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2017年 09月 06日

三文オペラ鑑賞

怒涛のようなミャンマーネタの嵐が続くかと思ったらいきなり英国ネタ(笑)。
まだちょこっと残ってるんだよ。どうせミャンマーネタはこの後ガンガン続くわけだから
箸休めに時々英国ネタを挿入するのである。

さてだ。話はグリニッジ観光した日のこと。
この日の夜、イ課長たちにはもうひとつシアター系娯楽の予定があった。
火曜のコヴェント・ガーデンオペラ、木曜のロイヤル・フェスティバルホールに続く
シアター系娯楽。それは「三文オペラ」なのである。
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これ、何と言えばいいのかなぁ?オペラという題名ではあるけど、ミュージカルとも言える。
とにかく三文オペラといやぁ演劇史上屈指の傑作。日本でも時々上演される。
脚本ブレヒト、作曲クルト・ワイルというだけあって、元々はドイツ語劇(でも舞台はロンドン)。
独文科出身のトホ妻が昔っから大好きな、深い思い入れがある演目なわけで、ロンドン滞在中に
「Three Penny Opera」を上演してることをヤツが知った瞬間、これを観に行くことが決まった(笑)。
トホ妻の好みを尊重するやさしい夫であるワタス。

場所はナショナルシアター、別名オリビエ・シアター。かの偉大な名優ローレンス・オリビエに
ちなんだ命名だろう。劇場前にはこんな銅像も。これは代表作「ハムレット」じゃないかな?
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ナショナルシアターは例のロイヤル・フェスティバルホールとすごく近い。並びと言っていい。
今や通い慣れたサウスバンク。この時はなぜか劇場前が自転車だらけ。なんで?ロンドンじゃ週末の夜
ここに自転車乗りが集合する風習でもあるのかい?
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ナショナルシアターの中はこんな。半円スリバチ型といった感じか。段差が大きいから前の人の頭が
邪魔になることもなく快適。かなり後ろの席だったけど音響もよく聞こえた。
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三文オペラのストーリーや音楽についての詳細は省こう。イ課長よりトホ妻の方が断然詳しい(笑)。
劇冒頭で歌われる「匕首マッキー(マック・ザ・ナイフ)」だけは誰でも絶対に聞いたことがある
超有名スタンダードナンバーだよ。

ロッテ・レーニャのこともちょっと触れておきたい。
三文オペラと言やぁロッテ・レーニャっつうくらい、この舞台を当り役にした往年の大女優。
・・・と言われても顔を思い浮かべられる人はほとんどいないだろうと思うが。

しかしこの女優、なつかしの大ヒット商業映画に意外な役で出演してるのだ。
「007ロシアより愛をこめて」のおっかねぇロシア諜報部のおばさん役。あの映画の最後で
ホテルのメイドに変装し、靴から飛び出す毒刃物でショーン・コネリーを殺そうとするオバさん、
といえば顔を思い出す人が多いんじゃないだろうか。あの頃はすでにお年を召していたが、
若い頃は大変な美人大女優だった。
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ま、とにかくそんな三文オペラを見たわけですよ。
金曜日ってことは前日が例の国民投票で、この日の朝にEU離脱が決まったという日だ。
劇の中でも役者が離脱にちなんだアドリブを言って観客が大笑いしてたけど、英語だったから
イ課長には何がウケてるのかよくわかんなかった(笑)。

6月下旬、ちょうど一番日の長い夏至の頃だったけど、上演終了後はさすがに夜らしくなってる。
ロイヤル・フェスティバルホールと近いから、見える景色も似てる。

あーあ・・明日はもう日本に帰らないといけないのか・・そんなロンドン滞在最後の夜。
テムズ川ごしに見るロンドンの夜景はやっぱ美しいのう。
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・・なんて書くとこれで終わりっぽいけど、英国ネタはまだほんのちょっと残ってる(笑)。
ミャンマーネタの合間をぬって時々顔を出しますからね、英国ネタ。

 

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by tohoiwanya | 2017-09-06 00:02 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(0)
2017年 02月 18日

ロイヤル・フェスティバルホールに行く

時々はさまるロンドンネタ。今日はクラシック音楽ネタだ。久しぶりだなぁ・・

欧州の大都市に行けば、夜はやっぱ音楽・シアター系の娯楽を楽しみたい。
ロンドンなら限られた旅行日程の間でもオペラや音楽会に行くチャンスは多いわけで、
ちょうど滞在中にフィルハーモニア管弦楽団の演奏会があった。イイネ。

チケットは日本からネット予約した。予約に成功するとこんな感じのPDFが送られてくるから
印刷して持参すればいい。ちなみに、鉄道と違って英国の音楽会チケットのネット予約では
大きなトラブルがなかったことは一応書いておく必要があるだろう(笑)。
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チケット代は27£。当時のレートだと4,500円弱ってとこかな。チケットのファイルが
残ってるといろいろ確認できて便利だね。交通博物館のチケット代はバカ高いと思ったけど、
このチケット代は(LEVEL6って書いてあるくらいで、かなり上階の席ではあったが)
まぁリーズナブルじゃないか?

ロンドンでは過去にロイヤル・アルバートとか、ナショナル・オペラとかには行ったけど
ロイヤル・フェスティバルホールに行くのは初めてだ。有名なこのホールはテムズ川の
川っぺりに建てられているのである。
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地上階に足を踏み入れると、こんな感じで人がワイワイいて、ドコがナニやらさっぱりわからん。
チケットに「Blue Side」って書いてあるから、青い表示のある方に行くしかない。
この後エレベーターで何フロアか昇って正しい入場口にたどりついた。
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さて客席を見てみよう。おおおーーーさすがに立派だねー。
ロイヤル・フェスティバルホールって舞台の向こうにも客席があるタイプだったんだ。
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昔風のオペラ劇場なんかだと間仕切りをはさんでボックス席がぐるーーッと並んでるけど
ここはこうやってボックス席が壁から飛び出した形になってる。わりとモダンな客席だ。
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当然ロイヤル・ボックスもある。
この日は王族は誰も来てなかったけどね。どうせならキャサリンとか見たかった(笑)。
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この日の演目は最初・・何だったかな?その後ベートーヴェンのP協奏曲4番、最後は
やはりベートーヴェンの「田園」という構成。客席はやはりご年配の方々が多かった。
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実はこのコンサートに行った日は、例のEU離脱国民投票の、まさに投票日だったんだよ。
あのオジさん・オバさんたち、ちゃんと投票済ませてたんだろうか?この時点では
まさか離脱になるたぁ、この人たちですら思ってなかっただろう。

休憩時間にテラスに出てみた。日の長い6月だから8時まわってもまだ夕方のように明るい。
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音楽会が終わる頃になると、それでもさすがに暗くなった。
夜景がキレイだからテムズ川の橋を徒歩で渡って、向こう岸の駅から帰ることにした。
橋からビッグ・ベンがよく見えたよ。やっぱロンドンの夜景はええのう~。
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思わずまた「London by night~♪」と夜の名曲選の世界に浸りながら散歩したくなったけど
トホ妻も一緒だし、そういうことはしません(笑)。対岸のチャリング・クロス駅から
地下鉄に乗ってまじめにホテルに帰ったのでした。昼間ストーン・ヘンジ見て疲れてたし。
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・・そして翌早朝、ホテルでBBCの開票速報を見てぶったまげることになるわけだ。
そう考えると、ロイヤル・フェスティバルホールに行ったあの夜は、人々のキモチとしては
「EU加盟国である英国」としての最後の夜だったわけで、感慨深いのう・・。


 

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by tohoiwanya | 2017-02-18 01:11 | 2016.06 英国銀婚旅行 | Comments(2)
2012年 09月 23日

パリ・週末ナイトライフ その2

まず下の地図を見てほしい。地下鉄の路線がいくつも地下を通ってるパリの一角。
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紺色のM印がメトロのシャトレー駅で、画面の上の方にイ課長が行くべきライブハウス
「Sunset Sunside」がある。地図で見る限り、シャトレー駅と店とは直線距離で
せいぜい150mくらいしか離れてない。

これなら道に迷う恐れはないだろ?と誰もが思うはずだ。イ課長も思った。
Google Mapの地図をプリントアウトして持っていけば問題ないよな。

さて、シャトレー駅から地上に出た。当然そこには夜の街があり、道があり、交差点がある。
だが、イ課長はこういった地上の風景を見た瞬間に「あ、マズいことになった」と思った。
その時の感じをわかっていただくために、同じ縮尺の写真の方をご覧いただこう。
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地図だと大通りと細い道に見えるけど、実際にはどの道路も同じような感じなんだよ。
自分がこの複雑に入り組んだ道路のどこに立っていて、自分が今向いている方角が
地図上のどっちの方角なのか、皆目見当のつけようがない。
「歩いてるうちに」じゃなく、「歩き始める前」からすでに道に迷った状態だ(笑)。

とりあえず、自分が地下鉄のどの出口から出たのか、確認する方法はないか?
そうすればイ課長がいまいる地点がどこか、地図上で特定できるはずだ。
幸い、メトロ出入口案内みたいな看板地図があったから、さっそく見てみたよ。

ところが全然使えないんだコレが。
地図には確かにメトロ入口の印が何個もついてるけど肝心の「現在地」印がついてない。
これじゃ自分が今ドコなのか、わからんティーヌ!!(←フランス語風の叫び)

あちこちグルグル歩いてみたけど、地図のどの道をどっち向きに歩いてるのかも
わかってないんだから、要するにデタラメに歩いてるだけ。これじゃダメだ。

街中が迷路みたいなベニスを歩いた時も地図を片手に、それほど迷わなかったイ課長だが、
暗くて通りの名前を確認しづらいという不利要素があるにせよ、この時は見事に迷った。
地図のドコに自分がいるのかわからんっていうじゃ話にならん。

さらにグルグル歩き回るうちに時間は開演時間の9時をまわってしまった。
さすがに疲れてきたし、寒いし、もうあきらめて帰ろうか…。しかしシャトレー駅に
戻ろうにも、散々デタラメに歩き続けてきたから、メトロ駅がどっちの方角なのかも
すでにわからなくなっている(笑)。まぁ、どうせライブハウスなんて時間ピッタリには
始まらないだろうから、もうちょっとだけ歩いてみるか…

9時を15分くらい回ったところで、目の前にある店の名前がフと目に入った。
たまたまその店名が持参してた地図に載っていた。あ、オレがいま歩いてるのはココか?

イッキに霧が晴れるように、地図上で自分がいる地点がわかった。
やった。この店がココってことは、ライブハウスは一つ向こうの通りのココやん!
いやーーー幸運の女神はイ課長を見捨てていなかった。はぁはぁ。

ムダにすごい距離を歩いた挙げ句、ようやくたどり着いたライブハウス。
すでに開演予定を20分くらい過ぎてたけど、予想通りまだ始まってない。やれやれ。
(本当に開演したのは、さらに20分くらいしてからだった)
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もうちょっとユッタリしたところかと思ったけど、かなり狭くて天井も低い地下。
もちろん座席指定なんてなくて、入った順に前からぐちゃぐちゃ座るような感じ。
周囲はフランス人だらけで、ガイジンなんてイ課長一人だ。ま、十分予想されたことだが。

22ユーロは入場料だけみたいで、周囲のフランス人たちは別料金のドリンクを
あれこれ頼んでるけど、イ課長は別にノドも乾いてないから何もとらなかった。
つうか、この時は飲物ウンヌンより、とにかく疲労困憊してたよ(笑)。
朝早く起きてルーアンに行って、この時間まで遊び歩いた上に、盛大に道にも迷ったし。

で、肝心のサックスの演奏はどうだったか。
たぶん彼自身が作曲したオリジナル曲で、前衛的というか、野心的な演奏ではあった。
当然のことながら初めて聞く曲ばっかりで、なかなか緊張感に富んだステージだったよ。
イ課長的にはもう少し古典的というか、スタンダード・ジャズっぽい演奏が好みだが…。
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パリの土曜の夜のジャズライブハウス。「夜遊びといえばオペラ」のイ課長にとっては
なかなか珍しい体験をさせていただきました。

出張でも旅行でも、土曜日っていうと大体は現地到着や出発にかかることが多くて、
土曜日をまるまるフルに遊べるケースってあまりない。ひょっとすると初めてかもしれない。
その嬉しさのあまり、土曜の夜にムリヤリ組み入れたパリの夜遊び。
イ課長が得た教訓は下記の三つなのである。

①夜は道を探しづらいので、自分が行くべき場所は事前によく確認しておきましょう。
②“昼遊び”の間に少しはエネルギーを温存しておきましょう。
③道に迷ったときは、最後は運である。


この夜の演奏は1時間くらいで終わった。終わった後もワヤワヤとおしゃべりに花を咲かせる
フランス人たちを尻目に、イ課長は早々に店を出てヨロヨロとホテルに戻り、イ課長が敬愛する
作家・北杜夫の表現を借りれば「掘り出されて1年めのゴボウのごとく疲れ果て」、
倒れ込むようにバッタリと寝たのでありましたとさ。トホホ。

 

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by tohoiwanya | 2012-09-23 00:19 | 2011.11 欧州出張 | Comments(4)
2012年 09月 21日

パリ・週末ナイトライフ

さて、やっとルーアンからパリに戻ってきた後の話に進むことができるぞ。
あ、一応念のために。今日は2011年欧州出張の話にトビます(笑)。

以前に書いたシャンゼリゼのX'masマーケットを見に行ったりしたのが、ちょうど
ルーアンから戻ってきたときの話で、ホテルに戻ったのは夜の7時頃だったはず。

だが、そのまま晩メシ食って寝ようなんて殊勝な了見をイ課長は持ち合わせていない。
11月終わりのパリ。夜の訪れは早く、そして長い。パリの夜を楽しまずしてどうする。
夜遊びだ夜遊び!パリのナイトライフにいくぞ!

欧州の大都市に出張した時の、イ課長のナイトライフの楽しみといえば、まずオペラだ。
この時もオペラを観ようと思って、出発前に演目なんかを調べみた。
おお、ちょうどこの夜にバスティーユのオペラ座でヴェルディの「運命の力」をやってる!
「運命の力」か。イイネ!さっそくチケットをネット予約しようと・・・




・・・売切れ


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ばっかやろう・・・。
上の写真はパリのメトロで見つけた「運命の力」のポスター。
チケットが残ってない演目のポスターなんて貼ってんじゃねぇよ!フランス人のばか!
売切れのウラミは根深いのである(笑)。

あきらめきれず、なおも調べてたら、ガルニエ(いわゆるパリ・オペラ座)の方では
ロッシーニの「シンデレラ」をやってるではないか!おお、ガルニエでオペラを観られたら
それはゴージャスな体験だ。イイネ!さっそくチケットをネット予約しようと・・・




・・・売切れ


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くっ・・・・なぜそこまでイ課長の夜の楽しみを邪魔するのだ?フランス人!!
上の写真は2009年のパリ旅行の時に見学したパリ・オペラ座の内部。ここは夜行ったら
めっちゃくちゃキレイなのは間違いないんだが…ちっくしょう。

いかん。華麗なパリのナイトライフ・プランが急速にシボんでいくぞ。
しかし、せっかくのパリの土曜の夜だぞ?意地でも夜遊びしてやる!
他にクラシックのいいコンサートがないか、調べたけど、どうもコレというのがない。
うーーーーむ・・・

この際、「クレイジー・ホース」とか「リド」とか「ムーラン・ルージュ」みたいな
パリのキャバレーに行ってナイトショーでも観ようかなぁ…とも思った。
しかしディナー付きだと高いし(200ユーロ、約2万円弱はしたと思う)、
そこまで払って、実質的には完全に「観光客向けのショー」と化しているであろう
ナイトショーを、世界中の観光客に混じって一人で観たいか?と言われるとねぇ…。

完全に暗礁に乗り上げたかに思えたイ課長のパリ・サタデーナイト夜遊び計画。
だが、ここでイ課長の脳にピカッとある言葉がひらめいた。



・・・・ジャズ・・・


おお。そうだ、ジャズってのはイイんじゃないか?
ロンドンやローマに「ジャズ」のイメージって皆無だけど、パリにはなぜかある。
「死刑台のエレベーター」みたいに、パリを舞台にした映画がジャズを使ってたという
影響が大きいのかもしれないけど、とにかくパリにはジャズのイメージがある。
おそらくライブハウスも何軒もあるはずだ。

「パリでおフランス風ジャズを聞く」ってのもなかなかオツな夜遊びじゃん?
こういう時は何でも自画自賛して自分を鼓舞するのである(笑)。

「パリの土曜の夜はジャズ」という方向で検討を始める。
検索すると、確かにライブハウスが何軒か出てきたから、その中から
パリ中心部のシャトレーっていう駅の近くにあるサンセット・サンサイドっていう
ライブハウスをネットで予約した。

演目はナンだって良かった。とにかくパリで夜遊びしたかったのだ(笑)。
土曜の夜はサックス奏者のナントヤラっていう人のライブで、料金は22ユーロ。
まぁ2,000円ってとこか。キャバレーのディナーショウより圧倒的に安い点もグッド。

開演はたしか9時だった。
上に書いたように7時頃、いったんホテルに戻ったイ課長は疲れを癒すヒマもなく、
再び8時頃にホテルを出て、メトロのシャトレー駅に向かった。

…というわけだけど、長くなったから今日はここまで(またかいッ!!)。
実はこの後、イ課長はシャトレー駅で壮絶なまでに道に迷うのである(笑)。

 

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by tohoiwanya | 2012-09-21 00:04 | 2011.11 欧州出張 | Comments(2)
2012年 07月 09日

ウィーン音楽会チケット購入ガイド

国立歌劇場でオペラ。
フォルクスオパーでオペレッタ。
楽友協会大ホールで音楽会。

ウィーン旅行中に楽しんだ、これら夜の音楽ライフのチケットは全部日本でネット予約した。
まぁ近頃は海外の劇場のチケットをネット予約するくらいは珍しくなくなってきたし、
「イ課長でもできるくらい簡単」と考えれば、わざわざガイドするほどのこともないとは思うけど、
多少は誰かの役に立つかもしれないからご紹介しておこう。

国立歌劇場でのオペラのチケット予約はここから。
フォルクスオパーはここから。
そして、楽友協会ホールのチケットはここから、それぞれ予約できる。

まぁサイトの構造としてはおおむね一緒で、演目がカレンダーで表示されてるから、
自分のウィーン滞在日程中にナニをやってるかな?って感じで探して、
ドレがいいかな~…と決めるわけだ。ここまではまぁいいよね。

ちなみに、楽友協会大ホールで開催されるウィーン・フィルの定演のチケット入手は
まず不可能みたいで、イ課長たちが3ヶ月くらい前に確認した時もSold Outだったけど、
一方、国立歌劇場のオペラは余裕で予約できた。チケット入手困難度の差は大きい。

自分の観たい演目が決まって、席が残ってればどの席にするかを決める。
これも種類がいろいろあってわかりづらいけど、座席表の画面と見比べながら
選べるようになってるから、これもまぁ何とかなる。席が決まれば、あとはチケット代を
クレジットカードで決済すればいいのだ。

本日はここから先について少し詳しくご紹介したい。
ここから先がちょっと違うんだよ。劇場によって。

国立歌劇場とフォルクスオパーは同じ予約システムになってるみたいで、
予約確認証みたいなものも全く同じフォーマットになってる。こんな感じね。
上がサロメ、下がメリー・ウィドウだ。イ課長たちはおおむね「真ん中クラス」の席を
とったわけだけど、サロメのチケット代はメリー・ウィドウの倍だったんだねぇ。
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ところが楽友協会の方の確認証はこういうんじゃない。
何と、信じ難いことに日本語対応してるのだ。これにはびっくり。
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あの観光客向け仮装コンサート、65ユーロもしたんだ。
そりゃさ、十分楽しませてくれたけど、サロメ並みってのはちょっと高かったかも…(笑)。

まぁいい。今はチケット代をウンヌンしようっていうんじゃないのだ。
日本からネット予約した場合は、この確認証を現地に持ってって、チケットと
引き換えるという重要な使命が残ってる。面倒だけどしょうがない。

同じシステムっぽい国立歌劇場とフォルクスオパーは引き換えも同じ場所でできる。
もちろん、公演当日でなくてもいい。イ課長たちは到着した翌日にすぐ引き換えた。
場所は国立歌劇場の裏。この辺にチケットオフィスみたいなのがあった。
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これで国立歌劇場とフォルクスオパーのチケットはOK。
同じ予約システム、同じ引き換え場所だから、チケットも同じようなデザインだ。
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では楽友協会の方はというと、これは楽友協会に行って引き換えるのだ。
同じところで全部やってくれりゃいいのに、そういう具合にはなってないんだね。
これもコンサート当日ではなく、前もって引き換えは可能。チケットはこんな感じ。
開演は8時15分。ずいぶん遅い開始だったんだね。
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それにしても驚かされるのは、ウィーンの音楽市場における日本人需要の高さだ。
楽友協会の予約確認証が日本語っていうのにもタマゲるけど、この記事を書くために今回
各劇場のURLを確認してたら、何とフォルクスオパーのトップページは
英語・ドイツ語・日本語の3つから選べるようになってるではないか。前はこんなのなかったぞ?!
(ただし、チケット購入画面はさすがにドイツ語だが)
楽友協会も日本語で確認証だしてくれるくらいだし、そのうち国立歌劇場も日本語対応
しちゃうんじゃないか?フランス語やイタリア語より優先されてるってんだからたまげる。

イ課長たちがチケットを予約したのが去年の3月(震災の数日前だった)。
現地で引き換えたのが去年の6月だから、その後多少システムが変わってることも
あり得るけど、冒頭に書いたように「イ課長に出来た」んだから基本的には大丈夫ですよ(笑)。
確認証までたどりつけば、あとは何かが変更になってたとしても、それ持って現地の劇場窓口に
行けば教えてくれるはずです。
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ウィーン観光を華麗に彩る、魅惑的な夜の音楽ライフがあなたを待ってますよ。
がんばってチケットとりましょう。
(上の写真は国立歌劇場のロビー。まだ明るいね)。



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by tohoiwanya | 2012-07-09 23:36 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(4)
2012年 07月 06日

ウィーン楽友協会大ホール

さて、ウィーンネタの消化を続けましょう(笑)。
本日はウィーン楽友協会ホールでの音楽会の話。

去年のウィーン旅行で、イ課長とトホ妻は3つの公演を聞いた。
一つがウィーン国立歌劇場での「サロメ」。これはもう書いた
二つめがウィーン・フォルクスオパーの「メリー・ウィドウ」。これも書いた
三つめが本日書こうとしているウィーン楽友協会ホールでのコンサートなのである。

ウィーン楽友協会大ホール…ムジークフェラインザール。
クラシックにご興味のない方には「何それ?」な話で申し訳ないけど、
ここは世界中のクラシックファン憧れの音楽ホールなんだよ。
その音響の素晴らしさ、絢爛豪華な内装の素晴らしさから「黄金のホール」とも言われる。
毎年お正月にNHKが放映するニューイヤーコンサートの会場としても知られている。

テレビでしか見たことのない、あの楽友協会大ホール。
今回ウィーンに行ったらぜひここで何か聞きたかったんだよ。演目なんて何でもいい。
とにかく「あの楽友協会大ホールでオンガクを聞く」という体験をしたかった。

チケットは日本からネットで予約した。
「サロメ」や「メリーウィドウ」を先に予約し、それ以外の日で楽友協会大ホールで開催の
音楽会を探したら、モーツァルトの曲を中心にしたコンサートがあった。よしコレだ。
名前を知らない地元オケみたいだけど、とにかく演目はこの際何でもいいのだ。
とにかくあの楽友協会大ホールで…え?くどい?はいはい。
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月曜に国立歌劇場、水曜にフォルクスオパー、そして金曜日の夜に楽友協会ホール。
ウィーンならではの音楽的娯楽を今回はうまくスケジュールに組み込めた。
そしていよいよ当日…。

うおおーーー…ついに実際に入ることができたぞ黄金のホール!
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きれぇーーーー!!うおおーーーー!(←嬉しくてイッちゃってる)
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おおおーーーオレ達の席は2階席だ!!
うおおおーーもうすぐ始まるーーー!(←嬉しかったのだ、大目にみてやってほしい)
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この夜のコンサート。
行ってからわかったんだけど、オーケストラ全員が18世紀風の仮装をして
モーツァルトの名曲を演奏するというもの。あー、これってよくウィーンの街中で
仮装したチケット売りが「モーツァルトコンサート!」とか言って、観光客相手に
売ってるアレだな。完全に「楽友協会ホールを見たい観光客向け」の音楽会だ。
こんなものをわざわざ海外からネット予約してきた客はイ課長たちくらいかも(笑)。

しかしね、この音楽会はなかなか楽しかった。
仮装オーケストラとはいえ、そこはウィーンだから演奏自体はしっかりしてるし、
「観光客のみなさん楽しんでちょうだい」って姿勢が徹底してる。
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特に会場が異常な盛り上がりを見せたのはエンディングだ。
ウィーンの音楽会っぽく、最後のアンコールで「美しき青きドナウ」が演奏された。
それを聞いたとき、イ課長は「あ、これ…ひょっとすると…」と思ったんだけど、
その通りの展開になったのだ(笑)。

つまり、ニューイヤーコンサートと同じ趣向でやってくれたんだよ。
最後に「美しき青きドナウ」をやって、鳴り止まぬ拍手を受けて再アンコール。
もちろん曲はお約束の(観客手拍子付き)「ラデツキー行進曲」に決まってるじゃん!

「楽友協会ホールでラデツキー行進曲に併せて手拍子」ってのはニューイヤーコンサートの
最後に必ず用意されたお楽しみなんだけど、ソレを今、自分たちが、同じ楽友協会大ホールで、
やってるんだよ!嬉しいーー!キャッキャッ!!(←またイッちゃったようだ、すまぬ)

観客はみんな、もうタガがはずれたように大喜びだよ。その気持ちをわかってくれ。
コドモたちなんかは喜びのあまり、全身で手拍子してたな(笑)。
もちろんイ課長もトホ妻も「嬉しい嬉しい」と思いながら盛大に手拍子したわけで、
いや楽しかったなーーー。
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この音楽会、ウィーン滞在の最後の夜、金曜の晩のことだった。
国立歌劇場の「サロメ」も、フォルクスオパーの「メリー・ウィドウ」もよかったけど、
こういう、肩のこらない観光客相手のコンサートも最後の夜にふさわしかったかもね。
もちろん、その開催場所がかの「黄金のホール」だったということが、何よりも重要なのは
言うまでもないのだが。




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by tohoiwanya | 2012-07-06 00:47 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(2)
2012年 04月 13日

フランツ・リスト記念館

ハンガリー出身の作曲家・演奏家はたくさんいる。
東欧って弦楽器奏者の産地ってイメージが強いけど(ヨーゼフ・シゲティとかね)
ピアニストも多い(アンドラーシュ・シフとかね)。でもハンガリーが生んだ史上最高の
ピアニストといえば、やっぱフランツ・リストってことになるんだろう。

作曲家としては「そこそこ」だったかもしれないけど(ヲイヲイ)、ピアニストとしては
とにかくスゴすぎる人だったらしい。リストの死後120年以上たっても演奏技術という点で
彼に比肩し得るピアニストはいないといわれてる。常軌を逸して「上手すぎる」人だったんだよ。

どんな難曲でも初見で完璧に弾き、2回目以降からは勝手に装飾音とか付け加え、さらに
難度をあげて弾いたっつうんだから、こうなると「あまり上手すぎるのもいかがなものか」
って感じになってくる(笑)。

まぁいい。別にリストの人生について語りたいわけではない。
ブダペストにあるリスト記念館に行ったという話を書きたいんだよ、今日は。

前に書いた、ブダペストの銀座線が下を走っているアンドラーシ通り。
駅一つ分離れた距離にコダーイ記念館とリスト記念館という二つの建物があった。
コダーイって、リストほど有名じゃないけどハンガリーのエラい作曲家なんだよ。
どちらも、作曲家がかつて住んだ屋敷を今は記念館にしているらしい。

イ課長はどっちでも良かったが、トホ妻はコダーイの方に行きたいと主張した。
そこでコダーイ記念館に行ってみたはいいが、どうも改装・閉館中みたいだったんだよね。
仕方ないから世界遺産アンドラーシ通りを地下鉄ひと駅分歩き、リストの方に行ってみた。

建物に入って、暗い廊下の途中みたいなところに受付がある。
そこでヘンなものを渡された。何かっていうと、靴を覆う特製の布袋みたいなもの。
入場者は全員コレを装着しないといけないのだ。土足厳禁。
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入口のチケットもぎりネエちゃんに「中で写真撮っていいの?」って聞いてみたら
別に写真代というのが必要なんだと。しかも(いくらだか忘れたけど)その写真代は
入場料より高かった。えええーーー??それってちょっとアコギな商売じゃないか?

自慢じゃないが、こちとら貧乏性が骨の髄までしみついたオジサンだ。
いいよいいよ、写真なんて撮らないよ。というわけでリスト記念館内部の写真はない。
展示室から降りる時に撮ったこの階段の写真だけでご容赦いただきたい。
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ただ、入口にいたこのネエちゃん、気さくというかナレナレしいというか、いきなり
イ課長に「アナタのそのTシャツ、いいわね…」なんて英語で話しかけてきた。
イ課長をナンパしたきゃ、「アナタだけタダで写真撮らせてあげるわ」くらいのこと言えって(笑)。

展示物はリストが使ってた何台かのピアノ、リストの手のブロンズ像…。
まぁそんなに画期的・必見のモノがあるわけじゃないけど、それなりの展示内容だ。
展示物より、リストが住んでた家そのものの方が見ものかもしれない。

豪華だったねー。
ハイリゲンシュタットで見たベートーヴェンの質素な家とは雲泥の差。
欧州最高の人気ピアニストだけあって、おカネ持ちだったんだねぇ、リストって。

記念館の中にはリストの肖像画や胸像なんかもいっぱいある。
若い頃はイケメン天才ピアニストとして鳴らし、追っかけグルーピーもいたくらいで
女性関係の方もハデな人だったらしい。(以下の肖像画は全てネットからの拾い物)。
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こういった肖像画を何枚も見てるうちにトホ妻がボソリとつぶやく。
「リストってさぁ、肖像画描かせる時も『こういう感じでこの角度から描け』とか
 注文出してたよねきっと…」
リストの見た目&生きザマはトホ妻の好みには合わなかったものと推測される(笑)。

このリスト記念館で一番印象深かったのは、音楽が流れてたことなんだよ。
最初は館内BGMとしてリストのピアノ曲をかけてるんだろうと、何となく思ってた。
んーー??しかし待て…今度はバイオリン曲がかかり始めたぞ。しかもこの曲は
チゴイネルワイゼンじゃねぇのか?リストちゃうやん。

扉の向こうで見えなかったけど、明らかに隣室でレッスンやってたようだ。
BGMじゃなかったんだね。記念館を出る時に見たら、廊下には「レッスン順番待ち」の
少年少女たちがいた。大体中学生くらい。ココはリスト音楽院と何か関係あるのかな?

でもこの建物でピアノやバイオリンを習うってスゴいよねぇ。
何しろリストが住んでた家なんだから。そんじょそこらの音楽教室とは違うぜ?
ピカソの住んでた家にある絵画教室、千利休が住んでた家の中の茶道教室に通うようなもんだ。

展示内容にはあまり感銘をうけなかったけど、このリスト記念館に古い展示物だけじゃなく
「生きた音楽」が息づいてることにはけっこう感動した。
ここは「かつて有名音楽家が住んだ史跡」じゃないのだ。名も知らぬ音楽少年&少女たちの、
音楽的な喜びや悩みが現在進行形でいまも充満してるんだよ。

あの少年少女たちの中から、いずれ新たな「ハンガリー出身の名演奏家」が出るのかなぁ…
などと妄想しながら、リスト記念館を後にした我々なのでありました。




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by tohoiwanya | 2012-04-13 14:54 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(0)
2011年 07月 08日

だめだめハイリゲンシュタット観光 -その2-

カーレンベルグの展望台から再び38Aのバスで麓に向かった我々。
今度は降りるべきバス停を慎重に研究し、正しいバス停で降り、遺書の家を発見できた。
ミスの多かった観光活動も復調してきた…ように思えた。

「遺書の家」の入口はこんな感じ。中に入るとすぐに中庭があり、その奥がベートーヴェンの
住居跡(なんだと思う)。現在は小さなミュージアムになっている。
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大きな家ではない。各部屋も狭くて、天井も低い。質素な家だ。
家が小さいから展示物も少ないんだけど、その中で「うわっ」と思うのは…

やっぱこれだ。ベートーヴェンのデスマスク。
実はイ課長はこれを見たとき「これ、本当にベートーヴェンのデスマスクぅ?」って
ちょっと疑ったんだよね。死んだ直後だから痩せて頬がコケ、顔もシボんで見えるのは
ある意味当然なんだろうけど、それにしてもシボみすぎでは?顔が小さすぎるだろ。
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この疑問は、この記事を書くためにネットを調べて解明された。
アレは確かにベートーヴェンのデスマスクみたいで、何であんなに顔が小さいかというと
ベートーヴェンが死んだとき、両耳部分の骨を取っちゃった(?!)からなんだと。

彼は自分の難聴の原因究明のため、死後、自分を解剖するように依頼してたらしいんだな。
で、1827年3月26日、彼が死んだ日に早くも解剖は実施され、頭蓋骨の両耳の部分を骨ごと
取っちゃったらしい。だから、このデスマスクも顔の両側が切れてるような感じで、
やけに小さく見えるわけだ。

そんな話全然知らなかったから驚いた。
ベートーヴェンにとって自分の難聴というのは文字通り「宿痾(しゅくあ)」であり、
自分の死後であっても、何とかやっつけてしまいたい“呪い”みたいなものだったんだろう。
カンシャク持ちの彼だから、「オレが死んだらこんなクソ耳、トットと分解しちまえ!」って
思いもあったのかも。だとすれば、自分を終生苦しめ続けた自分の耳に対する一種の復讐だ。

うーむ…このデスマスクには深い情念が内包されておるのだなぁ…。

遺書の家には、こんなものもある。これ、ベートーヴェンの遺髪だよね、たぶん。
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彼の死にまつわる陰気な話ばかりで申し訳ないけど、この遺髪にもいろんな秘密がある。
ベートーヴェンの遺髪を近年の最新医学で分析すると、かなり顕著な「鉛中毒」の症状が
認められるんだって。

当時、ワインに甘みを加える添加物が鉛の鍋で作られ、結果的に「鉛化合物」みたいな
状態になった甘味料がけっこうじゃんじゃんワインに加えられたらしい。
ベートーヴェンもワインが好きだったようで、鉛中毒はその甘味料が原因ではないか…
…とまぁ、そんな学説もあるんだってさ。いろいろ勉強になるのう。

まぁ人類史上でもマレにみる音楽的天才・ベートーヴェンだからね。
死してなお、いろんな噂や研究は後を絶たないということなんだろうな。
遺書の家の裏庭じゃ、こんな黒猫が日光浴してて、のんびりしたもんだったが。
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遺書の家を出た我々は「エロイカ通り」を通ってベートーヴェンガッセに向かった。
彼が「田園」の曲想を練りながら歩いた小川沿いの道っていう、例のアレだ。

小川っつうても、ほんとにチョロチョロレベルのごく小さな川の脇に、上り坂になった
細い道が続いているというもの。道はアスファルト舗装されて車とか停まってるし、
「大自然あふれる田園の小道」的な牧歌的風景を想像してると、ちょっとガッカリかも。

この時、イ課長とトホ妻はとにかく歩き疲れてた。ハイリゲンシュタットに来る前に
すでに約1万歩。この段階では1.4万歩くらいは歩いてたはずで…うう…はぁはぁ。

遺書の家から田園の小道を通り、ベートーヴェン・ルーエ(胸像のある広場)なんかを通って
グリンツィングまで。おそらく距離にして数km、のんびり歩いても1時間程度のはずで、
普通の状態だったらちょうどいいハイキングコースかもしれない。
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しかしキョーレツな日差しの中、すでに十分歩き疲れた足にこの道はキツかった。
すれ違う人もほとんどいない田園の小道。「脚が疲れたからタクシー乗ろう」なんて思っても、
そんなものはない。生きて帰りたければグリンツィングの街までとにかく歩くしかないのだ。

やっと目指すグリンツィングにたどり着いた頃にはイ課長もトホ妻もやけに無口だった。
体はクタクタ、脚はジンジン、ノドはカラカラ。しゃべる元気もあまり残ってない(笑)、。
昔、真夏の奈良を二人でひたすら歩き、甘樫丘で二人そろって脱水症状になった時も
やっぱり二人そろって無口になったっけなぁ…。進歩しねぇ夫婦だなぁ…。

まぁそんなことはいい。とにかくグリンツィングまでは戻ってきたのだ。
まだ明るいけど時間はもう6時過ぎてたはず。結局今日は2万歩くらい歩いたわけだ。

この一帯って実はワインの産地で、自家製ワインを飲ませる醸造所兼レストランの
ホイリゲと呼ばれる店がたくさんある。さぁホイリゲだ!晩飯だ!疲れたぞイ課長わ!



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by tohoiwanya | 2011-07-08 12:37 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(2)
2011年 07月 06日

ベートーヴェンの町へ

ベートーヴェンの話を続けよう。
ハイリゲンシュタット訪問のテンマツを書く前に、もう少し説明が必要なのだ。

今回のウィーン旅行は、とにかくベートーヴェンに縁があった。
前回書いたように「フィデリオ」が初演され、ベートーヴェン自身も一時住んでいた
アン・デア・ウィーン劇場はイ課長たちが泊まったホテルの真ん前。しかもそのホテルの名前が
「ホテル・ベートーヴェン」っつうんだから(ホテルについてはいずれ詳しく書く)。

そのホテルを出て、カールスプラッツを抜けてリング通りを反時計周りにぶらぶら歩くと、
写真では何度も見たことのある有名なベートーヴェンの銅像があった。
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ベートーヴェンの写真は残ってないが、肖像画や銅像はたくさん残ってる。
この銅像もそうだけど、我々のイメージにあるベートーヴェンって、大体やや長髪で、
口をヘの字型に曲げて、気難しそうな顔をしている。笑った顔なんて皆無だ。
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実際、彼は常に不機嫌で、カンシャク持ちで、服装・身なりに気を使わなかった人らしい。
こういう性格じゃ、円満な恋愛生活とは縁遠くなるのも仕方ない。惚れた女にフラれて
恋愛に絶望する。おまけに耳がどんどん聞こえなくなって作曲家人生にも絶望する。

生きるのがホトホトいやになったベートーヴェンは温泉療養に来ていたウィーン郊外・
ハイリゲンシュタットの町で(当時は田舎の村だったんだろう)1802年に遺書を書いた。
これが有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」なのだ。

内容は詳細には知らないけど、とにかく「何もかも絶望的でダメダメで死にたくなっちまった」けど
「自分の中の芸術的衝動は燃えてるんだぜ」とか何とか、そんな内容(間違ってたらゴメン)。
「遺書」っていうけど、実際には甥にあてた手紙だったらしい。

ハイリゲンシュタットの遺書はベートーヴェンの作曲家人生において大きな転機になったのは
確かで、その後彼はバリバリと名作を発表し始める。遺書を書いた翌年には前回書いた
アン・デア・ウィーン劇場に住んで「英雄」や「クロイツェル・ソナタ」を作曲したりしたわけだし。

ニンゲン、行き詰った時には死んだ気になって遺書を書いてみると気分的にカタルシスが得られ、
前向きになれるのかも。イ課長もこんなブログ書いてないで「浦安の遺書」でもしたため、
心を入れ替えて仕事に励むべきかもしれない。

…と、まぁそんな具合で、ハイリゲンシュタットという土地とベートーヴェンとは
切っても切れない深いつながりがある。
この町にベートーヴェンにまつわるアレやコレやが多いのも当然といえば当然で、
「遺書の家」や「第九を書いた家」、さらには交響曲第6番「田園」の構想を練りながら歩いた
小川沿いの小道なんてものまで残ってるらしい(下の写真は前回の再掲)。
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さて。
そういうわけで(あああ、例によって長い前置き)、ウィーン到着翌日の6月5日の日曜の午後、
我々夫婦はハイリゲンシュタットに行ってみたわけだよ。やっと冒頭部分に話が戻った(笑)。

今回の旅行でハイリゲンシュタットに行こうというのはトホ妻が希望していたことで、
ヤツは30年前(学生時代の夏季短期留学で)一度行ったことがあるらしいんだよね。
イ課長はもちろん初めてで、何の知識も土地カンもないし、この辺の詳細な地図もない。
つまりトホ妻の30年前の記憶を手がかりとして行ったんだけど、これほど頼りないことはない。

結局我々はこの日、最後の方ではモノを言う気力もなくなるほど歩きまくるハメになった。
いわばイ課長&トホ妻の「人サマにはお勧めできないハイリゲンシュタット観光コース」。
反面教師の意味を込めて、次回以降そのテンマツを書き記していきたいのである。
(次回からやっと本題かい!!)



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by tohoiwanya | 2011-07-06 06:42 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(0)
2011年 07月 04日

ベートーヴェンだらけ

ウィーンといえば、必ずくっつく枕詞は「音楽の都」。

だからウィーンには「あの大作曲家にゆかりのある家」がものすごくたくさんある。
生まれた家、住んでた家、死んだ家、○○を作曲した家…等々。
作曲家の名前や作品名を冠した地名(主に通りの名前)なんかも星の数ほどある。
たとえばこんな感じ。「ベートーヴェン小径」に「エロイカ通り」というわけだ。
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この二つの道はともに、ベートーヴェンが耳が悪くなって温泉療養したウィーン郊外の
ハイリゲンシュタットっていうところにあったもので、ベートーヴェンはここに滞在中、
有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた。だからベートーヴェンにまつわる場所が
たくさんあるのはわかる気もするが…。

しかし、ちょっと多すぎないか?と言いたくもなるんだよ(笑)。
だって、郊外のハイリゲンシュタットはもちろん、ウィーンの中心部である旧市街にも
ベートヴェンにゆかりのある建物っていうのが、もうメッタヤタラにあるんだもん。
他の作曲家と比べてもやけに多いと感じる。

特に「ベートーヴェンがかつて住んでた家」の多さときたら異常なほどだ。
ウィーンには「ベートーヴェンが住んだ家」が一体何軒あるのさ?というくらい多い。
下はその中のホンの1軒。ハイリゲンシュタットにあるベートーヴェンの家ね。
正確には、ハイリゲンシュタットにもたくさんある「彼が住んだ家」のうちの一つだ。
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こういう異常な状況を招いた原因は明らかで、ベートーヴェンが「引越し魔」だったからだ。
大人になってからの引越し回数が72回とか79回とか諸説ある。ウィーン在住約30年の間だけで
60回以上引越したとも言われてるけど、正確なところは誰もわかんないんだろうなぁ。
とにかく年がら年中引越してた人みたいなんだよ。楽聖ベートーヴェンさんは。

メッタやたら引っ越した結果、「ベートーヴェンが住んだ家」もウィーンじゅうに散らばった。
「ベートーヴェンが住んだ家」の前を一軒も通らずにウィーン旧市街を歩くのは不可能に近い。
そのくらい多いのだ。

実はイ課長&トホ妻が泊まったホテルの真ん前も、星の数ほどある「かつてベートーヴェンが
住んだことのある場所」の一つだった。その名もアン・デア・ウィーン劇場。

ベートーヴェンが劇場に住んだ?どういうこと?と思うけど、調べてみたところ、要するに
この劇場には関係者用の職員住宅みたいな住居が(少なくとも昔は)併設されてて、
ベートーヴェンはそこに住んだことがあるらしい。ベートーヴェン唯一のオペラとして知られる
「フィデリオ」の初演がこの劇場だったっつうから、もしかすると劇場が作曲家先生を
“カンヅメ”にして、早く作品を仕上げさせるって側面もあったのかもしれない。

何せベートーヴェンは名うての引っ越し魔。劇場の職員用住宅に移り住むことくらいは
どうってことなかったんだろうな。

アン・デア・ウィーン劇場の裏、イ課長たちが泊まったホテルの真ん前にはこうやって
ベートーヴェンがここに住んだってことに関するプレートが貼られている。

1803年から1804年にかけてここに住んだと。
ここに住んでる時に交響曲第3番「英雄」とか「クロイツェル・ソナタ」なんぞという
名曲を作ったということらしい。
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このアン・デア・ウィーン劇場、元々はシカネーダーっていう人が18世紀末に作った劇場で、
言うなれば浅利慶太が劇団四季のために作った「私設劇場」みたいなもんだけど、
シカネーダーという名前に反応した人はクラシック音楽に詳しいはずだ。

このシカネーダー、当時ウィーンの大衆向け歌芝居(ジングシュピール)の劇団座長として
大変な人気を誇った人で、彼こそがモーツァルトに「魔笛」の作曲を依頼した人であり、
魔笛上演に際してもシカネーダー自身が劇中で鳥刺し・パパゲーノの役を演じ、歌った。
自分自身で歌って踊る浅利慶太みたいなヒトだったわけだ(笑)。

18世紀末に出来たアン・デア・ウィーン劇場のほとんどはその後の戦争で破壊されて、
ミュージカル劇場として生まれ変わった現在は建設当時の面影はほとんど残ってない。

しかし、イ課長たちが泊まったホテルの真ん前、劇場の裏のところには建設当時の一角が
残っていて、そこにはシカネーダーが演じたパパゲーノを記念したモニュメントが残っている。
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ここは通称「パパゲーノ門」と言われ、この前の道も「パパゲーノ小路」という名前。
イ課長たちはホテルに行き来するのに毎日、このパパゲーノ小路を通った。
ホテルの部屋からもこんな風に、パパゲーノ門がよく見えたよ。
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…ベートーヴェンの話を書き始めたのに、最後はモーツァルトの「魔笛」の話になってしまった(笑)。
今回の旅行ではハイリゲンシュタットの方にも足を伸ばしたから、ベートーヴェン・ネタは
どうせ続くことになるのである。




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by tohoiwanya | 2011-07-04 00:05 | 2011.06 ウィーン旅行 | Comments(0)