歩き疲れて、列車の時間までしばらく座って休んでたんだけど、その間この女の子を見て
楽しませてもらった。
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③ロンドン近郊のコドモ
こっちはグリニッジに行った時に来てた学校の生徒たち。3〜4年生くらいかなぁ?
制服を着てるから、社会科見学か何かでクラスでそろってグリニッジ天文台見学に来たんだろう。
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ただ、一つ不思議なことがある。黒人の子供ばっかだったということだ。
よく見たわけじゃないけど、黒人比率が非常に高いコドモ集団だったから「何でだろ?」と思った。
黒人しか入学できないなんて逆差別学校があるとは思えないから、単なる偶然なんだろうか。


④ロンドンど真ん中の美女
コヴェント・ガーデンのあたりで何かステージイベントをやってた。
そのうちステージに登場したのがこちらの金髪の美女。芸能人・・なんだろうなぁたぶん。
もちろん知らない人なのである。
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かろうじて「美女写真」と言えるのは上のコレくらいなのだ(笑)。
やや化粧濃いめ、ちょいケバめの、こういうタイプが英国美人とされているのかもしれないという話は
昔書いたけど、それにしてもこの人はちょっとケバすぎかも(笑)。


・・という、このくらいなの。英国人物写真。しゅみましぇん。
今年はまた東南アジア一人旅行きたいなぁと思ってるところなので、来年は何とか
美女図鑑復活に向けて頑張りますです、はい。


 

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by tohoiwanya | 2017-01-05 23:02 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(6)
2016年 12月 19日

出家するということ

ロンドンからまた話は東南アジアに戻る。2015年の旅行ネタはまだまだ残ってるのだ。

ラオスもタイも仏教国だから町を歩いてるとお坊さんを見かけることは多い。
同じように坊主頭で、衣の色も似てる。パッと見ただけじゃどっちの国のお坊さんか区別がつかない。
だけど、両国のお坊さんにはビミョ~な違いがあるように思うんだよなぁ。
(下の写真、上段がラオスで後段がタイのお坊さん。僧衣の色も同じだ)
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どちらの国でもお坊さんをよく見かける理由は「数が多いから」に他ならない。理の当然。
それもそのはず、タイでもラオスでも「男は一度出家することがイイ」とされているらしい。

つまり普通の学生やサラリーマンでも一度は出家して僧籍に身を置き、また還俗するわけ。
出家期間はごく短くて、ひと月とか半月とかでも全然問題ないらしい。10月に亡くなった
タイのプミポン国王も出家経験がある。下がネットで拾った出家中のプミポン国王。この時は
15日間やったんだとか。国王が普通のお坊さんと同じように裸足で托鉢。立派な人だなぁ。
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仮にイ課長がラオス人もしくはタイ人で、一か月出家したとする。それはイ課長自身はもちろんだけど
特にオフクロに対する大変な功徳につながるらしい。そもそも女性は出家できないから、タイやラオスでは
「自分の息子が出家する」ことは女性にとってはアリガタイ宗教的栄誉と捉えられるようだ。

・・・と、この辺まではお坊さんが多い背景も、出家に対する考え方もタイとラオスとは似てる。
どっちの国も上座部仏教(俗にいう小乗仏教)だから、大乗仏教がキホンの日本とは若干違うのも
同じだ。でも両方の国を旅行したイ課長としてはさっき言ったように基本は似ててもビミョーに
違う部分があるようにも思うんだよね。特に思ったのは何かっつうと・・・

ラオスのお坊さんはやけにコドモが目立つ。タイのお坊さんの方が年齢イッてる。 ということだ。
どっちの国もお坊さんは多いが、その年齢層には差があるように見える。つうか、明らかに違うよ。
なぜラオスのお坊さんのコドモ比率が高いのか?イ課長なりに理由を考えてみた。
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こう言っちゃナンだが、タイに比べりゃラオスは圧倒的に貧しい。貧しい国の男の子が
「食うに困らない」ようになるためには出家するか、軍隊に入るのが早道なんじゃないか?

ラオスのコドモ修行僧たちはきっと「軍隊に入れる年齢にならない子供たちが出家した」って
ことじゃないの?僧になれば本人は食うに困らない上に、家族にとっても“口減らし”になるからね。
ラオスには失礼だがそんな想像をした。

しかし、調べてみるとちょいとばかり事情が違うらしい。

ラオスにコドモの出家僧が多い理由には多分に「学校がわり」っていう側面がありそうなんだよ。
むろんラオスにだって普通の学校はある。だが中には貧しくて学校行けない子もいる(と思う)。
そういう子が勉強したいと思った時、出家というのが有効な解決策になるみたいなんだよね。
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ラオスで男の子が出家すると、修行のかたわら一種の仏教学校みたいなところに入れるらしい。
そこではホトケの教えも学ぶけど、それ以外の国語やら歴史やら外国語やらの“普通の教科”も
勉強できるんだと。出家すればタダ(かどうかは未確認だが)で学校に行けて衣食住も保証される。
となれば、貧しい家の男の子(およびそういう子を持つ貧しい親)は「よし、出家だ」ってなるよねぇ。
ある意味、国の義務教育の一部をお寺が担ってるような形。

イ課長はターゲットにならなかったけど、ルアンパバーンじゃ外国人観光客が若いお坊さんの
英語の練習相手としてよく話しかけられるらしい。こういうところからもラオスの少年修行僧たちは
海外への興味や向学心が強い青年たちであることが伺える。
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そう考えるとタイのお坊さんの年齢がイッてる理由もなんとなく想像がついてくる。
タイにもおそらく仏教学校のようなものはあるんだろうし、そこで学ぶ子供もそれなりにいるはずだ。
でも、普通の小学校・中学校に通うコドモの方が圧倒的に多いのは間違いないはずで、さっき言ったように
男性が短期出家するとしても青年期以降が多いんだと思う(プミポン国王が短期出家したのも
30歳の時だったらしい)。必然的にお坊さんの年齢も高めになるはずだ。

タイでは「コドモの僧」を見かけることは少なく、逆にラオスではやたらに見る。
「なんでこんな差があるんだろ?」と思ってたんだけど、いろいろ調べてみるとどうやら
そういうことじゃないかと思われるのである。もし間違ってたらゴメンネ(ヲイ!)。


 
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by tohoiwanya | 2016-12-19 00:29 | 2015.09 ラオス・タイ旅行 | Comments(4)
2016年 12月 12日

カヤン族について

カヤン族という少数民族の名前を聞いたことがある方はいるだろうか?
イ課長全然知らなかった。では「カレン族」という名称だと?

イ課長は後者の方は聞いたことはあるような気はするけど、「気がする」程度だから
結局わからない。この名称からどういう少数民族なのか説明しろって言われてもムリだ。
しかし、この写真を見れば「あ!!これ!!」とほとんどの人が思うんじゃなかろうか。
(写真はWikipediaから拝借)


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女性が首に真鍮のワッカを付て首を長くする不思議な風習の写真を見た人は多いはずだ。
この風習を持つ、俗に「首長族」といわれるのがカヤン族なのである。その出自は
よくわかってなくて、カレン族の支族という見方もあるようだ。だからモノによっては
首長族=カレン族と書いたものもある。

この首長族の方々、元々ミャンマー・タイ国境の山岳地帯に住んでた人たちで、本来は
「タイ人」というより「ミャンマー人」というべき人たちらしい。しかしミャンマーでは
カレン族(カヤンじゃないよ)による反政府闘争っていうのがあって、それと同一視された
カヤン族の人たちは政府に弾圧され、難民みたいな形でタイに逃げ込んだらしい。
(この辺の記述には不正確な部分があるかもしれない)

だからタイ北部にはミャンマーから来たカヤン族がいる。(おそらく)難民として。
そういう難民の生活を一種の「民俗村」として観光化し、土産物とかを売って生活の糧に
している施設がチェンマイ近郊にあるということを知った。
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最初はぜひそこに行きたいと思っていた。
子供の頃に本で見た首長族。その実物。この目でぜひ見たい。単純にそう思った。
現地オプショナルツアーにも「首長族の村見学ツアー」みたいなのはけっこうある。
そういうのに参加すればいいわけだ。

しかし、その民俗村のことをいろいろ調べるにつれて迷いが出て来た。

そういう民俗村って、彼らが元々住んでた村ってわけじゃなく、タイの観光業者が建設し、
そこにカヤン族を住まわせて運営してるらしいんだよね。入場料も安くはないようだ。
(たぶん)難民で、タイで職を得るのも(たぶん)難しい彼らに(そしてタイの観光業者に)とって
観光客が落とすお金が貴重な収入なんだから当然といえば当然だが。

民俗村では彼らは刺繍とか織物とかの民芸品を売ってるらしい。
しかしソコに来た観光客の最大の目的は首に真鍮の輪を付けた首長族の女性の写真を
撮ることなわけで、いわば「撮影料」として民芸品を買って行く。女性たちは観光客の
カメラに向かって、ちゃんとカメラ目線で写真に収まる毎日・・・。

これではまるで人間動物園ではないか!という批判が当然出てくる。
そう言われると返す言葉もない。イ課長だってもし民族村に行けば首長族の女性の写真を
撮りたいわけで、自分が人間動物園を鑑賞するだけのロクでもない観光客に思えてくる。

一方で、だからこそ民俗村でお金を使うことが彼らの生活の足しになるじゃん?という
思いもあった。安くない入場料を払い、民芸品を買ってあげれば難民として苦しい立場にある
彼らの生活をサポートすることになるのでは?

これは難しい選択だった。
迷いに迷った挙げ句、結局「首長族の村見学ツアー」に参加するのは見送ったんだよね。
その決定が良かったのか、悪かったのかは未だにわからない。
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ちなみに、あの首長族の女性だが、ああいう奇妙な姿にしてる理由は諸説ある。
①昔、女性がトラに首を噛まれて殺されたから首の保護のために真鍮の輪をつけてる説。
②性欲タギッた他の部族の男たちに襲われても、あの奇妙な姿で相手はビビる。
 結果的にカヤン族としての“純血性”が保たれる説。
③純粋に、ああいう首の長い姿が美しいという審美眼を持ってるから説。

どれが本当かはこれまたわからない。カヤン族の若い女性には輪をつけない人もいるとか。

ちなみに(その2)、俗に「首長族」っていうけど、正確にはロクロ首的に「首が伸びた」っていうより
真鍮の輪っかの重みで鎖骨や胸骨が極端に押し下げられ、逆にアゴは持ち上げられ、そういう状態が
長く続いてああいう姿になるらしい。だからあの輪っかをはずせば肩が徐々に上がってきて
フツーの体型に戻るんだとか。はずしたがらない女性も多いらしいが。

もしイ課長が再度チェンマイに行くことがあれば、今度こそ迷うだろう。
市内のお寺やドイ・ステープは今回見た。もし再びチェンマイに行けば、今度こそ首長族の村を
見たいという気持ちが湧くだろう。果たして自分は人間動物園という批判もあるそこに行くのか?

今のところ自分でもわからないのである。
(本日の記事、冒頭のWikipediaの写真以外は首長族の写真がないわけなので、内容に関係ない
 チェンマイ・ネコ写真でご勘弁を)


 

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by tohoiwanya | 2016-12-12 00:10 | 2015.09 ラオス・タイ旅行 | Comments(4)
2016年 11月 25日

ロンドンの借りをロンドンで返す

久しぶりにロンドンネタを一つ。
いよいよ銀婚旅行も最後を迎え、パディントン駅からヒースローエクスプレスに乗って
空港に向かおうって時の話。

少し時間があったからトホ妻は土産を買うという。それじゃ、っていうんで待ち合わせ時間を決め、
トホ妻はW.H.Smithに買い物、イ課長は駅出口ンとこにある喫煙所でタバコを吸ってた。
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まだ時間あるなぁ・・何してよっかなぁ?って感じでボンヤリそこらを眺めていたら、んん?
軍人さんらしき制服姿の男性たちがバケツを持って立ってる。
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ピキーン! たちまちイ課長の記憶回路が作動。
むかーしセント・パンクラス駅で巨大着ぐるみ+バケツ隊の姿を見て、意味がわからず
何のオフザケなのかしらと思ったって記事を書いた。当時は知らなかったのだ。

しかし愚かなるイ課長だってその後少しは世界についての知識を増やした。
今やロンドンの駅でバケツを持った人を見ればすぐ察しがつくさ。ありゃ募金に違いない。
よし、あの頃よりちったぁ利口になったイ課長が今回は軽やかに募金してくれようじゃないの。

しかしその前にちょっと様子を観察してみる。
この人はさっきの軍人さんとはまた違う人で、スラリとした軍服姿がなかなかカッコいい。
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この軍人さん、立ち姿がカッコいいせいか、やけに駅利用者から声をかけられてるね。
募金のためにっていうんじゃなく、何となく「道を聞かれている」といった様子にみえるんだが(笑)。
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ほらまた。まさか「○○行きは何番線ですかぁ?」なんて聞いてるわけじゃないよな?
聞かれた軍人さんだって困るよな。
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おっ、何と、このヒト顔がやけに二枚目。制服も似合うし、こりゃーモテそうだ。
やっぱカッコいい二枚目の軍人さんには人が寄ってくるのかね。
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さて、じゃ、イ課長も募金するか。
お?さっきの二枚目軍人サンがいなくなったぞ。しかし大丈夫。バケツを持った兵隊さんは
パディントン駅のそこココにいるのである。

よし、じゃ、まだ少年兵の面影を残すボーイズのバケツに募金しよう。
どうせ最後だから、ポンドより細かいペンスの硬貨は片っ端からあげちゃえ(持ってると重いし)。

ジャララっとコインを入れると御礼を言ってくれた。
そこで例によって図々しく撮影モデルを依頼。にっこり笑ってカメラに収まってくれた。
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なかなか凛々しくてハンサムなボーイズたちではないか。
胸のプリントを見て、ほほうと思って「エアフォース?」と聞くと、元気のいい声で
「はい、ナントカカントカです!」と返事してくれた。だが英語だから内容はよくわからない(笑)。
後で調べたらBenevolentって「慈善」って意味だ。王立空軍慈善基金。なーるほど。

2010年秋にセント・パンクラス駅のバケツ隊を見たときは、清掃職員のオフザケかと思って
目的が募金とは知らず写真だけ撮ってきてしまった。あン時は申し訳ないことをしたと思う。
だがあれから6年。今回は「駅のバケツ隊=募金集め」にちゃんと募金し、気分のイイところを
モデルになってもらえた。ロンドンに6年ごしの借りを返したようでイ課長も気分がよかったのである。


 

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by tohoiwanya | 2016-11-25 00:26 | 2016.06 英国銀婚旅行
2016年 11月 12日

ルアンパバーンの子供たち

チェンマイネタがちったぁ続くのかと思ったらまたルアンパバーンネタに戻ります(笑)。
ルアンパバーンの話はいくらでも出てきそうだなぁ・・。

本日の記事はイ課長の思想信条を表明したブブンはまったくない(いつも大体ないが)。
どちらかというとコドモ写真紹介記事と思って気楽にご覧いただきたい。
ルアンパバーン子供図鑑だね、要するに。
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托鉢のことを書いた時に「小学校前」という場所のことを書いた。
シーサワンウォン通りを地図でいうと左下から右上の方向に歩いていくと、左側に
小学校があるんだよ。この町に来た観光客なら一度や二度はここを通るはずだ。

托鉢してる早朝通っても学校は誰もいない。夜通っても誰もいない(はずだ)。
しかしイ課長はたまたま平日の昼間、この小学校の前を通る機会があった。

うほほほ、校庭は子供だらけだ。当たり前だが。
これから校庭で集会か何かが始まる様子。女の子たちはみんなシン着用。かわいいねー。
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上は白、下は黒(か濃紺?)、それに赤いスカーフを付けるのが制服みたいだ。
なかなかオシャレな制服ではないか。
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こっちは1年生くらいかな。まだホント小さいよね。女子はシン着用。
元気だねー。
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たしかこの小学校の校庭だったと思うけど、すべり台があって、そこにまだ未就学の
小さな子供たちが遊んでた。視線があっただけでたちまち仲良くなってパチリ。
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せっかくだから、今写した写真をモニターで見せに行ったら例によって大喜び。
ゴキゲンのところをもう一枚撮らせていただいた。ラオスの子供かわいい。
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ルアンパバーン最後の朝は托鉢見学のあと渡し船でメコン川対岸の村に行った。
早朝の渡し船を待ってると、こんな朝早く子供たちがタムロってる。何やってんだ?
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しばらくするとそのワケがわかった。彼らはたぶん渡し船の船頭の子供なんだな。
一緒に渡し船に乗ってる。
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一番大きな男の子はロープをあやつって接岸の時に活躍したりして、立派な戦力だ。
まだ小学校3〜4年くらいかな?もうお父さんの手伝い。えらいなぁ。
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対岸の村にも早朝から子供だちの姿が見えた。この子なんかまだホント小さいけど
一人でひょこひょこ歩き回ってる。イ課長が就学前のガキだった頃、こんな早朝に
起きることはメッタになかったはずだが・・。
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この時、まだ朝の7時前だったはずだけど、すでに小さな子供たちはちゃんと起きて
そこらで普通に遊んでる。すっげー早起きチルドレンだな。
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ラオスの子供たち。おそらく暮らしは貧しいんだと思うけど、みんな素朴で、
こまっしゃくれた感じが全然ない、大変よい子たちだった。
ラオスの未来はキミたちの肩にかかっているが、今はそんなこと考えず、
いっぱい学んでいっぱい遊んで、お父さんやお母さんのお手伝いもしてね。


 

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by tohoiwanya | 2016-11-12 04:55 | 2015.09 ラオス・タイ旅行 | Comments(2)
2016年 09月 25日

南西鉄道から英国人気質を考える

先日、某クレジットカード会社のセキュリティ管理部からイ課長に一通の封書が届いた。
おおお、これは南西鉄道のリファンド請求結果の正否を知らせる通知に違いない。
さっそく震える手で(←やや大げさ)バリバリと開封。

          ご請求金額に対する処理経過のご報告
さて、先般ご照会をいただきました海外からのご請求代金につきまして、下記の通り
お取り扱いさせて頂きましたことをご報告申し上げます。


下記の通りってことは、失敗したか成功したかは下の行に書いてあるわけだな?
ところが読んでみると・・・

内容をご確認いただき、ご不明な点がございましたら、お手数ではございますが上記担当まで・・・

なんだよ。下に書かれたこの文章だけじゃ、まだコトの正否がわからんではないか。
もう紙の半分くらいまで読んだのにまだカンジンのことが書かれておらん。
南西鉄道へのリファンド請求は成立したのか?しなかったのか?

その下には問題となった南西鉄道の請求明細が記されてる。これはわかってるよ。でも
結局この金額がどうなったの?戻ってくるの?こないの?
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あと残ってるのは数行の「特記事項」だけ。記述内容の4/5くらいまで読み進んでも
まだ結論がわからないってすごい引っぱりかただな。
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取り消し申請が成立いたしましたことを・・・成立いたしましたことを・・(コダマ)

はぁぁぁぁぁ~~~~・・すまん、イ課長に3.5か月分のため息をつかせてくれ・・・。
これでやっとワタクシは南西鉄道とナンの関係もない一人の市民に戻れるわけですね(笑)。
本格的な夏にもならない6月1日に始まった南西鉄道との泥沼のタタカイ。秋風吹き始めた
9月後半にようやく終わった。いやー長い戦いだったぜ。

この結果をトホ妻に話し、とりあえず「粘り勝ち」だと喜びあったわけだけど、そこから
何となく話が発展して英国人気質の話になった。トラブルに直面した時の英国人の態度って
ちょっと他の国と違うような気がするんだよね。

今回の南西鉄道とか、ロンドン地下鉄のヒドさ(これはいずれ詳しく書く)とか、英国において
「ひでぇ」という思いを抱くことは多い。これはガイジンじゃなく、英国人自身だって同じはずで
住んでる者の方が旅行者よりも「ひでぇ」に遭遇する回数は圧倒的に多いことになる。

でも英国人にはそういう「ひでぇ」に対する感情反応があまり見られないような気がする。
これは今回の旅行でも、以前の出張でも感じたことで、乗ってた地下鉄がトツゼン運行をやめて
「はいこの駅で全員降りな」なんてヒドい状況でも、怒るでも騒ぐでもなく「あ~あ・・・」って感じで
それに従う。同じことがパリやローマで起きたらどうだろうか?みんなもっと騒がないか?
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たまたま旅行前に読んだ英国史の内容でもちょっと思い当たるフシがある。
第二次大戦、陸続きだったベルギーやフランスは早々にドイツに降伏し、島国だった英国だけが
ロンドンをボッコボコに空襲されながらも、とにかく耐え、降伏もせずに持ちこたえた。
もし仮にフランスが島国で、だよ?他の欧州同盟国がほとんどドイツに降伏しちゃった状況で、
パリをバカスカ空襲されながらフランス人はジッと耐えられただろうか?どうもラテン人気質に
「耐え忍ぶ」というイメージは重ならないのだが・・(←偏見)。

こういう英国人の気質。「忍耐力が強い」っていうのとはちょっと違う気がするんだよ。
乗ろうと思ってた地下鉄が動いてない。それに驚くでもなく、怒るでもなく、絶望するでもなく、
「あー、こういう状況に当たっちまった」って感じで仕方なく受け入れてるような感じ。

どうも根本的に英国人には楽天性がないというか、悪い状況が起きる(かもしれない)ことも
あるかもなぁと思いながら生きてるような印象があるんだよね。強いて近い表現としては
「醒めてる」とでも言うべきか。
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大震災やら、電車ストップやらで大混乱になるべき時も、日本人は暴動も起こさず秩序正しい・・
みたいなことは海外でよく言われる。英国人の気質は日本のそういうのともまたちょっと違う気が
するんだけど、行動として現れる部分では似てるのかもしれない。まぁ日本人の場合、地震や台風には
慣れてるという要素があるわけで・・・そうか、そういう点じゃ英国人も「ひでぇ」に慣れてるのか(笑)。

とにかく、災厄に直面した時の英国人の反応ってちょっと独特って気がするんだよね。
今回の南西鉄道トラブルみたいに何度クレームメールを送っても返信なし、なんて事態に英国人が
遭遇したらどうするのか?「泣き寝入りしねぇぞくぬやろう」って感じでイ課長みたいに粘るのか?
意外にあっさり諦めちゃうのか?地元民ならではの何か上手な対処方法があるのか?

「英国人のトラブル対処法」がどういうものか、イ課長としても非常に興味深い。
何しろ南西鉄道みたいな鉄道会社がある国で暮らしてるわけだからねぇ(笑)。
もしそういう事例をご存知の方がいたらぜひご報告いただきたいと思うのである。


 
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by tohoiwanya | 2016-09-25 00:03 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(10)
2016年 05月 09日

バンコク尻すぼみ

粛々と二日連続更新するのである。
といっても、本日の記事は単なる雑感でコレといったネタはない。

長々と書いてきた2014年東南アジア旅行ネタもこれが最後になるはずだ。
記事数が全部で109。1カテゴリー(つまり1回の渡航)の記事数としては新記録だよ。
あの旅行はいろんな意味で濃密だったからなぁ。

サイゴンは2泊3日だけだったけど夜のバイクツアーとかあって充実してたし、2回乗った
国境越えバスも新鮮な体験だった。カンボジアには4泊5日したからトゥール・スレンやら
アンコール遺跡群やら見学してこれまた充実。記憶をたどりながら書くのも熱が入って
その分記事数も増えたんだろうな。

ところが最後のバンコク3泊4日が・・・昨日のホテル評価もいささか尻すぼみだったが(笑)
この旅行全体を通しても「最後のバンコクが尻すぼみだった」って印象が拭えないんだよ。
なにせ到着早々「うわ、カネなくしちまった」じゃ・・。

いちばんの思い出が金を捜しに北バスターミナルに行ったことっつうんだから情けないにもホドがある。
到着した日とその翌日は観光気分からはほど遠かった。

次の日に百年市場に行って多少は“挽回”したけど、その翌日はもう帰国日だ。
夜には空港行かなきゃいけないから大したことはできない。ショッピングモールで土産買ったりしたけど
取り立てて書くほどのこともない。あの風鈴も見つからなかったし・・。
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買い物の途中でエラワン廟も見た。昨年爆破テロがあったところだ。しかしここも1年前に見てるから
「ああ、去年も来たなココ」ってなもんだ。前年初めて来た時の「うお、何だココは?!」みたいな
盛り上がりには欠ける。
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その前に滞在したベトナムやカンボジアの観光活動が充実していただけに、バンコク滞在は
欲求不満が残るのだ。ちっくしょ〜。ま、自分以外誰も責められんが。

せめてバンコクで食ったものの紹介記事でも書こうかと思ったけど、写真を確認してみると
これがまたヒドい。すでに載せた挽肉バジル炒めゴハンオムパッタイ以外の食い物の写真っつうたら
これくらい。スーさんご指名で会いに行って、彼女の仕事が終わるのを待つ間に食ったチャーハンでごんす。
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あとナニ食ったっけ?と写真を探すけど、ない。
コンビニで買ったおにぎりと缶ビールとか、現地で買ったトムヤムクンカップヌードルとか、
そんなんばっかり。まぁ外は暑いから、コンビニで何か買って冷房の効いたホテルの部屋で
ゆっくり食おうという気になりやすいとはいえ・・バンコクは食生活的にも尻すぼみ感が濃厚だ。
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まぁそれでもバンコクでは人との出会いという点ではいろいろあった。
金を探しに行ったバスターミナルで会った人たちはその最たるものだし、例の“グレーゾーン店”で
不健全マッサージのことを教えてくれた宮里藍さんもそう。今は大阪で暮らしてるピースアさんに会ったのも
この旅行の時のバンコクだったし、まだジミだった(笑)ビーさんと知り合ったのも最後の帰国日の夜。
観光活動尻すぼみの中にあって、対人的な思い出が多いのが救いといえば救いか。

ま、こういう尻すぼみも含めて旅というものなのだ(⇦強引すぎるまとめ)。

この翌年にラオスとタイを旅行した時、バンコクに4泊5日と長めのスケジュールにしたのも
この時の尻すぼみのリベンジという理由が大きいわけだが、いよいよそのラオス・タイ旅行ネタに
着手するかぁ・・。まだまだ旅は続くぜ(⇦意味がよくわからない)

2014年東南アジア旅行ネタ。長々おつきあい頂きありがとうございました。
とりあえず、1〜2回くらいは箸休めネタをはさんで気分を変えましょうね。その後はまた
延々と東南アジアネタが続くことになるから(笑)。

 

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by tohoiwanya | 2016-05-09 00:11 | 2014.09 東南アジア旅行 | Comments(2)
2016年 01月 03日

海外美女図鑑 -2016年版-

イ課長ブログ読者のみなさま、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

最近では「美女図鑑を見ないと新しい年が来た気がしない」と言われる・・ことは全然ないけど
2016年最初の更新は新春恒例の海外美女図鑑。去年行った海外というとラオスとタイってことになる。
とりあえず、旅程とは逆にタイの方からいってみるか。


①美女図鑑 タイ編
ルアンパバーンからタイのチェンマイに移動し、ホテルにチェックインし、さてそれでは
タイ飯食ってサンデーマーケットでも見に行くかというわけで、初めてチェンマイの町に出て
目についたレストランに入った。ハッピーアワーでメシ+ビールのセットが安かったのだ。

するとレストランの女の子が「ジャパニーズ?」と話しかけてきた。イエスと答えると
「日本に行きたい」とか「アリガトウと同じ意味でもう一つ日本語知ってる。オオキニ」とか
いろいろ面白いこと言ってくる。日本ファンみたいで、日本人と話がしてみたいんだね。
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生まれて初めて行ったチェンマイの、初めて入った食い物屋でいきなり知り合いが出来るんだから嬉しい。
このお嬢さんとは最終的にFacebook友達になり、この写真も送ってあげることができた。
「お金がたまったら日本に行きたい」と言ってたけど、ぜひ来て欲しいよなー。

そのチェンマイに2泊し、最後の日は午前中に市場を見学し、近くの店で自分用の夏物パンツを買った。
こちらのお嬢さんに「ワタシ用にビッグ&ロングサイズが欲しい。一ついくら?」と聞き、
「二つ買うから安くして」と頼んだらディスカウントしてくれたやさしいチェンマイ美人。
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実際、チェンマイって美人の産地といわれることが多いようだ。
タイ北部にあって、東南アジア的というより中国的な顔立ちの色白の人が多いからってことらしい。
イ課長はバンコク(ここは事実上タイ中の人が集まってる)とチェンマイしか知らないから
顔の造作の比較は難しいけど、大都市バンコクに比べれば田舎の小都市チェンマイは化粧っ気の薄い、
ナチュラルな美人が多かったという印象で、イ課長的にはたいへん居心地がいい町だった。


②美女図鑑 ラオス編
さて、ラオスだ。
ルアンパバーン滞在中は毎晩ナイトマーケットをブラついて、何か買い物するとそこの店主(たいてい女性)の
写真を撮らせてもらった。

たとえばこれ。Tシャツ屋さんでビアラオのプリントのついたTシャツを2枚買い、例によって
「二枚買うから安くして」とおねだりしたらディスカウントしてくれた若いママさん。
胸元からのぞいた黒い下着が危険だ(笑)。
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これもルアンパバーンのナイトマーケットで土産物を買ったお店のお嬢さん。後ろのお母さんと
一緒に店番してるけど、まだ中学生くらいじゃないかなぁ?白いブラウスも学校の制服に見える。
座ってるからわからないけど下はシンをはいてると思われる。ここでも「二つ買うから安くして」って頼んだら
ちょっと困ったフリをしながらも(笑)「んー・・イエス」とOKしてくれて、写真撮らせてほしいって
頼んだらこうやってキチッとポーズをとってくれた。とぉーっても真面目でイイ子だったのである。
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ラオスの美女となれば、必然的にシン着用美女図鑑という側面も強くなる。
実際、ルアンパバーンでカフェに入ればこんなかわいいシン姿のウェイトレスがいるんだよ。
たぶんお兄さんなんかと一緒に店を運営してるようで、こちらも高校生くらいじゃないかな?
ハダシでスタスタと店内を歩き回ってる姿がとてもかわいらしい。
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こちらもシン姿の美女。
クアンシーの滝を見に行って豪雨にあって雨宿りしてた時に盗撮した。
おそらくどこかの団体ツアーのガイドさんで、バンの後ろのドアを屋根がわりにして雨宿り
してるところをパチリ。足が細くてスタイルよくてシンが似合ってるねー。
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最後はヴィエンチャンで泊ったホテルの美人従業員。
地図もらったり、貸し自転車や明日の空港送りのことを聞いたり、あれこれ聞いた挙げ句、
「もう一つお願いが」と言ったら、またかって感じで「こんどは何?」って聞き返してきた(笑)。
もちろんそのお願いというのはアナタの素敵なシン姿の写真を撮らせて下さいということだ。
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嬉しそうにポーズをとってくれた。
手の位置とか足のそろえ方がモデルみたいだ。撮った写真を確認してすぐに
「あ、この写真は来年の美女図鑑行きだ」と思ったよ(笑)。シンの織り柄もすごくきれい。
その日のうちにホテルのメールアドレスに写真を送ったらちゃんと彼女に届いたようで、
翌朝の朝食の時に会ったら「写真見たわ、サンキュー」と満面の笑顔で言ってくれた。

いやー、やっぱ東南アジアは美女図鑑の素材が潤沢ですなぁ。

というわけで、今年も美女図鑑で幕を開けたイ課長ブログ。
前回書いたように、今年はトホ妻とどこかに行く予定だけどもしブ○ばっかの国だったりしたらドウしよう・・・

早くも来年年頭の更新ネタの心配をするイ課長なのである。

 
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by tohoiwanya | 2016-01-03 00:01 | 2015.09 ラオス・タイ旅行 | Comments(10)
2015年 11月 06日

子供のころ戦争があった

健全・不健全バナシからようやく普通の旅行ブログらしい話に戻れるぜ。

サイゴンにファングーラオ通りっていう大きな通りがある。

例のベンタイン市場前のロータリーから南西に向かってのびる大通りで、片側は公園になってて
反対側にはオフィスやレストラン、ホテルなんかがズラリと並ぶ。サイゴン中心部にある
賑やかな大通りだ(下の写真はファングーラオ通りガワからみた市場前ロータリー)。
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このファングーラオ通りとデタム通りがぶつかるあたりは旅行代理店や安いホテルが密集してて、
外国人旅行者(特に欧米系)が集まるエリア。夜も賑やかで、バンコクにあるカオサン通り
みたいなところと言っていいんだと思う。
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近藤紘一さんの「サイゴンのいちばん長い日」という本にもファングーラオ通りという地名が出てくる。
近藤さんが再婚したベトナム人の奥さんの実家がこの通りの近くにあったらしいのだ。彼自身もその
奥さんの実家に身を寄せてたことがあるからほとんど家族同然。

(南ベトナムにとって)戦況が悪化し、近藤さんは奥さんを日本に避難させるんだけど、彼自身は
特派員としてサイゴンに残る。今や彼自身の親戚でもある奥さん一族も当然サイゴンにいるわけだ。

そのサイゴンもいよいよダメ。明日にも北ベトナム軍が入ってくるっていうんで街中が騒然とした中、
報道関係者ほか現地在留日本人は日本大使館に集合すべしという連絡がある。近藤さんがその前に
大急ぎでファングーラオ通りの奥さんの実家に行く場面は、陥落前日のサイゴンの大混乱を
生々しく感じさせる一方で、戦争に翻弄される市井の人々の悲哀が胸に迫ってきて泣ける。
ちょっと引用させていただこう。


流しのモーターバイクをつかまえてファングーラオ通りに行く。
一族の連中は睡眠不足で赤い目をしていた。前夜、300メートルと離れてないところに
ロケット砲弾が落ちた、という。(中略) チュン爺さんに片言のベトナム語と身ぶり手ぶりで
事情を説明し「みんな力を合わせて食いつないでくれ」と手持ちの金を渡す。ロケットよけに
防空壕を掘るようにいい、その足で初老の義理の従姉妹チー・バイをともない、川沿いの問屋街で
米を100キロ買って渡した。

問屋の前で別れるとき、いかつい顔の彼女が大声で泣き出した。
「もう帰ってこないんだね、こんな形で別れるなんて。戦争はイヤだよ」
ちょっと目がしらが熱くなった。みんなにまた会えるのはいつか。
「泣くなよ、しっかりしてくれ」
日本語で言い残して、モーター・シクロで集合所に向かう。



いまファングーラオ通りを歩けば「この街は長い戦争ののち、40年前に陥落した」なんて思いださせる
ものはまったくない。いかにも新興国の首都の大通りって感じだ。しかしベトナム戦争を同時代的に新聞や
テレビで見聞きし、近藤紘一さんの著書も読んでるイ課長としてはやっぱりしみじみと感じるものがある。
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いまベトナムは平和なのだ(カンボジアと同じこと言ってらぁ)。
自分が子供の頃、砲弾が飛び交い、硝煙のにおいが漂っていたサイゴンの町を、いま年を経て
オッサンになった自分がこうして外国人観光客としてソゾロ歩いてるのだ。

サイゴン陥落も今や40年も前の話。
ベトナムにとってあの戦争は「体験」というより、徐々に「歴史」になりつつあると言っていいんだろう。

だがイ課長はベトナム戦争を同時代的に(報道を通じてだが)体験している程度に年寄りなのだ。
子供だった頃、ベトナム戦争報道は毎日のように目にした。カンボジアについての情報は少なくて
なにも知らなかったけど、ベトナムに関してはどんな愚かな子供だってあの国が大変な戦争の
真っ最中なんだってことはわかる。イ課長にとって「子供の頃ベトナムは戦場だった」のだ。

前にも書いたように近藤紘一さんご自身は残念なことに若くしてガンで亡くなっている。
奥さんと連れ子の娘さんはその後パリで暮らし、娘さんはフランス人と結婚したらしい。
サイゴン陥落当時、ファングーラオ通りに住んでた奥さんの一族はいまどうしてるんだろう?
「チュン爺さん」は亡くなっただろうなぁ。別れ際に号泣した「初老の義理の従姉妹チー・バイ」は
今でもサイゴンにいるのかなぁ?

ベトナム戦争は40年前の歴史となり、ベトナムはいま平和な国として経済発展を続けている。
ファングーラオ通りに面した公園は昼間も例のフェスティバルで賑やかだ。ここを歩く市民の多くも、
いまやあの戦争を歴史としてしか知らないわけだよねぇ。
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でもね、当時新聞でベトナム戦争の写真を見て「こえー」なんて言ってた日本のガキンチョが
いまオッサンとして平和なサイゴンの町を歩けばね、やっぱ年寄りだからこその感慨ってもんが
湧いてくるわけですよ。戦争はもうないのだ。いまサイゴンは平和なのだ。
戦争がないという状態はそれだけで何と素晴らしいことか(また同じこと言ってらぁ)。

本日の記事はこれといったネタは何もない。
“生きる歴史となった年寄りジジイの繰り言”と思ってご容赦いただきたいのである。

 
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by tohoiwanya | 2015-11-06 00:11 | 2014.09 東南アジア旅行 | Comments(6)
2015年 10月 03日

東南アジア4か国比較論

なんとなくまだ去年の旅行ネタに戻る気分じゃないので(←気分屋)、もう少し別の話を書く。

イ課長は最近3年間でベトナム、タイ、カンボジア、ラオスという東南アジア4か国を旅行した。
この4か国、地理的にも近いし歴史的・文化的にもいろんなシガラミやら類似点やらがある。

歴史的にはおおむね「強国タイとベトナムの間にはさまれた弱小国ラオスとカンボジア」という
位置づけになると言っていい。緩衝国家なんていう言い方もあるくらいで、ラオスとカンボジアは
多少の例外はあっても、基本的には大体東西の大国のどっちかに首根っこを押さえつけられてきた。

しかし別の見方もできる。ベトナム、カンボジア、ラオスの3カ国はそろって旧フランス植民地だ。
一方タイは一応独立を保った。一見、タイだけが列強の圧力に屈さなかったようにも見えるけど、
実際のところ、フランス(ベトナムやラオスやカンボジア)と英国(インドやミャンマー)両勢力の
“緩衝地帯”として真ん中にあったタイが使われたという部分があるのも否定できないんだよね。

この4カ国は陸でつながってるから領土的な遺恨や争いも多い。
アジアでも屈指の肥沃な土地と言っていいメコンデルタ地帯、今はベトナムの領土だけど
昔はクメール帝国(カンボジア)の領土だった。カンボジア人はけっこうこれを根にもってる。
世界遺産の遺跡・プレアヴィヒア寺院はタイ・カンボジア国境にあって、今世紀になっても領有権争いで
武力衝突が何度も起きた。結局、国際司法裁判所が「カンボジア領」という裁定を下したんだけど、
タイ側には未だに遺恨が残る。こういうのがけっこう多いんだよねぇ。
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その一方で言語的類似性はけっこう強い。特にタイ北部とラオスの言語は似てるらしい。
ラオスの有名なビール銘柄のTシャツを着てチェンマイに着いたら、タクシーの運転手が
「ラオスから来たのか?ラオスとチェンマイの言葉は近いんだぜ」なんて話しかけてきた。

タイ語のあいさつが「サワディー」 ラオス語のあいさつが「サバイディー」
タイ語のありがとうが「コー(プ)クン」 ラオス語のありがとうが「コープチャイ」 


まぁ確かに似てる。
タクシーを降りる時、ドライバー氏の期待?にこたえてわざとラオス語で「コープチャイ」って
言ったら「よしよし」って感じでうなづいてた。チェンマイあたりの人にとってのラオス語って
イタリア人にとってのスペイン語ほどの違いもないのかもしれない。

てな具合に、親密なような仲が悪いような4か国なんだけど、その経済格差はかなり大きい。
豊かさの指標としてよく使われる国民一人当たりGDPだとこんな感じだ。


一人当たりGDP(2014年名目GDP 出典:IMF)

  タ  イ    5,444.56$ (96位)
  ベトナム    2,052.85$ (135位)
  ラ オ ス   1,692.65$ (142位)
  カンボジア    1,080.82$ (160位)

 (参考)日本    36,331.74$ (27位)


カンボジアやラオスから来ると、まるで「別の星に来た」くらいの格差をもってバンコクは大都会なわけで、
バンコクに比べたらプノンペンやヴィエンチャンなんてせいぜい「タイの田舎町」レベルってくらい差がある。
上の数字を見てもタイの豊かさは4か国ン中じゃ断トツで、ラオスが「バーツ経済圏に飲み込まれる」なんて
言われてるくらいだ。ラオスやカンボジアからタイに行く出稼ぎ労働者も多い。

ただ、一人当たりGDPっていう以上、その数字はGDPそのものの規模と人口の大小で大きく変わる。
こんどは4か国の人口を比べてみよう。これを見るとけっこう驚く。


人口(2014年時点 出典:IMF)

  ベトナム   9,063万人(14位)
  タ   イ  6,866万人(20位)
  カンボジア   1,531万人(67位)
  ラ オ ス      690万人(101位)

 (参考)日本  12,706万人(10位)


何に驚くって、ラオスの人口の少なさだよ。ベトナムの1割にも満たないのかよ!
あの歪んだ人口ピラミッドのカンボジアに比べても半分以下っていうんだからタマゲる。
ラオスの一人当たりGDPの数字がカンボジアより高いのは、ひとえにその「少ない人口」ゆえだろう。
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ラオスの「人の少なさ」は現地に行くと確かに感じる。
サイゴンの活気あふれるバイクの洪水に比べりゃ、ヴィエンチャンはそりゃーのどかなもんだった。
ルアンパバーンなんてさらに輪をかけて田舎で、物販店であれ飲食店であれ、ちらほらいる客は
ぜんぶ外国人観光客。地元の人でにぎわう店なんて皆無だった。あれで商売が成り立つんだろうか?

ラオスって、大規模製造業なんてビアラオ(現地ビール会社)以外にないってくらい産業構造は脆弱で
少ない人口の大部分は農業。貧しい国なんだよ。

ところがこういうラオスに「貧しい国の豊かさ」っていうキャッチフレーズがつくことがある。
なぜかというと、ラオスは貧しいはずなのに一方で飢えたコジキとかが皆無だからだ。実際、
現地でも物乞いなんて見なかった(大都会バンコクではよく見るのに)。

要するに「みんなが農業やってる」+「人口が少ない」せいらしいんだな。
仮に本人がそうじゃなくても家族・親戚の誰かは必ず農業やってるわけだから、ナンだカンだ言って
食い物だけはある。誰かからコメを分けてもらうことはできる。リーマンショックだ世界同時不況だって
世界が騒いでた時も、貧しい国ラオスはのんびりムードだったらしい。この辺が面白いところだ。
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4カ国の「気質の違い」ということになると、これはもう短期滞在しただけでも歴然と感じるね。
ベトナム人やカンボジア人はけっこうガツガツして貪欲。ベトナムじゃボッタクリも日常茶飯事だし。
要するに金銭欲や生活向上欲があり、その欲を満たすために頑張ってる(という言い方もできる)。
タイは相対的に豊かな分、その「ガツガツさ」が少し希薄になってるって感じで、この辺は中進国の
余裕なのかもしれない。

他3カ国と顕著に違うのはラオス人だ。ラオス人ってみんなびっくりするくらいノンビリしてるというか、
人がイイというか、控えめというか・・・・ラオスに長く暮らしてると性善説を信じたくなるかもしれない。
ボッタクリなんてたぶん一度もなかったはずで、どんなみすぼらしい店で買っても缶ビールの値段は
いつも同じ。ベトナムじゃ考えられんよ(笑)。

これ、現地で会った日本人もみんな同様の感想を持ったようで「ラオスの人って商売っ気ないですよねぇ」
なんて言ってた。不思議なくらいガツガツしたところがない。こういうノンビリした人の良さみたいなものも、
もしかすると上で書いた「飢える恐怖がない」っていうことによるのかなぁ?それとも敬虔な仏教徒が多いせい
なのだろうか。あるいは、みんな一様に貧しくて貧富の差が少ないから欲が発生しないのかな?
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とにかくこの4か国、いろいろ錯綜したカンケイがあって深堀りするとなかなか面白い。
これにミャンマーが絡んでくるとますます錯綜するわけだけど、イ課長はミャンマーに行ったことがない。
まぁミャンマー訪問は将来のお楽しみってことで、とっておこうではないか。

ちなみに、本日掲載した写真は4か国で撮った写真を1枚ずつピックアップしてる。
ドレがどの国で撮った写真かわかる?・・・・バレバレか(笑)。

 
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by tohoiwanya | 2015-10-03 00:03 | 2015.09 ラオス・タイ旅行 | Comments(0)