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2019年 02月 13日

映画ヲタクの旅 その4【転校生】

食い物の話をはさんで油断?させといて、実はもう一つあるのだ。映画ネタ。
イ課長にはもう1か所、尾道でどうしても見ておきたい場所があった。
やっぱり「転校生」がらみなのだが。

「転校生」って1982年の映画らしいから、イ課長が就職した年だ。
その年に、ナンの映画を見た時だったか・・とにかくお目当ての映画の上映前に
近日上映作品として「転校生」の予告編を見たんだよ。その予告編っていうのは
下の動画に間違いない。
 
 
その時はもちろんこの映画のことは全然知らなかったわけだけど、この予告編の
最初のところがキョーレツに印象深く記憶に刻まれた。小林聡美が自転車コイで
跨線橋を登っていく場面だ。

オッフェンバックの「天国と地獄」の曲をバックに、女のコが阿修羅のごとく(笑)
坂道を登っていく場面はモノすごく鮮烈で、衝撃的で、そこだけはずーっと覚えてた。
(実際の映画でもこの場面はあるが、バックに「天国と地獄」はかかってない)
もし尾道行くなら、あの跨線橋は見たい。絶対見たい!

いろいろ調べ、あの跨線橋が現在もまだ残っており、それがドコにあるかを確認した。
前に書いた信行寺下踏切からそんなに遠くないところだ。寺めぐりが終わり、こもんで
(トホ妻だけ)ワッフル食ったあと、疲れた足をひきずって跨線橋目指して歩く。

【山陽本線 跨線橋】
あったあった。これこれ。反対側から見るとこんな感じなのか。
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個人的には「転校生」のロケ場所の中で、ここが一番見たかった。嬉しいーー。
よし、さっそく上まで登ってみようではないか。イ課長とトホ妻の影が夕日で
長くなっております。
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坂の上から西(尾道駅ガワ)を見た眺め。
国道2号線と線路までがかろうじて平地で、そこから右はイッキに斜面になってるのが
よくわかる。つまり山陽本線はホントに尾道の山のキワに敷かれたんだなぁ。
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おお、坂道部分には何もなかったけど、橋の部分には路上駐車自転車がいっぱい。
とりあえずここまでは自転車やバイクで来たけど、この先は階段ばっかりだから
ここに置いとくしかないって人がいるのかも。
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横から見るとこんな感じ。一応自転車で登れる傾斜ではあるだろうけど、けっこう急坂。
小林聡美だって、この坂がもう200mも続いたら登れなかったよね、きっと(笑)。
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映画では望遠で撮ってるから奥行き感がなくなって、さらにすごい急坂に見える。
イ課長もちょっと離れて望遠で撮ってみた。
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さらに離れて望遠で撮る(トホ妻は呆れて、道路の向こう側で待ってた)。
こうやって望遠で撮ると、映画と同様、坂がほとんど垂直壁のごとくに見える。
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「大昔、予告編で見て、未だに強く印象に残っている場面」だっただけに、この跨線橋だけは
ぜひ見ておきたかった。日が暮れかかる夕方、疲れ果てた足をひきずりながらだったけど
来られて嬉しかったなぁ。

あー・・とうとう跨線橋だけでブログ記事ひとつ書いちまった。すまぬ。

 


by tohoiwanya | 2019-02-13 00:12 | 国内出張・旅行 | Comments(0)
2019年 02月 08日

尾道寺めぐり その4+映画ヲタクの旅 その3【転校生+東京物語編】

本日は「転校生」と「東京物語」の有名な場所をダブルでご紹介しちゃうのである。
寺めぐりも兼ねてるから、ぜんぶ盛り込むと標題がワケわからんことになっちまった(笑)。
今日はちゃんと浄土寺、いきますから。

【御袖天満宮】
ここは映画「転校生」で尾美としのりと小林聡美がコロゲ落ちて男女が入れ替わる、
あの階段がある神社なのである。それはもう絶対行かねばならぬ。

しかし「あの階段」の前に、別の階段をウントコサ登らなければならない。ひぃ・・。
あ、にゃんこだ。毛がフカフカして、今の季節はあったかそうやのう。
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おおおーーこれか。「転校生」ファン必見の、あの階段。
映画に出てきた階段だけ見て感慨にふけるなんて、2008年にワシントンDCで
エクソシストの階段」を見て以来の稀有な経験だ。
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せっかく来たんだ、この階段をさらに登ってみよう。ひぃ・・。
上からはこういう感じ。ここを転げ落ちたら、性別が入れ替わるくらいじゃとても済まず、
全身複雑骨折くらいしそうだ。イ課長が高校生時代に鍛えられた真間山弘法寺の階段と違って、
途中に踊り場が全然ない。お年寄りにはキツいだろうなー。
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ここから、古くて立派な校舎のある学校、さらに西郷寺を通って浄土寺へ。
後で知ったけど、「東京物語」の中で香川京子が勤め先の学校に歩く場面は、その古い学校の
(久保小学校っていうらしい)近くで撮られてたらしい。知らんかった。
 
【浄土寺】
さぁそしていよいよ来たぞ、浄土寺。
浄土寺は寺の町・尾道の東の端にある。尾道駅から始まった「寺めぐり」では
ゴール地点にされていることが多い。トホ妻&イ課長もここが最後の目的地。

ここは「東京物語」の中でも忘れられないシーンが撮影された場所なのだ。
東山千栄子が死に、(たぶん)告別式の日の朝、原節子が笠智衆を呼びに来る。

原「おとうさま・・敬三さん、おみえになりました」
笠「・・ああ・・・きれぇーな 夜明けじゃった・・」
原「・・・・」
笠「・・今日も 暑う なるぞ(歩き出す)」

妻に死なれた夫(笠智衆)が一人迎える夜明け。人生は、そしてこの世は無常である。
この映画の象徴的なシーンで、スチール写真なんかではこの灯篭が必ず出てくる。
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その灯篭ってこれに違いない。
ただ、残念ながら浄土寺のレイアウトは撮影当時とは変わってしまっている。
画面に映ってた灯籠はあるけど、位置がだいぶ違う。今やあの映画の笠智衆と灯籠と
同じ位置関係で立つのは不可能。
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鐘つき堂は映画に写ってるヤツと同じに見える。しかし灯篭が移動しちゃったし、
塀の様子も変わってるから、笠智衆が立ってた位置がどの辺なのか、写真で比べても
イマイチよくわからん。
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この浄土寺、国宝や重文の建物を保有してる寺で、この多宝塔というのが国宝。
非常に変わったスタイルの塔だ。たしかに珍しい。
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実はこの多宝塔も「東京物語」に出てくる。笠智衆ンちの、庭の塀の向こうが
すぐ多宝塔。ってことは、笠智衆の自宅は浄土寺のすぐ裏という設定なわけだ。
明け方、家を出てブラッと寺に行き、そこで夜明けを見てても不自然ではない。
これ、どの辺から撮ったんだろう?塔がすぐ近くに写ってる。セットかな?
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観光シーズンでは全然ない真冬。浄土寺を訪れる観光客は少なく、ハトばかり多い。
しかし、トホ妻とイ課長は「東京物語」の、あの場面と同じ場所を歩いたということが
嬉しかった。浄土寺から下に降りる急な階段は疲れた足にはキツかったけど、気分はご満悦。
(ご存知ない人もいるかもしれないが、トホ妻はイ課長に輪をかけた映画ヲタク、さらに
小津ヲタクなのである)。
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国宝の塔もあるくらいだから、「東京物語」を全然知らない人でも、浄土寺は
尾道寺めぐりにおける重要な見どころなのは間違いない。しかしあの映画を
知った上でここを訪れるのは、格別の思いがあるのでございますよ、ええ。

 


by tohoiwanya | 2019-02-08 00:09 | 国内出張・旅行 | Comments(0)
2019年 02月 04日

映画ヲタクの旅 その2【東京物語編】

今日は映画ネタだけでいく。「東京物語」について書きたいのだ。

尾道は大林監督のいろんな作品の舞台になったところで、すでに「転校生」の
ロケスポットについては書いたけど、尾道といやぁイ課長が思い出す映画がもう一つある。
小津安二郎監督の名作「東京物語」なのである。

あの映画では笠智衆と東山千栄子の老夫婦が尾道在住という設定になってて、
映画の最初の方と終わりの方で尾道の風景がいっぱい出てくる。

その前に「東京物語」について説明しておきたいのだ。
「東京物語」は1953年の松竹映画。還暦イ課長だってまだ生まれる前、イ課長両親ですら
まだ結婚してない頃の、チョー古い映画だ。おそらくこのブログの読者でも「題名は
聞いたことあるけど、観たことないなぁ」って人が多いと思うんだよね。
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66年前の映画だ。そりゃーもう古い。もちろんモノクロ。しかしとにかく名作なんだよ。
何がスゴいってわけじゃないんだけど、しみじみと染みる映画なんだよねぇ。
封切り当時より、むしろ後年になって急激に評価が高まった映画でもある。
2009年に実施したキネマ旬報の「日本映画オールタイムベスト」で第1位だった。
(ちなみに、イ課長がキネ旬買ってた頃の邦画オールタイム1位は七人の侍だった)。
 
それだけじゃない。
2012年だかに英国映画協会が世界の映画監督358人に投票させたオールタイムベストが
あるんだけど、そこでも「東京物語」が第1位。「2001年宇宙の旅」や「市民ケーン」を
差し置いて、ですよ。「TOKYO STORY」への評価は完全に世界的なんですよ。
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映画の最後、笠智衆から形見の時計をもらった原節子がこらえきれずに泣くシーンは
何度見ても、こっちまで泣ける。世界映画史上の「もらい泣きシーン」ベスト3には
入るだろうとイ課長は個人的に思っているのである。

そんな「東京物語」の舞台の町・尾道に初めて来たわけだ。
ここでロケした66年前と今とじゃ、尾道も相当変わっているだろうけど
映画に出てきた場所がわかれば、そりゃ見たい。「東京物語の、あの場面は尾道の
ドコだったのか」を確認するための事前調査が仕事をサボッて行われた(笑)。

今日は順不同で、投宿ホテルの真ん前にあった住吉神社について触れておきたい。
別にそれを狙ったわけじゃなく、たまたま予約したホテルだったんだけど、ホテルの
正面にある神社の燈篭が「東京物語」の冒頭に出てくることを後で知った。
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これが現在の燈篭。これだよ。間違いない。
いくつかある尾道風景ショットの一つだけど、形状が印象的だから記憶に残る。
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尾道水道に面して建つ、この住吉神社、実はびっくりするほど小さい。
ホテルの窓からはこんな感じで見えた。これが全景なのだ。小さいでしょ。
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しかし神社の規模など問題ではない。「東京物語」に写ってたあの灯籠というだけで
イ課長とトホ妻は深く満足したのである。そして次回はいよいよ、妻に死なれた
笠智衆が夜明けを見ていた、あの浄土寺いくぞ、浄土寺。

 


by tohoiwanya | 2019-02-04 00:03 | 国内出張・旅行 | Comments(4)
2019年 02月 02日

尾道寺めぐり その3+映画ヲタクの旅 その1【転校生編】

1月末付けで定年退職、2月1日付けで常勤嘱託社員になったイ課長ですこんばんわ。
おまけに2月の海外出張も控え、ちょいと消耗しております。しかしもう今となっては
仕事や会社は終活期(笑)。それより尾道紀行を続けましょうね。

このあたりから徐々に記事の標題が複雑になる。
尾道は寺めぐりだけでも見どころは多いけど、有名な映画のロケ地もまた多い。
映画ファンには見どころがさらに増えるから、こういうことになるのだ。

【艮神社】(うしとらじんじゃ)
前回記事の写真でお見せしたように、ここはロープウェイの山麓駅に接してる。
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神社だから「寺めぐり」という標題に反するが、固いことは言わないでほしい。
ここは大林監督の「時をかける少女」の重要なロケ地らしいんだけど、イ課長は
「時かけ」は見てないので、ここは軽く見学しましょう。わんこがいるね。
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艮神社は尾道で一番古い神社らしい。調べてみたら建立は806年。
つまり約1200年前に建てられたことになる。そりゃーー古い。もちろん、今ある
本殿はもっと後年に建てられたものだろうが。

この巨大クスノキがすごかった。推定樹齢約900年。広島県指定の天然記念物。
まさにご神木にふさわしい偉容。とても写真に収まりきらない。
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【喫茶 こもん】
この辺から映画「転校生」ネタが登場しはじめる。
まずロープウェイ駅のほぼ真ん前にあるこもんという喫茶店。こんなお店。
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ここは「転校生」で、男女入れ替わった二人が水着を買いに行く時に寄る店なのである。
この時は外観だけ見たけど、あとで戻ってきた時に、中に入ってお茶を飲んだ。
ワッフルが有名な店だそうで、トホ妻はワッフルのセットを注文。イ課長はコーヒー単品。
一切れ食ってから写真を撮ったので美しくないが(笑)。
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【山陽本線 信行寺下踏切】
こもんから再び西に戻る。足の負担を減らすため、平坦な国道2号線を歩くことにした。
この辺は斜面から下りてきた階段が線路にぶち当たって踏切になり、そのまま国道に
つながるっていう構造の場所が多いんだけど、その中でもこの踏切は映画「転校生」を
ご覧になった方にはちょっと特別な場所。
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映画の最初の方で、画面がモノクロからカラーに変わる時、小林聡美がたたずんでた
あの踏切がここなのである。大林監督の生家もどこかの踏切の近くだったはずで、
彼にとって階段を下りた所にある山陽本線の踏切という構図は原体験そのものなんだろうな。
うーむ・・尾道はどこを見ても情緒があるのう。

寺めぐりと映画ロケ地めぐりが重なって、尾道紀行、盛り上がってまいりました。
次回はちょっと趣向を変えて志賀直哉と林芙美子の足跡をたどる、文学散歩ということに
なる予定なのである。

 


by tohoiwanya | 2019-02-02 00:04 | 国内出張・旅行 | Comments(4)
2017年 10月 30日

おーい水島、一緒に日本に帰ろう

ミャンマー旅行以来、一度観たいと思ってたんだよね、「ビルマの竪琴」。
初公開版、カラーのリメイク版ともにまだ観たことがなかったのだ。

府中の図書館にDVDがあったから借りた。中井貴一が出たリメイク版じゃなく、1956年公開の
白黒版。ただし再編集バージョンだと思われる(初公開版には人食い土人とかが登場したらしい)。
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ある意味、「あの当時」だからこそ観る者の心の琴線に触れた映画といえるかもしれない。
昭和31年つうたら捕虜になってた日本兵が戻ってきてから10年たらず。「復員せず、そのまま
ビルマに残る日本兵」という設定はけっこう胸に迫るものがあったんだろうと思う。

この映画に特定のモデルはいない。日本に復員後、僧侶になった人がモデルとか言われてるけど、
そもそもミャンマーで出家者が音楽を奏でるなんてことは戒律上あり得ないことだそうで、
そういう意味でも「ビルマの竪琴」は完全なフィクション。
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悲惨な戦争を描いた映画ではあるんだけど、出て来る日本兵やビルマ人、さらに英軍までもが、
おおむねヒューマンな心を持つ者として描かれてるのはこの映画の格調を高くしていると思う。
水島がビルマに残ろうと思ったキッカケも、死んだ日本兵の墓で賛美歌を唄う英国人たちの姿を
見たことで、ワルモノって出てこない。現地ビルマ人(塀の外)と日本軍捕虜(塀の中)の関係も
素朴かつ友好的に描かれてる。

前にも書いたけどミャンマーは対日感情が極めて良い国と言われる。
「対日感情がメッチャいい国が世界に二つ、それはトルコとミャンマーだ」なんて話も読んだ。
対日感情がイイというのは大変有り難いけど、第二次大戦中、日本軍はビルマを実質統治した。
戦争中は相当メイワクもかけたはずなのに、中国や韓国と違ってなぜ対日感情がイイのか?

歴史的には「日本統治→日本の敗戦が独立の契機になった」ってことがあるかもしれない。
これはミャンマーに限らず、東南アジアの国にけっこう共通するブブンなのだが。

イ課長が漠然と思ってたのは「ビルマの人にとっての日本兵って“みじめで悲惨な敗残兵”という
イメージが強いからではないか?」ということ。この映画も敗色濃厚となった日本兵の部隊が
タイに逃げようとしてビルマを敗走するシーンから始まる。
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おそらく当時のビルマ人にとって日本軍って、長く支配者だった(120年以上)英国軍を追っ払い、
英軍に代わってミャンマーを統治した・・と思ったらアッという間(約3年)に「腹をすかした
哀れな敗残兵」になった兵隊さんたち、というイメージが強いんじゃないかなぁ?幸いなことに
虐殺者とか侵略者という記憶が強く残るほど長く居座ることがなかった。

映画の中で三國連太郎隊長率いる部隊が捕虜になるのはミャンマー南部のムドンって町で、
これは実在の町だ。それなのになぜか劇中にヤンゴンのシュエダゴン・パゴダが出て来たり
するけど、実際に市川崑はこの時一週間だけビルマ・ロケしたんだと。しかしたった一週間じゃ、
ヤンゴン以外の街に移動して撮影するヒマなんてなかったんだろう。
 
しかしだね、映画を見てイ課長がギョッとした箇所がある。ある寝釈迦が写った時だ。
非常にヘンな姿の寝釈迦で、容貌魁偉と言ってもいいんだけど、それに見覚えがあったんだよ。
DVD画面からキャプチャーできないようになってるから、画面をお見せできないのだが

いやしかし、この容貌魁偉な寝釈迦は明らかに見覚えが・・あ、アレか?
ヤンゴンのチャウッターヂー・パゴダに展示されてた写真(をイ課長が撮った写真)と比較した。
コレだよコレ。間違いない。ヤンゴン市内にあったはずだから(今はないが)、市川崑が
現地ロケした時も、この寝釈迦は撮影可能だったわけで、映画に写ってて不思議はない。
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何ともすごい姿カタチの寝釈迦だ。っていうか、これだけみるとお釈迦様に見えない(笑)。
上の写真下にある「Wingaba Rangoon(Yangon)」で検索するとこの写真が出てくる。
さらに調べると、Wingabaっていうのはおそらくチャウッターヂー・パゴダがあるあたりの
地名じゃないかと推測される。
 
この顔のアップが映画の中でも出てきたよ。市川崑もインパクトある姿に驚いたんだろう。
だがこの衝撃的な見た目を持つ寝釈迦像は現在なくなってて、今はコレとは180度正反対の、
妖艶美白仏がある。それについてはいずれ詳しく書きます。あれも別の意味でインパクト十分。
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ミャンマー行ったあと見ると、考えるところ、思い出すところの多い映画でした「ビルマの竪琴」。
ちなみに中井貴一主演の1985年版は見てない。あちらは石坂浩二はじめ主要キャストはみなさん
ご健在だ。しかし1956年版となると、安井昌二も三國連太郎も西村晃も北林谷栄も、もちろん
監督の市川崑も、みなさん天国に行ってしまわれた・・・。

 


by tohoiwanya | 2017-10-30 00:07 | 2017.08 ミャンマー・タイ旅行 | Comments(2)
2013年 09月 07日

映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家

雨のクラクフ、ダークな旅は続く。

シンドラーの工場を出たイ課長は、再び市電に乗り、ヴェリチカ通りを南東に向かった。
この先にプワショフ強制収容所跡地があり、残虐非道なサディスト所長として恐れられた
アーモン・ゲートの旧宅もその近くに残っているはずなのだ。

「シンドラーのリスト」をご覧になった方なら、レイフ・ファインズが演じたオニの収容所長
アーモン・ゲートの存在は忘れない。彼もシンドラーと同様に実在の人物なんだけど、
その評判はこれ以上悪くなりようがないくらい、悪い。

あの映画の中で最もいやなシーンの一つが、アーモン・ゲートが自宅のベランダから
タバコを吸いながら、ライフルで収容所にいる収容者を気まぐれに狙撃する場面だ。
映画をご覧になっていない人のために、動画を貼っておく。
 


これ、実際にあった話のようで、さらにタチの悪いことに、アーモン・ゲートは自分が狙撃した
犠牲者の死体に向かって飼い犬をけしかけ、食わせてたっていうんだから、こうなるともはや
冷酷とか残虐ってレベルじゃない。立派な異常者。

しかし感心させられるのは、この稀代の悪役を演じるにあたってのレイフ・ファインズの役作りだ。
この写真を見てみ?アーモン・ゲートを演じるために、彼がタイコ腹の肥満体型にわざわざ太ったのは
間違いないし、本人のこういう古い写真資料を研究した上であの場面を演じたのも明らかだ。
(下に載せた写真はネットからの拾い物)
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映画にもあったように、アーモン・ゲートの家はプワショフ強制収容所のワキに存在した。
その家がまだ現存しているとなれば、これはぜひ見ておきたい。
場所がどこなのか、地図で特定するまでは一苦労だったんだけど、こういうことには仕事以上の
情熱を傾けることで有名なイ課長だから(笑)、ちゃんと発見したのである。もちろん、地図には
アーモン・ゲート旧宅なんて出てるわけないから、鉛筆で「この辺のはず」という印をつけておいた。

最寄と思われる停車場で市電を降り、あの辺と思われる地点に向かって緩い坂道を登る。
この先のはずだ。地図によると、この坂を登りきったところの道のやや左手のあたりに・・・
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うおッ?!こりゃたまげた。
ここにもまた別のユダヤ人団体が見学に来てるよ。アーモン・ゲートの家なんていうダークスポットを、
団体で、ガイドつきで見に来ているとは驚いた。シンドラーの工場でもユダヤ人団体と遭遇したし、
クラクフでイ課長が行きたいと思った場所は、ユダヤ人が見たいと思う場所と重なるってことだ。
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そして、これが問題のアーモン・ゲートの家なのである。
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ぼろい。古い。完全な廃屋。
看板の文字が読めないけど、売りに出されているっぽいね。しかし、売れるのかなぁ?
周囲は普通の人たちが住む普通の閑静な住宅街だ。そこに一軒だけ幽霊屋敷みたいなこの家が残っている。
ご近所の人にとっちゃあまり嬉しくない近隣物件かもしれないけど、しかしこれはこれで残しておくべきという
気もする。こうして見学者もいるくらいだし。いっそ市とか国とかが買い取って保存したらどうなんだろ?
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これは東側の道路に面したガワで、この反対側、西側が収容所に面してて、例のバルコニーも
そっち側にあるんだけど、それを見るのは極めて困難だ。隣の家の庭に入り込まないといけない。
こんな感じで、隣家の庭の奥にアーモン・ゲート旧宅がのぞいている。
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しょうがないから、出来る限り中に入って、望遠で撮ってみた。
うーむ・・・このバルコニーからアーモン・ゲートは退屈まぎれに収容者たちを狙撃したわけだ・・うーむ。
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映画だとアーモン・ゲートの家は高いところにあり、収容所を上から一望するような位置関係になっていた。
実際、バルコニーから収容者を狙撃しようとすればそうなっているのが普通だ。

しかし、プワショフ強制収容所はアウシュビッツやビルケナウと違って、まったく保存されていない。
ソコにあったものはたぶん壊して埋めちゃったはずで、さらに土を盛ったりしたせいか地形も変わっている。
だから、現在は旧アーモン・ゲート邸のバルコニーから正面を眺めると、小高い丘があるばかりで、
眼下に広がる収容所を一望するなんていう構造ではなくなっているのである。

さて、では当初の計画通り、その跡地を歩くとするか。
雨のクラクフ・ダークな旅の計画の最後は「旧プワショフ強制収容所跡地の徒歩横断」だったのである。
そこに収容所が確かにあった。しかしいま残った遺構はない。ロクに道もない。ただの草ボウボウの丘陵地帯。
雨の中、一人でそんなところを歩いて横断しようっていうんだからモノズキすぎるぞ、イ課長。

そんなプワショフ強制収容所跡地。次回ご案内いたしましょう。何もないけどね(笑)。
 

  

by tohoiwanya | 2013-09-07 00:01 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 09月 05日

シンドラーのホーロー工場

雨のクラクフ、ダークな旅。次はシンドラーのホーロー工場見学なのである。

この工場、戦後ずっと他の工場として転用されてたんだけど、あの映画が有名になったおかげで
ガゼン注目が集まり、数年前に戦時歴史博物館としてリニューアル・オープンしたらしい。
しかしまぁ、途中で壊されもせず、よく50年以上も残ってたよねぇ。
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事前にいろいろ調べたら、ここは見学申込み制みたいになってるようで、ネットで見学時間を予約した。
で、その時間になるまで雨の中時間をつぶしたんだけど、いざ指定時間になって行ってみた感じだと
中はガラ空きだし、個人であれば普通にブラッと行ってチケット買って見られるんじゃないかなぁ?
ちなみに、この日はイ課長と同じ時刻にユダヤ人旅行者の団体がガイド付きで見学に来てた。

順々に見学するとあの団体と一緒になって落ち着かないから、先に奥の方から見学しよう。
奥の方になると、もう見学者はイ課長しかいない(笑)。しーーんと静かなスペースに展示された
「ドイツ占領下のクラクフの様子」はなかなか充実している。
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これって駅の看板だよな。
クラクフ中央駅をポーランド語で表示すればKraków Główny になるはずだが、ドイツ語風に書けば
Hbf(ハウプトバーンホフ=中央駅)になるわけだ。ドイツで散々見慣れたHbfの文字をポーランドで
見かけるとハッとする。
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こっちは当時の床屋の店内を再現したコーナーだ。こんな展示があるたぁ思わなかったぜ。
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こんなものもある。人形劇に使う人形っぽい。これを使って「反ナチ・レジスタンス人形劇」なんかを
上演したんだろうか?抑圧された者たちの、秘密の“娯楽”だったのかも。
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もちろん、「戦争当時のクラクフの様子」だけじゃなく、シンドラー関連の展示も多い。
大きなデスクが置かれた部屋がある。おお、これはまさしくシンドラー社長の執務室に違いない。
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デスクの上には当時の新聞まで置かれて、たった今まで、ここに人がいたかのように演出されている。
写真立てなんかもあるね。
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馬に乗ったシンドラー氏の写真。
この人については「心底いい人だからユダヤ人を助けた説」から「戦後の戦犯指定を逃れるために
計算づくで助けた説」まで、諸説あるらしいけどね。
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一方こちらは「シンドラーのリスト」に名前が載ったおかげで助かったユダヤ人たちだろうな。
彼らは無賃金労働者として働いてたわけだから、普通に考えれば「搾取されるガワ」だったわけだが
実際には信じ難い幸運に恵まれた人たちということになる。
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映画ヲタク・イ課長がシンドラーの工場に行けば、映画と実物を比較してみるというのも大きな興味。
映画に出てきた工場の建物外観は実際にこの工場でロケしていることは明らかだ。
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驚いたのはこの階段だよ。
あの映画を観た人なら「ああ、あの階段」と思い出すだろうけど、それがちゃんとある。
女性が自分の親の助命嘆願のためにシンドラーを2度訪ねていく、あの場面の階段だ。
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暗くてちょっとわかりづらいけど、左側の壁のデザインなんかを見れば同じ階段だってことがわかる。
こんなところもわざわざ本物の階段を使って撮影したんだなぁ。
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映画の中の守衛室ガワから階段を見るとこんな感じ。
何の変哲もない階段なんだけど、自分が見た映画の撮影スポットだと知ると、つい興奮して
何枚も写真を撮りたくなるっていうのは映画ヲタクの悲しい性というべきか(笑)。
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シンドラーの工場、公式には「クラクフ戦時歴史博物館」。
展示は充実してて、ご紹介しきれなかった写真もたくさんある。ぜひご自分の目でご覧ください。
場所はゲットー英雄広場から線路下のトンネルを通って、歩いて6~7分ってところかな。
Google Mapで「Fabryka Schindlera」で検索すると出てくるはずです。


   

by tohoiwanya | 2013-09-05 00:01 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(0)
2013年 08月 31日

映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”

さてポーランドネタに戻るわけだが、本日はやや映画寄りの話。

アウシュビッツに行った翌日はクラクフで丸一日フリー。計画はいろいろあったんだけど、
まず最初は映画「シンドラーのリスト」の撮影に使われた“あの場所”に行ってみたんだよ。
建物の正確な名前を知らないから“あの場所”としか言いようがないのだが。
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この日のクラクフは朝からずーーーっと雨だった。
まぁダークな旅にふさわしい、ダークな天候といえるけど、寒かったねぇ〜。
地元の人たちも革ジャンとかで厚着してる。
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市電に乗って行ってみたのがカジミェシュ地区(発音が難しい)。この辺は旧ユダヤ人街だった。
「シンドラーのリスト」の印象的なシーンに使われた“あの場所”はこの一角にある。
あの映画をご覧になった方なら以下の説明で「ああ、あの場面の・・・」と思い出すかもしれない。

ドイツ軍がゲットーのユダヤ人たちを一斉に強制移送の時、あるユダヤ人母娘が混乱の中で、
「ドイツ軍協力少年」になった娘の同級生?の男子に偶然会う・・・っていうシーン、覚えてない?

男子はちょっと照れたように「・・・やぁ、ホニャンカ」って同級生に挨拶し(正確な名前は忘れた)、
「こっちなら大丈夫だよ」と言って、その母娘を建物の奥に連れてってあげる。お母さんは感謝して
「もうあなたもすっかり大人なのね」みたいなことを言う。

叫び声や悲鳴、銃声、軍靴の音、破壊音なんかが充満する強制移送の修羅場の中で、ここだけは
フッと静かな場面で、非常に印象に残るシーンだ。その場面の動画がないかと思って必死に探したら、
発見したよ。このリンクの動画の8分50秒からがそう。(どこかの国の言葉の吹き替え版みたい)

見れば一目瞭然。この場面で使われたのがここだ。カジミェシュ地区の、白壁のアパートの一角。
母親はこの階段の下に隠れて、自分を追って階段を下りてきた娘と抱き合う。
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白いアーチと、雨に濡れた石畳が美しかった。
こんなところ、誰もいないに決まってると思ってたけど、イ課長以外にもう一人、どこかの欧米人が
ここの写真を撮りに来てたね。映画ヲタクがクラクフに来て考えることって、似ているらしい(笑)。
車の音もほとんど聞こえず、ほんとに静かなところだった。
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このアーチのある場所はゲットー強制退去のシーンで何回か出てくる。
ほら、こちらのショットでも、奥の方に、このアーチが写ってるでしょ?
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映画では、このアパートを使っていろんな角度から何度も撮影してるのがわかる。
ドイツ軍がベランダからユダヤ人の家財道具を投げ落とすところもこのあたりで撮ってるよね。
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「シンドラーのリスト」に出てきた「あそこ」がカジミェシュ地区にあるのを知ったのは全くの偶然だった。
偶然だったけど、いざソレがあると知るとやっぱり見たくなって、それがカジミェシュ地区のどこなのか
突き止めるためにものすごい努力をした(笑)。実際見つけたときは嬉しかったねー。
ちなみにアーチを反対側からみるとこんな感じ。風情のある、きれいなところだよね。
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雨のクラクフ、ダークで、ヲタクな旅。
まず最初は軽め?の「シンドラーのリスト」のロケ場所を見に行ったわけだけど、イ課長はさらに
市電に乗って、次のダーク&ヲタクスポットに向かうのでありました。
 

by tohoiwanya | 2013-08-31 00:11 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 01月 19日

ル・トラン・ブルーの夜

2011年の欧州出張、えらい人がイ課長と同行してたって話はこれまでにも何回か触れた。

仕事でリヨン駅からリヨンに行った日、そのえらい同行者がパリに戻る列車の中で、
イ課長と通訳さんに晩メシをオゴろうと申し出てきたんだよ。

実はこのエラい人、この欧州出張同行はいわゆる「アゴアシ付き」だっんだよね。
飛行機代はもちろん、現地宿泊費や交通費なんかもイ課長側が負担してた。
成り行き上、ふだんのメシ代なんかもイ課長が払ってたのだ。

彼としても「ご馳走になってばかりじゃワルい」って気を使ってくれたんだろうな。
彼がオゴると申し出てきた背景にはそういう事情があったのである。

これまでずっとイ課長が(というか、ウチの会社が)メシ代を払ってたわけだから、
こっちもおごってもらうという罪悪感があまりなくて(笑)、それならまぁ今晩だけは
ご馳走になりましょうという話がまとまって、3人はリヨン駅に戻ってきた。

「駅の上に豪華なレストランがあったんじゃないか?あそこにしよう」という話になって
行ったのが、パリの高級レストランとして知られたLe Train Bleu= ル・トラン・ブルーだったわけ。

このレストラン。とにかく内装が豪華なことで知られている。
「ニキータ」っていう映画でも、この店のゴージャスさが強調されてたよなぁ。
実際、中に入ってイ課長も驚いたよ。どこの宮殿かと見まごうばかり。ほら。
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予約ナシで飛び込んだけど、幸い我々3人はテーブルにありつくことが出来た。
(予約ナシで座れる最後のテーブルだったそうで、後から来て断られてる客もいた)
超豪華レストランでのディナー、しかもオゴり(笑)。たいへん気分がよろしい。
皿に書かれたLe Train Bleuの文字がいかにも高級店っぽいよねぇ。
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海外出張では駅の構内で立ち食い焼きソーセージとかドネル・ケバブなんかを食い、
缶ビールをホテルの部屋で飲むといった食生活専門のイ課長だもんね、なにせ。
フツーだったら生涯入ることのないようなタグイの店だよ。

ほどなく出てきた前菜はこれ。料理名はわからない。
これねぇ、コップの中の液体はドロリと濃厚な、魚介風味の冷たいスープで、
エビのペースト(かなぁ?)が塗りつけられたパンと一緒に食う。
詳細がわからなくてスマン。こういうのを食うのに慣れてないのだ、イ課長は(笑)。
ただ、非常においしかったことは確かなのである。
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メインはこれ。
これはまぁ一種のハンバーグステーキと言っていいんだと思う。
そんなに大きくは見えないけど、いざ食ってみるとけっこうボリュームがあった。
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最後のデザート。何種類かあったんだけど、イ課長はシャーベットにした。
これも美味しかったねぇ。一つはあきらかに「ゆず風味」なんでびっくりしたよ。
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しかしまぁ、この店にいると、どうしても料理よりも内装に関心が向いてしまう。
トイレに行こうとする廊下にもこんな風にテーブルが置かれてて、時代色たっぷりだ。
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さらに驚いたのがこのトイレの蛇口。
これはもう、1900年に駅舎(と、たぶんこの店)が作られた当時のままの
まさに歴史的蛇口に違いない。すごいねぇ。
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ちなみに、この店の入口で客をサバいてる女性従業員。
普通のウェイトレスじゃなく、サブマネージャー的な感じで仕切ってたけど、
この人がスラリと背が高くて非常に美しい人だった。インド系か、北アフリカ系かな…
同席者たちの指令もあったので(笑)、ズームで盗撮させていただきました。
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美味しい料理、コージャスな店内、歴史を感じさせる備品、さらに美しい女性従業員。
たっぷり堪能させていただきました。ごちそうさまでした。

オゴってもらったわけだから、ル・トラン・ブルーにおけるこの夜の3人の
メシ代+シャンパン代の合計がいくらだったのか、イ課長は知らない。
まぁかなり高かったのは間違いないよねぇ。重ね重ね、ごちそうさまでした。
 

  

by tohoiwanya | 2013-01-19 00:05 | 2011.11 欧州出張 | Comments(4)
2012年 07月 23日

ルーアンに行ってみよう

イ課長がこれまでにこなしてきた欧州出張では、必ず「金曜に仕事が終了、土曜に半日観光、
そのまま土曜の夜の便で帰国」というのがお決まりのパターン。
土曜日の半日観光で見たプラハリューベックアウクスブルクブリュージュ
ハンプトンコート等々の場所はどれも思い出深いところばかりだ。

しかし、去年の11月出張の場合、土曜の半日観光どころか、土日がマルマル休めた。
こういうのはイ課長も初めてで、この土日をどう過ごすかを考えるのは楽しかったなぁ。
基本線としては、こんな感じで検討を進めた。

①せっかく二日あるんだから土曜日はパリからちょっと離れた街に日帰りで行ってこよう
②日曜日は夕方までひたすらパリ市内でマニアックな観光に没頭しよう
 (夜にはパリで同行者と合流する予定だった)

さて、土曜日の①だ。どこに行こうか?
出張準備で忙殺され、ともすれば「あーもう行きたくねぇこんな出張!」というステバチな、
後ろ向き気分なりがちな日々にあって「土曜日はパリからドコ行こうかなぁ~?」と
考えることは海外出張モチベーションの維持に大きく寄与したと思うよ(笑)。

しかしどこに行くかは意外になかなか決まらなかった。
パリを朝発って、夕方頃に戻ってこられるところっていうとある程度範囲が限られるけど、
距離的にちょうどいいアミアンとかランスなんかには2009年にもう行ってるんだよね。
まだ行ったことない場所でステキそうな所。どこかなぁ~?てな感じでフランスの地図を
眺めながら考え、考えた末に思いついたのがルーアンだったのだ。

ルーアンはパリからけっこう近い。鉄道で1時間ちょっと。
ルーアンといえばイ課長が真っ先に思い出すのは、モネが描いたルーアン大聖堂の
連作シリーズだ。そうか、そうだよな、あの街には立派なゴシック聖堂があったじゃん。
マイルドな教会建築ヲタク、イ課長の心がルーアンに傾き始める。

ルーアンって、ジャンヌ・ダルクが火刑に処された街でもあるんだと。へぇ~…存じませんでした。
要するに、歴史あるフランスの古都(フランスにそういう街は多いが)というわけだな。
まぁジャンヌ・ダルクにはさほど興味はないけど、やっぱルーアン大聖堂は見たい。
超有名観光物件があるわけじゃないけど、週末にフランスの古都を散策するのもいいじゃん。
というわけでルーアンに行くことに決めた。

2011年11月26日土曜日の朝。
パリからルーアンに向かう鉄道の旅は、まずサン・ラザール駅から始まる。
この駅は2009年に何度か利用してるからもうおなじみ気分。余裕ですよ、ヨユウ。
…と思ったら、おや、駅前にヘンなドーム?が出来てるぞ。そういや2009年には
この辺一体が工事中だったもんなぁ…こんなのが出来たんだ。それにしてもルーブル前の
透明ピラミッドといい、ココといい、フランス人はこういうの好きだねぇ…。
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駅前の工事が終わって、正面の階段が普通に使えるようになってたのは嬉しかったね。
ここは「男の女」の忘れがたいラストシーンに出てきた階段なんだけど、2009年の時は
工事で見られなかったんだよ。あー意外なほど映画のまま残ってるねぇ…。
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そして、これまたおなじみ、直前まで何番ホームから発車するかわからないシステム。
ええ、フランスなんてしょせんこんなモンっす。承知しておりやす、余裕っす(笑)。
イ課長が乗る8時50分発の列車が何番線発車か、表示をのんびり待たせていただきやしょう。
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ルーアンに行くための切符は例によってSNCFのサイトで予約していた。
ただ、この路線はまだ「チケットを自分でプリントアウト」のシステムに対応してなくて
予約確認証をメールで受け取るという方式。だから切符は当日引き換える必要があった。

イ課長は用意周到に日本から持参した予約確認メールを、この日の朝早く、パリ東駅の
切符売場で切符と交換しておいたのである。予約確認メールってこんな感じ。
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で、受け取った切符はこんな感じね。
長距離TGV路線なんかだと、ほぼ確実に切符は自分でプリントアウトできるんだけど、
ルーアンに行く程度の近場路線だと、こういうこともある。
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てなことを言ってる間に、列車は無事ルーアンに着いた。
朝の10時とはいえ、11下旬のルーアン・リヴ・ドロワ駅はまだ日も低い。
冬の日の早朝って感じだ。しかしもう一度言うが、一応もう10時だ。
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この同じ駅から14時57分の電車でパリに戻るまで約5時間。
ルーアンの街で自由を満喫してやろうじゃねぇか。

というわけで、これからしばらくルーアンを訪ねた時の話を書き続けようと思う。
(まぁ時々、全然違う話に飛ぶこともあるとは思うが)
なかなか情緒に富んだ、いい感じの地方都市だったよ、ルーアンは。

  


by tohoiwanya | 2012-07-23 00:14 | 2011.11 欧州出張 | Comments(5)