人気ブログランキング |

タグ:歴史 ( 68 ) タグの人気記事


2019年 03月 13日

ジム・トンプソンハウスというところ

ジム・トンプソンハウスの続きね。

見学ツアーの最初、玄関とかエントランスホールあたりまでは撮影可だったので
少し写真がある。ジム・トンプソンって人はシルクで成功してお金持ちになり、
そのお金でタイやカンボジアあたりの古美術を買い集めたようで、そういうのが
いっぱい飾られてる。
f0189467_00231884.jpg
 
石の仏像あり、木彫の壁掛けあり、セトモノありで、まぁたくさんあること。
下のセトモノに描かれた絵はチョンマゲを結った日本人らしい。
f0189467_00235426.jpg
 
・・と、写真を撮っていいのはこの辺まで。このあとゾロゾロと2階に行くと、
寝室とか食堂とかがあるんだけど、その辺はカメラはだめ。

ある仏像を見て「これってクメール風・・」と思ってたら、あとでツアーガイドさんが
「これはどこの仏像だと思いますか?カンボジアです」って説明する。東南アジアに
あちこち行ったおかげ?で少しわかるようになったのかな。少し嬉しい。

グループツアーが終わると、各自自由に庭を回れる(再度邸内には入れない)。
庭からでも多少は室内の様子がわかるので、そんな写真でガマンしていただこう。
f0189467_00235437.jpg
  
ジム・トンプソンがこの家を建てたのはおそらく1950年頃。
その頃には冷房なんてなかったから、バンコクでの生活はさぞ暑かっただろう。
この家も風通しがいいように作ってある。それでも暑いが。
f0189467_00233792.jpg
   
視覚的要素も大きい。庭のあちこちには水がめが用意されてる。水面には植物、
水中には小さな魚。アルハンブラ宮殿もそうだけど、「水が豊富にある家」って
人間の本能的な居心地良さを喚起するのかも。
f0189467_00233766.jpg
f0189467_00233758.jpg
 
広くはないけど、いかにも南国風にみっしり植物が茂った庭も居心地がいい。
どの窓からも緑の葉っぱが見えて、気分的には涼しげ。それでも暑いが。
f0189467_00243506.jpg
 
てな感じで、風通しはもちろん、精神的涼しさを感じさせる効果のある家という
感じだったね。邸内はしっかりニスを塗った木の床で、最近のフローリングの床ほど
真っ平じゃないけど、ひんやりしてて、ハダシで歩くと気持ちよかった。

前にも書いたように、このジム・トンプソンハウスの近くにはコレといった
観光スポットがない。だから周遊効率が悪くてこれまで来なかったんだけど、
今日は「そのあと、コッチに行ってみっか・・」というちょっとした腹案があった。
それは、センセープ運河の水上バスに乗ることなのである。センセープ運河は
ジム・トンプソンハウスのすぐ裏手を流れてる。
f0189467_00375538.jpg
 
しかし水上バスの停留所がどこにあるのかは不明。例によって行き当たりバッタリ。
とりあえず、運河に沿ってアッチに歩いてみましょうかね・・。

 


by tohoiwanya | 2019-03-13 02:18 | 2018.08 タイ旅行 | Comments(2)
2019年 02月 06日

おのみち文学散歩

次回は「浄土寺いくぞ」と言っておきながら、予定を変更して文学散歩(笑)。
還暦になっても「不実な書き手」という性格だけは治らないようだ。
順序からいうとこっちが先になるんだよ、浄土寺より。

尾道には「おのみち文学の館」っていうのがあって、志賀直哉旧宅と共通入場券に
なってる(場所も近い)。文学の館は古~い民家を一種の「文学資料館」みたいな感じの
展示施設にしたもので、志賀直哉旧宅は文字通り彼がかつて住んだ家だ。となれば、
「ミンカの女」トホ妻が行きたがるのは当然。
f0189467_17143952.jpg
 
【志賀直哉旧宅】
こちらが志賀直哉旧宅。複数の部屋が共通の土間でつながってて、若き志賀直哉は
一番奥の部屋に住み、作品を書き、後の「暗夜行路」の構想を練ったとされる。

誰もいなかったところにトホ妻とイ課長が来たんで、ご年配の男性係員が張り切って
志賀直哉の若いころや尾道に住んだイキサツ、当時この部屋から何が見えたかまで
すごく熱心に説明してくれる。
f0189467_17143923.jpg
 
だが、ここでイ課長は大変な失態を犯してしまったのだ。
背中のリュックが柱にかかってた額縁に触れ、落として壊しちゃったんだよね。

ご年配の係員は「いやいや、いいです、お気になさらず」と言って、さらに熱の入った説明を
続けるんだけど、イ課長は申し訳なくてそれどころじゃない。彼の説明は主にトホ妻が拝聴し、
イ課長は主に床にしゃがんで壊れた額縁のワクを探してた。いやもうホント、ごめんなさい。

イ課長は志賀直哉って読んでないんだけど、この部屋から眺めた情景を描いた記述も
展示されてる。熱心な係員の男性は朗読つきの名調子で、志賀直哉の文体の素晴らしさを
説明してくれるけど、イ課長は「壊してゴメンナサイ」ってことで頭がいっぱいで・・(笑)。

最後に、志賀直哉が好きだった、イタリアの壁画の複製画を説明してくれた。
「これ、何だかわかりますか?」と聞かれたトホ妻が「これはポンペイの・・」と言うと
「おお!今までここに何百人も来たけど、ポンペイって言ったのアナタが初めて!すごい!」
係員の驚きぶりもスゴかった。ホントにすみませんでした。

【おのみち文学の館】
ここは特に林芙美子関係の展示が充実してることで知られる。
彼女の書斎なんかも再現されている。林芙美子ファンには必見の場所だろうけど、
イ課長は林芙美子も読んでない、すんません。
f0189467_17164253.jpg
 
林芙美子っていうと、森光子が長年演じた「放浪記」の舞台が有名だけど、そっちの方も
残念ながら見てない。ナンも知らねぇんじゃん、イ課長!バカモノ。しかしこの文句は
知ってるよ。これ、林芙美子の直筆かなぁ?
f0189467_17164270.jpg
 
林芙美子以外にも、尾道ゆかりの文学関係者の資料が展示されてるんだけど、その中に
いきなりデスラー総統を発見した時のイ課長のオドロキを想像してほしい。宇宙戦艦ヤマトの
ノベライズ版の執筆をしたのが尾道に縁の深い方らしい。へぇぇ~~。
f0189467_17164758.jpg
 
志賀直哉旧宅も、文学の館も、尾道の急斜面に作られてるから、南側の採光は良くて
眺めは素晴らしい。斜面の家だと、庭の広さもこのくらいしかとれないんだなぁ。
f0189467_17164764.jpg
 
この2軒を訪問したことで、ミンカの女・トホ妻の“民家欲”も一応満たされたようだ。
実のところ、このあたりで二人とも足にはもう相当キテた。しかし、どんなに足が
疲れようと、足腰勝負の尾道紀行はまだまだ続くのである。さぁ行くぞ。
次回こそ、浄土寺の予定ですから(笑)。

 


by tohoiwanya | 2019-02-06 00:02 | 国内出張・旅行 | Comments(4)
2018年 12月 07日

真間の手児奈 伝説の地

真間山弘法寺のあるあたりは、「真間の手児奈」伝説で有名な場所でもある。

そういう“地元伝説”があることは高校の頃から知ってた。しかしテコナって女に
まつわる話っていう程度の認識しかなくて、詳しいストーリーは今回初めて知った。
一応簡単にご紹介すると・・

昔、真間の地に井戸があり、近所の女たちがそこに水を汲みにきていた。
その一人が手児奈という女で、身なりは貧しいけどバツグンに美しかったもんだから
近隣の男たちがこぞって嫁にしようと争った。しかし誰かと結婚しちゃうと、他の全員を
フらなければならない。それを苦にした手児奈は海に入水自殺。あーあ。

Wikipediaでは手児奈は一度他国に嫁ぎ、子も生まれたけど、国同士の争いに巻き込まれ、
子供と共に真間に戻ってひっそり暮らしていた(で、毎日真間の井戸に水を汲みに行って・・
・・と、上の話に続くんだろう、きっと)ことになってる。

万葉集には手児奈にまつわる歌がいくつもあるらしい。
前回書いた真間山弘法寺も、行基って坊さんが手児奈の霊を弔うために作ったのが
起源だそうだから、737年には手児奈さんはもうとっくに死んでたわけだ
f0189467_01370359.jpg
 
真間の手児奈にまつわる場所は、前回書いた真間山の階段のすぐ近くにある。
そんな近くにそんなモノがあったことも、当時は存じませんでした。
 
はい、これが手児奈が水を汲みに来たという「手児奈の井」です。
いくら何でもこれが奈良時代そのままの井戸とはトーテー思えない。桶なんて新品(笑)。
でもそこはホレ、やっぱ歴史はロマンですよ。固いこと言うのはやめましょう。
f0189467_01370414.jpg
 
はい、これは手児奈霊神堂。要するに手児奈を祀ったお寺らしい。上の井戸から見て
通りを挟んだハス向かいくらいの位置関係。さすがは手児奈伝説というべきか、イ課長が
滞在してたごく短い間だけでも何人もの人が参拝に来てた。
f0189467_01372363.jpg
 
ここは本堂の中に入れるらしい。靴を脱いで入ると、お坊さんが「どうぞお参りを」って
ロウソクに火をつけてくれたから、お線香をあげさせていただきました。
f0189467_01372320.jpg
 
「写真を撮ってもよろしいですか?」って聞いたら「ご本尊はちょっとアレですが、
天井なんかはどうぞ」って言ってくれた。だから上の写真もご本尊は写らないように
しているわけ。さて、天井っていうのは?
f0189467_01372736.jpg
 
うはぁーーー!!こりゃすごく古い。歴史的価値ありそうだ。
鳥とか動物とか、全部生き物の絵で格子天井が覆われてる。ものすごい数だよ。
これは一見の価値があるよ。手児奈霊神堂、なかなかすごいじゃん。
f0189467_01372811.jpg
 
真間山からすぐ近くの高校に3年間通い、「真間の手児奈」も名前だけは知ってたけど
高校生当時はそれにちなんだ場所を見てみようなんて殊勝な了見はゼロ。あの頃は
食い物と週刊誌のヌードグラビア以外のことには関心がなかったんだと思われる(笑)。

「かつて通学した地にあった伝説」にまつわる旧跡を、このトシになって初めて
散歩してみた、初冬の昼下がりというわけでございました。

 


by tohoiwanya | 2018-12-07 00:07 | 日本での私生活 | Comments(0)
2018年 07月 09日

吉備津神社に行ってみる

岡山県の吉備津周辺といえば、桃太郎伝説の地。
昔、ここにいた温羅(うら=鬼)を吉備津彦命(きびつひこのみこと)が討伐したという
日本書紀の記述が後の桃太郎の鬼退治になった・・ということ・・らしい。

吉備津には、その吉備津彦命を祀る吉備津神社というところがある。
吉備津彦命≒桃太郎という公式に当てはめれば、「桃太郎神社」ということにもなる。
けっこう有名な神社で、本殿は国宝。

香川じゃ金毘羅様参り、本州に渡って岡山では吉備津神社参り。
還暦を前に、突然信心深くなったわけではないのだが。

吉備津神社は吉備津って駅で降り、そこからは歩いて行ける。田舎だねー。
食い物屋なんて全然ない。今日食ったのは朝の菓子パンと高松の駅うどんだけ。
早くも腹が減ってきたが、もうこの旅行中は空腹に耐えることに慣れた(笑)。
f0189467_16131161.jpg
 
はい神社。あの階段を登ると本殿があるに違いない。
金毘羅様を二日前に征服した我々にとって、この程度の階段、何ほどのことやあらん。
f0189467_16131195.jpg
 
はい着きましたー。サラリとお参りしましょう。
田舎にあるせいか、参拝者はそれほど多くない。でも外国人観光客はいたね。
f0189467_16131710.jpg
 
これが国宝の本殿。
破風が二つ並んでいる形状が非常に特徴的で、大変立派だ。
f0189467_16131757.jpg
 
奥の方に行くと、有名な木造の長い回廊がある。写真で見るとすごく美しい。
しかしこの日はなぜか弓矢を持ったすごい数の(たぶん)高校生がワンサカいる。
一体ナニゴト?
f0189467_16170890.jpg
 
こう人だらけじゃ、長大な回廊の写真撮影どころじゃない。
どこを向いてもハカマはいて弓を持った若者が練習してたり、談笑してたり、
何か食ってたり・・(笑)。青春やのう。
f0189467_16132246.jpg
 
歓声が聞こえる方に行ってみたら、ははー、やっぱ神社の中に弓道場があるんだ。
たぶん高校弓道の岡山県大会か何かなんだろう。桃太郎伝説スポット・吉備津神社で
弓道大会なんて気分いいじゃん。
f0189467_16132223.jpg
 
しかしまぁ弓道大会をいつまで見てても仕方ない。とりあえず回廊のいちばん端っこまで
行ってみたけど、特に何もなかったので戻ってきた・・・と、こう書くと、吉備津神社は
コレといったネタがない観光みたい。ところがギッチョン。

参拝や回廊見学より、吉備津神社で注目してたことがあったんだよ。
これに関しては大変カンゲキすべき体験もできた。あのことは詳しく書きたい。
ということで、例によって次回だ(笑)。

 


by tohoiwanya | 2018-07-09 00:26 | 国内出張・旅行 | Comments(2)
2017年 10月 30日

おーい水島、一緒に日本に帰ろう

ミャンマー旅行以来、一度観たいと思ってたんだよね、「ビルマの竪琴」。
初公開版、カラーのリメイク版ともにまだ観たことがなかったのだ。

府中の図書館にDVDがあったから借りた。中井貴一が出たリメイク版じゃなく、1956年公開の
白黒版。ただし再編集バージョンだと思われる(初公開版には人食い土人とかが登場したらしい)。
f0189467_00461792.jpg
 
ある意味、「あの当時」だからこそ観る者の心の琴線に触れた映画といえるかもしれない。
昭和31年つうたら捕虜になってた日本兵が戻ってきてから10年たらず。「復員せず、そのまま
ビルマに残る日本兵」という設定はけっこう胸に迫るものがあったんだろうと思う。

この映画に特定のモデルはいない。日本に復員後、僧侶になった人がモデルとか言われてるけど、
そもそもミャンマーで出家者が音楽を奏でるなんてことは戒律上あり得ないことだそうで、
そういう意味でも「ビルマの竪琴」は完全なフィクション。
f0189467_00461738.jpg
 
悲惨な戦争を描いた映画ではあるんだけど、出て来る日本兵やビルマ人、さらに英軍までもが、
おおむねヒューマンな心を持つ者として描かれてるのはこの映画の格調を高くしていると思う。
水島がビルマに残ろうと思ったキッカケも、死んだ日本兵の墓で賛美歌を唄う英国人たちの姿を
見たことで、ワルモノって出てこない。現地ビルマ人(塀の外)と日本軍捕虜(塀の中)の関係も
素朴かつ友好的に描かれてる。

前にも書いたけどミャンマーは対日感情が極めて良い国と言われる。
「対日感情がメッチャいい国が世界に二つ、それはトルコとミャンマーだ」なんて話も読んだ。
対日感情がイイというのは大変有り難いけど、第二次大戦中、日本軍はビルマを実質統治した。
戦争中は相当メイワクもかけたはずなのに、中国や韓国と違ってなぜ対日感情がイイのか?

歴史的には「日本統治→日本の敗戦が独立の契機になった」ってことがあるかもしれない。
これはミャンマーに限らず、東南アジアの国にけっこう共通するブブンなのだが。

イ課長が漠然と思ってたのは「ビルマの人にとっての日本兵って“みじめで悲惨な敗残兵”という
イメージが強いからではないか?」ということ。この映画も敗色濃厚となった日本兵の部隊が
タイに逃げようとしてビルマを敗走するシーンから始まる。
f0189467_00461684.jpg
 
おそらく当時のビルマ人にとって日本軍って、長く支配者だった(120年以上)英国軍を追っ払い、
英軍に代わってミャンマーを統治した・・と思ったらアッという間(約3年)に「腹をすかした
哀れな敗残兵」になった兵隊さんたち、というイメージが強いんじゃないかなぁ?幸いなことに
虐殺者とか侵略者という記憶が強く残るほど長く居座ることがなかった。

映画の中で三國連太郎隊長率いる部隊が捕虜になるのはミャンマー南部のムドンって町で、
これは実在の町だ。それなのになぜか劇中にヤンゴンのシュエダゴン・パゴダが出て来たり
するけど、実際に市川崑はこの時一週間だけビルマ・ロケしたんだと。しかしたった一週間じゃ、
ヤンゴン以外の街に移動して撮影するヒマなんてなかったんだろう。
 
しかしだね、映画を見てイ課長がギョッとした箇所がある。ある寝釈迦が写った時だ。
非常にヘンな姿の寝釈迦で、容貌魁偉と言ってもいいんだけど、それに見覚えがあったんだよ。
DVD画面からキャプチャーできないようになってるから、画面をお見せできないのだが

いやしかし、この容貌魁偉な寝釈迦は明らかに見覚えが・・あ、アレか?
ヤンゴンのチャウッターヂー・パゴダに展示されてた写真(をイ課長が撮った写真)と比較した。
コレだよコレ。間違いない。ヤンゴン市内にあったはずだから(今はないが)、市川崑が
現地ロケした時も、この寝釈迦は撮影可能だったわけで、映画に写ってて不思議はない。
f0189467_00454651.jpg
 
何ともすごい姿カタチの寝釈迦だ。っていうか、これだけみるとお釈迦様に見えない(笑)。
上の写真下にある「Wingaba Rangoon(Yangon)」で検索するとこの写真が出てくる。
さらに調べると、Wingabaっていうのはおそらくチャウッターヂー・パゴダがあるあたりの
地名じゃないかと推測される。
 
この顔のアップが映画の中でも出てきたよ。市川崑もインパクトある姿に驚いたんだろう。
だがこの衝撃的な見た目を持つ寝釈迦像は現在なくなってて、今はコレとは180度正反対の、
妖艶美白仏がある。それについてはいずれ詳しく書きます。あれも別の意味でインパクト十分。
f0189467_00454685.jpg
 
ミャンマー行ったあと見ると、考えるところ、思い出すところの多い映画でした「ビルマの竪琴」。
ちなみに中井貴一主演の1985年版は見てない。あちらは石坂浩二はじめ主要キャストはみなさん
ご健在だ。しかし1956年版となると、安井昌二も三國連太郎も西村晃も北林谷栄も、もちろん
監督の市川崑も、みなさん天国に行ってしまわれた・・・。

 


by tohoiwanya | 2017-10-30 00:07 | 2017.08 ミャンマー・タイ旅行 | Comments(2)
2017年 10月 16日

廃墟の中の廃墟・コーフ城をめぐる

本日の記事はいわば「コーフ城写真集」。
コメントより写真中心で構成したいと思う。

コーフ城って“現役”当時はこんな感じだったらしい。
たぶん11世紀に出来たはずだから、アンコール・ワットなんかよりちょっと古いことになる
f0189467_15461383.jpg
 
しかし現在の姿はこう。強者どもが夢のあと。
復元図だと手前の斜面にも城壁だの小塔だの階段だの、いろいろあったみたいだけど、今や
草だけになった斜面の一本道をひたすら登る。
f0189467_15461445.jpg
 
ゆるやかな丘に見えるけどけっこう高度があって、丘の上から入口を振り返るとこんな感じに見える。
向こうにあるのが町で、大多数の人はあの町のバス停で降りて歩いてくるはず。
f0189467_15461335.jpg
 
さて、それではいよいよ内部に入ってみよう。廃墟だから内も外もないんだが。

  おおっ・・・・
f0189467_15464438.jpg
f0189467_15464371.jpg
 
      おおおおっ・・・・
f0189467_15464477.jpg
  
いやこれはすごい。事前に想像した通りの石造りの廃墟だといえばそれまでの話だが、
確かにその「廃墟っぷりのよさ」は素晴らしい。さすがは英国を代表する廃墟の中の廃墟。
f0189467_15490855.jpg
  
          うーーむ・・廃墟だ・・いいねー。
f0189467_15490880.jpg
 
構造物の内部に入れる部分もある。
床にたまった水に光が反射する・・・うう・・イ課長はこういう被写体に弱いのだ。
f0189467_21580905.jpg
 
最初のうちはイ課長とトホ妻は並んで歩いてたんだけど、二人ともだんだん廃墟に
魅了されて相手のことはどうでもよくなり(笑)、いつの間にかバラバラになってしまった。
ま、そんなに広大なところじゃないから迷子にはならない。

いやーーーしかしいいね、コーフ城は確かに大した廃墟だ。ここには廃墟の美がある。
f0189467_15490932.jpg
 
元々は立派な城が今こういう廃墟になったからには、本来なら地面の上に崩れた石材が
ゴロゴロしてていいはずだ。しかしそういうのは全然ない。下は草だけ。おそらく
崩れた石材は片付けたんじゃなく、長い年月の間に持ち去られ、別に石造りの建物に
流用されたんじゃないだろうか(ローマ時代の遺跡にはそういうのが多いらしい)。

さっきも言ったようにそんなに広大な遺跡じゃない。
しかしけっこう長い間ここにいたと思う。同じようなところをグルグル回りながら
その「廃墟っぷりのよさ」を心の中で賞賛し続けた。
f0189467_15513584.jpg
 
ここにはウィリアム征服王にまつわる歴史もいろいろあるんだろう。
しかしそういう歴史背景を調べようという気にはあまりならない。
何の音も聞こえない静かな廃墟の中を一人さまようのがとにかく気持ちイイ。
f0189467_15542327.jpg
 
コーフ城、こういうところなんです。いいでしょ〜??
ロンドンから日帰り可能。有名観光地というほど有名なスポットじゃないけど、
廃墟マニアにはたまらないと思うよ。トホ妻なんて恍惚としてさまよってたからね(笑)。

 

by tohoiwanya | 2017-10-16 00:51 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 10月 10日

コーフ城への道のり その1

ミャンマーからバンコクに話が飛んだと思ったら、今度はいきなり英国ネタ。
さすがに自分でもいかがなものかと思うけど、昨年の英国銀婚旅行で重要なネタが一つ残ってる。
いつまでも残しておけんから書く。一応前回記事とは「廃墟つながり」ということで・・・(笑)。

話は旅行前、トホ妻がある本で、英国の某廃墟に関する記述を読んだところから始まる。
ソコは「廃墟の中の廃墟」と言われるほどの、英国を代表する廃墟。まさにキング・オブ・廃墟。
廃墟好きのトホ妻はたちまち魅了され、「行きたい」と言い出した。今回の銀婚旅行は基本的に
ヤツの好み優先。たちまち交通手段検討から時刻表調べ、切符予約作業等々が全てイ課長の肩に。
何て献身的な夫。結婚生活が25年もったのはひとえに・・まぁそんなことはどうでもいい。

その「廃墟の中の廃墟」とはコーフ城というところなのである。

甲府城じゃありませんよ?コーフ城。コー・・だから甲府城じゃねぇっつってんだろッ!
漢字じゃなくカタカナで言えってぇの!(ムリ)

ここ、何でも征服王ウィリアムの頃に作られた城だそうで、今は完全なる廃墟。ただその廃墟っぷりが
あまりにも素敵すぎて、現在では英国ナショナルトラストが管理する立派な観光地になった。
写真を見ると確かに廃墟ムードたっぷりで良さそうなんだよ。
f0189467_15541828.jpg
 
調べてみると英国のドーセット州というところにあるようで、一応ロンドンから日帰りはできそうだ。
ロンドンから鉄道で2時間。乗るのは切符予約時に大トラブルをぶっコイてくれた南西鉄道。
南西鉄道でプールって駅まで行き、そこからさらにバスで約50分。ただしバスの便数は少ない。
メチャクチャ難しいわけでもないが、ラクでもない道のりってとこか。

コーフ城への行き方について詳しく書いたものなんて少ないから、ここでは詳しく書くぞ。
結局ロンドンからの往路のタイムスケジュールはこうなったのである。
08:35ロンドン・ウォータールー駅発 ⇒南西鉄道 ⇒ 10:36プール駅着
11:30プール駅発 ⇒ブリーザーバス ⇒ 12:19コーフ城着

バス待ちだナンだかんだで片道4時間近くかかる。
最初にコーフ城への行き方を調べた時、「プールからバスに乗って○○分」と書かれたものを読んで
どっかの市民プール前のバス停から乗るんだと勘違いし、「どこの町のプール?!」と思って
アセッたバカは私です。プールっていう地名なの。イギリス南岸、ポーツマスなんかと近い。
f0189467_16544273.jpg
 
というわけで2016年6月20日の月曜日、大廃墟観光のスタートはおなじみウォータールー駅。 
恨み重なるクソバカ鉄道会社・南西鉄道だからこそというべきか、乗車ン時もひどかったよー?
なかなか改札口がオープンしねぇで、発車ギリギリにようやくゲートオープン。
f0189467_16544241.jpg
 
当然改札口にはアセッた乗客が殺到だ。そこを何とか通り抜けて自分の乗るべき車両に向かって
歩いてる途中でもう発車のベル。ヲイこんなのアリか。改札開始から発車まで短すぎるってば!
最後に改札口を抜けた乗客が足の弱ったお年寄りだったら絶対乗り遅れてる。なんたるヒドさ。
南西鉄道社員は全員英国陸軍の射撃訓練の的となって、国家に奉仕して死ね。
(あれは鉄道会社じゃなく、駅側の運営のマズさだろうとは思うが)
f0189467_14352408.jpg
 
アホダラ南西鉄道だからさらに故障して遅延して脱線転覆事故起こして・・ということはなく、
一応ほぼ定刻通りにプールに到着。見てよこの景色。ドンヨリと曇る空、そぼ降る雨。
f0189467_16560858.jpg
 
何なのこの風景。まさに灰色の港町。「何て魅力なさそうなトコだろう」と思ったよ(笑)。
ま、行くのはコーフ城なわけでプールの町自体に用はないのだが。
 
だがここからコーフ城までの道のりはまだまだ長い。ここからバスでさらに50分。
当然、話は次回に続くのである。

 


by tohoiwanya | 2017-10-10 23:36 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 28日

グリニッジ天文台【計時技術編】

グリニッジ連載シリーズ、今日で終わらせますからね(笑)。

子午線と標準時は切り離せないテーマだから、グリニッジには時計の展示もワンサとある。
たとえば入口にはこんな由緒ありげな24時間時計が。イ課長がこの写真を撮ったのは
グリニッジ標準時10時29分頃だったわけだ。
f0189467_00085460.jpg
 
前回記事で書いたハリソン氏が作ったクロノメーターがここに展示されてるってことは知ってた。
しかしどこにあるのかわかんないし、形も知らないし、いちいち英語の説明読んで探すのは
オックウなので(笑)いいかげんに見て回ってた。

実際にはハリソンは最初の時計(1735年作成のH1。Hはハリソンの頭文字だな)から始まって
改良版のH2、さらに改良版のH3と作っていったんだけど、たまたま偶然というべきか、
イ課長が「うわーすげぇメカだなこれ」と思って撮った下の写真がその一つだった。
f0189467_00093958.jpg
 
写真で確認するとこれはH2だと思われる。1739年に作られた。
写真じゃ見づらいけど、プレートにGeorge The Ⅱって文字があって、その奥、さらに見づらいが
Harrisonという文字が見える。ってことは、この時計を作った頃は後にハリソンを助けてくれた
好人物王ジョージ3世のさらにお父ちゃんが王様だったんだな。

このH2もすでに十分高い精度だったけど、揺れる船に置くにはまだちょっとデカくてかさばる。
しかしハリソンはH3、H4と改良版を作りつづけ、最後のH5にはどのくらいになったかっていうと
ここまで小さく使いやすくなった。これなら文句ナッシングでしょう(写真はWikipediaから)。
f0189467_09472226.jpg
  
おお、ハリソンさんの肖像画もあるよ。
生前は英国議会のイジワルで時計に難癖つけられたり賞金なかなかもらえなかったりしたけど
後世クリニッジ天文台で、こうして巨大な肖像画つきで栄誉を称えられるのは喜ばしい。
f0189467_00100922.jpg
 
下も何気なく撮った写真なんだけど、後ろの説明に lunar-distance method ってあるから、
クロノメーターの対抗技術だった月距法のことに違いない。詳しくは知らないけど、月距法って
測定した後にこの写真にあるような分厚いデータ集と照合しながら計算を必要としたようで、
使い勝手は時計より圧倒的に悪かったらしい。ま、これらも帰国後に知った知識だが(笑)。
f0189467_00112070.jpg
 
いやーグリニッジ天文台の展示はけっこう面白かったよ。
子午線と標準時という、世界でここだけのウリがあるから、展示内容もそれに集中特化してて、
なかなか見応えがあった。

ちなみに、グリニッジ天文台の外観はこんな感じ。塔の上の赤いタマが目につく。
f0189467_00114015.jpg
 
これも帰国後に知ったんだけど、この赤い玉、午前11時55分になるとスルスルと引き上げられ、
正午と共にストンと下に落ちるんだと。要するに一種の時報で、正式には「報時球」っていうらしい。
へぇ~・・そうだったんスか。現場にいる時はそんなこと全然存じませんでした。

世界から観光客が集まるグリニッジ天文台だけに、ミュージアム・ショップも充実してる。
本初子午線グラスに本初子午線ビールを注いで、一杯いかが?
f0189467_00121178.jpg
 
時計もいっぱい売ってる。グリニッジに来た記念にクラシックな懐中時計とか、
ちょっと欲しくなるよねぇ。
f0189467_00141313.jpg
 
科学史ファン・イ課長としてもグリニッジ訪問記念に何か買って帰りたい。 
で、買ったのがコレ。方位磁石だな。ただ、普通の磁石より立派。フタの部分に細い線があって、
この部分に目をくっつけて測るだかナンだか、とにかくそんな使い方をするらしい。
買ったはイイけど使い方をよくわかってないのである(笑)。
f0189467_00124075.jpg
 
いやーーグリニッジ良かったス。天文台テラスからの眺望もたいへんよろしい。
大して期待してなかったけど、ロンドンからちょっと足を伸ばした観光スポットとしてはお勧め。
一連のグリニッジ関連記事を書くためにあれこれ調べて、ずいぶん勉強にもなったぜ。
f0189467_00143923.jpg
 
というわけで集中科学史講座「グリニッジ天文台」、これにてお開きとさせていただきます。
皆さまの科学知識に貢献するイ課長ブログがお送りいたしました(笑)。

  


by tohoiwanya | 2017-07-28 00:04 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 26日

ジョン・ハリソンという人

計時技術編の前にやはりこの人のことを書いておかねばならぬと気付いた。

英国ってわりと階級意識が強い国のはずで、偉大な学者や政治家になった人には立派な家柄の
出身者が多い。そういう家柄じゃないと高等教育を受けられなかったからね。出自がモノをいう。
昔はその傾向がさらに強かったはずだ。

しかしそんな英国でも時として低い身分出身の、輝ける才能の持ち主が歴史に名を残す。
ニュートンなんかはわりとそうで、ケンブリッジ大学に入った時は教授の小間使いをして
その代わり授業料や食費は免除されるという身分。つまり自費じゃ授業料を払えなかったわけだ。
以前に書いたファラデーも平民出身で、後年大物理学者として尊敬を集めるようになっても
高等数学はできなかったらしい。

本日の標題であるジョン・ハリソンという人も平民出身でありながらその才能と技術で
科学史に名を残した英国人の代表的存在といえるだろう。

ハリソンの唯一最大の業績、それはクロノメーター、つまり船の航海で使用できる極めて高精度な
機械式時計を発明したことによる。これこそ経度測定法のキーテクノロジーで、この発明がなければ
英国が後に世界一の海運国になれたとは思えない。

大航海時代以来、広大な海で自分の船の位置を知る必要性は極めて高かった。
原理的には太陽が24時間で一周360度回るわけだから、基準地(たとえばグリニッジ)から
南中時刻が1時間ズレてれば経度にして15度、2時間なら30度違ってることがわかる。
要するに正確な時刻さえわかれば自分のいる経度もわかるわけだ。
f0189467_00174427.jpg
 
1714年、英国政府は海上での正確な経度測定技術を発明した者に2万ポンドの賞金を与えると
宣言した。経度を正確に知ることはそのくらい切実なニーズがあったわけだ。
高等教育を受けた学者様たちは天文学的なアプローチ(月距法)で経度を知るという方法を
研究したけど、これには膨大な観測データ整備や計算を必要とするというネックがあった。

もう一つは精密機械工学的アプローチで、要するにどエラく正確で船上でも狂わない機械式時計を
作るという方法だ。それさえありゃ「あ、グリニッジと2時間ズレてるから30度違うんだ」ってことが
すぐわかる。しかし振り子時計しかないご時世にそんなの夢のような話。だが一介の時計職人だった
ジョン・ハリソンは自らの才能を生かし、この賞金獲得にチャレンジした。その時ハリソン21才。
f0189467_00245109.jpg
 
彼は長い年月をかけて正確な時計を造り、それをさらに改良し、さらに改良を繰り返した。
しまいにはほとんど懐中時計程度の大きさで、5ヶ月船の上で測定しても誤差15秒という
驚異的に正確な機械式時計を作るに至った。

だが上流階級ぞろいの英国議会の紳士がたは平民出身のハリソンに賞金を出すことを快く思わず、
難癖をつけてはチビチビ払い、何度も改良と試作を要求し続ける。で、疲れ果てたハリソンは
とうとう国王に訴えたんだな。

ハリソンに同情した国王は自ら臨席する時計の精度実験を命じた。もちろんそこでも彼の時計は
申し分ない実験結果を示したから(一日に1/14秒の誤差だったとか)国王は激怒したらしいねー。
約束通り賞金払えテメエら!と議会にカミナリを落とした。

その国王ってのが例のトラファルガー広場に騎馬像があった放蕩バカ王ジョージ4世・・・の
お父ちゃんだったジョージ3世(笑)。病気で頭がおかしくなる前のジョージ3世は好人物の
王様だったらしいけど、このエピソードにもその人柄があわられている。

で、ようやく賞金の残り全額がハリソンに与えられた。その時ハリソン80才。
クロノメーター発明者としての名誉を生きてるうちに得られたのは幸いだったといえる。
21世紀の今日でもハリソンは経度測定法確立の最大の功労者とされている(と思う)。
f0189467_00245112.jpg
 
以前、シャクルトンの記事でエレファント島からサウス・ジョージア島までの奇跡の航海の話を
書いたけど、あの時彼らが目的の島まで辿り着けたのも結局は海の上で自分たちのいる位置を
どうにか把握できたからで、彼らもクロノメーターと六分儀だけは持ってたのだ。

グリニッジ天文台にはそんなハリソンに関する展示もある。
科学史の本でハリソンの名前や業績を知ってたイ課長としては、やはり興味あるところだ。
しかしハリソンの業績説明で長くなっちまったので展示の詳細は次回。すみませぬ。
シャクルトンとかハリソンとか、英国人には業績紹介だけで長引く人が散見されて困る(笑)。

 


by tohoiwanya | 2017-07-26 00:03 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2017年 07月 24日

グリニッジ天文台【子午線編】

ちょいと箸休めを挟んで、グリニッジ天文台に戻りましょう。
「子午線編」っつうからには、別の編もあるみたいですねー、続くんですねー、こわいですねー。

さてだ。現在は博物館として公開されているグリニッジ天文台。
展示内容も普通の天文台とは違って、子午線とか標準時とかに関するものが多い。
「ここならではの展示」ってことだよな。本日はその中でも子午線の話をしたい。
 
まずはいきなりで恐縮だがイ課長のアホ面写真から。
下の写真でイ課長がまたいでいるのがグリニッジ子午線で、このときイ課長は地球の
東半球と西半球の両方に足を置いたことになる。グリニッジ天文台に来た観光客が必ず撮る
記念写真の定番ポーズ。
f0189467_00173449.jpg
 
とーころがですよ。
この記事を書くためにちょっと調べてみたけど、子午線の世界も深いんだねー。
上の写真でイ課長がまたいでいるのは正確には「エアリー子午線」と呼ばれるものなんだけど
しかし子午線はこれだけじゃないのだ。

初代グリニッジ天文台長だったハレー(ハレー彗星のヒト)とか、第3代天文台長だった
ブラッドレー(この人も科学史では有名)とか、いろんな人が子午線決定には力を尽くしてて、
エアリー子午線とは43m離れた別の子午線とか、6m(!)離れた別の子午線とか、いろいろあるのだ。
下は6mしか離れてない子午線の位置表示で、エアリー子午線のすぐそばにある。
f0189467_00170990.jpg
 
それだけならまだいい。20世紀になってさらに科学的な子午線基準が定められた。
IERS基準子午線っていうらしいんだけど、それはグリニッジ子午線から西に102.478m離れてるんだと。
科学的厳密さに即して言えば上の写真でイ課長がまたいでいる線には何の意味もないわけだ。

でも一般人が学校で習う子午線といえばやっぱグリニッジのココだよな。いや勉強になった。
訪問前にこういうことを予習しておけばもっと有意義な訪問になっただろうに(笑)。

緯度には南極・北極っていう基準があるけど、経度には地球上で基準とすべきところがない。
しかしどっか基準を作らなきゃっていうんで、グリニッジにしようってことになったのは1884年の
ことなんだと。その時点ですでにグリニッジを基準にしたイギリス式の海図が世界中でかなり
普及してたから、ここが良かろうということだったようだ(フランスだけは抵抗したらしいが)。

建物の中はエアリーさんが子午線を観測した時の機器が保存されている。
下の写真の下の方、木の床に細い銅板みたいなのでラインがあるじゃん?これが子午線。
f0189467_00173561.jpg
f0189467_00174420.jpg
  
そのまま目を転じると子午線のラインはこんな風に窓の真ん中を通って外に続いている。
エアリーさんは上の写真の巨大な黒い歯車みたいな装置(たぶん子午環っていうんだと思う)で
窓の中心を基準に観測したようで、その窓の中心がそのままグリニッジ子午線になったわけだ。
f0189467_00170997.jpg
 
お、エアリーの前に子午線を観測したブラッドレーさんがいる。こういう顔してたのか。
たぶん多くの業績を残した人なんだろうけど、科学史においてブラッドレーといえば
光速度測定の歴史でガリレオ、レーマーに次いで必ず取り上げられる人だ。彼が発見した
光行差を用いた光の速度計算は約30万km/秒で、ほぼ合ってた。
f0189467_00170960.jpg
 
実はイ課長、文学部出身のくせに科学史の本を読むのがけっこう好きなもんで、
グリニッジ天文台の展示で名前を聞いたことある人を見つけると、やっぱちょっと嬉しくなる。
イ課長ですら知ってる人がいるくらいだから、天文史マニアなんかにとっちゃここはもう
たまんないと思うよ。

グリニッジ天文台は17世紀に設立されたらしいけど、その頃の観測機器なんかも残ってる。
現在に比べりゃオモチャみたいな性能なんだろうけど、それでも18世紀に光速度がほぼ正確に
計算できちゃったんだからすごい。
f0189467_00211755.jpg
 
子午線について調べたらいろいろ勉強になったので、ついその成果をいろいろと書き連ねて
しまいました。次回更新はグリニッジ天文台ならではのテーマその2として、計時技術と
経度測定法についてご紹介しますです。いつから科学ブログになったんだ?ここは(笑)

 


by tohoiwanya | 2017-07-24 00:20 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)