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2017年 10月 30日

おーい水島、一緒に日本に帰ろう

ミャンマー旅行以来、一度観たいと思ってたんだよね、「ビルマの竪琴」。
初公開版、カラーのリメイク版ともにまだ観たことがなかったのだ。

府中の図書館にDVDがあったから借りた。中井貴一が出たリメイク版じゃなく、1956年公開の
白黒版。ただし再編集バージョンだと思われる(初公開版には人食い土人とかが登場したらしい)。
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ある意味、「あの当時」だからこそ観る者の心の琴線に触れた映画といえるかもしれない。
昭和31年つうたら捕虜になってた日本兵が戻ってきてから10年たらず。「復員せず、そのまま
ビルマに残る日本兵」という設定はけっこう胸に迫るものがあったんだろうと思う。

この映画に特定のモデルはいない。日本に復員後、僧侶になった人がモデルとか言われてるけど、
そもそもミャンマーで出家者が音楽を奏でるなんてことは戒律上あり得ないことだそうで、
そういう意味でも「ビルマの竪琴」は完全なフィクション。
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悲惨な戦争を描いた映画ではあるんだけど、出て来る日本兵やビルマ人、さらに英軍までもが、
おおむねヒューマンな心を持つ者として描かれてるのはこの映画の格調を高くしていると思う。
水島がビルマに残ろうと思ったキッカケも、死んだ日本兵の墓で賛美歌を唄う英国人たちの姿を
見たことで、ワルモノって出てこない。現地ビルマ人(塀の外)と日本軍捕虜(塀の中)の関係も
素朴かつ友好的に描かれてる。

前にも書いたけどミャンマーは対日感情が極めて良い国と言われる。
「対日感情がメッチャいい国が世界に二つ、それはトルコとミャンマーだ」なんて話も読んだ。
対日感情がイイというのは大変有り難いけど、第二次大戦中、日本軍はビルマを実質統治した。
戦争中は相当メイワクもかけたはずなのに、中国や韓国と違ってなぜ対日感情がイイのか?

歴史的には「日本統治→日本の敗戦が独立の契機になった」ってことがあるかもしれない。
これはミャンマーに限らず、東南アジアの国にけっこう共通するブブンなのだが。

イ課長が漠然と思ってたのは「ビルマの人にとっての日本兵って“みじめで悲惨な敗残兵”という
イメージが強いからではないか?」ということ。この映画も敗色濃厚となった日本兵の部隊が
タイに逃げようとしてビルマを敗走するシーンから始まる。
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おそらく当時のビルマ人にとって日本軍って、長く支配者だった(120年以上)英国軍を追っ払い、
英軍に代わってミャンマーを統治した・・と思ったらアッという間(約3年)に「腹をすかした
哀れな敗残兵」になった兵隊さんたち、というイメージが強いんじゃないかなぁ?幸いなことに
虐殺者とか侵略者という記憶が強く残るほど長く居座ることがなかった。

映画の中で三國連太郎隊長率いる部隊が捕虜になるのはミャンマー南部のムドンって町で、
これは実在の町だ。それなのになぜか劇中にヤンゴンのシュエダゴン・パゴダが出て来たり
するけど、実際に市川崑はこの時一週間だけビルマ・ロケしたんだと。しかしたった一週間じゃ、
ヤンゴン以外の街に移動して撮影するヒマなんてなかったんだろう。
 
しかしだね、映画を見てイ課長がギョッとした箇所がある。ある寝釈迦が写った時だ。
非常にヘンな姿の寝釈迦で、容貌魁偉と言ってもいいんだけど、それに見覚えがあったんだよ。
DVD画面からキャプチャーできないようになってるから、画面をお見せできないのだが

いやしかし、この容貌魁偉な寝釈迦は明らかに見覚えが・・あ、アレか?
ヤンゴンのチャウッターヂー・パゴダに展示されてた写真(をイ課長が撮った写真)と比較した。
コレだよコレ。間違いない。ヤンゴン市内にあったはずだから(今はないが)、市川崑が
現地ロケした時も、この寝釈迦は撮影可能だったわけで、映画に写ってて不思議はない。
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何ともすごい姿カタチの寝釈迦だ。っていうか、これだけみるとお釈迦様に見えない(笑)。
上の写真下にある「Wingaba Rangoon(Yangon)」で検索するとこの写真が出てくる。
さらに調べると、Wingabaっていうのはおそらくチャウッターヂー・パゴダがあるあたりの
地名じゃないかと推測される。
 
この顔のアップが映画の中でも出てきたよ。市川崑もインパクトある姿に驚いたんだろう。
だがこの衝撃的な見た目を持つ寝釈迦像は現在なくなってて、今はコレとは180度正反対の、
妖艶美白仏がある。それについてはいずれ詳しく書きます。あれも別の意味でインパクト十分。
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ミャンマー行ったあと見ると、考えるところ、思い出すところの多い映画でした「ビルマの竪琴」。
ちなみに中井貴一主演の1985年版は見てない。あちらは石坂浩二はじめ主要キャストはみなさん
ご健在だ。しかし1956年版となると、安井昌二も三國連太郎も西村晃も北林谷栄も、もちろん
監督の市川崑も、みなさん天国に行ってしまわれた・・・。

 

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by tohoiwanya | 2017-10-30 00:07 | 2017.08 ミャンマー・タイ旅行 | Comments(2)
2013年 09月 07日

映画ヲタクの旅:アーモン・ゲートの家

雨のクラクフ、ダークな旅は続く。

シンドラーの工場を出たイ課長は、再び市電に乗り、ヴェリチカ通りを南東に向かった。
この先にプワショフ強制収容所跡地があり、残虐非道なサディスト所長として恐れられた
アーモン・ゲートの旧宅もその近くに残っているはずなのだ。

「シンドラーのリスト」をご覧になった方なら、レイフ・ファインズが演じたオニの収容所長
アーモン・ゲートの存在は忘れない。彼もシンドラーと同様に実在の人物なんだけど、
その評判はこれ以上悪くなりようがないくらい、悪い。

あの映画の中で最もいやなシーンの一つが、アーモン・ゲートが自宅のベランダから
タバコを吸いながら、ライフルで収容所にいる収容者を気まぐれに狙撃する場面だ。
映画をご覧になっていない人のために、動画を貼っておく。
 


これ、実際にあった話のようで、さらにタチの悪いことに、アーモン・ゲートは自分が狙撃した
犠牲者の死体に向かって飼い犬をけしかけ、食わせてたっていうんだから、こうなるともはや
冷酷とか残虐ってレベルじゃない。立派な異常者。

しかし感心させられるのは、この稀代の悪役を演じるにあたってのレイフ・ファインズの役作りだ。
この写真を見てみ?アーモン・ゲートを演じるために、彼がタイコ腹の肥満体型にわざわざ太ったのは
間違いないし、本人のこういう古い写真資料を研究した上であの場面を演じたのも明らかだ。
(下に載せた写真はネットからの拾い物)
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映画にもあったように、アーモン・ゲートの家はプワショフ強制収容所のワキに存在した。
その家がまだ現存しているとなれば、これはぜひ見ておきたい。
場所がどこなのか、地図で特定するまでは一苦労だったんだけど、こういうことには仕事以上の
情熱を傾けることで有名なイ課長だから(笑)、ちゃんと発見したのである。もちろん、地図には
アーモン・ゲート旧宅なんて出てるわけないから、鉛筆で「この辺のはず」という印をつけておいた。

最寄と思われる停車場で市電を降り、あの辺と思われる地点に向かって緩い坂道を登る。
この先のはずだ。地図によると、この坂を登りきったところの道のやや左手のあたりに・・・
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うおッ?!こりゃたまげた。
ここにもまた別のユダヤ人団体が見学に来てるよ。アーモン・ゲートの家なんていうダークスポットを、
団体で、ガイドつきで見に来ているとは驚いた。シンドラーの工場でもユダヤ人団体と遭遇したし、
クラクフでイ課長が行きたいと思った場所は、ユダヤ人が見たいと思う場所と重なるってことだ。
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そして、これが問題のアーモン・ゲートの家なのである。
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ぼろい。古い。完全な廃屋。
看板の文字が読めないけど、売りに出されているっぽいね。しかし、売れるのかなぁ?
周囲は普通の人たちが住む普通の閑静な住宅街だ。そこに一軒だけ幽霊屋敷みたいなこの家が残っている。
ご近所の人にとっちゃあまり嬉しくない近隣物件かもしれないけど、しかしこれはこれで残しておくべきという
気もする。こうして見学者もいるくらいだし。いっそ市とか国とかが買い取って保存したらどうなんだろ?
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これは東側の道路に面したガワで、この反対側、西側が収容所に面してて、例のバルコニーも
そっち側にあるんだけど、それを見るのは極めて困難だ。隣の家の庭に入り込まないといけない。
こんな感じで、隣家の庭の奥にアーモン・ゲート旧宅がのぞいている。
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しょうがないから、出来る限り中に入って、望遠で撮ってみた。
うーむ・・・このバルコニーからアーモン・ゲートは退屈まぎれに収容者たちを狙撃したわけだ・・うーむ。
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映画だとアーモン・ゲートの家は高いところにあり、収容所を上から一望するような位置関係になっていた。
実際、バルコニーから収容者を狙撃しようとすればそうなっているのが普通だ。

しかし、プワショフ強制収容所はアウシュビッツやビルケナウと違って、まったく保存されていない。
ソコにあったものはたぶん壊して埋めちゃったはずで、さらに土を盛ったりしたせいか地形も変わっている。
だから、現在は旧アーモン・ゲート邸のバルコニーから正面を眺めると、小高い丘があるばかりで、
眼下に広がる収容所を一望するなんていう構造ではなくなっているのである。

さて、では当初の計画通り、その跡地を歩くとするか。
雨のクラクフ・ダークな旅の計画の最後は「旧プワショフ強制収容所跡地の徒歩横断」だったのである。
そこに収容所が確かにあった。しかしいま残った遺構はない。ロクに道もない。ただの草ボウボウの丘陵地帯。
雨の中、一人でそんなところを歩いて横断しようっていうんだからモノズキすぎるぞ、イ課長。

そんなプワショフ強制収容所跡地。次回ご案内いたしましょう。何もないけどね(笑)。
 

  
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by tohoiwanya | 2013-09-07 00:01 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 09月 05日

シンドラーのホーロー工場

雨のクラクフ、ダークな旅。次はシンドラーのホーロー工場見学なのである。

この工場、戦後ずっと他の工場として転用されてたんだけど、あの映画が有名になったおかげで
ガゼン注目が集まり、数年前に戦時歴史博物館としてリニューアル・オープンしたらしい。
しかしまぁ、途中で壊されもせず、よく50年以上も残ってたよねぇ。
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事前にいろいろ調べたら、ここは見学申込み制みたいになってるようで、ネットで見学時間を予約した。
で、その時間になるまで雨の中時間をつぶしたんだけど、いざ指定時間になって行ってみた感じだと
中はガラ空きだし、個人であれば普通にブラッと行ってチケット買って見られるんじゃないかなぁ?
ちなみに、この日はイ課長と同じ時刻にユダヤ人旅行者の団体がガイド付きで見学に来てた。

順々に見学するとあの団体と一緒になって落ち着かないから、先に奥の方から見学しよう。
奥の方になると、もう見学者はイ課長しかいない(笑)。しーーんと静かなスペースに展示された
「ドイツ占領下のクラクフの様子」はなかなか充実している。
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これって駅の看板だよな。
クラクフ中央駅をポーランド語で表示すればKraków Główny になるはずだが、ドイツ語風に書けば
Hbf(ハウプトバーンホフ=中央駅)になるわけだ。ドイツで散々見慣れたHbfの文字をポーランドで
見かけるとハッとする。
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こっちは当時の床屋の店内を再現したコーナーだ。こんな展示があるたぁ思わなかったぜ。
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こんなものもある。人形劇に使う人形っぽい。これを使って「反ナチ・レジスタンス人形劇」なんかを
上演したんだろうか?抑圧された者たちの、秘密の“娯楽”だったのかも。
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もちろん、「戦争当時のクラクフの様子」だけじゃなく、シンドラー関連の展示も多い。
大きなデスクが置かれた部屋がある。おお、これはまさしくシンドラー社長の執務室に違いない。
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デスクの上には当時の新聞まで置かれて、たった今まで、ここに人がいたかのように演出されている。
写真立てなんかもあるね。
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馬に乗ったシンドラー氏の写真。
この人については「心底いい人だからユダヤ人を助けた説」から「戦後の戦犯指定を逃れるために
計算づくで助けた説」まで、諸説あるらしいけどね。
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一方こちらは「シンドラーのリスト」に名前が載ったおかげで助かったユダヤ人たちだろうな。
彼らは無賃金労働者として働いてたわけだから、普通に考えれば「搾取されるガワ」だったわけだが
実際には信じ難い幸運に恵まれた人たちということになる。
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映画ヲタク・イ課長がシンドラーの工場に行けば、映画と実物を比較してみるというのも大きな興味。
映画に出てきた工場の建物外観は実際にこの工場でロケしていることは明らかだ。
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驚いたのはこの階段だよ。
あの映画を観た人なら「ああ、あの階段」と思い出すだろうけど、それがちゃんとある。
女性が自分の親の助命嘆願のためにシンドラーを2度訪ねていく、あの場面の階段だ。
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暗くてちょっとわかりづらいけど、左側の壁のデザインなんかを見れば同じ階段だってことがわかる。
こんなところもわざわざ本物の階段を使って撮影したんだなぁ。
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映画の中の守衛室ガワから階段を見るとこんな感じ。
何の変哲もない階段なんだけど、自分が見た映画の撮影スポットだと知ると、つい興奮して
何枚も写真を撮りたくなるっていうのは映画ヲタクの悲しい性というべきか(笑)。
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シンドラーの工場、公式には「クラクフ戦時歴史博物館」。
展示は充実してて、ご紹介しきれなかった写真もたくさんある。ぜひご自分の目でご覧ください。
場所はゲットー英雄広場から線路下のトンネルを通って、歩いて6~7分ってところかな。
Google Mapで「Fabryka Schindlera」で検索すると出てくるはずです。


   
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by tohoiwanya | 2013-09-05 00:01 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(0)
2013年 08月 31日

映画ヲタクの旅:「シンドラーのリスト」の“あの場所”

さてポーランドネタに戻るわけだが、本日はやや映画寄りの話。

アウシュビッツに行った翌日はクラクフで丸一日フリー。計画はいろいろあったんだけど、
まず最初は映画「シンドラーのリスト」の撮影に使われた“あの場所”に行ってみたんだよ。
建物の正確な名前を知らないから“あの場所”としか言いようがないのだが。
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この日のクラクフは朝からずーーーっと雨だった。
まぁダークな旅にふさわしい、ダークな天候といえるけど、寒かったねぇ〜。
地元の人たちも革ジャンとかで厚着してる。
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市電に乗って行ってみたのがカジミェシュ地区(発音が難しい)。この辺は旧ユダヤ人街だった。
「シンドラーのリスト」の印象的なシーンに使われた“あの場所”はこの一角にある。
あの映画をご覧になった方なら以下の説明で「ああ、あの場面の・・・」と思い出すかもしれない。

ドイツ軍がゲットーのユダヤ人たちを一斉に強制移送の時、あるユダヤ人母娘が混乱の中で、
「ドイツ軍協力少年」になった娘の同級生?の男子に偶然会う・・・っていうシーン、覚えてない?

男子はちょっと照れたように「・・・やぁ、ホニャンカ」って同級生に挨拶し(正確な名前は忘れた)、
「こっちなら大丈夫だよ」と言って、その母娘を建物の奥に連れてってあげる。お母さんは感謝して
「もうあなたもすっかり大人なのね」みたいなことを言う。

叫び声や悲鳴、銃声、軍靴の音、破壊音なんかが充満する強制移送の修羅場の中で、ここだけは
フッと静かな場面で、非常に印象に残るシーンだ。その場面の動画がないかと思って必死に探したら、
発見したよ。このリンクの動画の8分50秒からがそう。(どこかの国の言葉の吹き替え版みたい)

見れば一目瞭然。この場面で使われたのがここだ。カジミェシュ地区の、白壁のアパートの一角。
母親はこの階段の下に隠れて、自分を追って階段を下りてきた娘と抱き合う。
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白いアーチと、雨に濡れた石畳が美しかった。
こんなところ、誰もいないに決まってると思ってたけど、イ課長以外にもう一人、どこかの欧米人が
ここの写真を撮りに来てたね。映画ヲタクがクラクフに来て考えることって、似ているらしい(笑)。
車の音もほとんど聞こえず、ほんとに静かなところだった。
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このアーチのある場所はゲットー強制退去のシーンで何回か出てくる。
ほら、こちらのショットでも、奥の方に、このアーチが写ってるでしょ?
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映画では、このアパートを使っていろんな角度から何度も撮影してるのがわかる。
ドイツ軍がベランダからユダヤ人の家財道具を投げ落とすところもこのあたりで撮ってるよね。
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「シンドラーのリスト」に出てきた「あそこ」がカジミェシュ地区にあるのを知ったのは全くの偶然だった。
偶然だったけど、いざソレがあると知るとやっぱり見たくなって、それがカジミェシュ地区のどこなのか
突き止めるためにものすごい努力をした(笑)。実際見つけたときは嬉しかったねー。
ちなみにアーチを反対側からみるとこんな感じ。風情のある、きれいなところだよね。
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雨のクラクフ、ダークで、ヲタクな旅。
まず最初は軽め?の「シンドラーのリスト」のロケ場所を見に行ったわけだけど、イ課長はさらに
市電に乗って、次のダーク&ヲタクスポットに向かうのでありました。
 
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by tohoiwanya | 2013-08-31 00:11 | 2012.06 東欧・北欧旅行 | Comments(8)
2013年 01月 19日

ル・トラン・ブルーの夜

2011年の欧州出張、えらい人がイ課長と同行してたって話はこれまでにも何回か触れた。

仕事でリヨン駅からリヨンに行った日、そのえらい同行者がパリに戻る列車の中で、
イ課長と通訳さんに晩メシをオゴろうと申し出てきたんだよ。

実はこのエラい人、この欧州出張同行はいわゆる「アゴアシ付き」だっんだよね。
飛行機代はもちろん、現地宿泊費や交通費なんかもイ課長側が負担してた。
成り行き上、ふだんのメシ代なんかもイ課長が払ってたのだ。

彼としても「ご馳走になってばかりじゃワルい」って気を使ってくれたんだろうな。
彼がオゴると申し出てきた背景にはそういう事情があったのである。

これまでずっとイ課長が(というか、ウチの会社が)メシ代を払ってたわけだから、
こっちもおごってもらうという罪悪感があまりなくて(笑)、それならまぁ今晩だけは
ご馳走になりましょうという話がまとまって、3人はリヨン駅に戻ってきた。

「駅の上に豪華なレストランがあったんじゃないか?あそこにしよう」という話になって
行ったのが、パリの高級レストランとして知られたLe Train Bleu= ル・トラン・ブルーだったわけ。

このレストラン。とにかく内装が豪華なことで知られている。
「ニキータ」っていう映画でも、この店のゴージャスさが強調されてたよなぁ。
実際、中に入ってイ課長も驚いたよ。どこの宮殿かと見まごうばかり。ほら。
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予約ナシで飛び込んだけど、幸い我々3人はテーブルにありつくことが出来た。
(予約ナシで座れる最後のテーブルだったそうで、後から来て断られてる客もいた)
超豪華レストランでのディナー、しかもオゴり(笑)。たいへん気分がよろしい。
皿に書かれたLe Train Bleuの文字がいかにも高級店っぽいよねぇ。
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海外出張では駅の構内で立ち食い焼きソーセージとかドネル・ケバブなんかを食い、
缶ビールをホテルの部屋で飲むといった食生活専門のイ課長だもんね、なにせ。
フツーだったら生涯入ることのないようなタグイの店だよ。

ほどなく出てきた前菜はこれ。料理名はわからない。
これねぇ、コップの中の液体はドロリと濃厚な、魚介風味の冷たいスープで、
エビのペースト(かなぁ?)が塗りつけられたパンと一緒に食う。
詳細がわからなくてスマン。こういうのを食うのに慣れてないのだ、イ課長は(笑)。
ただ、非常においしかったことは確かなのである。
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メインはこれ。
これはまぁ一種のハンバーグステーキと言っていいんだと思う。
そんなに大きくは見えないけど、いざ食ってみるとけっこうボリュームがあった。
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最後のデザート。何種類かあったんだけど、イ課長はシャーベットにした。
これも美味しかったねぇ。一つはあきらかに「ゆず風味」なんでびっくりしたよ。
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しかしまぁ、この店にいると、どうしても料理よりも内装に関心が向いてしまう。
トイレに行こうとする廊下にもこんな風にテーブルが置かれてて、時代色たっぷりだ。
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さらに驚いたのがこのトイレの蛇口。
これはもう、1900年に駅舎(と、たぶんこの店)が作られた当時のままの
まさに歴史的蛇口に違いない。すごいねぇ。
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ちなみに、この店の入口で客をサバいてる女性従業員。
普通のウェイトレスじゃなく、サブマネージャー的な感じで仕切ってたけど、
この人がスラリと背が高くて非常に美しい人だった。インド系か、北アフリカ系かな…
同席者たちの指令もあったので(笑)、ズームで盗撮させていただきました。
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美味しい料理、コージャスな店内、歴史を感じさせる備品、さらに美しい女性従業員。
たっぷり堪能させていただきました。ごちそうさまでした。

オゴってもらったわけだから、ル・トラン・ブルーにおけるこの夜の3人の
メシ代+シャンパン代の合計がいくらだったのか、イ課長は知らない。
まぁかなり高かったのは間違いないよねぇ。重ね重ね、ごちそうさまでした。
 

  
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by tohoiwanya | 2013-01-19 00:05 | 2011.11 欧州出張 | Comments(4)
2012年 07月 23日

ルーアンに行ってみよう

イ課長がこれまでにこなしてきた欧州出張では、必ず「金曜に仕事が終了、土曜に半日観光、
そのまま土曜の夜の便で帰国」というのがお決まりのパターン。
土曜日の半日観光で見たプラハリューベックアウクスブルクブリュージュ
ハンプトンコート等々の場所はどれも思い出深いところばかりだ。

しかし、去年の11月出張の場合、土曜の半日観光どころか、土日がマルマル休めた。
こういうのはイ課長も初めてで、この土日をどう過ごすかを考えるのは楽しかったなぁ。
基本線としては、こんな感じで検討を進めた。

①せっかく二日あるんだから土曜日はパリからちょっと離れた街に日帰りで行ってこよう
②日曜日は夕方までひたすらパリ市内でマニアックな観光に没頭しよう
 (夜にはパリで同行者と合流する予定だった)

さて、土曜日の①だ。どこに行こうか?
出張準備で忙殺され、ともすれば「あーもう行きたくねぇこんな出張!」というステバチな、
後ろ向き気分なりがちな日々にあって「土曜日はパリからドコ行こうかなぁ~?」と
考えることは海外出張モチベーションの維持に大きく寄与したと思うよ(笑)。

しかしどこに行くかは意外になかなか決まらなかった。
パリを朝発って、夕方頃に戻ってこられるところっていうとある程度範囲が限られるけど、
距離的にちょうどいいアミアンとかランスなんかには2009年にもう行ってるんだよね。
まだ行ったことない場所でステキそうな所。どこかなぁ~?てな感じでフランスの地図を
眺めながら考え、考えた末に思いついたのがルーアンだったのだ。

ルーアンはパリからけっこう近い。鉄道で1時間ちょっと。
ルーアンといえばイ課長が真っ先に思い出すのは、モネが描いたルーアン大聖堂の
連作シリーズだ。そうか、そうだよな、あの街には立派なゴシック聖堂があったじゃん。
マイルドな教会建築ヲタク、イ課長の心がルーアンに傾き始める。

ルーアンって、ジャンヌ・ダルクが火刑に処された街でもあるんだと。へぇ~…存じませんでした。
要するに、歴史あるフランスの古都(フランスにそういう街は多いが)というわけだな。
まぁジャンヌ・ダルクにはさほど興味はないけど、やっぱルーアン大聖堂は見たい。
超有名観光物件があるわけじゃないけど、週末にフランスの古都を散策するのもいいじゃん。
というわけでルーアンに行くことに決めた。

2011年11月26日土曜日の朝。
パリからルーアンに向かう鉄道の旅は、まずサン・ラザール駅から始まる。
この駅は2009年に何度か利用してるからもうおなじみ気分。余裕ですよ、ヨユウ。
…と思ったら、おや、駅前にヘンなドーム?が出来てるぞ。そういや2009年には
この辺一体が工事中だったもんなぁ…こんなのが出来たんだ。それにしてもルーブル前の
透明ピラミッドといい、ココといい、フランス人はこういうの好きだねぇ…。
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駅前の工事が終わって、正面の階段が普通に使えるようになってたのは嬉しかったね。
ここは「男の女」の忘れがたいラストシーンに出てきた階段なんだけど、2009年の時は
工事で見られなかったんだよ。あー意外なほど映画のまま残ってるねぇ…。
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そして、これまたおなじみ、直前まで何番ホームから発車するかわからないシステム。
ええ、フランスなんてしょせんこんなモンっす。承知しておりやす、余裕っす(笑)。
イ課長が乗る8時50分発の列車が何番線発車か、表示をのんびり待たせていただきやしょう。
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ルーアンに行くための切符は例によってSNCFのサイトで予約していた。
ただ、この路線はまだ「チケットを自分でプリントアウト」のシステムに対応してなくて
予約確認証をメールで受け取るという方式。だから切符は当日引き換える必要があった。

イ課長は用意周到に日本から持参した予約確認メールを、この日の朝早く、パリ東駅の
切符売場で切符と交換しておいたのである。予約確認メールってこんな感じ。
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で、受け取った切符はこんな感じね。
長距離TGV路線なんかだと、ほぼ確実に切符は自分でプリントアウトできるんだけど、
ルーアンに行く程度の近場路線だと、こういうこともある。
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てなことを言ってる間に、列車は無事ルーアンに着いた。
朝の10時とはいえ、11下旬のルーアン・リヴ・ドロワ駅はまだ日も低い。
冬の日の早朝って感じだ。しかしもう一度言うが、一応もう10時だ。
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この同じ駅から14時57分の電車でパリに戻るまで約5時間。
ルーアンの街で自由を満喫してやろうじゃねぇか。

というわけで、これからしばらくルーアンを訪ねた時の話を書き続けようと思う。
(まぁ時々、全然違う話に飛ぶこともあるとは思うが)
なかなか情緒に富んだ、いい感じの地方都市だったよ、ルーアンは。

  

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by tohoiwanya | 2012-07-23 00:14 | 2011.11 欧州出張 | Comments(5)
2012年 05月 05日

続・世界で最も有名な観覧車

観覧車の話を「続きもの」にしてしまった自戒の意味をこめて
粛々と2日連続更新するイ課長です。

さて、とにかくいよいよ乗ろうではないか観覧車に。

映画ではオーソン・ウェルズとジョセフ・コットンの二人だけがゴンドラに乗るわけだけど、
ゴンドラが一周する間にオーソン・ウェルズが得意げに語って聞かせる「悪の信条」は
映画史上に残る名セリフとして名高い。
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映画ではハリー・ライムは質の悪い闇ペニシリン取引で大儲けした悪者という設定。
その闇ペニシリンを使ったために多くの人が死んだ(ということになっている)。
主人公ホリーが「犠牲者のことを考えないのか?」とハリー・ライムを問い詰めると
ハリーは観覧車の扉をガラリと開き、地面を見ながら不敵に言う。
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見ろよ、地面の上の小さな点々を。あの点々の一つが永久に動かなくなったからって悲しいか?
点一つにつき2万ポンドと聞けば誰もが点々の勘定を始めるさ。しかもこれは無税だからな。


要するに「他人の命なんかよりオレ様が儲けるコトの方が重要だもんね」ってことで、
大して深いことを言ってるわけでもないんだけど、こういうシャレた言い方をすれば、
たちまち映画史に残る名セリフとして語り継がれてしまうのである。

オーソン・ウェルズになった気分で点々を見下ろしてみる。
うーん…第二次大戦直後のロケと比べると、周囲も賑やかになったって感じるけど
基本的には「ほとんど何も変わってない」と言っていい。
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ちなみに、この時はイ課長の高所恐怖はまったく発症しなかったから(笑)、
元気にウィーンのパノラマを楽しんだ。こっちが旧市街で、ザンクト・シュテファンがよく見える。
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あれはイ課長たちがウィーンに着いた翌日に行ったカーレンベルグじゃないか?
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とにかくこの観覧車、ゴンドラ1台がすごくデカくて、10人くらいは軽く乗れる。
いろんな方向の写真を撮るにはゴンドラの中を歩き回らないといけないのだ。
こんな風に、ディナーを楽しめるタイプのゴンドラもあるみたいだ。すげー。
一周する時間じゃメシを食いきれないだろうから、たぶん何周もできるんだろうな。
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ゴンドラで自信満々に「悪の哲学」を語ってみせたハリー・ライム。観覧車を降りる時、
親友ホリー・マーチンスに「信用できる仲間が欲しい。オレと一緒にやらんか?」と誘う。
ホリーが乗り気じゃないのを見てとったハリーがさらに悪の世界に誘おうとして吐く
セリフこそ「映画史上名セリフ・ベスト10」に必ず入るであろう有名なものだ。

こんな話があるぜ。イタリアはボルジア家30年にわたる恐怖と流血による圧制の下で、
ミケランジェロやダヴィンチを生み、ルネサンスが花開いた。かたやスイスはどうだ?
500年の友愛と民主主義と平和の末に産み出したものは何だい?・・・鳩時計だけさ。じゃあな、ホリー。


「The cuckoo clock…So long, Holly!」と言いながらクルリと背を向けて足早に去っていく
オーソン・ウェルズの千両役者ぶりも大したもんだが、この「鳩時計」のセリフは実は
元々脚本にはなく、彼自身が考案したとも言われている。いずれにしても大したヤツだぜ。
興味のある人のために、You Tubeにある観覧車の場面を。

観覧車を降りてプラター公園内の遊園地をブラブラ散歩しているとこんな看板が…
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おお「第三の男通り」ときたか。
あの映画、敗戦後のウィーンの暗い占領時代を描いてるから、実はオーストリアでは不人気で、
逆に米国や日本では異様に高く評価されているって聞いたことがあるけど、それでも
こんな看板があるんやのう…。あの映画がウィーンの観光価値をどれだけ高めたかと考えれば
まぁ当然っちゃ当然だが。

はい。最初にお約束した通り、映画ヲタクの旅「第三の男」シリーズはこれで最後です。
実はウィーンでは第三の男のクライマックスのロケをした地下下水道見学ツアーなんてのも
あるそうで、ホントはそれにもちょっと食指が動いたんだけど、今回はあきらめた。

次回、もう一度ウィーンに行く機会があれば、下水道ツアーもちょっと検討したいところだ。
しかし、またウィーンに行ったとしたら、下水道より何より、イ課長がまたもや嬉々として
この観覧車に乗りたがることだけは間違いないのではないかと思われます、はい。
 


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by tohoiwanya | 2012-05-05 23:48 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(4)
2012年 05月 04日

世界で最も有名な観覧車

名画「第三の男」のロケ地を訪ねるウィーン・映画ヲタクの旅シリーズ。
これで最後です。ごめんなさい、もうしません。少なくともウィーンに関しては(笑)。

「第三の男」にはウィーンの有名・無名な場所がいっぱい出てくるわけだけど、
その中で「第三の男に出て来るウィーンの名所っつうたらアレだろそりゃー」と
誰もが真っ先に挙げる有名スポットがプラター公園の観覧車だ。

あの映画を観た人なら、あの観覧車は絶対に忘れられない。
そして、あの観覧車に乗る一連のシーンでオーソン・ウェルズが口にする台詞の数々も
また映画史上に残る名セリフとして有名なのである。映画ヲタクがウィーンに行けば
この観覧車に乗らずにいられるわけがない。

イ課長も20年前の新婚旅行の時、ウィーンに着いて真っ先にこの観覧車に乗った。
だから今回は乗らなくてもいいじゃん?…という気持ちに…なれないんだよ、コレが。
ウィーン滞在中、「もう一度あの観覧車に乗れたらいいなぁ…」と思っていて、
ある日フと気がついたらトホ妻を連れてプラター公園に向かう自分自身がいた(笑)。

地下鉄のプラターシュテルン駅を降りる。
駅構内にはちゃんと「プラター公園はアッチ」っていうサインがあるから迷わない。
もちろんプラター公園のサインに使われるモチーフは…はい、観覧車です。当然ですね。
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この日はホントに天気が良くて、観覧車に向かう途中の公園に芝生の上では
ウィーン市民がのんびりと昼寝だ。ちくしょう…うらやましいぞクソ。
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この公園、元々はハプスブルグ家の狩猟場として使われてたそうで、ものすごく広い。
我々が思い浮かべる「観覧車のあるプラター公園」っていうのは実は広大な公園の
一角を占めるに過ぎない遊園地のことなんだよね。

うふ…うふうふ…見えてきた見えてきた。懐かしいなぁ。
1897年に出来たっつうんだから、相当に古い。建設当時ならともかく、今となっては
観覧車自体のスケールは特に大きいってわけでもないだろう。しかし、疑いもなくこれこそ
世界で最も有名な観覧車だ。
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第二次大戦終了直後、「第三の男」撮影当時の観覧車はこんな感じ。
これには驚く。周囲にはロクに樹木もなく、まるっきり「廃墟の中に残った観覧車」そのもの。
激しい爆撃なんかもあったんだろうけど、よくまぁ生き残ったねぇ…。
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何しろ世界で最も有名な観覧車、ウィーンの立派な観光資源の一つってわけで、
今回行ったら観覧車の下にちょっとした「観覧車ミュージアム」みたいなものが出来てたよ。

へぇ~…20年前に来た時はこんなミュージアム、なかったよなぁ。
中の展示はそれほど大したもんじゃないけど、観覧車の昔の写真や模型を展示して
「観覧車の歴史とウィーンの歴史」を概観できるようにしてある。
展示ケース自体も観覧車のゴンドラをリサイクル利用してるんだね。
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こんな豪華な付属ミュージアムまで出来ちゃったけど、観覧車自体は映画当時の姿と
ほとんど変わってないっていうのが素晴らしい。
鋼鉄ワイヤーが張り巡らされたこの観覧車、下から見上げると今でも美しいけど
ジョセフ・コットンを下から撮って、背後に観覧車が広がるこのショットも美しいよねぇ。
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有名ショットといえばこれもだ。単に観覧車の真ん中から空を見上げただけなんだけど
「第三の男」をビデオで見るたびに、この数秒間の場面の美しさにハッとする。
亡くなった映画評論家・双葉十三郎さんもこのアングルの素晴らしさを指摘してた。
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イ課長も似たようなアングルで写真を撮ろうと頑張ってみたけど、当然のことながら
遠く及ばないのである。
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さて…ではいよいよ観覧車に乗ってみようか…ということになるわけだけど、
ちょいと長くなったから続きは次回。…あああ!観覧車ネタなんかを連続モノにしたりして、
一体どうする気だイ課長!ばかもの!



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by tohoiwanya | 2012-05-04 23:42 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(0)
2012年 02月 20日

ハリー・ライムが立っていたあのドア

映画ヲタクが行く、ウィーン「第三の男」ロケ地めぐり。久々の登場。
今回は大変だよ。映画ヲタクとしてはこのネタを書くと思うだけで心は高ぶる(笑)。

映画「第三の男」で有名なシーンは数え上げたらキリがないんだけど、その中でも
最も有名な、ソコだけでもあの映画を不滅たらしめるような決定的に有名なシーン。
それこそが「ハリー・ライム登場シーン」に他ならない。

ホロ酔い加減のジョセフ・コットンがアリダ・ヴァリのアパートを出てウィーンの暗い坂道を
歩いてると、ネコの鳴き声に気付く。暗いドアのカゲに男が立ってて、その足元に
1匹のネコがまとわりついてる。足元しか見えないけど、誰かがいるのは間違いない。
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警察が自分を尾行していると思い込んだジョセフ・コットンが酔いに任せてわめく。
「お前、そんなんで尾行してるつもりか?ほら出てきやがれってんだーー!!」

寝静まった夜のウィーンに響く酔っ払いの高声。
近くのアパートのおばさんがジョセフ・コットンに文句を言って部屋の灯りをつける。
ドアの陰にいた男の顔がその明かりで照らされる。男の顔を見て驚愕するジョセフ・コットン。
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ああ…もうね、映画史においてこのハリー・ライム登場シーンがどれだけの価値を持ってるか
イ課長の乏しい筆力ではとても説明できない。まさに名画中の名画「第三の男」における
名シーン中の名シーン。親友に見つかるのを予想していたかのようにオーソン・ウェルズが
不敵にニヤリと笑う、このワンショットだけでもオーソン・ウェルズの名は映画史に永久に残る。
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世界中の映画ヲタクに「映画史で最も鮮烈な人物登場シーン」というアンケートをとれば、
21世紀のコンニチでもこのシーンを挙げる人が多いだろう。イ課長もその一人だ。
観た者に強烈な印象を残す、この登場シーンについては、演じたオーソン・ウェルズ自身も
「あれこそまさに千両役者の登場場面だろ?」みたいなこと言って、鼻高々だったらしい(笑)。

一応、興味のある方のために、You Tubeで見られるそのシーンを。

いやぁ~…アップになったオーソン・ウェルズに重なって流れるあの音楽。たまらんね。
これぞ映画。映画とはこれ。皆さん、今これを語っているのがイ課長であることに
感謝しましょう。これがもし淀川長治さんだったらあと1時間は話が止まらないよ?(笑)

あのハリー・ライム登場シーンの場所に自分が行く。
ハリー・ライムと同じドアに自分が立つ…うううう…(←キテる)。
映画ヲタクにとっては嬉しい体験だ。ぜひ行ってみたかった。

その体験が可能になったのは、以前にご紹介したこのサイトのおかげだ。本当にありがとう。
このサイトを知らなければ、あのロケ場所がどこだったか知るスベはなかっただろう。

有名すぎるこのシーンが撮影されたのは、ウィーンのメルカー・バスタイというところ。
このメルカー・バスタイの「バスタイ」って、日本語では「稜堡」と訳されるみたい。
だから、この坂道はおそらく人工的に作られたものなんだろうな。
要するに軍事用に作った高台というか、土手というか…ここに砲台とか置いたらしい。

リンク大通りをフォルクス・ガルテンから北に向かって歩くと、右にブルク劇場があり、
それを通り過ぎるとランツマンっていう有名(らしい)カフェがある。
問題のロケ場所はそのカフェ・ランツマンを右に入った路地の奥の坂道らしいなのだ。
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ほら、道の奥に坂道みたいなのが見えるでしょ?どうもあの辺ぽい。
ちょっとドキドキしてくる…。
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これだ。この坂道。
うわあああ素晴らしい。道がフタマタになってるところの建物、その奥の建物…キレイには
なってるけど、こうやって比較しても映画と全然変わっとらんやん。
奥にウィーン大学の屋根がちょっと見えるところも、何もかも変わってないよーー!

そしてこのドアだ。ハリー・ライムが立っていたこのドア。それはここだ。
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いやもう感激だよ。ここだ。間違いなくここ。
映画史上最高のシーンのひとつが撮られた、あのドアにイ課長は今いるのだ。
え?ドアの前に立たなかったのかって?もちろん立って記念写真も撮ったよ。
しかしそれは恥ずかしいから掲載禁止(笑)。

「オーソン・ウェルズはここにいた」「ジョセフ・コットンはこの辺に立ってた」とか何とか、
イ課長とトホ妻がこのドアの前でやけに熱心に記念写真を何枚も撮ってるから
道ゆく外国人観光客が「ここって有名な建物なのか?」と思っちゃったみたいで、
何人かは、明らかによくわからないまま、イ課長たちにつられてドアの写真を撮っていた。

たぶん彼らは自分の国に戻って、ウィーン旅行中の写真を見て
「なんでこんなつまんねぇドアの写真、撮ったのかなーー?」と思ってるはずだ。
このドアはねぇ、映画史的には大変なイワクインネンのあるドアなんだよキミたち!!
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メルカー・バスタイに来る観光客のほとんどは、近くのベートーヴェンの博物館(があるらしい)が
お目当てのはずで、映画「第三の男」でハリー・ライムが立ってたドアが見たいなんて
不健全?な目的でここに来て騒いでる観光客はイ課長とトホ妻だけのようだったよ(笑)。



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by tohoiwanya | 2012-02-20 00:15 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(4)
2011年 10月 31日

バルーンじいさんの噴水 【第三の男】

土日もノートパソコンを自宅に持参して、出張準備のために
出張同行者や旅行代理店や現地通訳さん等々とのメール連絡に忙殺されるイ課長です。

週が始まる前から仕事でぐったりって何なのだ。
しかも今週水曜日にはまた日帰りで岐阜出張が待ってる。イ課長、死ぬかも(笑)。

ということで、本日は「第三の男」の“あの場所”シリーズの小ネタで行こう。
他に大ネタもあるにはあるが、じっくり書いてる余裕がない。まったくもう…。

さて、「第三の男」の小ネタ。
あの映画をご覧になった方には「バルーンじいさん」というだけで、
「ああ、あそこの場面?」とお思いになるかもしれないが。

映画終盤のクライマックス。
ホリー・マーチンスを“エサ”にして、ハリー・ライムをおびき出して逮捕するために、
待ち合わせ予定のカフェの周りには厳重な警戒網がしかれている。
トレバー・ハワード演じるキャロウェイ少佐もこうしてハリーを逮捕するために
物陰にひそんでる。
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そこへ、男の影が近づいてくる。
すわ、ハリー・ライムいよいよ現れたか! …と、逮捕しようと待ち構えてる軍隊も、
オトリになったホリー・マーチンスも、そして観客もイッキに緊張感が高まる。
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ところが、それはハリーではなく風船売りのおじいさんであった。
思わず大きく息を吐いて緊張を解く、というわけなんだけど、このシーンは
極めて印象的で、この映画を見た人なら覚えてるはずだ。
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さて、このバルーンじいさんが現れた時のショット。
右の方に長いヒゲを生やした人物や大きく口を開けて上を見上げてる彫刻が写ってる。
これは一体ドコなんだろうか?今でもこの彫刻はあるんだろうか?

ハリー・ライムのアパートの記事を書いたときにも触れたけど、
ココのサイトに行くと、この場面がどこなのかもちゃんとわかるのだ。何てすごいんだ。

この彫刻、実はミヒャエル・プラッツに面した噴水にあるんだよ。
ハリー・ライムのアパートのロケ現場から歩いて1分で、本当にすぐそばだ。

ほら、これが現在の姿。
撮る角度が映画と少しズレてるし、街は映画当時より圧倒的にキレイになってるけど、
彫刻はもとより、後ろの3階建ての建物や大きな屋根なんて全く当時と変わってない。
左側の角の建物もHALDERってう店の名前まで変わってない!これには驚いた。
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60年以上前に作られた映画にもかかわらずここまで変わってないなんて。
日本の木造建築だったら「60年前のまま」なんて、まず無理なハナシで、
石造建築の欧州ならでは、ということなんだろうなぁ。

ミヒャエル・プラッツっていうのはこんな感じ。
この写真の奥の方、建物をクリ抜いたところにあるのがこの噴水で、
そのちょっと左に見えるトンネルをくぐると、ハリー・ライムのアパートがある。
この一角は「第三の男」の重要な撮影ポイントだったわけだ。
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というわけで、本日は「第三の男」を訪ねる旅の小ネタでした。
他にも超有名シーンの撮影地点に行ってるんだけど、それはイ課長がもうちょっと
落ち着いてからじっくり書くことにするよ。


しかし、出張出発まで落ち着ける日なんてくるんだろうか?(深いタメイキ)



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by tohoiwanya | 2011-10-31 00:05 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(0)